けしてうつろわぬもの

第133話

「アルフェ君、ここにいたか」


 砦の裏に作った鍛錬場で、木人を相手に一人で稽古をしていたアルフェに、ベレンが声をかけてきた。アルフェが少し息を荒くしたまま振り返ると、ベレンは、この前はすまなかったなと言った。

 アルフェには最初、ベレンが何の件で謝っているのか分からなかった。


「すまないとは、何がですか」

「私の、妻と子供の件だ」

「……ああ」


 数日前、アルフェとフロイドは、ベレンの依頼で領境付近の野盗団を始末した。それは冒険者として報酬をもらっている仕事だから良いのだが、その仕事のついでに、アルフェたちはリーネルンという小都市に寄った。そこに住む、ベレンの妻子に会うためだ。

 ベレンの妻に夫からの手紙を届けて、帰りには返信の手紙も運んでいる。アルフェは興味の薄そうな顔で言った。


「ついでですから」

「そうか? ……まあ、それはそれとして、久しぶりに妻と文通した。イエルクからも手紙を受け取ったよ。ありがとう」


 鼻を掻きながら、少し照れくさそうにベレンが言った。ノイマルク最強の武人である彼だが、そうしていると、どこにでも居るただの父親にしか見えない。


「フロイド君にも、改めて礼を言いたかったんだが……、出かけていると聞いてな」


 ベレンの妻であるクラリッサから、直接手紙を受け取って、ここまで持ってきたのはフロイドだ。

 そのフロイドは今、この砦の中には居ない。あの男は次の仕事をこなしに、どこかの町に出かけている。アルフェではなくフロイドが単独で依頼を受けたのは、さほど難しい内容の仕事ではなかった上に、しばらく寄っていなかった冒険者組合や情報屋に寄って情報を集めてくるからと、あの男が自分から志願したのだ。

 だからアルフェは、今も一人で鍛錬していた。


「将軍の言葉は伝えておきます」

「ああ、頼む」


 この前の仕事が終わってから、アルフェとフロイドの間には、何となく微妙な空気が流れている。野盗のねぐらから別々に戻って、それ以来、彼らはほとんど会話をしていない。

 しかしもとより、アルフェはあの男とこういう間柄なのだから、それについて、彼女はあまり気にしていない。少なくとも、気にしていないつもりだった。所詮は金で繋がった雇用関係なのだから、やれと言ったことをやってくれるのなら、それでいい。ここの所、少々馴れ合いすぎたという思いもある。


「見て分かったと思うが、イエルクは気弱な上に人見知りでね。君たちにも、ちゃんと挨拶してくれたのならいいが」


 手紙を届けた礼を言うためというよりは、誰かと家族の話をしたかったというのが、ベレンの本音だったのかもしれない。転がっている石に腰を落ち着けると、彼は自分の息子のことを語り始めた。いつもよりも表情は柔らかく、口調もどこか砕けたものになっている。


「俺と違って、剣術にもあまり興味が無いようなんだ。俺があの子くらいの時には、近所の悪ガキたちと毎日叩き合いをしたもんだが。逆に、いじめられてるんじゃ無いかと心配なくらいさ」

「そんな心配をなさる必要は無いと思います。利発そうなお子さんでした」

「そうなんだよ」


 アルフェが取り澄ましたお世辞を言うと、ベレンの顔はほころんだ。


「剣じゃなくて、本は好きらしい。六歳なのに字も覚えて……、手紙も、あの子の手書きだったしな。妻の親父さんが遺した本も、もうほとんど読めるんだ。俺は、学問はさっぱりなのに。魔術の才能もあるみたいだから、そっちで身を立てる方が、あの子には合ってるのかもしれない」


 ベレンはいつになく饒舌だった。

 アルフェは、どうして自分に語るのかとも思ったが、将軍という立場上、彼も部下の前では、こういった話はしたくてもできないのだろう。


「しばらく帰ってないからな……。ダメ親父としちゃ、顔を忘れられる前に戻りたいもんだ」


 そんな風に、ベレンの家族に関する話は続いた。アルフェはどういう感情で、彼の話を聞いていたのだろうか。彼女は特に答えを返さず、ただ曖昧な微笑だけをベレンに向けていた。


「訓練の邪魔をしてしまったな」


 しばらくして、ベレンはそう言うと立ち上がった。次の仕事の話を切り出すでもなく、彼は本当に、家族の話をしたかっただけなのかもしれない。

 それでも一応、彼は取って付けたように、トリールとの戦況についてアルフェに語った。


「相変わらずの小競り合いが続いている。油断できない状況だ。それでも、君たちのお陰で前線に回せる兵の数は増えた」


 他には、アルフェがエレメンタルを討伐したことで、北東部の鉱山地域も通常の生産体制に戻った。それにより、ノイマルク伯ルゾルフの機嫌も幾分か改善したという。


「パラディンとの交渉も、うまく行っている」


 キルケル大聖堂に留まっている神殿騎士団パラディン、エドガー・トーレスとの衝突を回避するために、ベレンが進めてきた水面下の交渉は、あと一歩でベレンとエドガーとの直接会談が実現しそうな段階まで来ていた。

 神殿騎士団の要求は一貫している。ノイマルク伯に先年パラディンが殺害された現場への立ち入りを認めさせ、パラディンの死の原因を究明すること。ルゾルフの今の機嫌なら、あるいは前言を撤回して、エドガーの領内立ち入りを認めるかもしれない。

 今日のベレンがいつになく晴れ晴れとした表情をしているのは、そういう経緯も絡んでいた。


「やはり、君たちに頼んだのは正解だったよ」


 ベレンはそう言い、アルフェが作った木人を指した。


「珍しい型のダミーだ。自作か?」

「はい」

「表の訓練所で、兵と一緒にやらないのは――。……いや、そうだな。若い連中が多い。あいつらには、君は目の毒だな」


 周囲を見渡すと、梢の足元に落ちていた比較的真っ直ぐな枝を、ベレンは拾った。それから何気ない感じで歩くと、彼は木人の前に立つ。微笑を浮かべたままのアルフェの目が、心なしか鋭くなった。

 小さく気合いを入れて、ベレンが枝を剣のように振るう。アルフェは瞬きせず、それを見つめた。


「やっぱり、珍しい型のダミーだな。どうも勝手が違う」

「剣術用ではありませんから」

「ああ、そうか」


 君はそうだったなと、ベレンは言った。


「長居したな。邪魔をしてすまなかった」


 お気になさらずとアルフェが言うと、ベレンは去って行った。

 アルフェは木人に顔を向けた。そして頭の中で、さっきのベレンの太刀筋を思い返した。

 天高く掲げた枝を、木人の頭部すれすれに振り下ろしただけの動作。ただそれだけの動作だが、隙は微塵も見当たらなかった。流石はパラディンと比較されるだけのことはある、とでも言うべきか。


 しばらく後、無言で、いたわるように木人の頭を撫でると、アルフェは砦の中にある浴場に向かった。自室に戻る前に、鍛錬でかいた汗を流してさっぱりしたい。砦内に常時浸かれる風呂があるとは贅沢な話だが、このグロスガウ砦は特別だ。ノイマルク名物の鉱泉脈が、この付近にも通っているのである。沸かす燃料すら不要なのだ。

 女性用の方が規模は小さいものの、浴場には男湯と女湯の区別まであった。厨房や酒保商人などにはそれなりに女手がいるから、そうした者たちのためである。


 風呂から上がると、アルフェは食堂で夕食を取った。

 こちらは男女も、兵とそれ以外も兼用の大部屋だ。気配を消して大人しく食事をしていれば、ベレンが言うように、アルフェが兵の目の毒になるということは無い。

 ここの糧食の質は、あまり良くないような気がする。大抵、同じような芋と塩漬け肉に、具の少ないスープばかり出てくる。果物や野菜はまず出てこないし、魚介などもない。少なくとも、これなら自分が野営の時に作る食事の方がずっと美味しいと、アルフェは内心で自画自賛した。


 食事を終えると、柔軟運動や基礎的な型の稽古をした。これで汗をかいたら、また浴場に行けば良い。この点だけは、確かに贅沢だ。

 そして夜になり、アルフェはベッドに入るまでの短い時間、本を読んだ。

 彼女が読む本は、その時によって様々だ。大体は、動植物や魔物の図鑑であることが多い。だが、歴史の本なども読むし、ごくごく稀に物語なども読む。

 フロイドは、アルフェが本を読むことを、“らしくない”と揶揄する。あの男は、戦いこそが人生の本義だと考えており、アルフェにもそれを求めているふしがある。だからそんなことを言うのだろう。確かに、これらの書物は一見戦いには役立たなそうだ。しかし冒険者として依頼をこなし、旅をすることを考えれば、こういった知識は馬鹿にできない。

 それに、アルフェにとって、本は唯一の友だった。


 【考えるな】


 本を読むくらいしか、アルフェにはする事が無かった。あの塔の、あの部屋では。


 【考えなくていい】


 アルフェは一度、あの部屋の外に出たことがある。たまたま、衛兵がいなかったから。

 どこまでも続く石の壁に、隠し部屋のような扉があって、使われていない書庫を見つけた。


 【やめろ】


 そこから何冊か持ち出して、ベッドの下に隠した。

 きっと見つかったら、取り上げられるから。

 アルフェにお話を教えてくれた衛兵も、ダンスを踊ってくれた侍女も、いつの間にか居なくなったから。


 【思い出さなくていい。やめなさい】


 きっと私と話したから、お仕置きされたのだと。

 私が■■■■■だから。


 【そんなことをしても、悲しいだけだから】


 ■■様は、私の■■■■■と■■■■■■■■■■。


 だから――


 ■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■。


 ■■■■。





 そこまでで、アルフェの思考は強制的に切られた。いつの間にか、読んでいた本が床に落ちている。せっかく風呂に入ったのに、全身が嫌な汗で濡れていた。

 アルフェが過去の記憶を探ろうとすると、いつも頭に“声”が響く。思い出さなくていいと。それに無理矢理逆らおうとすると、こうなるのか。


 視界が揺れ、物が二重、三重になって見える。


 結局何も思い出せなかった。でも、ここまで“声”に逆らうことができたのは初めてだった。ここの所、何となく自虐的な気分だったのが幸いしたのかもしれないと、アルフェは一人で自嘲の笑みを浮かべた。



「お疲れ様です」


 数日経って、フロイドが帰ってきた。特に出迎えた訳でもないが、砦の通路でばったりと出くわしたので、アルフェは彼に、今のような言葉をかけた。

 二人の間には、十歩ほどの距離が空いている。お互いに立ち止まって向かい合い、それでも無言のまま、数瞬の時が過ぎた。やはり、あれ以来妙な空気だ。

 何か言うべきか、それともただすれ違うべきか。アルフェが逡巡していると、フロイドが口を開いた。


「悪かった」


 フロイドは両目をつぶって、少し息を吐くと、アルフェの目を見て続きを言った。


「あの時は、聞くべきでは無いことを聞いてしまった」

「……」

「あの家で、あんたの様子がおかしかったからな。だから、そう……、気になったんだ。それでつい、出過ぎた」


 この男は、アルフェに会ったらこんなことを言おうと考えていたのか。まるで用意していたように、フロイドは詫びの言葉を並べている。

 アルフェは逆に、少し可笑しかった。自分たちはそういう、謝ったり謝られたりする間柄では無いし、そういうことをいつまでも気にする人間性など、お互いに残持っていないだろうにと。


「悪かったよ」

「……お疲れ様でした」


 さっきと同じ言葉をアルフェが繰り返すと、旅支度を解いてくると言って、フロイドは歩き始めた。


「……私も」


 すれ違い様、アルフェはつぶやいた。


「すみませんでした。……言わなくてもいいことを、いいました」


 隣に立って聞こえるか聞こえないかの小さな声を、足を止めたフロイドは聞き取れたのだろうか。それは分からない。


「……ああ」


 ただ、フロイドはそう言って、次に、今のやり取りが全く存在していなかったかのような調子で、旅の報告をした。


「ベレンの依頼の方は問題無かった。ただ、冒険者組合で、情報屋があんた宛ての手紙を預かっていた。渡しておく」


 フロイドが懐から取り出したのは、灰色の封書だ。


 ――……クラウス。


 差出人は、当然それ以外に考えられない。彼は本当に、約束通り、アルフェが追う敵の情報を、この手紙に記してきたのか。


「これは、どこから?」


 アルフェたちの居所は先方に知られないようにしてあるが、クラウスがこの手紙を託した場所は分かるはずだ。フロイドは、端的に答えを述べた。


「帝都だ」

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