第163話

「もうこんなに集めたのかい?」


 珍しい色の鉱石や各種の植物、そして様々な魔物の部位。アルフェとフロイドが用意した素材の山の前で、ヨハンが感嘆したようにつぶやいた。特にかさの大きいのは、アルフェが倒した亜竜の皮や鱗だ。ヨハンはそれを手に取ると、アルフェに尋ねた。


「これは、ひょっとしてヴィーヴルの皮かな?」

「そうらしいです」


 ヴィーヴルというのは、この地方におけるワイバーンの呼び名だ。山の方に出没するワイバーンとは、生態も多少異なっていて、餌の魚を捕るために、海に潜って人間の漁場を荒らしたり、時には沿岸を通る船を襲ったりすることもある。

 アルフェが倒した個体も、そうした前科の一、二犯はあるに違いない。もしかしたら商船ギルドや漁師ギルドから報奨金が出るかもしれないと、イルゼがそれに関する調べ物と、ギルドとの交渉をしているところだ。


「瞳もあるね。僕もまだ扱った事は無いけど、ヴィーヴルの瞳は触媒にできる。ありがとう、助かるよ」

「いえ」


 防具を作ってもらおうとしているのはアルフェなのに、あべこべにヨハンに礼を言われてしまった。

 アルフェとフロイドが二人がかりで集めた素材は、アルフェ一人分の防具を新調するためには、十分すぎるほどの量だった。質も滅多に見られないほど上々で、これを用いて鍛えた腕を振るえる事に、ヨハンは鍛冶師としての喜びを感じているようだ。


「完成まで十日って言ったけど、やっぱり十五日は欲しいな。どう?」


 そう言って製作期限の延長を求めてきたのは、納得のいく物を造るためなのだろう。アルフェは、特に逆らわずに頷いた。満足そうに微笑み、早速作業に取り掛かろうとしたヨハンに、アルフェは声をかけた。


「……ついでに、これも材料に使って頂けますか? 鋳溶かしてもらって構いませんから」


 そう言ってアルフェが差し出した物を見て、ヨハンは瞠目した。


「……この短剣は?」

「拾いました」

「……いいのかい? 溶かしたら、こんな物は二度と造れない」

「いいんです」


 アルフェが差し出したのは、トリール伯ヨハンナから奪った懐剣だ。どうしようかと悩んだが、結局、こういう使い方をする事にした。

 ヨハンはアルフェの目をじっと見つめてから、分かったと頷いた。


「あの剣は――」


 ヨハンは作業に取り掛かると言った。アルフェは彼を邪魔をしないように出ていこうとしたのだが、その前に、見覚えのある鞘に納められた一振りの剣が目に入った。


「ああ、フロイドさんから預かったんだ。研ぎ直して欲しいって」

「…………」


 フロイドの名前を聞いて、アルフェは露骨に不機嫌になった。あの男は最近、妙に忠臣面をする。昨日アルフェに諫言めいた事を言った後も、自分は間違っていないと言いたげな、ふてぶてしい表情をしていた。

 アルフェはそんなフロイドの態度に、今も腹を立てている。しかし、そうやってアルフェが怒りを引きずっている理由は、あの男の言った事が、もしかしたら正しいのかもしれないと、半分くらいは思いかけている自分がいたからでもあった。


「どうかしたかい?」

「なんでもありません。……そちらのほうも、よろしくお願いします」


 アルフェはフロイドの剣を見ながら、ヨハンに頭を下げた。



「う~ん……ヨハンの奴、昨日も全然寝てないみたいなんだけど……大丈夫かなぁ」

「最初に心配無いと言ったのはお前だろう?」


 イルゼの言葉を、フロイドは受け流した。

 アルフェが防具の材料をヨハンに渡してから、八日が経った。アルフェとフロイドは、まだ港町パッサウに留まっている。

 ヨハンは食事も睡眠も最低限の状態で、防具の作成にかかり切りになっている。良くある事だから心配無いと、最初の二、三日は笑っていたイルゼだったが、幼馴染のかつて無い熱中ぶりに、徐々に不安を掻き立てられてきたようだ。


「いや、そうだけどさぁ……。昨日も、夜中まで金槌の音がしたし……、あれじゃ身体を壊しちゃう」

「なら、こんな所にいないで、直接様子を見に行ってやったらどうだ?」

「だって、中から鍵が掛かってるんだもん!」


 他人に邪魔されず、集中したいという意思表示か、ヨハンは鍛冶屋の正面入り口どころか、裏口や冒険者組合との間にある連絡通路まで、完全に閉め切ってしまったという。


「頼まれた仕事も大切だけど、やっぱり自分の健康が一番じゃない? あ、お兄さんたちへの嫌味じゃなくてね。仕事があるのは良いことだよ? 頼んでくれてありがとう!」

「わざわざ言わなくていい」

「そう言えば、アルフェちゃんは?」

「出かけた」


 フロイドは一瞬苦笑し、それから憮然とした表情になった。

 多少思い悩んでいようが、アルフェは何日も何もせずにじっとしているような娘ではない。冒険者としての仕事が無くても、ただ自分を鍛えるためだけに、今日もどこかに行っている。

 少し前のフロイドなら、大したものだと手放しで称賛しただろうが、今の彼は違う。鍛錬に熱心なのは良いが、今のフロイドの目には、アルフェは鍛錬する事によって自分自身を痛めつけ、責めているようにさえ映るのだ。

 彼がそう思うようになったのは、アルフェと共にトリール伯ヨハンナを暗殺しに行った時、あの娘が流した涙を見たことがきっかけである。あの時のアルフェは、フロイドが目の前にいるにも関わらず、まるで子供のように泣きじゃくっていた。

 その涙が、あの娘の内側に溜まりに溜まった、抑えきれない怒りと悲しみが溢れたものだということは、容易に想像がつく。それなのに、そんな時でさえ、アルフェは泣き声を懸命に押し殺そうとしていた。


 その姿は、フロイドに二つの事を考えさせた。

 一つ目は、アルフェはやはり子供だったという事だ。

 年齢の事を言っているのではない。正確な年齢は知らないが、今のアルフェは多分十六から十八くらいだ。少なくとも二十歳にはなっていない。彼女がそれくらい若いという事は、フロイドも初めから承知している。子供だというのは、身体の年齢ではなく、心の部分だ。

 フロイドは、アルフェの事を、他の同年代の少年少女よりもはるかに大人び、芯もしっかりしていると考えていた。実際、アルフェは今まで、どんな敵に相対しても怯むことなく、どんな重傷を負っても呻き一つ漏らさず、常に背筋を伸ばして、整った顔に冷えた笑みを浮かべていた。

 だが、あの娘の本質は、実はそうやって表面に見えているものとは、全く真逆だったのではないか。アルフェがフロイドに弱さを見せたのは、あのほんの僅かな時間だけだったが、そこで感じた印象は、彼に改めてアルフェを観察させるきっかけになった。


 フロイドが考えた二つ目は、アルフェにそういう弱さがあるのなら、自分はどうしてあの娘に付いていこうとしているのか、という事だった。

 エアハルトの荒野で、不死者たちが溢れた夜。フロイドはアルフェに戦いを挑み、そして敗れた。その後に出現した謎の魔術士。フロイドはその圧倒的な存在感を前に、ただ地面で震えていたが、アルフェは目を爛々と光らせ、笑みさえ浮かべてその魔術士を見つめていた。

 フロイドはその時の彼女の横顔に、己が持たない何かを見た。それは己が強くなるために、フロイドに欠けている、絶対に必要な何かだった。

 初めはそれを、「狂気」だと考えた。あの死体の山の上で、圧倒的に自分に勝る強者を見ても、恍惚と笑える異常さかと。あるいは、「執念」かとも思えた。それは、どんな逆境に遭っても折れない精神だ。


 ――だが……。


 だが、どちらも違うようだ。

 その二つとも、アルフェは持っている。しかし、今のフロイドがアルフェに付き従っている理由は、そのどちらでもない。キルケル大聖堂における戦いから、トリール伯の館での一幕を経て、フロイドはそう考えるに至った。

 その二つが違うなら、自分があの娘に付き従っているのは何のためか。アルフェは不審がっているが、実はフロイド自身にも良く分かっていないのだ。フロイドはその理由を、明確な言葉に出来なかった。

 しかし、彼はそれでも、彼女に付いていこうと思った。


「出かけたって……、一人で? お兄さん、心配じゃないの?」

「ふん、あの娘に心配の必要なんか――」


 あの娘に心配の必要など無い。イルゼに問われて、フロイドはそう答えかけたが、直前で止め、言い直した。


「……いや、そうだな。心配だ」

「そうそう、兄妹なんだから。素直になりなよ」

「違う。兄妹じゃない」

「え?」

「俺とあの娘は、兄妹じゃない」


 そうだ。そろそろはっきりさせるべきだ。

 自分は一体、何のためにあの娘に付き従っているのか。それで何をしたいのか。

 あの娘は、自分にとっての何なのか。


「――イルゼ、今日の晩飯は何だ? 最近、あいつにしては食が細いからな、いつも以上に腕によりをかけてくれると助かる」

「え? 兄妹じゃないの? じゃあ何?」


 イルゼは椅子に膝をつきテーブルに身を乗り出して、フロイドの発言に食いついている。フロイドは、少しだけ白い歯を見せた。



 夜更け近く、門が閉じられる寸前の時刻になって、アルフェはようやくパッサウの町まで戻って来た。

 彼女は今日、結界の外までは行かず、野原の真ん中で、魔力を限界近くまで出し切る鍛錬をしていた。魔力が完全に枯渇すると生物は死ぬが、その限界がどこにあるのかを知るのは、ぎりぎりの戦いの時に役に立つ。

 だからアルフェは、身体の奥にある魔力の栓を開け放して、立てなくなるまで魔力を外に放出し続けた。

 当然、一歩間違えれば死に至る、危険な鍛錬法だ。ベルダンに居た頃、こういう方法もあるとコンラッドに学んだ事だが、彼は、自分が見ていないところでアルフェがその方法を実践することは、固く禁じた。

 最後は野原に突っ伏すように倒れて動けなくなり、意識も何時間か飛んだ。しかし、これをくり返していけば、魔力が本当に枯渇する寸前まで、全力を維持して戦う事が可能になるだろう。

 魔力切れの後遺症が残っているような、ふらついた足取りで、アルフェは冒険者組合の建物を目指した。遅い時間だから、フロイドとイルゼはもう夕食を済ませているだろう。しかし、それでいい。そうすれば顔を合わせずに済むし、余計な口をきく必要も無い。


「お帰り、アルフェちゃん」


 だが、二人は当たり前のように、テーブルに座ってアルフェを待っていた。

 お帰りと言ったイルゼは、すぐに食事の準備をするからと、裏に引っ込んだ。その後ろ姿を目で追ってから、アルフェはフロイドに尋ねた。


「……何のつもりですか? 別に、わざわざ待つ必要など無かったのに――」

「お疲れ様です」

「…………」

「お待たせ~」


 準備と言っても、最後の仕上げをするくらいだったようだ。いつにも増して料理がうず高く盛られた皿を、イルゼが次々と運んでくる。


「イルゼ、お前の幼馴染も呼んできたらどうだ?」

「え、でも、きっとまだ仕事してるよ……?」

「だからだよ。根の詰めすぎは、身体の毒だ。だろ?」


 フロイドはアルフェの目を見ながら、その台詞を言った。

 いつも溌剌としているイルゼは、そこではじめて躊躇いのようなものを見せた。


「邪魔するなって言われるんじゃ……」

「お前さんが呼べば、間違いなく来るさ」


 フロイドは、渋るイルゼの背中を言葉で押した。イルゼはしばらく躊躇していたが、やがて意を決したように連絡通路の扉を叩いた。

 その背中を見ながら、アルフェはまた尋ねる。


「……何のつもりです」

「別に。――掛けたらどうです。顔が青い」


 ぶっきらぼうな感じだが、今夜は奇妙に、言葉の響きが柔らかい。フロイドの意図を測りかねながらも、アルフェは手前の椅子を引いた。


「ちょ、ちょっとイルゼ――」

「ほらヨハン! 皆で食べようよ! あんた酷い顔してるから――」


 イルゼはヨハンを鍛冶場から連れ出す事に成功したようだ。

 イルゼに手を引かれるヨハンの顔は、アルフェ以上に消耗している。それでも、その頬がほんのり赤くなっているのは、照れているからだろうか。今回は、アルフェにもそれが読み取れた。

 食事が始まり、イルゼとヨハンは会話をしていたが、アルフェとフロイドは基本的に無言だった。

 食事しながら、アルフェはフロイドの態度の意味を考えた。


 ――すり寄られている?


 あげく、彼女はそう解釈した。この男はアルフェを怒らせたと見て、その機嫌を取ろうとしているのだ。しかし、その理由が分からない。

 そうやって何をしたいのだろう。また忠実な臣下面をして、何かを言うつもりだろうか。アルフェがそれを、非常に迷惑に思っているとも知らずに。だが、そんな事を考えながらでも、イルゼの料理は疲れた身体に染み渡るような味だった。


「ご馳走様でした」

「もういいの、アルフェちゃん」

「ええ」


 アルフェは不機嫌だった。この男は、いったい自分に何を求めているのだろうか。イルゼが自分を気遣うことすら、今のアルフェは気に入らなかった。だからアルフェは、料理にそこそこ口を付けると、腹一杯になっていないにも関わらず、テーブルに手を突いて立ち上がった。


「待て」


 しかしフロイドが、強い調子でそれを引き留めた。彼の目は怒っている。アルフェはうんざりした。また何かを言って、自分を責めるつもりなのか。


「待ってくれ。……待った方がいい」


 いや、違う。そうではないようだ。ではこの男は、どういうつもりで――


 ――……ひょっとして、私を、心配しているの?

 ――…………そんな、まさか。そんなはず。


 そう考えた自分に、アルフェはうろたえた。うろたえたが、顔には出さなかった。


「まだ満腹じゃないだろう」

「私の勝手です」

「そうだ。だが――」


 この険悪なやり取りを前に、ヨハンが匙を口にくわえたまま固まっている。イルゼはハラハラと、二人の顔を見比べていた。

 フロイドは黙り、アルフェも黙った。フロイドは苦い顔をして、何かを考えている。そして、数分が経過した。


「……昔話を聞いていかないか?」

「…………え?」

「俺という人間が――なぜここにいるのかっていう話だ。アルフェ、俺がどういう人間なのか、お前に知って欲しい」

「な……」

「俺の忠告を聞き入れるかどうか、その上で判断してくれ」


 フロイドが唐突に語り始めたのは、彼自身の過去の話だった。


「食いながらでもいいから、聞いて欲しい。…………恥を、話す事になるが」

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