第177話

 出発したクルツたちは、野営地から幾つか丘を越えた先に、大規模な魔物の住処を発見した。

 それは、やはりゴブリンたちの集落だった。草原の中に、周囲を木組みの柵でぐるりと取り囲んだ、ゴブリンの巣。柵の中には石と木で作られた歪な形の住居が密集しており、その間を、背骨の歪んだ小人のような魔物たちが歩いている。

 それは村と言うより、もはや一個の都市だった。複数階建ての建物や、まばらに立った木を利用した、見張り台のようなものさえある。手先の不器用なゴブリンが、こんな平地にこれだけのものを作り上げたとは、にわかには信じられない。

 この集落がある地点は、四方を丘に囲まれた盆地のようになっている。それで、人間や他の魔物に発見されるのが遅れたのだろうか。一匹一匹は非力なゴブリンでも、群れれば時には竜すらも倒す。いずれにしても、他の魔物たちが気付いた時には、この集落は既に手の付けられない大きさに膨れ上がっていたのだろう。

 しかしどんなに大規模な集落を前にしても、クルツの団長としての決心は、もう変わらなかった。ここに囚われているかもしれない生存者を、どうにかして解放する。目的に変更は無く、相談の余地があるとすれば、その方法だけだった。


「俺に良い考えがある」


 五人が丘の上に隠れて襲撃の方法を議論した時、クルツは自信満々に、胸を叩いて言った。


「ウェッジ、お前が一人であの巣に忍び込んでくれ。囚われた人々の場所を探して、彼らと共に速やかに脱出する」


 ウェッジは五人の中で、最も偵察や隠密の技能に優れている。敵陣に忍び込むとすれば彼が適任なのはその通りだが、そんなものが良い考えなのか。ウェッジが何か言おうとすると、最後まで聞けとクルツが言った。


「ネレイアさんには、この高台から魔術で巣を攻撃してもらう。――あなたの魔術は、ここからでも届きますか?」

「ええ、でも、命中の精度は低くなるわ。あの数を相手にするためには、広範囲に効果があるような術を唱えないといけないでしょうし。それでもし、中にいる人やウェッジを巻き込んだら……」


 ネレイアが口にした心配も飲み込んでいたように、クルツは頷いた。


「レスリック、カジミル。お前たちは魔物がネレイアさんを襲わないよう、彼女を守る」


 高位魔術を唱える際、ネレイアは無防備になる。知能のあるゴブリンが、彼女を最も脅威と見なして、彼女に群がるのを防ぎたい。レスリックたちは了解と言ったが、当のクルツはこの作戦の中で、一体どういう役割を果たすつもりなのか。四人がそう思ったところで、クルツはもう一度自分の胸を――というよりも、自分の鎧を拳で叩いた。


「ネレイアさんが魔術を放つ前に、俺が巣の前の、あの目立つ場所に出る」


 ゴブリンの集落を囲む柵には、ご丁寧に門のようなものまで付いていた。そしてその前は、開けた草地になっている。クルツが指したのはその地点だ。


「そうすれば、全部とは言わないまでも、巣の中から魔物たちが出てくるはずだ。そこをめがけて、ネレイアさんは魔術を放ってくれ。混乱した隙に、ウェッジは柵を乗り越えろ。生存者を探せ」


 それは要するに、自分が囮になるというクルツの作戦だった。


「お前、それは……」


 ウェッジは表情を険しくした。目立ちたいからとか、手柄を立てたいからという理由での提案では無いだろう。ウェッジもそこまでクルツを侮っていない。だが、己を軽んじ過ぎるが故の自己犠牲は、きっと良くない結果をもたらす。


「違うぞ、ウェッジ」


 クルツはウェッジの肩に、自分の片手を置いた。


「俺の鎧なら、多少魔物に群がられても、何ならネレイアさんの魔術に巻き込まれても、そうそう傷つく事は無い。お前も知っているだろう」


 そうだ。万に近いアンデッドに囲まれた地獄を、ウェッジを背負ったクルツが脱出できたのは、この鎧の力が大きい。だが、この鎧が外からの攻撃全てを遮るというのなら、クルツは片目を失っていない。


「この五人でやるには、これが最も良い作戦だと思う。……だが、皆の提案があるなら聞く」


 クルツ以外の四人は、彼よりも良い案を出せなかった。確かにこの少人数では、クルツの案は合理的な作戦に聞こえる。


「しかし……」


 まだ一人、ウェッジはためらっていた。ウェッジの役も危険が大きい。しかし、彼が案じていたのは自分ではなく、クルツの命だった。

 そんな危険を冒してまで、居るか分からない生存者を救いに行く必要が有るのだろうか。彼は改めて思い悩んでいた。

 ウェッジはクルツの目を見た。クルツは真っ直ぐと見返してくる。その瞳に、迷いは見当たらない。自分はクルツの世話を焼いているつもりだったが、腹を決め切れていないのは、むしろ自分の方なのか。

 ウェッジは苦笑すると、自分の左肩に乗ったクルツの手に、己の手を重ねた。


「――分かった、団長」


 ウェッジがそう言うと、クルツは満足そうに微笑んだ。あの地獄をようやっと這い出して、家名も何もかも失ったというのに、それでもクルツは、こうやって屈託無く笑えた。いや、むしろ、エアハルト伯の次男坊であった頃の彼よりも、今のクルツの笑顔は溌剌として見える。


「皆、他に質問は無いな」


 クルツの言葉に、四人が頷いた。団の全員が作戦に同意し、もう話し合う事は何も無い。後は行動するだけだ。


「行こう」


 そして、クルツが率いる傭兵団「白銀の狼」の、最初の戦いが始まった。



 ゴブリンの社会構造は、同じ亜人種であるオークとはかなり異なる。人間からすれば、どちらも似たように見えるのだろうが、両者には様々な違いがあった。

 例えば、オークは強い個体をリーダーとして、部族毎に集落を形成する。

 単純な弱肉強食に見えるが、オークは自分の帰属する部族のために命をかける。対立する部族により強い個体が居たとしても、帰属する部族の長を簡単には見捨てない。部族長の力が衰えた場合には、長の交代はまるで古式の決闘のような儀式を経て行われる。卑怯な真似を働いて前の長を殺したオークには、他のオークは決して従わないのだ。

 オークたちが重要視しているその感覚は、人間で言うところの、忠誠や信義といった概念に近かった。


 だが、ゴブリンの思考はもっと単純だ。強い者が偉く、弱い者はそれに従う。どこかの集団に属していても、よその集団により強く狡猾な個体が居るなら、あっさりとそちらに寝返る。前の部族長に石を投げるような事も、平気でする。

 卑怯とか卑怯では無いとかいう、面倒な概念は存在しない。どんな手段を使おうが、敵を倒して生き残った者が強いのだ。

 そんな種々の違いから、オークはゴブリンを見下していたし、ゴブリンはオークたちの事を馬鹿だと思っていた。人間が一緒くたに「魔物」と捉えている生物の中にも、複雑な関係性があったのだ。


 この草原に都市を築いたのは、あるゴブリンの部族だった。群れを率いる部族長は、確かに他のゴブリンよりも強く賢かったが、彼がここまで集落を大きくできた背景には、様々な幸運と偶然が重なっていた。

 集落を築いたのと同時期に、他の部族が強い魔物に蹴散らされ、新しい手下が大量に加わった事。もっと南にあったオークの集落が、自分たちよりも人間たちの注意を引いた事。それでも昔はこの草原にも軍隊を送ってきていた人間が、人間同士で争いを始めた事など、偶然の中身は色々だ。

 今やここは、ゴブリンの集落の中でも屈指の大規模な都市となった。生活するゴブリンは千匹を下らない。周囲の魔物も、ここを恐れて近寄らなくなった。集まったゴブリンは、より早く産み増える。数が増える度に、都市の力は大きくなる。

 しかし、増えたら増えたで問題はあった。

 食糧が足りなくなったのだ。

 ゴブリンは農業をしない。従って、食糧を得る手段は狩りか採集という事になるのだが、この草原には実を付ける木は少なかった。


 折角大きくなった都市が、食糧不足で崩壊しなかったのは、やはりこの群れのリーダーが優れていたからだ。彼は、他の魔物を家畜にする事を覚えた。小型の魔犬を網で捕らえて、自分たちに従うように調教したのだ。

 魔犬を使うようになって、狩りの効率は飛躍的に向上した。だが、草原に居る獲物には限りが有る。都市は再び、深刻な食糧問題に直面した。


 リーダーが次に考え出した手は、人間の村から何かを奪ってくる事だった。

 人間は普段、ゴブリンやオークならば決して足を踏み入れない場所に集落を作る。人間が「結界」と呼んでいるその領域に、ゴブリンやオークは入る事ができない。入ろうとすると、恐怖で足が竦んで動かなくなるのだ。

 しかし、人間はたまに結界の外に集落を作る事があった。そこには大抵、穀物や家畜などの食糧が、ゴブリン視点からすれば大量に蓄えられている。雌や小さい子どもならば、人間自体もゴブリンたちの食糧になり得た。

 これを放っておく手は無い。頭の良いリーダーは、手下をいくつかの集団に分けて、それらの集落を襲わせる事にしたのだ。

 襲うと言っても、闇に乗じてこっそりと、柵や防壁に穴を開けて、孤立した家畜や人間を攫ってくるだけだ。狩りの技術として、わざとしるしを残してやれば、追ってきた馬鹿な人間を倒し、食糧を増やす事ができた。

 食糧を得る手段が増えたことで、ゴブリンの群れは更に拡大している。将来的に、三度目の食糧問題に直面した時、この群れはどんな新しい食糧調達の方法を考えるのだろうか。

 だがそれは、ゴブリンたち自身も想像できない未来の事だった。


「やあやあ、卑劣なゴブリン共! 俺の声が聞こえるか!」


 ある日、そんなゴブリンの都市に珍妙な来客があった。

 見張り役のゴブリンが、ぎゃいぎゃいと警戒の声を発している。都市の前の草原に、何か外敵が立っているのだ。


「聞こえるなら出て来るがいい!」


 ゴブリンの戦闘員たちは、ぞろぞろと木の柵に上ってその外敵を見た。


「お、来たな!」


 眼帯をした金髪の人間が、都市の前に仁王立ちしている。その人間とは当然、クルツの事であった。

 クルツは右手に長剣をぶらさげて、左手に持った槍の石突きを地面に突き立てている。その槍の先には、銀色の狼を刺繍した旗が揺れていた。


「我が声を聞け! 我が姿を見よ!」


 クルツは大仰な手振りで長剣を掲げ旗を振り、なるべく多くの魔物の注意を引こうとしている。ゴブリンたちはそれを見て、馬鹿がやって来たと思った。


「我が名はクルツ・エアハル――、……違う! 俺の名はクルツ! 傭兵団『白銀の狼』の団長だ!」


 このゴブリンたちに人語は通じない。それは承知しているだろうに、クルツは高らかに名乗りを上げた。木の柵越しに彼を観察するゴブリンの数が、倍々に増えていく。彼の金髪と鎧がキラキラと光って、ゴブリンにとっては、確かに目を引く見世物だった。


「下劣な魔物であるお前たちを、この俺が成敗しに来た! いざ、尋常に勝負するがいい!」


 クルツの計画では、彼の挑発を受けたゴブリンたちは、そこで雪崩を打って柵の中から出て、彼に群がってくるはずだった。だが――


「ん? あ、おい! 止めろ! 卑怯だぞ!」


 ゴブリンたちは、短弓や投石によって、安全な木の柵越しに彼を攻撃し始めた。


「ちょ、待て! 止めろ! 話が違う!」


 何も違わない。クルツの言葉などお構いなしに、大量の矢と弓がばらばらと飛ぶ。


「ぬ、この! 卑怯者たちめ! ああ!? 旗に穴が開いただろうが! 折角作ったんだぞ! 止めろ馬鹿!」


 クルツは文句を言いつつも、両手を交差して頭をかばっているが、それでは胴体ががら空きだ。しかし、彼の体に命中したかに見えた矢と石は、全て鎧の魔力によって阻まれた。

 ゴブリンたちは動揺した。この人間は馬鹿だが、恐ろしく硬い殻を持っている。対するクルツは、降り注ぐ矢の雨が止まった事で、より声を高くしてゴブリンを挑発した。


「はっはー! 見たか、この鎧の力を! まあ、俺の力ではないんだが……とにかく、そんなものでは俺は殺せんぞ! 俺を殺したかったら、そこから出て来い!」


 クルツに言われるまでも無い。狡猾なようでも、やはりゴブリンはゴブリンだった。武器を石斧や短剣に持ち替えたゴブリンたちが、門からぞろぞろと出撃してくる。クルツは計画が上手く進行している事を悟り、にやりと笑みを浮かべながら、徐々に後退した。


「そうだ、もっとこっちに来い!」


 その時、クルツとゴブリンたちの足元では、地中を流れる水のマナが集まり、激しくうごめいていた。この風景を見下ろす高台で、ネレイアが長大な呪文を唱えている。目をこらせば、そこには彼女が展開する魔法陣の、澄んだ青い輝きが見えたはずだ。


「そらそら! こっちだ間抜け共!」


 走り出したクルツを、ゴブリンたちが追って行く。二、三百匹程度は釣られたか。魔物が効果範囲内に最大限収まったと判断し、レスリックの合図を受けたネレイアが、高位魔術を発動させた。


「【迸る水の柱】」


 どん、とクルツたちの足元が揺れ、地面にひび割れが走る。地下から噴き出そうとする水の圧力に耐えかねて、大地が膨らんだ。土は爆ぜ、そこからまるで間欠泉のように、何本もの水の柱が噴出する。


「ぬわあああああああああ!?」


 クルツは旗と長剣を握りしめたまま、無数のゴブリンと共に、空中に高々と舞い上がった。

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