第110話

 アルフェにこの廃都市の大聖堂まで来た理由を尋ねられて、クラウスは頷いた。と同時に、彼は今まで自分が抜身の剣をぶら下げたままだったことに気が付いたようだ。攻撃の意志は無いと改めて示すかのように、彼は剣を鞘に納めた。

 ベルダンに置いて行かれる前のアルフェには、そんなことを判別する眼力は無かったのだが、その時の動作一つとっても、クラウスが油断のならない剣士だということが分かる。少なくとも、先ほど倒した魔獣と、単独で戦おうとするだけの実力はあるようだ。


「ディナレウス……、ドニエステ王は、帝国各地の結界について調査しているのです。ここも、その調査対象の一つです」

「結界……、やはり……」


 前回ハインツという魔術士が現れたのは、エアハルトの作りかけの聖堂で、結界の秘蹟が行われた夜だった。だから結界にまつわる場所を探索しようというアルフェの狙いは、的外れでは無かったということだ。

 驚かないアルフェを、クラウスは感情の読み取れない顔で観察している。


「そんな仕事を任されるとは、ずいぶんとドニエステ王に信用されているのですね」


 アルフェは皮肉を言った。

 ここまでの話から、クラウスは本気でドニエステに降ったという訳ではなく、アルフェたち姉妹のために、降ったふりをしているのだということ――、少なくとも彼がそう主張したいのだということは分かった。

 それを本気にするかどうかはともかくとして、今は敵対よりも対話を選んだ方が有益である。そう考えていたアルフェだったが、その皮肉は思わず口を突いて出た。


「……果たして、信用されているのかどうか。重要な任務を与えられるわりに、協力者も支援も何もありません。アルフェ様が来られなければ、この魔獣に敗れて死んでいたかもしれない」


 アルフェたちに屠られた魔獣の死骸を見つめながら、淡々とクラウスは言った。


「せいぜい感謝しろよ」


 さっきから放っておかれているフロイドが、ここぞとばかりに口を出した。アルフェは彼を一瞥しただけで黙殺し、クラウスは何かを言おうとしたが、やめてアルフェの方を見た。


「ありがとうございます、アルフェ様。助けていただきました」

「……私も、あの時はあなたに助けられました。お互い様という事でしょう」


 アルフェは礼をするクラウスから、ちょっと目をそらした。この男がアルフェを城から連れ出さなければ、その後のどんな出会いも無かった。それは事実だ。なのに、余りにも攻撃的に出過ぎたかもしれない。“あの男”のことになると、冷静なようでいて、どうしても我を忘れるアルフェだった。


「その事はもういいです。それより、結界ということは、あなたはこの奥に用があるのですね」


 話を元に戻すつもりで、アルフェは言った。

 この朽ちた礼拝堂の奥には、例の秘蹟の間が存在するはずだ。そこに行けば、結界に関する何かの知識を得られるかもしれない。そもそもそう考えて、アルフェはここまでやって来たのだ。


「……はい。この奥は秘蹟の間。通常の教会関係者でも立ち入りを制限される、重要な空間です。結界に関する秘蹟は、本来全てそこで行われる」


 答え合わせをするかのように、クラウスは言った。そこでふと扉から目を離し、クラウスは周囲を見回す。長話は、奥を確かめてからにしましょうと彼は言った。


「この魔獣の死を察知して、遠ざけられていた魔物が、寄ってくるかもしれませんから」


 崩落した天井から指していた太陽の光は、いつの間にかずいぶんと傾いている。

 アルフェとクラウスは、どちらからともなく、秘蹟の間の扉に向けて一歩を踏み出した。


 礼拝堂の奥にある通路を抜けたその先には、やはり秘蹟の間と思しき小部屋があった。ドーム状の天井はそれなりに高さがあるが、部屋自体の広さはさほどでもない。四人の人間と一体のオークが入ると、窮屈に感じられるほどだ。外面だけでは、この質素な部屋が、巨大な大聖堂の中心だとは思えない。


「ここは崩れていないのね……。ずいぶん頑丈に作られているみたい」


 ネレイアが久々に口を開いた。彼女はしげしげと興味深そうに、秘蹟の間の壁を眺めている。

 彼女の言葉通り、損傷が激しい他の区画と比較して、この小部屋とそこに通じる通路は、ほとんど放棄された七百年前の姿のままのようだった。かび臭いにおいが漂い、埃こそ空中に舞っているが、どこにも崩れた様子が無い。

 四方の石壁が放つ圧迫感は、どこかしら牢獄を思わせる。おそらくこの部屋のみ、壁が相当分厚いのだろう。それに、恐らくは壁材からして異なる。ただの石ではないと、壁を手で撫でたネレイアは言った。


「だが、何も無いんだな」


 フロイドが、拍子抜けしたようにつぶやいた。その通り、この部屋には何も無かった。装飾じみたものは皆無であり、かつて建設中の聖堂でアルフェが見た、遺物を収めた聖櫃のようなものも置かれていない。

 やはりそういった物の全ては、ここが放棄されるときに持ち去られたのだろう。


「……これは、外れということでしょうか」


 調べようにも、本当に何もない。これではどうしようもないと思い、アルフェは言った。しかしその表情に、特に失望した様子はない。彼女としては、クラウスという生きた手掛かりが手に入ったのだから、結界の秘密について探る必要性は、かなり薄くなっていた。

 クラウスは突っ立ったまま、唇を一文字に引き結んで、秘蹟の間の中央にある祭壇をにらみつけている。同じく外れくじを引かされた格好の彼は、何を思っているのだろうか。


「……ドニエステは」


 クラウスが次に口を開いたのは、これ以上ここにいる意味は無いと判断したアルフェが、引き返そうと言いだす直前だった。深刻な響きが、その声には込められている。


「え?」

「ご存知でしょうか。……ドニエステ王国では、近年、結界の力が弱まっているのです」

「……」

「数十年前と比較すると、魔物の出没範囲は、確実に広まっている」


 クラウスはまた沈黙した。彼は依然として、中央の祭壇を見つめている。

 ドニエステの結界の力が弱まっている。そういう事もあるとは、この廃都市の事例をもって知っていた。

 彼の言葉が事実だとすれば、ドニエステの未来に待っているのは、まさにこの廃都市のような有様だろう。だからドニエステ王は、結界をどうにかする方法を探して、クラウスやあの魔術士を調査に派遣している。そういうことをクラウスは言いたいのだろうか。

 しかし――


「……それがどうして、お姉様や私を求めることに繋がるのですか」

「……分かりません、私には。あの二人が、一体何を考えているのか」


 二人とは、ハインツという魔術士とドニエステ王のことだろう。今のクラウスのつぶやきは、まるで彼自身の中に問いかけているように見えた。

 そしてまたしばしの間が空き、クラウスはアルフェに視線を向けた。


「アルフェ様、あなたがそうであるように、私には私の目的があります」

「それは、お姉様を……」


 探すという目的か。そう聞こうとしたところ、クラウスは妙に強い声で否定した。


「違います。……以前はそうだったかもしれません。ですが、今は違います」


 私には私の目的がある。クラウスは繰り返した。


「……ですが、私の目的は、あなたの目的と対立するものではない」

「……」

「我々は、協力できるはずです」

「……どういう風に?」


 今のクラウスが何をしようとしているのか、何を言おうとしているのか、アルフェには想像が付かなかった。


「アルフェ様は、ハインツの事を知りたいのですね。あの男に関する情報を差し上げます。あの男が普段どこにいるのか、これから、どこに現れそうなのか」


 そうだ、知りたい。アルフェは喉から手が出る思いだった。


「では、私からは? 引き換えに私は、あなたのために何をすればいいのです」

「……居場所を知っても、あの男には会わないでいただきたい。……あなたがあの男に、何をされたのかは存じません。ですがまだ、あの男の前には姿を見せないでいただきたい」


 ぎっと、アルフェの表情が硬くなった。


「……どうして、ですか」

「今あの男の前に出ればどうなるか、あなたは理解しているはずだ。あの男に、会った事があるのならば」


 確信を持った目で、クラウスが言った。

 彼が言いたいことは、アルフェにはよく分かる。今のアルフェがあの男に会いに行ったところで、捕らえられるか、それとも殺されるのか、何にせよ、あの男の望む通りにされるはずだ。アルフェが手もなく敗北した、ロザリンデやユリアン・エアハルトを上回る力を、あの男は持っているのだから。

 あの男に抵抗するためには、アルフェにはまだまだ力が不足している。自分が情けなくなるほどに、アルフェはそのことを良く知っている。


「……いいでしょう。“今は”」


 だから彼女は、表向きは強い表情をしながら、そう言うしかなかった。その言葉は、ほんの少しだけ震えていた。

 アルフェが取引に同意したことを確認すると、クラウスは話の続きをし始めた。


「……ハインツは私と同じように、ドニエステ王の命で、各地の結界にまつわる場所を廻っています。しかし同時に、あなたや姉上のことも探している」


 クラウスの説明によると、ドニエステ王は占領したラトリアと自国をせわしなく行き来しつつ、帝国にある結界に人をやって、その調査を行っているのだそうだ。クラウスがこの場所に現れたのも、あの男とメルヴィナがエアハルトに現れたのも、それが目的だという。

 だが彼らは、決してアルフェたち姉妹のことを忘れた訳ではなく、結界の調査の傍ら、二人を探し続けている。


「あなたを発見したら報告するよう、私も言われています」


 しかし、誓ってそれはしないと、クラウスは言った。


「どうして……?」

「あなたが彼らに捕まると、私が困るからです」


 なぜどんな風に困るのか、それが問題だとアルフェは思ったが、クラウスにはそこまでの事情を語る気が無いようだった。

 ドニエステにアルフェの事を語らないと言った彼の言葉を、そのままに信用していいとはアルフェも思っていない。しかし今まで不明瞭だった相手の情報が、これ程たやすく手に入るのだ。協力しようと持ちかけてきたクラウスの提案は、アルフェにとって抗いようも無く魅力的だった。

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