第60話
道も整備されていない荒れ地を、二台の馬車がのろのろと進んでいる。二台とも豪勢なつくりをしていたが、特に先頭を行く一台は、滅多に見ない四頭立てで、一体どこの貴人が乗っているのかと思わせるものだった。
そしてその馬車の後ろには、三十ほどの騎馬がついている。教会の紋章と特有の装飾が入った鎧、それを人も馬も身につけている。あれは神殿騎士の一行だ。
馬車に付けられた金の装飾が、夏の太陽の光を反射する。どこからどこまでも隙なくきらびやかに飾り立てて、どうして彼らはこんな何もない荒野を進んでいるのか。
奇妙に場違いなその一団は、荒野のある一点まで来て止まった。そこから先には、二つに分かれた数千の兵が、向かい合わせで整列している。
「――抜剣!」
辺り一面にこだまする号令。それを受けて兵たちが一斉に剣を抜き、両手で顔の前に直立させる。さながら針の山のようになった刀身が、太陽の光を乱反射させてきらめいた。
神殿騎士の一人が下馬し、二台目の馬車の扉を開く。そこから大儀そうに降りてきた、白いローブを着た聖職者は――
――助祭長、シンゼイ。
アルフェは兵列の奥で、傭兵たちに混じってこの儀式を見守っている。
あの助祭長とは、前に一度劇場で会って以来だ。しかしアルフェが探しているのは、助祭長とは別の人間だ。
――……あの、メルヴィナという女性は?
そう、アルフェの目当ては、シンゼイに付き従っているはずの女の方である。
――……! ……いた。
アルフェは目を見張った。シンゼイに続いて馬車から降りてきたのは、間違いなくあの女だ。くすんだ鼠色のローブを着て、フードを目深にかぶっている、少し猫背の女。顔は見えないが、間違いない。
あるいはもしかしたら、女はこの場に現れないかもしれないと、アルフェは考えていた。だが、メルヴィナという女は当たり前のように、助祭長の後ろについて歩いている。
――ここにいる間に、どうにかして彼女に接触しないと……。
女が現れたことで、不安は一つ解消した。とすれば、次に考えるのはそのことだ。
――彼女が、助祭長から離れることはあるでしょうか……。
あの女から聞き出したいことは多いが、それはあの女が一人になったところで行いたい。今は影のようにシンゼイについているメルヴィナだが、機会はあるだろう。それを逃さないようにしなければ。
アルフェがそんな風に思考している間にも、儀式は進んでいる。シンゼイは先頭の馬車に近づき、恭しく扉を開く。助祭長は三度拝礼すると、その中から大きな何かをとりだした。
――箱?
両手で抱えられる、細かい装飾がついた金色の箱だ。この距離からは、その程度しか分からない。だが、それを扱うシンゼイのえらく仰々しい態度に、あれがクルツの言っていた“遺物”なのだろうと、アルフェは見当を付けた。
箱は最終的に、シンゼイの手から神殿騎士に引き渡された。四人の神殿騎士がそれを台座に乗せ、神輿のように高く捧げ持った。その箱は、兵列の中央をしずしずと進んでいく。ゆっくりと、一歩一歩。
その箱が進む道の先には、造りかけの聖堂の入り口があった。
「諸君――」
箱は聖堂に納められた。
聖堂の扉は閉ざされ、その前にクルツ・エアハルトが立っている。家宝の鎧に身を包んだ彼は、階の上から感無量と言った顔で兵列を見渡すと、両手を大きく拡げ、震える唇から声を発する。
「――人間はこれまで、限られた土地に押し込められ、魔物に怯え暮らしてきた」
いきなり何を言い出すのか。命令のまま、事情も知らずに連れてこられた兵たちの中には、ぽかんと口を開けている者もいる。
「荒野には魔物がはびこっている。先日も私は、魔物に襲われ、苦しむ一つの村を見た!」
なぜ我々人間は、このように苦しまなければならないのか――。クルツの言葉は続く。その声は徐々に大きくなり、顔は紅潮している。
「それは人間が、遙か昔に与えられた、神の恩寵を失ったからに他ならない! 神の恩寵――、それはすなわち、結界の秘蹟である!」
そこで初めて、兵たちの中にざわめきが起こった。
「この先に広がる草原を見よ! このように肥沃な大地を前にして、我々人間は、ただ指をくわえて見ているしかなかった! ――それは全て、結界の秘蹟が失われたからに他ならない! さらにこうしている今も! 辺境では村々が魔物によって蹂躙され、尊い命が奪われている!」
神の恩寵、結界の秘蹟。クルツはその単語を繰り返す。
人間は結界の中でしか、魔物を恐れずに生きることはできない。それはこの世の常識だ。そして、その結界を創り出す秘蹟は、とうの昔に失われたということも。
だから人間は、残された結界の中で、身を縮めて生きていくしかない。そんなことは、語るまでもない常識なのだ。
「――いや、違う!」
兵たちのざわめきが大きくなる。
「――この聖堂を見よ!」
どうしてこんな物を、こんな馬鹿げた場所に作っているのか。自分たちがここにいる目的を知らされていなかった者たちも、聞いてはいたが半信半疑だった者たちも、クルツの次の言葉に息をのんだ。
「エアハルトの血を引く者として宣言する! 私はここに、神の御業を蘇らせる! 新たな結界が、この場所を中心に誕生するのだ! 諸君らは歴史の証人である! 間もなくここで行われる儀式を境に、人間の歴史は変わる! 自ら結界を拡げ、魔物を駆逐し、我々は、真にこの大陸の主となるのだ!」
今一度クルツが拳を振り上げ、演説は終わった。力の限りに叫んだ彼は、息を切らせ、胸を上下させている。
だが、兵はどう反応して良いか分からないようだ。
自分たちは、この男を称えるべきなのか。それとも、嗤うべきなのか。
「素晴らしい! クルツ様、万歳!」
収まらないざわめきの中、拍手の音が鳴った。ヘルムート卿だ。彼は満面の笑みで、力の限りに手を打ち鳴らしている。
――そうだ! 皆、クルツ様を称えよう!
その声は、兵列の奥から聞こえた。それ以外にもそこかしこから、クルツを褒めそやす言葉が投げかけられる。
――新しい英雄の誕生だ!
――クルツ様こそ、次代の伯に相応しい!
そんな、少々わざとらしい台詞も、演出としては十分に効果があったようだ。
拍手の波は広がりはじめ、やがて荒野を震わせる大歓声となった。
「……」
「団長、どうしたんですか?」
拍手と歓声はまだ収まっていない。クルツはそれを背中に受けて、揚々と聖堂の中に入っていく。
リグスの横に立っていた傭兵は、リグスが複雑な表情をしているのを見て、気遣わしげに声をかけた。
「……いや」
その顔は困惑とも、苛立ちとも、驚きともとれる顔だ。
今ここで行われようとしていることが壮大な茶番なのか、それとも歴史に残る偉業なのか、彼には判別がつかなくなったからだ。傭兵はそれ以上、リグスに何かを聞くことはしなかった。
「……そう言えば、アルフェはどこに行った?」
ふと思い出したように、リグスが傭兵に尋ねた。
「え? ……あれ? さっきまでそこに居ましたが」
傭兵は首を傾げた。
確かに、つい先ほどまで傭兵の列に混じっていた少女は、いつの間にか忽然と姿を消していた。
◇
奥から人の気配がする。心なしか、声もする。
まだ新しい天井裏を這いながら、アルフェは聴覚を研ぎ澄ませた。
どうして彼女はこんなところにいるのか。
クルツの演説に周囲が気を取られていた間に、アルフェは聖堂の内部に忍び込んでいた。聖堂内は所々、骨組みがむき出しになった壁や、扉が据え付けられていない部屋があったが、それでも重要な部分は、儀式に耐えうる程度には整備されているようだった。
内部に居るはずの神殿騎士と鉢合わせないよう、アルフェは慎重に気配を殺し、建材の陰に潜みながら奥に歩を進めた。
シンゼイたちは中央の広い礼拝所を通って、その先にある部屋に進んだようだ。しかしその礼拝所を、配備されている数名の神殿騎士の目をかいくぐって通り抜けるのは困難に思われた。
だから天井裏だ。梁を伝って未完成の壁の隙間から侵入することは、意外とたやすかった。
――シンゼイ殿、道中難儀だったな。馬車は揺れたろう?
礼拝所の上を越えたあたりから、段々とアルフェの耳に届く声が明瞭になってきた。
――ははは、そうか。ここはいずれ、大きな町になるのだ。まずは道の整備から進めなくてはな。
あれはクルツの声だ。同じ空間に、他にも何人か居るようである。
光が漏れる天井の隙間を見つけ、アルフェは目をこらした。
「クルツ様、先ほどのお話は大変見事なものでした。あれだけ見せておけば、クルツ様がこの事業の立役者であることを疑う者は出ません」
「ありがとう、ヘルムート。君のおかげだよ」
下に見えるのは、礼拝所の先に見えた部屋だろうか。それほど大きくない部屋のようだ。
「しかし、つまらんな。どうして兵たちに見せてはならんのだ?」
「クルツ様、何度も申し上げますが……、秘蹟は教会の外に出してはならないのです。みだりに下々の目にさらすわけには……」
「ふん、分かっているさ。言ってみただけだ」
クルツの頭と、彼が肩をすくめた様子が見えた。
他には誰がいるのだろうと、アルフェは天井に顔を貼り付けるようにしながら、角度を変えて部屋の中を確認しようとした。
「残る儀式は、新月の夜に。教会の者だけで、余人を交えずに行います」
そう言ったのは助祭長のシンゼイだ。当然彼はここにいる。他には貴族のヘルムート卿と、神殿騎士が一人。――メルヴィナという女の姿は見えない。ここから死角になる場所に居るのだろうか。
「何? 我々もか?」
上機嫌だったクルツは、シンゼイの言葉に驚いた。儀式には余人を交えずという部分が、彼の耳に引っかかったようだ。
「はい、申し訳ありませんが――」
「それが、正式の手順です。“部外者”を立ち入らせることはできません」
クルツとシンゼイの会話に割り込んで、神殿騎士が言った。この部屋に一人だけ同席しているということから、彼がここに来た神殿騎士の筆頭と思われる。
「“部外者”……? それは私に言っているのか?」
神殿騎士の有無を言わさない、威を含んだ態度が、さらにクルツの気分を害したようだ。しかしクルツの問いかけに対して、神殿騎士は訂正するでもなく、むしろ鼻で笑ったようにさえ見えた。
「きさ――」
「ジオ殿、クルツ様は助祭長と話しているのだ。君は黙っていたまえ!」
激高したクルツが男を怒鳴りつける前に、ヘルムート卿が釘を刺した。そこに腰を低くしたシンゼイが釈明した。
「まことに申し訳ありません、クルツ様。しかしこればかりは……。何分にも、非常に高度な術式を扱う、繊細な儀式ですので」
「……ふん」
クルツは依然として不満そうだ。しかし、わがままを言って秘蹟が失敗する方が問題だと考えたのだろう。最後には彼もシンゼイたち教会側の言い分を了承し、ヘルムートと共に退出していった。
「……ジオ、態度に気をつけろ。奴らの機嫌を損ねて、秘蹟が台無しになったらどうする」
「助祭長こそ、ここをどこだと考えておられるのです。あなたが頭を低くするべきなのは、彼らに対してではない」
神に対してでしょう。高い身長でシンゼイを見下ろすようにしながら、ジオという神殿騎士ははっきりと言った。
あの男は、かなり強い。アルフェはそう見た。この部屋にはいないが、他の神殿騎士たちも強者揃いだった。その中でも、あのジオという騎士は、頭一つ二つは抜けている。
「……いやしくも私は、主教様の代理としてここに立っているのだぞ」
「そのようなお方が、俗物共に媚を売る姿というのは、あまり目にしたくはありませんな」
ジオとシンゼイは、剣呑な雰囲気でやりとりを続けている。表で行われたセレモニーの様子とはかけ離れた、険悪な空気だ。大きな儀式を控えて、彼らは気が立っているのだろうか。
しかし、今アルフェが気にするべきは、あの騎士でも、クルツたちでもない。
――あの女性は、この部屋の中に?
気配から察するに、アルフェから見えない場所にもまだ人間が居る。だが、声はしない。アルフェの視界はかなり制限されていて、室内を全て見渡すには無理があった。
――角度を変えて、なんとか……。……ん?
苦心するアルフェの目に、女ではない別の物が映った。
――……あれは?
朱色の布――絹だろうか――に覆われた、何かが台座に据えられている。
――あれは……、あの箱でしょうか。
布に覆われているせいで直接は見えないが、大きさ、形からはそのように見える。シンゼイたちが大事に運んできた、例の箱だ。
あれが例の “遺物”なのだろう。この儀式を進めるために、クルツはあれの到着をずっと待っていた。遺物とはつまり、結界の秘蹟に必要な、魔術的な触媒か何かだと推測できる。それだけ考えて、その物体への興味を失ったアルフェは、目的の人捜しを再開した。
「……助祭長様、騎士長様」
――……!
「……今は、そのように言い争われる時では、ないかと」
あの女の声だ。アルフェはベルダンにいたとき、一度だけあの女の声を聞いたことがある。このような声色だったかはうろ覚えだが、この途切れ途切れのか細い話し方は記憶に残っている。
シンゼイと神殿騎士の口論を制止すると、女は黙った。やり合っていた二人の男は、気勢をそがれたように沈黙している。
「――ちっ!」
露骨な舌打ちをしたのはシンゼイだ。その対象は、ジオという騎士ではない。アルフェの位置からも、舌打ちをしたときのシンゼイの目が見えた。助祭長は血走った忌々しそうな目を、メルヴィナという女がいる方向に向けている。
やはり、険悪な空気だ。
以前、劇場で会ったシンゼイという男は、あれほど粗暴な空気を発していただろうか。
あの時の腰の低さは、クルツたち後援者に向けた擬態で、あれがあの男の本性なのだろうか。そんな事を考えつつも、アルフェは何とかメルヴィナを視界に収めようと、狭い天井裏で苦心を続けた。
「――ッ!?」
しかしその瞬間、はじかれたように、アルフェは天井の隙間から体を離した。
――気付かれた……!?
誰かと眼が合った。そう感じたアルフェは動悸を抑え、息を潜める。
しかし、下からは誰何の声は聞こえず、剣先も突き出てこない。
――……気の、せい?
数分経っても、状況に変化はなかった。息を止めて石のように硬直していたアルフェは、再度、細心の注意を払って下をのぞき込んだ。
「表に部下を何人か残します。新月まで、あと二日ある。それまでここは封印し、誰も立ち入れないようにしましょう。では、私は部下に、指示をださなければなりませんので」
ジオという神殿騎士が、無表情にそう言っている。彼にも侵入者に気付いた様子はない。
ここにいる自分に気付くとしたら、あの男だと思った。しかし、違うようだ。アルフェは部屋から去っていく騎士の背中を見送った。
「――、―――」
小声で詳しくは聞き取れないが、残されたシンゼイは地面に向かって、何やら呪詛めいた罵倒を繰り返している。助祭長は何をあれほど、いら立っているのか。
「――何をしているッ! 行くぞ!」
顔を上げたシンゼイは、そう唾を飛ばして怒鳴りつけた。燭台を持った助祭長が大股に部屋を出ていく。その時初めて、シンゼイについていくメルヴィナの後頭部が目に入った。しかしうつむき加減で歩む彼女の顔を、アルフェは見ることができなかった。
しんとした空気。
部屋から人がいなくなると、そこは完全な暗闇になった。アルフェの居る天井裏も、一寸先すら見えない。
そうなってからもしばらく、アルフェは動こうとしなかった。闇の中で、彼女は今後の動きについて考えている。
――……やはり、直接会って、話をするしかない。
あのメルヴィナという女から、自分が欲しい情報を引き出すにはそれしかない。彼らは、次の儀式まで、二日の猶予があると言った。その間に、こちらからあの女に接触しよう。
そこまで決めて、アルフェはその場を去ろうとした。
――暗い、から、ちょっと動きにくいですね……。
這って進むのがやっとの空間で、アルフェはどうにか方向を転換する。作られたばかりの建物なので、埃は少ないのが多少の救いだ。しかしこう暗くては、どちらが前かも――
「――ッ、誰!?」
油断していた所に、アルフェは再び自分に投げかけられる視線を感じた。動揺から、思わず声を出してしまい、彼女は慌てて口をつぐんだ。
「……」
しかし、返事は無い。
アルフェは気配を探ったが、誰も居ない。天井裏にも、部屋の中にも。
姿を隠している者も、アルフェが感じられる範囲では、存在しない。
下の部屋には、例の箱が置かれている以外、変わったものはない。そう、あの“遺物”の収められた箱以外は……。
――…………何?
冷たい汗をかきながら、アルフェは気がついた。
暗闇の中から自分を見ているのが、あの、箱だということに。
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