菓子作り
「それじゃあ、やってみて下さい、アルフェさん。……アルフェさん?」
家のキッチンに立ち、白いエプロンをつけたリアナが、隣にいるアルフェを促した。しかしアルフェはわざとらしくそっぽを向いて、聞こえないふりをしている。リアナは少し困った顔をしてから、アルフェに対する呼び方を変えた。
「やってみて下さい、……お姉ちゃん」
「はい、リアナちゃん」
目を細めて、アルフェは答えた。
お姉ちゃんと呼ばれて満足げな表情をするアルフェは、どちらかと言えばリアナの妹のように見えたが、本人は本当に満足そうだ。
「何がお姉ちゃんだよ。リアナちゃんの方がしっかりしてるし、年上に見えるぞ?」
キッチンの外から、マキアスが茶々を入れる。アルフェはその声を無視して、リアナに指示された通りに木べらを使って木のボウルの中をかき混ぜた。先生、これでどうでしょうかとアルフェが言い、上手ですとリアナが頷いている。きゃいきゃいと騒ぐ女性陣に省かれて、孤独なマキアスは、リビングのテーブルで作業をしているテオドールに話しかけた。
「ほんと、仲が良いよあいつらは……。なあテオドール? ……おい、テオドール?」
しかしテオドールは、普段の優しい彼からは想像できない程、恐ろしく真剣な表情で菓子の生地に向き合っている。話しかけるなと、彼が放つオーラが語っていた。
繊細な手つきで、みるみるうちに焼き菓子用の生地が整えられていく。その技術は、まるで熟練の職人のようだ。料理を趣味とするテオドールであるが、特に菓子の作成において、彼は他者の介入を絶対に許さない。これは騎士団の同期の間では有名だ。
一人だけ仕事の無いマキアスは、やれやれと椅子に腰掛けた。
リオンは外に遊びに出かけているから、マキアスの相手をしてくれる者はいない。そう思いかけて、いや、それじゃあまるで、俺がリオンに遊んでもらっているみたいじゃないか。俺はそこまで落ちてないぞと、マキアスは憮然とした表情をした。
「仕方ない。お茶でも入れるか……」
自分だけ何もしなかったと言われるのは癪だし、どっちみち、マキアスに出来ることはそれくらいだ。マキアスは立ち上がり、キッチンに入った。
「よくかき混ぜて、ぴんと泡立てるのがコツなんです。そうすると、焼いた時にふっくらとしますから」
「こうですか?」
アルフェは相変わらず、リアナの指南を受けて調理に励んでいる。
ちなみにアルフェは、一応だが料理ができる。森に生えている野草や、魔物を使った料理では、ベルダンで彼女の右に出る者はいない。きっと一番だろう。マキアスも何度か食わされた。まあ、そもそもそんなもので料理をしようとする人間が限られているから、かなり狭い世界での一番だが。
しかし普通の料理なら、リアナの方が上だった。弟やダメ親父を養うために、幼い頃から給仕などをこなしてきただけのことはある。平民があまり作らないはずの、砂糖を使う焼き菓子ですら、彼女はしっかりとレシピを把握していた。
マキアスは、楽しそうに料理をするアルフェの横に立って、茶を入れる準備を始めた。と言っても、ほとんど湯を沸かすだけなので、そんなに作業することは無い。あくびをかみ殺し、手持ち無沙汰にしていると、隣にいるアルフェの白いうなじが、目に入った。アルフェは自身の銀髪を後ろで結び、団子のようにしている。彼女があまりやらない髪型だ。きっとリアナが整えたのだろう。
うなじが見えてしまったのは身長差があるからで、マキアスの中に助平心は毛頭無い。本当だ。実際、マキアスはすぐに目を離さなければと思った。思ったが、目が離れてくれなかっただけである。
「マキアスさん……?」
アルフェを挟んだ向こうにいるリアナが、マキアスに凄みのある声をかけた。その気迫は、とても十歳児のものとは思えなかった。
マキアスはすぐに、自分が見ていたものから目を逸らし、首の後ろを掻いた。アルフェは自分の両隣でそんなやり取りが行われていることも知らずに、懸命にボウルの中身をかき混ぜている。
本日彼らがこうして菓子作りに勤しんでいるのは、ベルダンの年中行事が関係していた。
ベルダンのような帝国内の自由都市は、都市出身の偉人にちなんだ行事や祭りを持っている。今回は、日頃世話になった人間に甘いものを送りましょうというもので、単調な都市の市民生活に花を添える、一つのささやかなイベントだった。
甘いものとなっている理由はよく分からないし、甘いものなら何でも良いので、別に果物か何かでも構わなかったのだが、折角のお祭りごとだ。普段からしっかり者のリアナに、少しでも息抜きをする機会を提供したいとテオドールが提案し、アルフェが諸手を挙げてそれに乗った。そういうことである。
――そんなこと言って、お前が菓子作りをしたかっただけじゃないのか?
どこからか道具と食材一式を取りそろえ、今も一人で菓子製作に熱中しているテオドールを見て、マキアスはそんな風にも考えたが、結果としてリアナは――そしてアルフェも――大いに楽しんでいるようだから、これで良かったとも思った。
「では次は、この中に果物の汁を入れます。あれ、絞り器は――」
「絞れば良いのですね? 分かりました」
そう言ったアルフェが、緑色の果実を片手で握り潰した。あの果実はテオドールが市場で買った、北方で採れる少し珍しい品物だ。包丁が入らないほど皮が硬いことで知られている。騎士団の筋肉自慢が、宴会の余興であんなことをやっていたなと、頬に跳ねてきた果実の汁を拭いながら、マキアスは複雑な表情をした。
湯は沸いたが、菓子たちができあがるまでは、まだ間がある。カップに注ぐのはもう少し待とうと、マキアスはキッチンを出た。テオドールは、次は城のような大きさのケーキの作成に取りかかっている。一体、あれを誰が食うと思っているのか。いや、アルフェならば全部食うか。
マキアスはテーブルにクロスを敷き、食器類を並べ始めた。ふと、妹がこの場にいたらきっと喜んだだろうな、などと考えながら。
しばらくぼんやりとしていると、キッチンからはいよいよ美味そうな匂いが漂ってきた。テオドールが作った繊細な菓子たちも仕上げに入り、焼く物は焼いて女性陣に披露された。キッチンからは歓声と、大きな拍手が巻き起こっている。泥だらけになったリオンも帰ってきて、そのまま菓子に手を出そうとしてリアナに叱られた。
「……! 美味しいです……!」
いざお茶会が始まると、菓子はどれもこれも美味かった。ただ、今のアルフェの称賛は、菓子に対してではなく、マキアスが入れたお茶に対して向けられたものだった。マキアスは何でもない調子で、適当に入れただけなんだけどなと言って、少し肩をすくめた。
(テオドールさん、ああ言ってますけど、本当ですか)
(いや、数日前から宿で練習していたよ。茶葉も市場でトリール産の特上品を手に入れたんだ)
リアナとテオドールが、小声で何かヒソヒソと話していたが、マキアスは得意げな表情をしていた。
お茶会が済んでも、菓子はまだかなり余っていた。これらはバスケットに詰めて、アルフェが冒険者組合の関係者や、商会のローラ・ハルコムの元に届けに行くのだろう。そして何より、例の“お師匠様”の所にも。
「ごちそうさま。今日はとても楽しかったよ」
「そんな、材料を用意して下さったのはテオドールさんなのですから。こちらこそ、ごちそうさまでした」
「料理はこいつの趣味なんだから、別に気にするなって」
あまり気の利いたことは出来なかったし、言えなかった。なぜかそんな風に考えながら、マキアスは、テオドールと共にアルフェの家を辞去した。
アルフェはリアナとリオンと一緒に、家の前に立って、手を振りながら青年二人を見送っている。少し傾いた日の光が、玄関先にかけられた“アルフェの店”という銅看板に反射され、輝いている。
「……マキアス」
「……ん?」
「楽しかったな」
帰り道で、テオドールがつぶやいた。
「また来よう」
それは来年も、という意味だろうか。
だが来年も、自分たちはこの町に居られるのだろうか。特にテオドールは、来年も、そういう立場でいられるだろうか。
「……ああ」
浮かんだ疑問を置いておいて、マキアスは頷いた。
よそ者である自分たちがこの町から去っても。自分たちの立場がどう変わっても、きっとあの娘は、来年も、再来年も、あのままあそこに暮らしている。
「また来ようぜ」
だから彼は、そう言って笑顔を浮かべた。
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