誰よりも強いあの子、誰よりも脆いあの子

第45話

 都市ウルムのシンボルは何かと住人に問えば、その答えは人により様々だ。

 都市全体を見下ろすように建つ、エアハルト伯の居城を第一に挙げる者は多かろうし、芸術を愛する者であれば、この地域の文化の殿堂、大劇場がそうだと答えるかもしれない。

 そしてもう一つ、それらの建築物と並び、その威容が都市内外に鳴り響いているものがある。先に挙げた二つよりも、遥かに長い歴史を持つ信仰の砦――神聖教会の大聖堂がそれである。


「しばらく、そこでお待ちなさい」

「ありがとうございます。お手数をおかけします」


 灰色のローブを着た教会職員が奥へと引き下がっていく。アルフェはそれを見送ると、聖堂の長いすの一つに腰掛けた。


 アルフェが今いるのは、エアハルト伯のお膝元、ウルムの郊外にある大聖堂内の礼拝堂だ。

 彼女がこんなところにいる理由は一つしかない。数日前の夜、助祭長シンゼイと共にいたメルヴィナという女に接触するために、彼女はいくつかの方法を検討した。その結論として、まずはこうして正面から訪問することにしたのだ。


 夜陰にまぎれて忍び込むという手も考えたが、街中で初めから強硬な手段に訴えるというのもためらわれた。

 それに教会は、俗界の権力者が持つ軍隊とは別に、神殿騎士団という独自の兵力を抱えている。実際、教会職員が向かった奥に通じる通路の入口にも、フルヘルムで顔を覆った、独特の鎧を着た兵士が二人、微動だにせず直立している。

 この大聖堂の規模ならば、当然中にもかなりの戦力が控えているはずだ。それをかわして奥に侵入するのは、非常に困難で危険な作業になる。


 ――そう、忍び込むのは、後からでも遅くない。


 あの女と接触する方法について、彼女の中にはまだ迷いが残っていたが、しかしもうすでに訪問を告げてしまった以上、今はおとなしく待つ以外に方法は無かった。


 そうやって腹を決めると、彼女にも周りを見渡す余裕ができた。

 聖堂の中には、アルフェ以外にも何人もの訪問者がいる。ほとんどはただ礼拝に来た、信心深い人々なのだろう。一様に皆、瞑目して祈りをささげたり、神像の前で跪いたりしている。

 だが教会には、アルフェが表向き口実にしたのと同じように、陳情を目的として訪れる者も少なくない。それゆえに、先の教会職員の対応は、非常に手慣れたものだった。


「――ふぅ」


 一息ついて、アルフェは天井から神像に向かって垂れ下がる、幾本もの金色の管を見上げる。

 神の恩寵として、人を魔物から守る結界がこの世にもたらされた。そう神話で語られる情景を模した、よくあるモチーフである。金管がステンドグラスから入る光を乱反射して、まぶしいほどだ。

 それは、これまで信仰というものを身近に感じたことのないアルフェの目にも、それなりに荘厳な光景に映った。

 神。そう、神である。


「武神流……」


 アルフェがつぶやいたのは、コンラッドが名付けた、彼らの流派の名前だ。

 この国で神というと、それはこの教会が広めている、世界を創造し、人に結界を与えたもうた、唯一の神に他ならない。この国だけではなく、大陸のほとんどの国でそうだと聞く。


 武神――、武をつかさどる、闘いの神。そんなものがいるという教えは、今まで聞いたことがない。それもそのはず、これはコンラッドの創作だ。少年のころに空想した神を、そのまま流派の名前にしてしまった。アルフェは彼の口から、その経緯を聞いたことがある。


 ――流派の名前が気にくわないだと? じゃあ、お前ならなんて名前を付けるんだ。


 ――……コンラッド流?


 ――……お前のセンスも酷いものだぞ。こら、むくれるな。格好良いから、今のままでいいのだ。


 自慢げに流派の名を語る師の姿を思い浮かべて、軽く天井を見上げる少女の口元には、我知らず、慈しむような笑みが浮かんでいる。祈りを終えて帰ろうと、アルフェの傍らを通り過ぎた若い女性が、そんな彼女の顔を見て、呆けたように頬を染めた。


 しばらく聖堂の内部を眺めていると、先ほどの教会職員が戻ってきた。一緒に近づいてきたもう一人の男は、ローブの色からすると、それなりに序列の高い聖職者だ。

 表情を引き締めたアルフェは長椅子から立ち上がり、一礼する。後から来た方の聖職者が、重々しい態度で口を開いた。


「待たせましたね」

「いえ、とんでもありません。……それで、助祭長様は?」


 助祭長のシンゼイに、信者の一人として相談があるという体裁で、アルフェはこの聖堂を訪れている。

 とりあえず、クルツの名前は出していない。そうとなれば町娘の恰好をした少女一人、門前払いを食らってもおかしくないと思っていたが、教会職員は一応取り次いでくれた。


「シンゼイ様は、ただいま留守にしておられます」

「お留守……、ですか」


 本当に不在なのか、それとも居留守を使われているのか。この聖職者の態度からは、前者のように思える。期待してはいなかったつもりでも、それなりに覚悟を決めてここに来ただけに、アルフェの中にはそれなりの失望が芽生えた。


「所用で帝都の方に出ておられるのです。しばらくはお戻りになりません」

「帝都に、ですか?」

「はい」


 アルフェは思考を働かせる。

――助祭長が帝都に向かった。それはおそらく、劇場で彼とクルツが密談していた内容に関係があると思われた。

 彼らは新しい結界を作るために、“遺物”なるものが帝都から届くのを待っていた。帝都には、帝国内の教会の中枢が存在する。助祭長自らが、そこに足を運んだということだろうか。あのメルヴィナという女も、それに付いていってしまったかもしれない。しかしシンゼイは、あの女は主教の客人だと言っていた。ならば依然として、女だけはこの大聖堂に留まっていると考えるべきかもしれない。


「ですから、また日を改めてお越しなさい」


 もう素直に、ここにいるはずのメルヴィナという女に用があると告げるべきか。


「どうしたのです」

「……いえ、主教様が御病気であるとうかがったので、助祭長様がご不在であるのなら、せめてお見舞いだけでもさせていただきたいと――」

「おお、それは殊勝な心掛けです。若い方で、あなたの様に信心深い者は、今時すっかり珍しくなってしまった」


 会話を切らさないように、とっさに苦し紛れで吐いた言葉が、目の前の聖職者の琴線に触れたようだ。事務的だった表情がにこやかに変わり、片手でアルフェに略式の祝福を送る。

 しかしその次に出てきた言葉は、アルフェの期待を裏切るものだった。


「ですが、主教猊下とお会いすることはできません」

「……そうですか」

「思い違いをなさらないように。これは一般信徒に限りません。今は全ての方の面会をお断りしています」

「それほど、主教様の病は篤いのですか?」

「……あなたも猊下の快癒を信じて、祈りを捧げられるといいでしょう」


 なんとなく、はぐらかした感じの回答だ。

 正直、アルフェにとっては主教の病状は関心事ではない。だが、このままでは聞きたいことが何一つ聞けないまま、話が終わってしまう。

 いっそのこと、思い切って――


「――あの、つかぬ事をお伺いいたします。あの、こちらに、……女性が一人、滞在していらっしゃると、思うのですが」


 言った。最後の言葉を言う前に、アルフェは喉が詰まりそうになってしまった。


「女性?」

「ええ。……黒髪の」


 黒髪の人間など、そうはいない。この聖職者があの女を知っているなら、アルフェが聞いているのが、誰を指しているかは明らかなはずだ。


「ああ、メルヴィナ様ですか」

「――はい」


 警戒するでもなく、聖職者がその名前を出したので、アルフェの方が逆にどきりとしてしまった。もしかしたら、自分は無意味に慎重になりすぎているのかもしれない。そんな風に思ったほどだ。


「お知り合いですか?」

「いえ――はい。少し」


 挙動不審になっているアルフェに対して、疑いを向けている様子もない。聖職者は淡々と事実を告げる。


「メルヴィナ様も、シンゼイ様に同行しておりますよ。ですので、しばらくは――」

「お戻りにならない?」

「そうなります」

「……いつごろ、お戻りになりますか?」

「それは分りませんが、そう長くはかからないと言っておられました」



 その日の午後、大聖堂を訪れた脚で、アルフェはクルツの居館を尋ねた。そこで出てきた執事に対し、彼女はリグスへの面会を求めた。すると、リグスは今、厩舎にいるという答えが返ってきた。

 この館ほどの規模になると、厩舎も複数設置されている。リグスがいると言われたのは、使用人用の厩舎だった。アルフェが使用人の館の裏に回ると、獣臭さと藁の匂いが混じった独特の空気が漂ってくる。そこで上半身裸になって、栗毛の馬の世話をする大柄な男が一人。


「こんにちは、リグスさん」

「ん? おお、アルフェ」


 声をかけられたリグスは、ちらりとアルフェに目を向けた。


「お手入れですか?」

「ああ。こいつはうちの兵団でも一番の働き者だからな。ちゃんと世話してやらんと――」


 そう言いながら、リグスはブラシで優しく馬の背中を掻いている。馬の方はご機嫌な様子で、くすぐったそうに身を震わせていた。

 汗ばみそうな午後の日差しの中でも、馬小屋はちょうど木陰に位置していて、通り抜ける風が心地よい。


「どうした、お前の方からこっちにくるなんて、何かあったか」


 馬の世話を続けながら、リグスは言った。その背中に、アルフェが丁寧に頭を下げる。


「この間は、申し訳ありませんでした」

「この間? なんの話だ?」

「護衛の仕事の途中で、勝手に抜け出してしまいました」

「……? それがどうして、謝るような話になるんだ?」


 手入れは終わったようだ。リグスはぱんぱんと軽く馬の首筋をたたき、アルフェを振り返った。


「同じ建物の中にアンデッドがいたんだ。雇い主に危険が及ぶ前に排除するのは、俺たちの役目だろう? 相手が暗殺者じゃなかったからって、気にすることは無いさ」

「違います」

「何がだよ」

「私は、レイスの気配を感じて、席を外した訳ではないんです」

「ふうん?」

「レイスに遭遇したのは、ただの偶然です。あの場を外れたのは、私の個人的な事情です。――だから、あの夜の報酬はいただけません」

「……よくわからんが」


 水桶を手に、少し首をかしげながらも、リグスは続ける。


「それでお前が納得するんなら、そうしよう」

「そう言ってもらえると助かります」


 アルフェが小さく、ほっと息をつく。それを見て、リグスは苦笑しながらつぶやいた。


「何があったかしらんが、くれるというもんはもらっておけばいいだろうに。別に罰は当たらんぞ」

「できません」


 アルフェは頑なな顔で首を横に振った。リグスがなんと言おうと、自分は途中で依頼を放棄したのだ。それで報酬をもらうのは違う気がする。


「妙なところで頑固だな、お前は」


 手入れ用の道具を片付けたリグスが歩き出す。アルフェがその後を追い、二人は歩きながら話を続けた。


「それよりも、城じゃ大分しぼられたんだろ?」

「そうですね、半日くらいは事情を聴かれました。……クルツさんに不利になるようなことは、何も話さなかったとは思うのですが」

「その辺は信用してるさ。とにかく災難だったな。まあ、町ん中にレイスが出れば、それも仕方ないけどな。……クルツの坊ちゃんも、お前を解放するように働きかけてたが、あまり効果はなかったみてぇだしよ」

「……それは、すみません」


 結果はどうあれ、それだけ雇い主の手を煩わせていたのかと、アルフェは少し気に病んだ。当てが外れたなどと思ったのは、失礼だったか。


「いいさ、頼りにならない野郎だ」


 リグスの言い方は身もふたも無い。

 リグスの足は、敷地にある使用人の館の一つに向かっている。彼ら傭兵は、そこを兵舎のようにしているのだそうだ。


「最後はクルツさんのお兄様にも、色々と聞かれてしまいました」

「ユリアン・エアハルトが? あいつが直々に出てきたのか……」


 立ち止まり、腕を組んでリグスがうなる。


「何を聞かれたんだ?」

「あの方は、私がレイスを喚び出したのではないかと疑っていたそうです」

「なんだそりゃ! 馬鹿馬鹿しい」


 わめいたリグスに対し、アルフェは城で尋問を受けた際に聞いたことを語った。


「――死霊術?」

「はい」

「なるほど……、そうだな。そういう可能性も、無い訳じゃない。結界の中にアンデッドが出たなら、そういうことも考えなきゃならんか」

「リグスさんは、実際に死霊術を見たことがありますか?」

「ああ、昔、一回だけな。不老不死になりたいとか言う、いかれた魔術士のじじいだったよ。だがそいつは、一人殺して死体をグールにするくらいが関の山だった。レイスを、しかも二匹だろ? そんな上等なアンデッドを喚べるやつには、お目にかかったことはねぇな」

「……」

「……しかし、死霊術士か。……坊ちゃんを狙うやつと、何か関係があるのか?」


 その後も二人はあの夜の出来事について語り合ったが、さして理解に進展が見られたわけでは無かった。

 メルヴィナという女については、アルフェはあまり口にしなかった。彼女が死霊と関係があると思うのは、アルフェの勝手な想像に過ぎない。彼女自身の個人的な事情も絡んでいるとあって、その考えをリグスに言うのは憚られた。


 そうこうしている内に、二人はリグスたちの兵舎の前についた。使用人の館の一つを利用していると言ったが、館というよりは木組みのロングハウスだ。外では三人の若い傭兵が、木箱に座って剣や槍を磨いている。


「ここで飯でも食ってくか? たいしたもんは出せねぇが。まあ、お前が坊ちゃんに会ってくってんなら、話は変わると思うけどな」


 くつくつと笑いながら、リグスがそう言った。アルフェはクルツに絡まれるのが嫌で、わざわざ館の主人を通さずにここまで来ている。それを分かってからかっているのだ。


「いえ、今日はこれで失礼します。……リグスさん、一つお願いがあるのですが」

「なんだ?」

「今後、クルツさんに護衛が必要な時は、ぜひ私に声をかけて欲しいのです」

「ん? お、おお。そりゃ、こっちははじめっからそのつもりだったが……。どうしたんだ、急に」


 リグスが戸惑っている。これまでアルフェは、むしろクルツを避けていたはずなのに、なぜこのように積極的になったのかと。


「色々と物入りな事情があって、沢山仕事を引き受けなければならないのです」


 アルフェはとりあえずそう言いつくろったが、これはもちろん建前に過ぎない。本音はただ、クルツに張り付いていれば、彼が進めている結界に関する事業の中で、シンゼイやメルヴィナに接触する機会があると考えたからだ。

 午前中の教会訪問の成果ははかばかしくなかったが、あの女が帝都から戻るのは、そう遠くないと教会の人間は言っていた。それまでアルフェにできるのは、せいぜいこのくらいだ。


「……ふぅん。そうか、分かった。じゃあこれからは、お前は基本的に頭数に入れさせてもらうからな。つなぎはつけられるようにしておいてくれよ」

「はい。冒険者組合で、毎朝必ずリグスさんの伝言がないか、確認することにします。他の依頼も、長期のものは受けません」

「ああ、それでいい。しばらく動く予定はないが、あの坊ちゃんは気まぐれだからな。前みたいに、急にオークを討伐しに行くとか言い出さんとは限らん」

「承知しました。それでは、私はこれで失礼します」

「じゃあな」


 リグスのその言葉を最後に会話は終わり、アルフェは兵舎の前を離れた。すれ違った傭兵たちが、彼女に軽く挨拶してくる。それに会釈で返しながら、アルフェは館の門へと向かった。


 ――夕飯には、少し早いですね。


 クルツの居館を出て、何となく宿の方向に歩きながら、アルフェは考えた。まだ日は高いが、今日はもう、特にやることがない。


 ――どこかで、身体を動かしたいな。


 何気なくそう思う。ベルダンの街にいたころ、冒険者の仕事をしていない時には大抵、アルフェは道場でコンラッドと鍛錬していた。

 実戦も大事だが、地道な修行も大切だ。コンラッドはよくそう言っていた。大雑把な性格の人だったが、彼にはそういうマメな一面もあった。そんな師の影響で、アルフェの体には鍛錬の習慣が染みついていた。


 ベルダンを離れてからは、一つの場所にとどまることがなかったので、なかなかそういう時間がとれなかった。しかし今は、いわば待っている状態だ。時間はある。


 ――でも、場所が……。


 そうなのだ。このウルムは大都市だが、整備が進んでいるので、逆に鍛錬に適した空間がない。噴水のついた公園などはある。だがしかし、恋人たちが逢引きし、子どもたちが遊びまわっている場所で演武を行うのは、いくらなんでも悪目立ちする。それを恥ずかしいと思う心は、アルフェにも有った。

 引き返して、リグスの兵舎前を使わせてもらうべきだろうか。しかしそれだと、長居をすればクルツに見つかり引き留められるかもしれない。それは避けたい。


「……」


 一度思いつくと、身体の内側が何となくむずむずしてきた。これは何としても体を動かさないと、落ち着きそうにない。アルフェは周囲を見回した。


「――あ」

「おや、アルフェ君じゃあないか。何してるの?」


 そしてちょうどそこに、哀れな犠牲者――ゴーレムクラフターのリーフが現れた。

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