第59話

「お疲れ様です、団長。いつお着きでしたか」


 リグスが自分たちにあてがわれたテントまでやって来ると、そこにグレンがいた。傭兵団の副長である彼は、滞陣の間の兵糧を見積もっていたようだ。


「ああ、ついさっきだ。坊ちゃんには挨拶してきたから、そこは心配するな」


 そこに入ってきたリグスの顔は、もうすでに疲れた様子だ。彼は椅子の一つに腰掛けると小手を外し、脇のテーブルにごとりと置いた。


「ふー」

「……お疲れ様です」


 グレンはもう一度繰り返した。

 リグスと十数年の付き合いになるグレンは、彼の性格を知悉していた。

雇い主との交渉などは、リグスの得手とする所ではない。その上、貴族嫌いの団長のことだ。クルツのような若造程度、張り倒してやりたいと思っているに違いない。それでもリグスは団を率いる者として、嫌々ながらもそれをこなそうと努力している。

 疲れるのは、無理もない。

 グレンは革袋に入った葡萄酒を木のコップに注ぎ、リグスに差し出した。


「ああ、すまない」


 一息でそれを飲み干し、リグスはまた大きく息を吐いた。


「……しばらくは、ここにとどまることになる」

「しばらく、ですか」

「ああ、しばらくだ」

「我々がやることは、ありますか?」


 そうグレンが聞いたのは、正直彼にも、今回の任務における自分たちの役どころがよく分かっていなかったからだ。


「護衛にしては、大げさすぎる数のようですが」

「まあな」


 例えばここにいる数千の兵をかき分けて、暗殺者が侵入することはあり得るだろうか。

 もちろん油断するべきではない。クルツのために、本気で忠義を尽くしている者が、この中に何人いるかも不明なのだ。しかし、ここでクルツの護衛をしながら、聖堂の建設をただ見守れというのは、何とも迂遠な話に聞こえる。


「――俺たちは、“観客”だ」

「観客ですか」

「ああ、坊ちゃんは、ナントカいう儀式の見届け人として俺らを呼んだ。他の兵もな」


 結界の秘蹟。クルツがこの計画を成功させられれば、それは歴史的な偉業とさえ言える。しかしこのまま極秘に計画が進んだ場合、誰がそれをクルツの仕業だと分かってくれるだろうか。

その時に、証明する者が必要になる。

 リグスの言うとおり、ここに集められた兵たちは、クルツによる大々的なセレモニーの観衆というところか。


「魔物と戦えってわけじゃない。かえってありがたいさ」

「はい」

「あとは、儀式に必要だっていうブツを持った坊主たちが着くのを、待つだけだ」

「……」

「それまでまだ数日かかる。せいぜいのんびりさせてもらおう」


 続けて二人は、装備や部下の配置などについて、細々とした話をした。

 大きな問題はない。兵糧は支給されているし、リグス傭兵団はクルツの直属ということになっている。他の正規兵の部隊から、侮りを受けるようなことも無かった。


「暗殺者の方は?」


 やはり、気にかけるとすればそのことになる。


「坊ちゃんには交代で見張りを付けよう。だが、この陣がまるごと、あいつの護衛みたいなもんだ。相当の手練れしか入り込めんさ」


 逆に言えば、入り込んでくるとしたら、それは相当の手練れということになる。そう言えば、アルフェと戦ったという剣士の男も、いつぞやの晩以来音沙汰が無い。

 グレンがそう考えていると、リグスがつぶやいた。


「この仕事が終わったら……、どうするかな」


 グレンは、やはりと思った。この仕事が終われば、またどこかへ流れていかなければならない。このところ、リグスの心を占めているのはそのことだ。しかし普段のリグスはこの話題を、団員の前では避けている。


「団長は、どうお考えなのですか」

「……お前も見たろ、グレン。あの、聖堂ってやつを」

「見ました。……大きいものですね」

「新しい結界を張るなんて、そんなことが本当にできるのか?」


 クルツがここで行う儀式の詳細を、グレンは聞かされていない。それはリグスも同じのようだ。ただ、「新しい結界」を作ること。それが今回の目的とだけ聞いている。それを知ったときは、グレンの頭にも衝撃が走った。


 結界は、魔物から脆弱な人類を護るため、神が与えた恩寵である。人が住まう地域と、魔物が跋扈する不毛の荒野。それを隔てるのが結界だ。

言い換えれば、人間は神が定めた結界の中でしか生きていけない。それを新しく作るなど――


「そんなことができるなら、とっくの昔に、誰かがやってるんじゃないのか?」

「……分かりません。私には」

「失敗するかもって考えは、あの坊ちゃんの頭にはないらしいが」

「団長は、失敗するとお考えなのですね」

「ああ」


 リグスの不安はよく分かる。グレンにしても、五十年ほどの生のうち、逆はあっても、新しい結界が作られたという話は、聞いたことがなかった。


「失敗したら、あの坊ちゃんには何が残る? あの聖堂か? そんなものは――」


 聖堂は結界のための入れ物だ。もし儀式が失敗するのなら、そんなものに意味はない。


「クルツ様は、これほどの資金を、どこから調達してこられたのでしょうか」


 クルツは確かに、その身分相応に裕福だ。しかし小さい礼拝所を建てようというならともかく、このような大規模な聖堂の場合、私財を投じてといっても限度がある。一つの領邦の財政を傾ける覚悟で臨まないと、こんなものは作れない。だが、エアハルト領の財布の紐は、クルツの兄、ユリアン・エアハルトがしっかりと握っている。


「あの、ヘルムート卿とかいう豚だろう」


 リグスは辛辣な言葉を吐いた。クルツを支持する貴族のうち、最も有力で、最も熱心なのがその男だ。先日の舞踏会で、クルツはその娘と踊っていたという。

 あまり、いい噂は耳にしない。柔和そうな笑顔の裏で、領民は苛烈な搾取に苦しんでいるという情報もある。そのあたりには目をつぶって、グレンはリグスを励まそうとした。


「それだけの資金を出そうという者がいるのです。それなりに成算があって、クルツ様もこの計画を進めておられるのでは?」

「そうだといいんだが……。俺は、いやな予感がする」


 リグスはクルツの計画が、失敗に終わると思っている。そして失敗すれば、おそらくクルツには、数十人の傭兵団を雇い続ける余裕すら残されない。リグスはそれを恐れている。


 傭兵団というものは、脆い集団だ。百戦錬磨であろうとも、一度の敗北で簡単に崩壊の危機にさらされる。

 しかしそれ以上に怖いのが、金がなくなることだ。

 団の維持には金がかかる。武器も馬も食料も、誰もただでは与えてくれない。方針を一つ誤り、わずかな金を奪い合って、仲間内で醜く殺し合った傭兵団を、リグスとグレンはいくつも見てきた。


 良い傭兵とは強い傭兵ではなく、稼げる傭兵だ。これは誰が言った言葉だったか。


 仕事が無くても、団の崩壊を防ぐためのシンプルな方法はある。――略奪に走ればいい。野盗と区別がつかない傭兵団の方が、世の中には多い。

 しかし、リグス自身が明言したことはないが、彼はそれをよしとしないだろう。彼自身ではなく、団員たちのために。リグスは団員たちから、ある種の“誇り”を、奪いたくないと思っているのだ。


 グレンは空になったリグスのコップに、葡萄酒を注いだ。


 昔は違ったが、リグスは歳を取って、情の深い男になった。

 最初からそうだった訳ではない。だが今の彼は、団の仲間を自分の家族だと思っている。そのことも、リグス自身が口にしたことはない。しかし、グレンを始め、団員は皆それを知っている。

 行き場のない者が寄り集まったこの集団を、リグスは壊したくないと思っている。金策や交渉ごとに対する己の才覚の無さを、彼が嘆くのもそれゆえだ。

 だから――


「例えどうなっても、団員は皆、あなたについて行きますよ」


 迷いのない微笑を浮かべ、グレンは言った。



 リグスとグレンがそんな会話をしていた同時刻、テントの裏手では二人の傭兵が武具の手入れをしていた。


「お頭と副長は?」

「まだ中で話してる」

「そうか……、長ぇな。何の話してるのかな?」

「これだけ大きな軍の中で動くのは久しぶりだ。いろいろあんだろ」


 くだらないことを気にしていないで、手を動かせ。話しかけられた方はそう言い、話しかけた方もへいへいと返事をした。


「――ん? ありゃ坊主か? なんでこんなところに?」

「坊主ぐらいいるだろ。作ってるのは聖堂だぜ? 教会の人間がいなくってどうするよ」

「そういうもんか」

「ああ、さっきは神殿騎士も歩いてたってよ」

「神殿騎士ぃ? ふーん。色々来てるんだな。」

「そうさ、だから手を動かせよ」


 彼らは矢束の中から、行軍中に曲がったものや折れたものを取り出し、直せそうなものを選別している。


「……そういえば、うちの団員じゃねぇやつと、さっき話したんだけどさ。この兵営に女がいるってよ。きっと、誰かが商売女を連れ込んだんだ。後で探しに行こうぜ」

「女ぁ? ――ああ、アルフェのことだろ」

「え、あいつも来てるのか?」

「来てるに決まってる。副長たちと一緒に、クルツ坊ちゃんの護衛さ」

「なんだそうか……。ちぇっ」

「坊ちゃんの他の貴族サマにも、愛人を連れてきてる野郎はいるかもしれないけどな」

「けっ、うらやましいこった」


 えい、おうと、どこかから声をそろえたかけ声が聞こえてくる。こんな場所でも、余念なく訓練に打ち込んでいる隊がいるようだ。


「なあ、あのでかい建物は、いつ完成するんだ? 一ヶ月くらいか?」

「そうだな……、多分、二十年くらいじゃないのかな」

「二十年? 馬鹿か?」

「馬鹿はお前だろ。それくらい普通さ」


 矢束から目を上げて、男は仲間の無学にあきれた。

 聖堂の建設は、十年や二十年では終わらない大事業だ。時には数世代をかけて、建設が行われ続けることもある。実際、ウルムの大聖堂は、完成までに三百年余をかけたという記録が残っていた。


「何でだよ。じゃあ、俺たちはあれができるまで、何十年もここで待ってなきゃならないってことか? じいさんになっちまうぜ」

「うるせぇな。全部できてなくてもいいんだってよ」


 内側がある程度完成したら、いくつかの儀式を経て正式な施設と認められる。通常の教会の場合もそうするのが一般的だ。そう説明すると、仲間は一応納得した。


「ふうん」

「気が済んだか? じゃあ、手を動かせ」


 それから数分間、二人は作業をしていたが、片方はやはり集中できないようだった。


「……なぁ」

「なんなんだよ! さっきから何度も何度も」

「……ひょっとして俺たち、なんかヤバいことをさせられるために、集められたんじゃねぇのかな」

「――は?」


 突然こいつは、何を言い出すのだろう。あんぐりと口を開けて、男は仲間の顔を見た。冗談ではなく、相手は本気で不安な表情をしている。


「何だよ、ヤバいことって」

「分かんねぇけど……、例えば、なんかヤバい魔物と、戦わせるためとかさ」

「はッ、結界の内側だぞ、ここは。そんなもんがどこにいるってんだよ」

「この前の農園だって、結界の中だったろうが」

「まあ、そうだけど――。まさかお前、びびってんのか?」

「違うさ! でもよ……、街ん中にレイスが出たりさ。最近なんか、おかしいんじゃねぇのかな」

「……おかしいって、何が」

「分かんねぇ。……“なんか”だよ」


 あまりに相手が真剣に言うので、話しかけられていた男もまた、少しだけ得体の知れない不安を感じてしまった。それを吹き飛ばすように、大げさに笑い飛ばしてから彼は言った。


「そうだとしても――よっと!」


 もう使えないと判断した矢軸を、数本まとめて膝で折る。


「これだけ兵隊がいるんだぜ?」


 ドラゴンが出たって負けねぇよ。そう言って、男は笑った。



「アルフェ、時間だ。交代するぞ」


 そしてまた別の場所で、禿げ頭にバンダナを巻いた男が、木箱に座っているアルフェに声をかけた。アルフェはすとんと木箱から飛び降りて、その男に礼を言った。


「ありがとうございます、ウェッジさん」


ウェッジが交代と言ったのは、彼らの雇い主であるクルツの警護のことだ。


「ああ。……なんでこんな所にいたんだ?」


 アルフェが居たのは、クルツの居る本陣テントの裏手である。そこに積み重なった木箱の上に、彼女は座っていた。


「クルツさんが会議中なので、テントを追い出されてしまいました」

「で? それなら表に居ればいいだろうに」

「……私はどうやら、目立つらしいので」

「……なるほど」


 ――それで、こんな妙な場所に隠れていたのか。


この娘にも、ようやくそういう自覚ができたかと、ウェッジはあきれた。

 こいつにいかれているらしい、例の魔術士の坊やじゃないが、こんな――外見だけは――妖精じみた娘が歩いていたら、どこでも目立つに決まっている。


「こういう場所は初めてです。不思議な雰囲気ですね」

「そうか」


 ウェッジは適当にうなずき返した。


「団長が到着したらしいが、もう会ったか?」

「はい、さっき。グレンさんの所に行くと仰っていました」

「なら聞いたかもしれんが、教会の奴らが五日後に着く。それまで俺たちは、このまま坊ちゃんの護衛だ」

「はい」


 傭兵団の中で、リグスに次いでアルフェと話す機会が多いのは、連絡役のこの男だった。だからだろうか。他の傭兵に対する時よりは、幾分か打ち解けた様子で、アルフェは受け答えをしている。


「そしたらすぐに、儀式ってやつを始めるとさ」

「承知しました」

「……お前は知ってるのか?」

「何をですか?」

「その儀式ってやつが、何なのかだよ」


 アルフェは手でスカートの埃を払っている。

 彼女の代わりに木箱に腰掛け、腕を組んでウェッジは聞いた。


「さあ」

「知ってるのか」


 ウェッジは長年傭兵団の斥候をしているだけあって、観察眼が鋭い。彼はすぐに、アルフェがごまかそうとしたことに気付いた。

 それを見抜かれたアルフェは、少しばつが悪そうに言った。


「聞いていますが、詳しいことは知りません」

「結界を拡げるっていうのは、本当なのか?」


 ウェッジは、兵営内で噂になり始めていることをアルフェにぶつけた。


「……そうみたいですね」

「そうみたいって……、本当なら、――すごいことだろ」


 なんと表現して良いか分からず。ウェッジには“すごい”としか言えなかった。


「それができるなら、あの坊ちゃん――クルツ様は、英雄だ。違うか?」

「そう思います」

「反応が薄いな……。興味がないのか?」

「いえ、素晴らしいことだと思います。本当に、そんなことができるのであれば」


 この娘は、暗に無理だと言っている。しかしウェッジは、そこに気付かないふりをしてうなずいた。


「ああ、夢みたいじゃないか」


 夢だというウェッジの台詞は、皮肉ではない。

 辺境出身のウェッジは、魔物によって帰る家と家族を失った。リグスに拾ってもらわなければ、己の命も失っていただろう。

 だから、魔物がいない世界を、結界があまねく全土を覆った世界を、彼はそれこそ夢に見ていた。だから――


「少なくとも、クルツ様を守る理由には、充分なるさ」

「……そうですね」


 少し熱を帯びた男の言葉に、少女は曖昧に微笑み返した。

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