第198話
クレディと名乗った騎士は、マキアスを家の外に誘うと、歩きながら話そうと言った。
剣戟が止んで、戦いの決着がどうなったのか気になったのだろう。家の中をのぞき込もうとしていたカタリナは、突然マキアスたちが連れ立って外に出て来たので、びくりと身を竦ませた。
カタリナにその場で待機するように伝えて、マキアスはクレディと村の中を歩いた。クレディはなぜか、両手に木の桶を持っている。
「小さい村で驚いたろう」
「……正直な。魔物は出ないのか?」
「出るさ。そういう時は、俺も戦う。だが、農民たちも逞しい。罠を作ったりして、弱い魔物なら自分たちで撃退している。――ま、元々あんまり強い魔物は住み着かない土地柄らしいが」
クレディは、農作業で日に焼けた顔で笑った。
マキアスは不思議な気分だった。彼は自分が殺すつもりだった男と、会話しながら開拓村の中を散策している。クレディはマキアスに背中を向けて、案内するように先に立っていた。
洗濯物を抱えた年配の婦人と、二人はすれ違った。婦人はクレディとマキアスに会釈し、クレディも会釈を返した。クレディはこの村に受け入れられているようだと、婦人の姿を見送りながら、マキアスは思った。
「最初は、俺もよそ者と見られていたが……」
「え?」
「野菜もまともに育てられなかったからな、当然だ。しかし、ようやく挨拶してくれるようになった」
「この村で、あんたは何をしてるんだ?」
マキアスは、神殿騎士団の、もしくは暗殺部隊としての任務的な意味で尋ねたのだが、クレディは違う意味に受け取ったようだ。彼は、あの井戸を見ろとマキアスに言った。
「井戸?」
クレディがあごでしゃくった先に、確かに井戸がある。石積みの枠が頑丈そうだ。
「俺が掘った。井戸ができる前、この村は、近くの川から水を汲んでいた。そこで魔物に襲われて、何人か死んでいる」
「井戸を掘ったって? あんたが?」
「そうさ。俺にだって井戸は掘れる。時間と力だけは有り余ってたからな。立派なもんだろう? こいつのおかげで、俺はようやく、ここの村人だと認められた」
「騎士団の任務は?」
クレディは、マキアスをちょっと振り返った。
鼻で笑ったのが、クレディの答えのようだった。
「俺は、ずっと前に神殿騎士を辞めた」
井戸の側まで来て石組みに腰掛けると、クレディは言った。マキアスは驚いた。
「辞めた? 除籍されたのか」
「違う。俺から辞めてやったんだ。任務中に、勝手に姿をくらませた」
「何のためにそんな事を」
「お前なら分かるだろう」
俺たちのやっている事が、くそったれだからだと吐き捨て、クレディは石組みに乗っていた縄付きの木の桶を、井戸の底に下ろした。
「あんたは総長の命令で、騎士団の敵を暗殺していたんじゃないのか。そういう部隊の人間なんだろ?」
「ああ、そうさ。パラディン第六席のケルドーン・グレイラントが、俺の親玉だった」
マキアスの質問を、クレディはあっさりと認めた。暗殺部隊の指揮を司る者が、パラディンの中に居るかもしれないというのはヴォルクスも言っていたが、それがケルドーンだとは、きっとヴォルクスも知らないだろう。
「というか、お前は違うのか、マキアス。俺はてっきり、ケルドーンの命令で、お前が脱走者を殺しに来たんだと思った」
「いや、俺は違う」
「じゃあ、誰の命令だ」
「…………」
「答えられないのか。まあいいさ」
そう言うと、クレディは引き上げた桶の中の水を、腰のベルトに付けていた革袋に移した。栓を閉める前に、クレディはその水を飲んだ。そして、その様子を眺めていたマキアスに、革袋を差し出した。
「……え?」
「飲むか?」
「あ、ああ。……ありがとう」
マキアスは革袋を受け取ると、水を一口飲んだ。歯にしみるような冷たさだ。
クレディは目を細めると、低い声で言った。
「――実は、それには毒が入っている」
「ゴホッ! ゲホッ! きさ――」
「嘘だ。冗談だ」
慌てて水を吐き出し、自分をにらみつけたマキアスに対して、クレディは両手を軽く挙げてそう言った。
「やっぱり、お前は俺の“同僚”じゃないんだな。そうなら、敵に勧められたものを、そんな簡単に口にしない。……まあ、顔を見れば分かるがな。お前はまだ、染まりきっていない感じがするよ」
「む……」
何となく、お前は甘ちゃんだと言われているような気がして、マキアスは不機嫌な顔をした。テオドールと二人で行動している時は、自分は慎重派だと思っていたが、本職の目から見るとそうでも無いようだ。
だが、クレディは逆に、親しみを込めた表情でマキアスを見た。
「それで良いと思う。善意で人に勧められたものを断るのは、騎士らしく無いと思わないか?」
クレディはマキアスから革袋を受け取ると、もう一度、喉を鳴らして水を飲んだ。
井戸の周囲には緑の草が伸びており、青や白の小さな花も咲いている。村で飼っている鶏の鳴き声に混じって、木々の枝に止まった小鳥が歌っている。昼下がりの陽気が心地よく、まさに春爛漫といった感じだ。
「俺は今まで、総長とケルドーンの命令で、色んな奴を殺した」
一息つくと、クレディは急に語り始めた。
「男も女も、爺さん婆さんも。……子供だって。剣で殺した事もあるし、毒を使った事もある。……だが、それが騎士か? 笑顔で相手に近付いて秘密を探り、後ろから刺すような真似をする奴が、騎士と言えるのか? ……違う。絶対に」
両手を拡げて訴えるクレディは、真剣な目をしていた。なら、どうしてそんな部隊に参加したのだと、マキアスは聞いた。
「……俺の意志なんか関係ない。結局、俺の家は、騎士団の中のそういう家だったんだ。親父が俺に技を仕込んだ。教会の敵を殺せるようになれとか何とか言ってな。知ってるか? 俺の親父はネド・リヒトシュタインだ」
「……それって」
「ああ、ケルドーンの前のパラディン第六席だ」
マキアスは得心がいった。この男の名前を聞いて、どこかで耳にした覚えがあると思ったのはそういう事だった。
「親父や、親父の愛弟子のケルドーンに比べりゃ、俺は出来損ないも良いとこだがな。とにかく、六年くらい前に親父がくたばったのを機会に、俺は姿をくらます事にした。任務中に死んだって事にして」
通常の団員でさえ、神殿騎士団は団に背いた者を地の果てまで追いかけて、絶対に処罰する。ましてクレディが属していた暗殺部隊では、裏切り者は地獄の底まで追われる。
死ぬまで追われるのなら、いっそ自分から死んでやろうという訳だ。しかし、ケルドーンたちの目をかいくぐって己の死を偽装したのは、まさにクレディにとって、一世一代の大芝居だった。
「その作戦は、奇跡的に上手い具合に行った。もう一回やれって言われても、俺には無理だ。ともかく、芝居は成功して、クレディ・リヒトシュタインは死んだ。この村じゃ俺は、『優しくて頼りになるロバートお兄さん』で通ってる。村人の前じゃ、お前もそう呼んでくれ」
「……おじさんの間違いじゃないのか?」
マキアスとクレディは、同時に小さく笑った。
話す内に、マキアスは目の前の男の事を、何となく憎めなくなっていた。
クレディの話が本当なら、この男は総長やケルドーンから命じられる暗殺任務に嫌気が差して、騎士団を出奔したのだ。脱走もそれはそれで重罪だが、マキアスはここに、騎士の誓いに反する人間を斬りに来たのだ。
ならば、そんなものはここには居なかった。それでもいいという気がしていた。元々、ヴォルクスがマキアスに渡した名簿には、クレディの名前は無かったのだから。
マキアスは言った。
「あんたを見逃してもいい」
「そうしてくれると助かる。俺はまだ、死にたくはない。それに正直、お前の方が若いし、強そうだ」
「だが、俺の質問に答えて欲しい。俺は、あんたが所属していた部隊の情報を知りたい」
「……何のために?」
何と答えるか、マキアスは少し迷った。騎士団のためでも、ヴォルクスのためでもない。そんな建て前では、クレディは納得しないという気がする。マキアスは、正直な思いを口にすることにした。
「友達のためだ」
その一言を口にしただけなのに、マキアスの顔は、どうしてか熱くなった。
「……ふうん? ……まあ、いいか。五年前までの事しか、俺は知らない、それで良けりゃ教えてやる」
井戸から水を汲んだ後、マキアスたちはクレディの家に戻った。マキアスも、桶一杯の水を持たされた。
「た、隊長?」
クレディの家の前には、カタリナが待っていた。話の流れが一体どうなったのかと、カタリナは連れ立って戻ってきた二人を見て、そわそわとしている。一時休戦だと、マキアスはカタリナに伝えた。
「一時休戦? 終戦の間違いじゃないのか、マキアス」
「これからの話しだいさ」
「ひねくれた事を言うなよ。……そういう事だから、お姉ちゃん、あんたも俺に斬りかかったりしないでくれよ?」
「ま、まあ、隊長がそう言うなら……」
「お姉ちゃんも飲むかい?」
クレディは、また水を飲んでから、カタリナに革袋を差し出した。
カタリナは、ぶんぶんと首を振る。
「いや、知らないおじさんが口付けたものなんて飲めませんよ。私、これでも女子ですからね?」
そりゃあそうだと、クレディは声を出して笑った。
◇
神殿騎士団の裏の部隊に、かつて実際に所属していた者だけあって、クレディの話は興味深かった。特に、彼の亡父であるネド・リヒトシュタインは、ケルドーン・グレイラントの前の部隊指揮者だったのだ。部隊がどういう成り立ちをしたものかなどについても、クレディは詳しかった。
「部隊に所属してるのは、大抵は決まった家の人間だ。そうやって、親から子供に部隊の秘密と技術が受け継がれてる。俺と親父みたいにな。外から新規に人を入れる事は、あまり無い」
「騎士団員以外にも、構成員がいるという事だが?」
「そうだ。どこにでも居る。平民の中にも居るし、八大諸侯の臣下にだってきっと居るさ。――誰が、なんて聞くなよ? 流石にそこまで教えるのは目覚めが悪い。それに実際、一緒に仕事をした事のある奴しか、俺は顔も名前も知らないからな」
「そうか……」
「まあ、くそったれな部隊に間違いは無いが、神殿騎士団が特別って訳じゃない。どこの領邦にも、汚い仕事を引き受けてる奴らは、それなりにいるさ」
クレディの言う通り、そうでなければ、組織というものは回らないのかもしれない。
「マキアスのお友達は、なんであいつらに狙われてるんだ。あいつらが動くなんて、よっぽどの事だぞ。何をやったんだ?」
あいつらと、クレディはさっきから、他人事のように古巣の事を語っている。実際、死を偽ってまで抜けたかった部隊だ。マキアスが現れなければ、彼はその事をずっと忘れて、農民としてこの地に骨を埋めたのだろう。
クレディの問いに、マキアスは答える事ができなかった。
彼にこの任務を命じたヴォルクスによると、彼が護ろうとしているアルフェは、ドニエステ王国に征服されたラトリア大公領の姫君なのだという。
十年以上前に死んだラトリア大公には、忘れ形見がいた。太陽のごとき金色の髪を持った、麗しき剣姫。その姫はラトリア人以外も知っている、結構な有名人だ。
しかし、アルフェはその姫とは違う。アルフェの髪は銀色で、彼女は剣も使わないし、使えない。
ここだけの秘密だという事で、ヴォルクスはマキアスに語って聞かせた。ラトリア大公には、実は二人目の娘が居たのだという事を。対外的には、次女は始めから存在しなかったという事になっている。しかし実際は、三、四才くらいのころまで、次女は居たのだ。その姿を目にした者もいる。
一体そこに、どんな事情があったのか。そこまでをヴォルクスは知らなかった。総長は恐らく、そこに隠れた秘密に関連して、存在はずの公女アルフィミア――アルフェを狙っているのではないか、そういう推測を、ヴォルクスは口にしていた。
「それは、教えられない」
そう言ったが、マキアス自身も詳細を知らないのだ。カタリナは余計な事を喋らないようにと、硬く口をつぐみ、マキアスの顔色をうかがっている。
「まあ、それならそれでいい。他に何を聞きたい?」
それからもマキアスは、クレディに対して色々な質問をした。部隊の戦い方や連絡方法などについては参考になる部分もあったが、何しろ五年前の話だからなとクレディ自身も言った。結局、彼がもたらした情報で一番の収穫は、ケルドーン・グレイラントが部隊の指揮者だという事だった。
ヴォルクスのもとに、早くこの情報を届けなければ。質問を終えたマキアスが思考していると、クレディが口を開いた。
「……終わったか? じゃあマキアス、最後に俺から、お前に聞きたいことがあるんだが」
「何だ?」
クレディは、さっきまでの気楽な調子から、真剣な表情に切り替わっていた。だが、その聞きたいことというのを、彼は言い淀んで、なかなか言葉にしようとしない。
「お前は……、――ん?」
しかし、クレディがようやく意を決した時、家の扉を叩く音がした。
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