第167話
うねうねと動く怪物の触手から放たれた、爆裂する魔力の塊が十数個、それぞれ違う軌道を描いて、アルフェに向かって飛んでくる。
「呼おおおおおおお!」
アルフェは一瞬で魔力を練ると、両腕を使い、身体の前で大きな円を描いた。彼女の手に触れた怪物の爆破魔術は、全てその場で炸裂した。轟音が洞窟内に響き渡り、天井から岩が剥離する。
一つ一つの爆発が、小さな木造の一軒家を吹き飛ばす威力があったはずだ。しかし、噴煙の中から現れた少女は、当然のようにけろりとした表情をしている。
目も口も無い、太い緑色の触手を束ねたような形状の魔物は、見るからに怯んだ。この種類の魔物にも怯えという感覚が有ったのかと、次々と飛びかかってくる触手の子供を切り払いながら、フロイドは妙に感心した。
アルフェはそのままたたみ掛けず、ちょっと小首を傾げながら、手を振ったり腰をひねったりしている。彼女の新しい防具は、以前の物よりずっと高性能だが、どうもしっくり来ていない部分が有るようだ。
それを隙と見たか、太い触手が形状を変え、一本の大きな筒のようになった。その中に、赤い魔力の光が収束していく。
「おい、アルフェ!」
フロイドは怒鳴った。アルフェに臣下として忠誠を誓い、彼女に対して丁寧な言葉遣いをするようになった彼だが、咄嗟の時にはまだまだ以前の癖が出る。
しかしフロイドに言われなくとも、魔物が大技を繰り出そうとしている事など、当然アルフェは承知している。彼女は魔力の光を見て、トントンと地面でつま先を鳴らした。
一際太く膨らんだ魔物は、次の瞬間にはさっきよりも更に巨大な赤い光を吐きかけてきた。
「う、ぐ――!」
アルフェは避ける選択をせずに、両脚をしっかりと接地し、両腕で抱え込むようにして、その光球を受け止めた。彼女は一瞬だけ苦しそうな呻きを上げた。だが、すぐに安定を取り戻した様子で、自分の身長くらいの直径の光の玉を、そのまま両手で掲げ持った。
フロイドは、どうしてさっきのように爆発しないのかと思ったが、あれもアルフェの鍛錬の成果なのだろう。
アルフェがフロイドを連れてこの洞窟にやって来たのは、ここに強力な魔術を使う魔物が住むと聞いたからだ。最近のアルフェは、魔術を使う相手に対抗する手段を増やそうと、色々な工夫を試みていた。
フロイドには、ちらりとアルフェの横顔が見えた。その顔が少し得意げに映ったのは、フロイドの気のせいではない。
アルフェは己の師匠から教わった技に、絶対の誇りと自信を持っている。今回はそれが悪い方向に出た。既に相手の魔物の力を見極めてしまったということもあり、彼女の心に慢心が生まれたのだろう。だがしかし、それは今度こそ、明らかな隙だった。
「あ」
アルフェが油断した隙に、触手の怪物は豆粒ほどの小さな光球を作り、彼女が持っている大きな光球にぶつけた。
大小の光球は干渉し合い、大爆発が巻き起こる。
「おい!」
またフロイドが叫んだ。
もうもうと立ちこめる砂煙の中で、天井が崩落し、岩が次々と降り落ちてくる。その岩に、アルフェの身体は押しつぶされてしまった。
「けほっ!」
が、しかし、瓦礫を押しのけて、すぐにアルフェは頭を出した。巨大な触手が、彼女をまるごと飲み込もうと、その頭の上で口を開けている。
迎撃のために、アルフェは瓦礫に埋まっていた手を引き抜いた。
「ふっ!」
アルフェと触手が接触する前に、砂煙に紛れて横に出て来ていたフロイドが、頭上に引き上げた剣を真っ直ぐと振り下ろす。
フロイドの剣が地面すれすれで停止してから一拍後、触手の怪物は輪切りになって、青紫の体液を噴き出した。
「怪我は有りませんか?」
刀身に付いた魔物の体液を振り払い、剣を鞘に収めたフロイドは、胸から下を瓦礫に埋めたアルフェの前に立つとそう言った。
アルフェは憮然とした表情をしている。彼女の身体の頭から胸にかけて、粘ついた魔物の体液がべっとりと付着していた。
「……大丈夫です」
「手を」
フロイドは悪びれる様子も無く、アルフェに片手を差し出してくる。アルフェは少しの間、むっつりとその手を見つめていたが、やがて、やれやれといった調子でため息をつくと、彼女自身も手を出した。
「ありがとうございます」
「礼には及びません」
フロイドが手を引くと、ごぼりと音を立て、アルフェは瓦礫の山から抜け出した。アルフェはフロイドに握られていない手を使い、髪に付いた粘液を取り、地面に落とす。
「今ので、魔物は全滅したようですが」
そう言いながら、アルフェは周囲を見回した。
洞窟の床には、魔術を使用するワームの変異体が、斬られたり潰されたりして、いくつもの死骸を晒している。
アルフェを地面に立たせると、フロイドは手を離し、淡々と言った。
「はい、これで依頼は達成しましたね。――だが」
「一々あなたに言われなくても、分かっています」
「最後に油断をした」
「言われなくても分かっていると言いました」
「相手を侮るのは、癖になります。そしていつか、痛い目を見る」
「だから、分かったと…………。――ふう。はい、気を付けます」
アルフェが忠告を聞き入れたのを見ると、フロイドは頷き、三歩後ろに下がった。そうして彼は、主の次の命令を待っている。騎士として求められる振る舞いを、男は忠実にこなしていた。そしてこれこそが、この男の本来の姿だったのだと、アルフェはようやく慣れてきたところだ。
「外に出ましょう。村長が気を揉んでいるでしょうから」
アルフェはそう言った。
ここはワームの住み処になってしまった洞窟だが、入り口は人里の中にあった。先日、ある辺境の開拓村に出現した魔物の討伐依頼を受け、アルフェはその痕跡を追った。そして魔物が村に入り込んでいた経路は、村の隅にある涸れ井戸だったということが判明したのだ。
井戸の底には横穴が開いており、それがこのワームたちの洞窟に繋がっていた。
「どうでしたか、冒険者殿」
アルフェたちが井戸の底から這い上がってくると、この村の村長を務める四十過ぎの小太りの男が、不安げに声をかけてきた。周囲には十人くらいの壮健な男たちの姿がある。全員が片手に槍を持っていて、もう片方の手には松明を掲げていた。
村長の質問には、アルフェでは無くフロイドが答えた。
「三百歩くらいの横穴の先が、ワームの巣になっていた。地上に出て来たものと同じ、魔術を使う変異体だ」
「何と……、で、そいつらは?」
「全て始末した。もう安心していい」
その言葉を聞いて、感嘆のどよめきが起きる。村長はほっと胸をなで下ろし、周囲の若者たちも、喜色に顔を輝かせた。
「だが、生き残りが居ないとは断言できない。一度見回って、できれば全て焼いた方が良いだろう。それに、ワームの巣は別の出口に繋がっていた。そこを通って、森から別の魔物が入って来る可能性も高い」
喜んでいた村長たちは、それを聞いて再び表情を引き締めた。早速何人かで洞窟の様子を確かめようと言い合ったり、洞窟の入り口と涸れ井戸を完全に塞ぐ方法について相談したりし始めた。
だが、村の恩人を放置していた事に、村長は気がついた様だ。村人たちの話し合いの輪から抜け出ると、笑顔になってフロイドに言った。
「これは済みませんでした。しかしお陰で、どうやらこの村も救われそうです。すぐにねぎらい宴の用意をいたしますので。どうか――」
「だ、そうですが」
村長の誘いを受けて、フロイドはアルフェに伺いを立てた。
アルフェは無言で目を閉じていた。彼女の髪からは、まだ魔物の体液の残りが滴っている。フロイドは村長の方に振り向いた。
「ありがたい申し出だが、断らせてもらう」
「し、しかし――」
「主の意向なんでな」
「は、はあ……」
どちらかと言えば、少女の方を剣士のおまけだと考えていた村長は、何とも言い難い表情をしていた。アルフェは村の宿に戻ろうと踵を返し、フロイドがその後ろに付き従っていく。村長の目からは、彼らがどういう関係に見えているのだろうか。
村長に会話を聞かれない距離まで来て、アルフェは歩きながらフロイドに言った。
「あなただけでも宴会に加われば良いでしょう。その方が、角が立ちません」
「そういう訳には行きません」
「私は別に構いませんよ?」
「だとしても、臣下として、越えてはならない分というものがある」
「またそれですか。第一、村長の顔を見たでしょう。私のような小娘に、大の男が下手に出ていれば、困惑されるのが当然です」
「そんな事は無い」
「そんな事はあります」
「無い」
「ああもう」
アルフェはお手上げだった。
アルフェがフロイドの誓いを受け入れた事で、二人の関係は明確に「主従」になった。しかし、アルフェは誰かの忠誠を受け入れるという事について、その時点では具体的に想像していなかったと言わざるを得ない。
少なくとも、自分に忠誠を誓った男というのが、これ程までに頑固で融通の利かない存在であるという事など、考えてもいなかった。
故郷に居た頃、アルフェの近くには多くの侍女や衛兵が居たように見えたが、思えばあれは、全て大公家に仕える家臣だった。アルフェ個人の臣下としては、この男が初めてという事になる。――いや、その前にオークのグラムがいた。つまりフロイドは、「人間としては」アルフェの最初の臣下だ。
「何ですか?」
自分を振り返ったアルフェに対し、フロイドが理由を聞いた。だが、アルフェはそれに答えずふふんと笑った。別に貴様が一番では無いのだと考える事で、アルフェは男の融通の利かなさに、一矢報いた気になった。
「さっきの話ですが」
宿の階段を上りかけた所で、フロイドが言った。
この宿は基礎が石組みになっている、三階建ての大きな宿だ。この開拓村は近辺の銅鉱生産の基地になっているため、規模がかなり大きかった。村にある宿も、それに比例して立派だった。
「アルフェ、貴女には、自分を下げて見る傾向が有るんじゃないだろうか」
二人がお互いをどう呼ぶかについても、ある程度の紆余曲折があったのだが、とにかく主従になってからも、フロイドはアルフェを「アルフェ」と呼んでいた。だが、アルフェさえ許可すれば、この男は即座に、彼女の事を「お嬢様」とでも「姫」とでも呼びだすだろう。
それは考えるだけで怖気が走りそうだし、アルフェは、自分がアルフェという名で呼ばれるのが好きだった。
「下げて見る……とは?」
「もっと己に、自信を持つべきだという事です」
「慢心するなと言ったり、自信を持てと言ったり――」
反論しようとしたアルフェを、フロイドは階段の下から見上げている。パッサウで思いの丈をぶちまけてから、彼の瞳はやけに澄んでいた。
「むう……」
そしてその澄んだ眼で、答え辛い事を色々と言ってくる。略式の臣従儀礼まで施した手前、無闇に拒絶する事もしにくかった。
だからアルフェは妙なうなり声で誤魔化して、階段を上っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます