ダンジョンボスになった俺の気ままな異世界新生活

中谷Φ(なかたにファイ)

第1話 紫炎


 ちくちくと肌を刺すような寒さを感じてモトヤは目を覚ました。


 視界は暗く、感じたとおりの冷たい空気が漂う。体に触れる地面の感触で、ごつごつした岩の上に寝ていたと分かる。



 寝ぼけた目を凝らして、モトヤはあたりを見渡す。

普段使っていた学習机も、

お気に入りの漫画を並べた本棚も、

脱ぎ散らかしていたはずの学生服も、

自分が寝ていたベッドも、

枕元に置いていたスマートフォンも見当たらない。




あるのは冷えた岩肌と、暗闇だけだ。




 ここが自分の部屋でなく、どこか別の場所だと確認したモトヤは、足元に気を付けながら慎重に立ち上がり、改めて周囲を見回す。息が詰まりそうな暗闇の中、なんとか見える範囲は1~2メートルほど。壁も天井もまるで見えない。相当に広いようだ。



 周囲に生き物の気配は感じられないが、まだ何があるかもわからない。モトヤは意を決して、足元に気を付けながら歩き出す。一歩、一歩、また一歩。転ばないよう、そして万が一のことを考えなるべく音をたてないよう、足を踏み出していく。



 闇の中を手でまさぐるようにして10歩ほど進むと、手がひんやりとした岩肌に触れた。その冷たさにハッとして一度は手を放すが、そろそろと手を伸ばし、岩の確かな感触を確かめる。



 壁を見つけた安心感で、モトヤは思わず浅くため息をついた。この壁が途切れないうちは、自分の方向感覚が使えるからだ。



 壁沿いに右か左か、進む方向を決めるため、手の人差し指を舐めて指を立ててみたが、風が流れてないのか風向きを感じ取ることはできない。あてずっぽうで、モトヤは右手で壁に触れながら、壁に沿って左の方へ歩き始める。




 歩いているうちに目が慣れてきたのか、地形の輪郭が少しずつ見えてきた。


 右手にある壁は床から垂直に立っており、向かいに見えてきた壁も右手の壁と垂直に交差している。洞窟かなにかに思えたこの場所は、どうやらとても大きな部屋のようで、モトヤはその角まで歩いてきたらしい。




 新しい壁にたどり着き九十度左へ進むのを4回繰り返して、最初に壁に触れた場所近くまで戻って来た。



1辺が30メートルはありそうな、巨大な正方形の部屋の途中で壁が途切れることはなかった。だが、岩ではなく、木でできた扉が二枚あった。



一枚はずっしりと重そうな手触りの、4人幅はありそうな両開きの大扉。

一枚は軽く押せば開きそうな、一人幅の片開きの扉。



 大扉の位置は一方の壁の中央に、小さな扉は大扉から見て左の壁の奥、風景に紛れて見えにくい場所にある。幸いに、どちらの扉にも鍵はかかっておらず、耳をすまし向こう側の気配を探ってみたもの、聞こえるのはモトヤの息遣いと心臓の音だけで、ヒトの気配は感じられなかった。




―――――――はぁぁぁあああ。



最低限の安全確保ができ、やっと肩の荷が下りたモトヤは大きくため息をついて、部屋の壁際に座り込んだ。



状況整理として、まず始めに思う当然の疑問

―――――なんで俺こんなところにいんの!?―――――には答えようがない。



寝て起きたらこの部屋にいた、しか情報がないからだ。

そしてこれからどうすればいいか、にもいい答えはない。



 外に出て通行人や警察に助けを求めるにしても、この地下としか思えない冷たい闇の空間から外に出るまでは、完全に行き当たりばったりになる。出口を探さなきゃならないし、途中に見張りでもいたら戦わなきゃならない。

何か武器や道具になるものが欲しいが………。



 何かないかとズボンの両ポケットに手を入れてみると、左ポケットに何か布のようなものが入っている。モトヤは普段ハンカチを持ち歩かないし、ましてや部屋着のポケットに入れているわけもない。



 いぶかしげにその布を取り出してみると、出てきたのは1枚のくしゃくしゃになった革布だった。暗さで色はわからないが、つるつるとした銀面があることから確かだろう。



 革布を検あらめていると不意に、指先にぬくもりを感じた。革布の裏側、床面側の指だ。さっきまで冷えた石の壁を触っていた手に、じんわりとほのかな温かさが広がる。おもむろに、モトヤが革布の裏面を広げてみると、赤く光る文字群がぼんやりと浮かび上がっていた。




 ―――― クエイグ(Cueigu)


メギド カースサイン ソウルコンバート ヘルア…――――。




書かれていたのは文章にもなっていない言葉の羅列。最初の単語以外がファンタジーで聞きそうなワードばかりなのは気のせいじゃないだろう。



「メギド…、カース……えっ…」

単語を口ずさもうとしたモトヤが2つ目を言い切ることはなかった。







「……っあっっっっつううううぅぅぅうううう!!!」



 光源のなかった部屋、壁にもたれて座るモトヤの目の前に、強烈な紫色の光を煌々と放つ大きな火球が現れたのだ。



 モトヤに逃げ場はなかった。背後は壁で、足を崩して座った姿勢、さらに不意打ちで前面を覆うほどの火の玉が出てきたとあっては、逃げられる人間なんていやしないだろう。



 混乱して手をばたつかせている間に、眼前の空気を焼く炎は瞬く間に大きさを増し、鼻先に迫ってくる。



「うわあああぁぁぁぁああああああっ!!!!!」



モトヤにできるのは顔を背けて、背後の壁にピタリと張り付き0・1秒でも死を先延ばしにすることくらいだった。




―――――ああ、こんなことなら人生もっと遊んでおけばよかった。


―――――――――。

――――――。

――――。







―――――――――っ?



体の表面はまだヒリつくほどに熱い。だが空気は熱くない、もう先刻までの冷たさが戻ってきている。気づけばさっきまで燃え盛っていた紫の炎塊は、硬い岩の床の上に、向かい側の壁まで続く焔の轍を残し、消え去っていた。



 部屋の景色も一変していた。真っ暗だった空間は白黒灰の明るいモノクロ空間へと変貌し、部屋の作りがよく見えるようになっていた。光源は先程の残り火しかないはずだが、部屋の隅々までその輪郭がハッキリと見てとれる。まるでカメラのナイトビジョン映像を見ているかのようだ。



 未だヒリヒリ痛む肌を気遣い、ふらつきながら立ち上がったモトヤは、見通しの良くなった部屋の中央に何かがあることに気づいた。



半ば腰が抜けたような体を引きずるようにして近づいてみると、それは一振り大鎌だった。



色を断定はできないが、全体が艶のある暗い系統色 の持ち手、刃は“待ち“のない刃元が柄へと這うように丸く伸びた曲線刃。その上部を刃先から柄を越え後ろに突き出た茎子までを包むようなねじくれた“みね“。 拾い上げ持ってみると、持ち手の長さは自分の身長よりも十センチ以上長い。さらに重厚な見た目に反して、まるで重さを感じない。握らずとも指先だけで持ててしまうほどだ。




こんなもの“現実”ではお目にかかることなんてないだろう。






――――そうか、だいたい分かってきたぞ。

モトヤは大鎌を置き、持っていた革布の文字を眺める。




さっき炎が出てきたのは『カースサイン』を言い終える前だった――――。


念のため扉を焼いてしまわないよう岩壁の方へ向き、その言葉をつぶやく



―――― メギド ――――。



言い終わると間もなく、目の前に“手のひら大”の紫の炎が出現する。



―――こんなに小さかったか?―――という疑問をよそに、火炎球はみるみる大きくなった。記憶に新しい嫌な熱さを思いだし、思わず数歩後ずさる。



その直後、炎は打ち出された大砲の弾のように真っ直ぐ飛んでいき、命中した壁に黒い焦げを残して消えた。跡にはさっきのように紫の轍が残り、同じことが起きたと分かる。



 やはり思った通りのようだ。どうやらこの革布に書かれている言葉の力を使えるらしい。モトヤは並んだ言葉をざっと見直してみる。



 『メギド』もそうだったが具体的にイメージしづらい言葉が多い。だがハッキリと分かるものもひとつあった。



 ―――暗視。白黒ではあるが、光のない場所でもモノが見え、光源とその光の範囲は色も分かる。今モトヤに見えている景色、これは暗視の力のおかげだろう。


 革布には『サイズマスタリー』という言葉も記してあった。部屋にあった大鎌も使えということに違いない。



 渡りに船と言うには大袈裟すぎるが、鎌と炎という武器を手にいれた。これなら扉の外に犬や見張りがいても対抗できるだろう。



 ここで布の言葉を検証すれば万全なのだろうが、そろそろ空腹や喉の乾きもなんとかしなくてはいけない。





 モトヤは革布を畳んでポケットにしまい、大鎌を肩に担ぐと、二つある扉のうち小さい方の扉へ向かい、慎重に開いた――――。




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