第165話

 パッサウの港で、フロイドは一人、はるか遠くに浮かんで見える商船を眺めていた。

 さっきまで、彼は砂浜で訓練をしていた。重い物を持って足場の悪いところをひたすら走るという、兵士時代に散々やらされた基礎訓練だ。思い出話をすると、ついでそんな事をしてみたくなった。

 アルフェはアルフェで、今日も市壁の外で、鍛錬に励んでいるはずだ。

 フロイドがわざわざ恥を晒した甲斐があったと言うべきか。あの夜以来、彼女はどうやら、無茶だけはしていないようだ。少なくとも、自分の心と身体を、無闇に傷付けて安心するような真似は慎んでいると思われる。

 しかし、宿で見るアルフェの表情は、相変わらず沈んでいて、頑なだった。


 ――やはり、ベレン達の事が……。


 アルフェの心に影を落としているのだ。

 だがそればかりは、一朝一夕ではどうにもならないことだった。大聖堂の入り口に倒れているベレンを見つけ、秘蹟の間で息絶えた母子を見た時は、フロイドも顔色を失ったのだ。教会を敵に回しても、という強い決意で乗り込んだ場所で、助けようとした人々のそんな姿を見せつけられれば、後悔もするし、己を責めたくもなる。アルフェは強いが、同時にまだまだ子供なのだ。

 しかし、自分が伝えられる事は伝えた。後は、あの娘がどうなるかを待つだけだ。フロイドはそう考え、冒険者組合に戻ろうと踵を返した。


「おっ……」


 自分より先にアルフェが戻っていたので、フロイドは少なからず驚いた。しかし彼は、その驚きを表情には現さなかった。アルフェの方も、何を考えているのか分からない無表情をしている。


「どうも」

「ああ」


 何を考えているか分からないと言えるだけ、明らかに病んでいると分かった数日前よりは、この娘は立ち直ることができたのだろうか。アルフェの座っているテーブルの向かいに腰かけながら、フロイドは思った。

 そろそろ夕食の時間のはずだが、イルゼは不在のようだ。しかし、準備だけはしてあるのだろうか。厨房の方から、良い匂いが漂って来る。


「イルゼさんは、お知り合いの方に呼ばれて、出かけられました。すぐに戻ってくるそうです」

「うん」


 フロイドは曖昧な返事をした。この前の夜に話した事は、フロイドにとっても大きな決意を要する事だった。そうすべきだと思ったからそうしたのだが、やはり話さなければ良かったかもしれないという後悔も残っていた。


「体調は……どうだ」

「万全です」

「それは、良かったな」

「…………」


 アルフェが嫌がる丁寧な言葉遣いをするべきか、フロイドは迷っていた。実を言えば、フロイドの人生で、あの礼儀正しい喋りで通してきた時間の方が、今の粗野な喋りをしている時間よりもずっと長い。どちらかと言えば、あちらの方が彼の素の喋り方だった。

 それからしばらくの間、会話の無い奇妙な時間が流れた。二人とも、無言で座ったまま微動だにせず、お互いを見ようともしなかった。何か口実を付けて、外の空気を吸ってこようか。そんな風に、フロイドが居たたまれなくなったほどだ。


「お待たせー! いや、向かいのお爺ちゃんから良い物貰っちゃった! あ、お兄さんお帰り! すぐに準備するから!」


 だが、イルゼが騒々しい空気を連れて戻って来た事で、場の雰囲気が一気に和らいだ。

 イルゼは何かの包みを抱えている。近所の漁師から、魚か何かを分けてもらったようだ。彼女は厨房に行き、それからすぐに配膳を始めた。

 夕飯の用意が整うと、イルゼは隣のヨハンに声をかけ、鍛冶場から連れ出してテーブルに着かせた。フロイドが思い出話をした夜以来、夕食はいつもこの面子でとっている。


「さ、食べよう食べよう!」


 大きな声でイルゼが言った。彼女以外は無口な三人である。だが、イルゼの声は、十分に他の三人分を補っていた。

 アルフェはぴしっとした姿勢で座り、音も立てずに食器を操りながら、それでもあっという間に目の前の皿を平らげていく。イルゼはそれを見てご満悦だった。


「アルフェちゃん、これも食べて、これも」


 与えれば与えるだけアルフェは食べる。料理を作る側としては、これほど作り甲斐のある相手は居ないのだろう。イルゼは満面の笑みでアルフェの前に皿を進め、木の杯に水を注いだ。


「飲んで飲んで!」

「え、イルゼ」

「何? ヨハン」

「良いの?」


 突然ヨハンが、驚いた表情でイルゼに尋ねた。


「何が?」


 イルゼはきょとんとしたテーブルに上体を乗り出し、次はフロイドの杯に水を注ぐ。その水を見て、フロイドは眉間にしわを寄せた。


「ん……? これは……」

「ほら、ヨハンも!」

「いや、僕はまだ仕事が……、最後の仕上げをしないと」

「いいじゃん、息抜きは必要! それに、あんたの仕事が完成したら、アルフェちゃんたちは行っちゃうんだから!」


 これは、水ではない。


「酒じゃないか」


 そう口にしたフロイドが、素早く顔を上げてアルフェを見た。

 アルフェは、自分が口にしているものが何なのか、まるで分かっていない様子だ。勢いよく杯を干してから、小首を傾げている。


「変わった……飲み物ですね」

「うん、向かいのトマス爺さんが預かってくれって。おかみさんに見つかったら取り上げられるからってさ。珍しい奴だよ?」

「え、それって勝手に飲んでいいの? それより、アルフェちゃんは飲んで大丈夫なの?」


 ヨハンは慌てている。フロイドもアルフェを見た。

 透明度が高く、わずかにとろみのついたこの酒は、それこそフロイドの出身地のような、南の寒い領邦で作られる、度数の高い蒸留酒だ。別に子供が酒を飲んで悪いという法は存在しないが、それはせいぜい水替わりの、弱い葡萄酒や麦酒程度の話だ。しかもフロイドが知る限り、アルフェが酒に口を付けた事は無い。飲まないのか飲めないのか。どちらにしても、こんな、火を付ければ燃え上がるようなものを――


「ひっく」


 今のは、アルフェの口から洩れた音だ。

 アルフェは目を丸くして胸を押さえ、何が起きたのか分からない表情をしている。


「美味しい? アルフェちゃん」

「いや、駄目でしょイルゼ」

「何よヨハン。こんなの水と同じよ」

「いや、君はそうかもしれないけど……」

「美味しい――んでしょうか。……それより、喉が熱いです」


 と言いながら、アルフェはシャツの首元を緩め、袖をまくった。それだけで、特に気分を悪くした様子は無い。余計な心配だったかとフロイドは安堵し、自分も酒をあおった。


「ふぅ……」

「お兄さんは飲める人?」

「うちの地元じゃ、男は九つになる前に飲まされるよ。――これは、ゼスラントの山麦酒か。地元の味とは少し違うが、これはこれで、美味いな」


 ずっと胸につかえていたものを吐き出したせいか、これまで思い出そうともしなかった故郷の話を、フロイドは何気ない調子で話した。


「でしょお? もう一杯どうぞ」

「ああ、いただこう。――ん、イルゼ、お前も空じゃないか。俺が注いでやる」

「ありがと!」

「イルゼもフロイドさんも、そんなにガバガバ飲んで……トマス爺さんが怒るんじゃない?」

「ちょっとは残すし、おかみさんにばらすぞって言ったら大丈夫よ」

「ひ、ひどい……」


 幼馴染みの横暴におののきつつも、ヨハンもちびちびと杯に口をつけている。良い酒のお陰か、食卓は盛り上がりを増した。


「アルフェちゃんもお代わりは……」


 そう言いながら振り向いたところで、アルフェ以外の三人は固まった。


「ぐす……っ」


 さっきよりもシャツの胸元を緩めたアルフェが、顔を首まで真っ赤に染めて、はらはらと大粒の涙をこぼしている。


「な、泣き上戸なのね、アルフェちゃんは。あはは…………え?」


 ぎこちなく笑って誤魔化そうとしたイルゼは、アルフェが小声で何かを呟いているのを聞きとめた。


「な、なぁに? アルフェちゃん。何か言いたいの? …………おししょうさま? ――って、誰?」


 イルゼはそう言いつつ、フロイドを見た。

 アルフェは泣きながら、同じような台詞を繰り返していた。会いたい、お師匠様の声が聞きたい、顔が見たいと。


「……ごめんなさい」

「いや、僕らに謝っても……」


 自分が大いにやらかした事に気付いたイルゼは、酒の瓶をテーブルに置き、姿勢を正して殊勝に詫びた。イルゼが手放した酒瓶は、いつの間にやらアルフェの手の中にある。アルフェは泣きながら己の杯になみなみと酒を注ぎ、一息で飲み干した。

 アルフェの様子にあっけにとられていたフロイドは、やがて苦笑した。


「いいさ。……このお姫様は、たまにはこうした方がいいんだ」


 トリール伯の館で泣いた時すら、アルフェはフロイドの存在を意識し、どこかで己を抑制していた。

 酒の力を借りるのは邪道かもしれないが、たまにこうやって泣くことは、この娘にとっては必要な事なのかもしれない。そうしなければ、己の弱さを認められないというのなら。


「結局、本当は泣き虫なんだ、こいつは。だから――。……ん?」


 しかし、浸りながらつぶやくフロイドの横に、影が差した。

 彼の横に立っているのは、アルフェだ。まだ泣いている彼女は、座っているフロイドを見下ろして、目を怒らせている。そして彼女は右手を振り上げると、フロイドの頬を思い切り平手打ちした。


「ぶふ!」


 高い音がして、フロイドは椅子ごと後ろに倒れこんだ。テーブルが揺れて、その上の皿が激しく音を立てる。料理に被害が及ぶのだけは、イルゼとヨハンが二人で防いだ。


「――いってぇ! おま、何を!?」

「分かったようなこと言わないで!」


 あごがガタガタするほどに強く叩かれたフロイドは、アルフェに文句を言おうとしたが、それをアルフェの大声が遮った。


「私がどれだけお師匠様に会いたいか、あなたなんかに分からない!」

「な……」

「大体あなたは、いつもいつもいつもいつもひねくれた事ばかり言って――、分かったようなこと言って――。だからミリアムさんにも逃げられるんです! あなたなんかに分からない! 分かる訳ない! ――私は、お師匠様に会いたいの! 会いたいんです!」


 勝手に自分の気持ちを推し量ろうとするフロイドに文句を言いたいのか、それともただ師匠への思いをぶちまけたいのか。酔っぱらったアルフェは支離滅裂な喋り方をしたが、彼女が訴えたい事は、何となく分かった。


「あなたは私に何を期待しているの!? それも良く分からない! なのに、勝手に言いたい事ばかり言って、自分だけすっきりしたような顔して! そんなの、そんなの――!」


 ずるいと、アルフェは言った。

 それから彼女は、大声で泣いた。トリール伯の館でのように、声を抑えてしゃくり上げるのではなく、まるで爆発したように。


「……あ~あ」


 フロイドは両腕を広げて倒れたまま、大きく息を吐いた。

 確かにそうだ。その通りだ。こんな子供に、自分はどれだけ身勝手な期待を寄せているのか。あの打ち明け話も、結局この娘に重たい物を背負わせて、自分が楽になろうとしただけではないのか。


「ほんと、情けねぇよな……」


 つくづく自分の弱さが嫌になり、天井を見たままフロイドはつぶやいた。



 翌日、アルフェは完成した防具を受け取りに、ヨハンのもとに出向いた。昼近くに起きたのだが、まだ頭の中で鐘が鳴り響いているようだ。こめかみを抑えながら、アルフェは鍛冶場の入り口の戸を開けた。


「いらっしゃい」


 ヨハンは普段通りの物静かな様子で、アルフェを出迎えた。注文の品は出来ていると言い、彼はカウンターの上に一そろいの防具を並べた。

 胸当てとブレーサー、そしてグリーブ。どれもアルフェのためにあつらえられた特注品だ。胸当てとブレーサーには薄い青色のヴィーヴルの革が用いられている。金属部には、青味がかった銀色の金属が使われていた。グリーブも、同じ金属を使用して作られている。

 ヨハンが寝食を削って製作したそれらは、一見して、以前アルフェが身に付けていた防具よりもはるかに優れている事が分かった。


「ありがとうございました」


 礼の言葉は短くして、アルフェは持っているだけの金をヨハンの前に積んだ。ヨハンはその十分の一くらいを取って頷いた。


「余った材料もあるから、これくらいで」

「……感謝します」

「もう出発しちゃうんだね。イルゼは、まだ寝てるみたいだけど……」


 挨拶はしていかないのかと、ヨハンは言外に伝えた。

 アルフェは静かに首を横に振り、少しだけ微笑んだ。


「そうか……寂しいな」

「イルゼさんには、ヨハンさんから、よろしくお伝えくださいますか」

「うん。――あ、そうだ」


 ヨハンはしゃがみ込むと、カウンターの下でゴソゴソと音を立ててから、アルフェにもう一つ品物を手渡した。それは、フロイドが研ぎに出していた剣だ。細長い布の包みから、柄の一部がはみ出している。


「君に預けるよ。フロイドさんに渡して」

「……はい」


 アルフェは全ての荷物を受け取ると、ヨハンに背を向けようとした。そこに、ヨハンが声をかける。


「ねえ、アルフェちゃん」

「何でしょうか?」

「いつか、その防具も壊れてしまうだろうけど。そうしたら、またこの町に来て欲しいな」


 余った材料は、そのために取っておくよと、ヨハンは爽やかに笑った。

 それに応えるように微笑むと、アルフェも鍛冶場を出た。

 港町の朝は早い。ほとんどの家は、もう動き出している。市門の手前では、フロイドがイコに荷車を括り付け、旅の荷物を積んでいた。


「出発の準備は終わりましたか?」

「あらかた。後は、ヨハンから剣を受け取って来るだけだ」


 そう言うと、フロイドはイコの背を軽く叩き、気まずそうに尋ねた。


「……もう、大丈夫なのか?」

「何が?」

「いや、昨日の夜――」

「昨日の夜? 何のことでしょうか。昨日の夜、何か特別なことでもありましたか?」

「え? それは……」

「何か?」


 何もかも忘れたという顔で、アルフェは首を傾げた。アルフェはまるで本当に記憶を失っているかのようにも見えたが、両耳の頭が、ほんのりと赤くなっている。

 フロイドは何かを言いかけて、止めた。


「あ~……まあ、憶えてないなら別にいいんだ。じゃあ、俺は剣を取って来るから」

「それなら、もうここにあります」

「なんだ、代わりに貰ってきてくれたのか。すまない。――ん? どうしたんだ?」


 フロイドは手を差し出したが、アルフェは剣を両手に持ったまま、彼に渡そうとはしなかった。その代わりに、こんな事を尋ねた。


「あなたは、何を目指していますか?」

「え?」


 意表を突かれて、フロイドは返答に詰まった。


「あなたは昨日、言いましたよね。これから私が……何をするのか、見届けたいと。――では、あなたは?」

「俺?」

「そうです。あなたは、私と共に来て、何を叶えたいのですか?」

「俺が……?」


 フロイドは、アルフェが手にした剣を見た。


「私は、強くなりたいんです」


 そう言ったのはフロイドではなく、アルフェのほうだ。

 ――そうだ、とフロイドは思った。俺も強くなりたい。それが自分の願いのはずだ。強くなることを目指して、ずっと闘い、旅をしてきた。だから全てを失っても、今日まで剣だけは手放さずにきた。


「俺……」


 ――しかし果たして、本当にそうなのだろうか。


「私には、強くなって叶えたい願いがあります」


 そうだ。強くなりたい。その想いは願いそれ自体ではなく、何か別の目的を叶えるためのものではなかったのか。

 幼い頃、初めて剣を握ったとき、自分は何を目指していたのか。自問するフロイドを見て、アルフェは寂しそうに微笑んだ。


「でもその願いは、壮大な野望でも、大義でもありません。私はただ、私のお師匠様を、私の一番大切な人を奪った人間を、どうしても許せないだけです」

「…………」

「だからきっと、私に付いて来ても、あなたは何者にもなれない」


 アルフェがこれほど真摯な声でフロイドに語りかけるのは、初めてだった。そうして、彼女はフロイドに何を伝えようとしているのか。これは、フロイドが自分の過去をさらけ出した事に対する、彼女なりの返答なのだろうか。

 とても凛々しく、美しい表情。戦う時のアルフェと、今のアルフェ。その美しさの質は、同じようで違い、違うようで同じだった。

 ――幼い頃の自分は、一体何のために強くなりたいと思ったのだろう。フロイドはもう一度考えた。


「俺の、やりたいこと……」

「はい」


 貧しさから抜け出したかった。泥と屈辱にまみれて生きるのが嫌だった。それもある。だが、それだけでは無かったはずだ。

 守りたい人がいた。憧れた生き方があった。それを叶えるための剣であり、強さだったはずだ。


「俺が、なりかったもの……」


 だが、それを思い出したところで今さらだ。

 ミリアムはもういない。忠節を尽くすべき主にも剣を向けた。今さら騎士には戻れない。つまりは所詮、自分の剣など無意味なもので、そんな自分は、やはりどこまで行っても負け犬で――


「――違います」

「……え?」

「それは違います。あなたは昨日、自分のことを負け犬だと言いました。でも、私はそうは思いません」


 その言葉に、フロイドは胸を貫かれたような衝撃を受け、目を見張った。


「後悔しているのなら、やり直せるはずです。元の道に戻る事だって、いつかきっとできるはずです。……あなたは、そうしたいんですよね? 戻りたいんですよね? もう一度、日の当たる場所に」


 自分に誇りを持ち、胸を張って生きる。

 それが、幼い頃の自分が憧れた生き方だったのだとしたら。

 アルフェはフロイドに向かって、小さな手のひらに乗せた剣の包みを差し出した。


「フロイド、これはあなたの剣です。……だから、あなたに返します」

「…………」

「――それに、私に剣は必要ないですから」


 皮肉でも冗談でもなく、寂しそうな微笑みを浮かべたまま、アルフェはフロイドに語り掛ける。


「あなたの剣は、あなただけのものです。その剣は、あなたの願いを叶えるために振ればいい。だから……だからここまでにしましょう、フロイド。私たちの道は、違っています」


 失うものが何も無い男だからこそ、アルフェは、フロイドが自分に付いて来ても構わないと考えていた。しかし、そうでは無かった。だからアルフェは、ここで別れようと申し出ているのだ。フロイドに取り戻したい大切なものがあるのなら、それを妨げる権利は、自分には無いと。


「それは、そうなのかもしれない」


 どう答えるべきなのか。フロイドは、分かれ道に立っている己を感じた。


「そうなのかもしれない。だが――」

「――本当は」


 フロイドがどうしたいかを答える前に、アルフェが口を開いた。


「偉そうなことを言いましたが、本当は、正直に言うと、私はもしかしたら、誰かに側に居てもらいたいと、思っているのかもしれません。でも、駄目です。駄目なんです」


 ――本当は、独りになりたくない。


 ――それでも、この剣は自分が持つべきものではない。


 ――所詮この旅は、自分の独りよがりに過ぎないのだから。


 ――でもやっぱり、本当は――


 今まで抑えてきた本音が、ついに抑えきれなくなって出てきたかのように、アルフェは震えた声で、早口に喋った。


「……俺は」

「――っ」


 フロイドが答えようとすると、アルフェはぎゅっと目をつぶった。


「俺は、騎士になりたかったんだ」

「…………」

「自分の剣で、誰かを守りたかったんだ。そうやって、胸を張って生きたかったんだ。それが、俺の夢だったから」

「…………」

「でも、できなかった。全部、何もかも駄目にしてしまった。誰のせいでもない。俺が自分で駄目にしたんだ」


 フロイドの声は、アルフェ以上に震えていた。


「そうだ。俺は、もう一度やり直したい。こんなはずじゃなかった。こんなはずじゃなかったんだ。だから――」


 怖れを飲み込むと、アルフェは再び目を開けて微笑んだ。

 剣を差し出して立つアルフェの前で、フロイドは、幼い少年のように、ボロボロと涙を零していた。そんな彼の背中を押すように、アルフェは優しい声を出した。


「できます。あなたなら、きっと」


 アルフェが持つ剣を、フロイドは見た。彼女がそれを、別れの意味で自分に差し出しているのだということは、十分に分かった。自分の願いも、アルフェの気持ちも十分に分かった上で、フロイドは心から口にした。


「いやだ」

「…………え?」

「その剣は、受け取れない」

「フロイド、何を言って――」

「お願いだ!!」


 アルフェが止める暇もなく、フロイドは地面に跪くと、地面に手をついて懇願した。

 恥を全てさらけ出した以上、今さら斜に構えるのは無意味だ。


「頼む!! 俺は――俺は騎士として、貴女に付いて行きたい! 貴女が俺より強くとも――貴女に剣が必要なくとも、俺は貴女に付いて行きたいんだ!」

「だから、なんでそんな、私なんかにこだわるんですか……」

「わからない!! わからないが――それでも!! 俺はもう、貴女が自分の主だと決めた! 俺はもう、二度と主を裏切りたくないんだ!!」


 邪険に突き放されても、別れたほうが良いと正直に告げられても、結局のところ、フロイドの意志は初めからそれだった。そこには、はなから理屈などないのかもしれない。


「頼む。頼むから。――お願いだから」


 顔を伏せて号泣するフロイドの前で、「頑固ですね」と呟くと、アルフェは寂しい笑顔のまま、瞳を閉じた。


「フロイド・セインヒル、頭を上げなさい」

「――え?」

「頭を上げなさい」


 次に瞼を上げた時、アルフェは非常に強い視線で、フロイドと目を合わせていた。


「ならば私が、このアルフィミア・ラトリシエールが、あなたに剣を授けます」

「――!!」


 雷に打たれたようになり、フロイドの涙が途切れた。

 彼はアルフェの言葉の意味を問おうともせず、唇を引き結ぶと、地面に膝をついた。

 アルフェは剣を鞘から抜き、フロイドの肩に刀身の腹を乗せた。


「私はあなたに、何もあげられません」

「…………」

「あなたが誓えば、私はあなたの命を好き勝手に使います。私と一緒に来ても、あなたは何も得られません。誇りとも栄誉とも無縁の場所で、虚しく野垂れ死ぬだけかもしれません」

「…………」

「フロイド・セインヒル、それでもあなたは誓えますか? その剣を私に捧げ、私のために戦うと、本当に誓えますか?」


 圧を含んだ、脅しともとれるアルフェの問いかけに、正式な臣下の礼を取りながら、フロイドは一言だけ答えた。


「誓います。俺は、貴女に剣を捧げる」

「…………ならば、フロイド・セインヒル、この剣を取りなさい。あなたは今この時から、正しく私の臣下です」


 アルフェは剣を鞘に納め、フロイドの上に差し出した。彼はそれを、両手で恭しく捧げ持った。


「……本当に、物わかりの悪い人ですね」


 そう言うと、アルフェは諦めたように笑った。

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