第197話

「カタリナ、ヴォルクス団長にこの手紙を」

「はい、了解しました。……あの、でも、隊長の傷の手当ては」

「自分でやれる」


 マキアスのその言葉に、カタリナは、痛々しいものを見る目をした。

 上半身裸になったマキアスの胸には、白い包帯が巻かれている。これは単なる応急処置だった。包帯の下の傷は、まだ塞がっていないようだ。滲んで大きくなっていく赤い染みが、カタリナにそれを教えていた。


「大丈夫だ」


 副官を心配させまいと思ったのか、マキアスは明るい表情で笑ったが、台詞の最後の方で、鈍痛が走ったように、彼は顔を歪めた。

 カタリナはまた表情を曇らせたが、彼女はマキアスの強がりを尊重する事にしたようだ。


「すぐに戻ります」


 カタリナは、宿の部屋を出て行った。

 マキアスがカタリナに託した封書は、魔術式の込められた蝋で封印が施されている。無理に中身を見ようとすれば、蝋は発火し、中の手紙を燃やす。これは、定期連絡のために、マキアスがヴォルクスから与えられた魔術具の一つだ。

 騎士団員同士の手紙のやり取りは、騎士団の詰め所か教会を往復する連絡員を利用するのが常道だが、今のマキアスは、任務の内容上、それを利用する事は避けなければならない。カタリナはあの封書の配送を、民間の郵便馬車に頼むだろう。

 カタリナが居なくなると、マキアスは自分の胸に巻き付けられた包帯を解いた。ぐっちょりと重くなった布が、寝室の床に落ちる。剣で斬られた傷は、かなりの深手に見えた。


「【我が祈りに答え、癒しの力を――】」


 こんな時、多少でも治癒術が使えるのは便利だ。マキアスは、自分の家系に感謝した。マキアスが呪文を唱えると、彼の掌は白い光に包まれ、それを傷口になぞらせると、出血はほぼ止まった。

 これで死にはしないが、治っても傷跡は残るだろう。妹のステラのように、これだけの深手を無かった事にするのは、マキアスの治癒の技量では無理だった。


 新しい包帯を巻きなおすと、彼はテーブルに置いてあったいくつかの品を、順番に手に取った。

 先の尖った棒のような暗器、小瓶に入った毒々しい色の液体、何に使うのか分からない、細く長い針金。これらは全て、マキアスが斬り倒した敵が持っていた品だ。こういうものを所持しているのが、普通の騎士のはずはない。

 試しにマキアスは、小瓶の口を抜いて、慎重に鼻を近づけてみた。目の裏がつんとするような刺激臭が、彼の鼻を刺した。こういうものが塗られた武器で傷付けられなかっただけ、幸運だったと思う事にしようと、彼は考えた。

 こんなものを使って人を襲う。騎士の風上にも置けない卑劣な奴らだ。アルフェの事を考慮に入れずとも、マキアスは同じ騎士団にそういう人間たちが居たことについて、はらわたが煮えくり返る思いだった。

 小瓶をテーブルに戻すと、マキアスはそれとは別に置いてあった、黒い鞘を持ち上げた。この鞘の中には、かつてベルダンの町でアルフェが作った、魔物の脚を素材にしたナイフが入っている。彼は柄を掴み、刀身を少しだけ引き抜くと、すぐに戻した。


「…………」


 今日彼が戦って殺したのは、女だった。

 女の神殿騎士は珍しい。カタリナを含め、何十人もいないだろう。その中に暗殺部隊に所属している者がいるというのが、まず驚きだった。

 マキアスよりも、かなり年上の女だった。剣を握った以上、男も女も関係ない。それでもマキアスは、自分が斬り殺したのが女だったという事に、言いようの無いやりきれなさを感じていた。

 だから彼は、相手がただの女ではなく、姑息で卑劣な暗殺者だと、改めて確認したかった。


「…………くそ」


 吐き捨てると、彼はナイフの柄を額に押し当てた。



 翌朝、マキアスとカタリナは、もう次の町に向けて出発していた。馬上にいると、振動が直接傷に響く。だがマキアスは、表向きは平然とした顔で馬を走らせていた。


「隊長、ここを西に行くみたいです」


 カタリナが、指で方角を示している。街道には、道案内の看板など立っていない。

 彼らの次の目的地は、ある辺境の開拓村だった。そこには、特に教会や騎士団の詰め所は無い。ヴォルクスが彼らに渡した名簿にも、そこに誰かが居るとは書かれていない。

 それでもマキアスがそこに向かおうとするのは、昨日彼が倒した女騎士が、その村から届けられた手紙を持っていたからだ。書類を残さない人間たちだと思っていたが、例外はあるようだ。

 手紙には、同じ部隊に所属する者同士でなければ、できないやり取りが記されていた。それを読み、マキアスは今から向かう開拓村に、自分が倒すべき敵がいると判断したのだ。


「……何も無いな」


 マキアスはつぶやいた。

 二人が開拓村に到着すると、そこには十数軒の粗末な家が集まっているだけで、開拓村に良くあるような防壁すら無かった。辛うじて、貧弱な木の柵がぐるりと立てられていたが、これにはせいぜい、そこで跳ねまわっている鶏が、逃げ出すのを防ぐくらいの効果しかないだろう。


「ほんとですね。どうしましょう、泊まる場所も無いですよ、きっと」


 カタリナは気楽なことを言った。カタリナは、最初に敵の命を奪った時には落ち込んでいたものの、その後は基本的に、いつもの能天気な娘に戻った。マキアスの目には、彼女はこの過酷な任務に、自分よりも上手く適応しているように見える。

 マキアスも彼女を見習って、努めて明るく答えた。


「そうなりゃ、またテントだな」

「また隊長と二人でですか? 一応私も女の子なんですけど」

「女扱いするなって言ったのはお前だろ」


 軽口をたたきながら、二人は村の端に生えていた木に馬を繋ぎ、村の中に入った。


「魔物も出るだろうに、こんなんでよくやっていけるな」


 マキアスが漏らした言葉は、この村に対する感想として、誰もが抱くであろうものだった。カタリナも彼に同意するように頷いている。

 家の数からみて、ここに暮らしているのは、せいぜい三、四十人といったところだろうか。結界の外で人間が魔物に対抗するには、人数も非常に重要だ。少々手強い魔物に狙われれば、こんな小さな村程度、一瞬で崩壊するだろう。

 こんな場所に、本当に自分の敵がいるのだろうか。マキアスは、内心で首を傾げた。


 しかしやはり、それらしい男は住んでいた。

 表に出ていた村人に尋ねると、五年ほどまえにこの村に移り住んできた男が、どうやら農民ではなさそうだという話だった。なさそうというのは、その男は普段は農民として振舞っているが、文字が読めたり、たまに襲ってくる魔物を撃退するために剣を使ったりしたことから、他の村人も、男の素性について不思議に思っていたそうなのだ。


「何だ、お前は」

「あんたは騎士か?」


 男の家を訪ねたマキアスは、中にいた中年の男の問いかけを無視して、単刀直入に聞いた。


「……騎士じゃないな、俺は」


 すぐに、その言葉が帰って来た。

 しかし、服の上からでも分かる。男の肉体は、訓練を受けた者の身体だった。マキアスは、嘘をついても無駄だと言おうとしたが、先に男が言葉を続けた。


「お前も、いや、お前は神殿騎士か。俺を探しに来たんだな……。どうやってここが分かった? ……あいつが、俺の居場所を教えたのか?」


 騎士ではないと言ったくせに、この男の台詞は、己も神殿騎士だと認めているも同義だった。

 あいつというのは誰なのだろう。マキアスは一瞬考えたが、先日手に掛けた女騎士が、男の言う“あいつ”だという事は見当がついた。その女騎士が持っていた手紙の中に、この村の事が記してあったのだ。


「ああ」


 マキアスが認めると、男は酷く苦々しい表情になった。男は「なぜだ」と小さく口にした気がしたが、それは、マキアスに向けた問いかけではなさそうだった。

 男は顔を上げ、マキアスを見つめた。


「俺を消しに来たのか?」

「そうだ。…………どうして笑う?」


 男はマキアスの返事を聞いて、乾いた声で笑い始めた。


「騎士団も、しつこいな。五年前に自分から消えた人間に、今さら刺客を向けてくるとは」

「……?」


 二人の話は、どこか噛み合っていない。マキアスは、騎士団内の暗殺部隊の構成員を探してここに来ていたが、この男の口ぶりは、まるで男が何年も前に現役を退いた者であるかのようだ。

 しかし、男はすぐ近くの壁に立てかけてあった長剣を手に取ると、鞘を払った。刀身の輝きは、男が剣の手入れを欠かしていなかった事を示している。


「だが俺にも、黙って殺られる気は無いぞ」

「始めからそう言ってくれれば、話が早いんだ」


 呼応するように、マキアスも剣を抜いた。

 この男は手強い。構えて向かい合った瞬間に、マキアスにはその事が分かった。これまで斬ってきた騎士たちの中では、最も腕が立つ。

 狭い家の中である。男は剣を水平に構え、突く気配を見せていた。大振りを狙わないのはマキアスも同じだ。マキアスは剣を下段に引き下げた。男が突いてくれば、最小の動きで刀身を跳ね上げるつもりだ。


 しばし闘気が交錯した後、彼らはお互いに前に出た。男の突きは予想通り鋭かったが、それはマキアスの予想の範囲内だった。マキアスは危なげなく相手の剣を天井に向けて跳ね上げると、そのまま懐に潜り込んだ。

 しかし、マキアスの斬り下ろしは相手に外された。パラディンを除けば、これだけ動ける人間は、騎士団にもそう多くない。二人はもう一度剣を打ち合わせると、どちらからともなく距離を空けた。


 ――こいつ。


 そこでマキアスは、少しの違和感を覚えた。今のこの男の剣は、騎士の剣だった。使っている武器がどうこうでは無く、正面から堂々と相手を打ち破る事を目的とした、神殿騎士団の訓練所で教える、正しい騎士としての剣筋だった。

 これまでマキアスが斬ってきた“敵”は、自分たちの正体がばれると、騎士としてではなく、暗殺者として刃を振るってきた。奇襲も騙し討ちも問わない、手段を選ばない戦い方である。

 対してこの男は、自分の事を騎士ではないと言ったが、使ってきたのは騎士の剣だ。

 これは、何を意味しているのだろうか。


「お前は」


 マキアスは逡巡していたが、それ以上に、相手の方もマキアスに対して驚きを感じていたようだ。


「なぜ、そんな剣を。お前は……誰の命令でここに来たんだ?」


 さっきまで、何もかも承知しているという顔をしていたのに、男は顔を歪めると、呻くようにマキアスに問いかけた。

 そして、次に男が口にした名前は、マキアスにとって意外なものだった。


「総長……、いや、ケルドーン・グレイラントの命令じゃないのか?」

「ケルドーン……、ケルドーン・グレイラント卿? パラディンの?」

「……違うのか?」


 そう言うと、男はしばらく迷ってから、殺気を消して剣を下ろした。


「お前の名前を教えてくれ。俺は、クレディ・リヒトシュタインだ」


 今さら偉そうに名乗れる人間じゃないがと、男は付け加えた。

 しかし、先に相手に名乗られた以上、騎士として、マキアスも名乗らない訳にはいかなかった。


「……マキアス・サンドライト」


 マキアスも、男に向けていた剣を退いた。

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