まずい牛丼は玉子とショウガで喰え 二杯目
牛丼屋がその役割を企業戦士たちの空腹を満たすことから家族連れの憩いの場へと移行させはじめたのは戦後のベビーブーム、いわゆる「団塊の世代」が退職を迎えて労働人口が激減することが現実味を帯びてきてからのこと。狭くカウンター席のみで回転数を限界まで引き上げた殺伐とした店内から、ファミリーレストランかと見まがうような広い店内に小さな子供連れの若奥様がたがゆったりとした午後のひと時を過ごせるよう柔らかいソファのテーブル席が配置され、デザートや子供向けのメニューが充実されることとなった。
「わぁ」
カウンター6席にテーブルが2つ。
こぢんまりとした、それでも清潔感のある定食屋の内装であった。
「アヤメ、こっちじゃ」
カウンターにちんまりと座った小さな噺家が手招きをして横のスツールをポンポンと叩く。
「お嬢が人を連れてくるなんざ、珍しいこともあるもんだな」
頭にタオルを巻いた甚平姿でひげ面の大男がカウンター越しにお冷を二つ出してきた。
「今日は特別なのじゃ。あ、この男が店主のジューロータじゃ」
「アヤメです。先日、Dランクに上がりました。クラスはソードマンです」
「ほぉ、まだご新規様が登録してくるんだな」
「十周年記念とやらで新規登録のキャンペーンをやっておったわ。レア素材のドロップ率アップとか、あとなんじゃったかな」
「ネットショッピングサイトのギフト券三千円分とか、オークションサイトの手数料が三か月間無料とかありましたよ」
そのキャンペーンのお蔭で金色に輝くオオセンザンコウアーマーを手に入れることができたのだ。本来ならば素材が集まるころにはランクが上がってしまい、さらに強力な防具が手に入るために装備を楽しむ機会はほとんどなかった。
「俺はジューロータだ。クラスは~今~何だったかな~」
いい声で妙な節を口ずさむ。
「お、探索者だな。ランクはBだ!」
うれしそうに歓声を上げた。
「マジか、お主!!」
つな魅が爆笑する。
それもそのはず、セイバーと呼ばれる探索者は一番初期のクラスで職業によるスキルや魔法などが一切ない、いわば最弱の状態なのだ。まず新人プレイヤーたちはここから頑張って経験点を貯め、技能ポイントを稼いで一般職に就く。そこからいくつもの一般職レベルを最大まで上げて中級職、中級職を上げて上級職、さらに自らの能力や名称を設定できる特殊職へと職業ツリーが伸びていく。
この場でいうならばアヤメのソードマンは一般職で、つな魅の噺家は特殊職である。
「待て待て。今、新しいクラスを作っておるのだ。見たらびっくりするぞぅ」
「前の『野球選手』とかいう使えん物ではないじゃろうな?」
「あ、あれはそこそこウケたではないか。何が悪い」
「相手の魔法を受け止める『ゴールデングラブ』は、まぁ良い。打ち返す『シルバースラッガー』が成功率38%で好成績と言われても困るわい。おまけに飛んでくる魔法限定で、接近戦になったら『素手で殴る』しかないのは致命的じゃろうが」
ゲーム内動画再生で100万回再生された件のヘンタイキャラクターの動画はアヤメも見たことがあった。まさか本人に会うことができるなんて。しかし、ファンでもなければ応援もしていないので、そのことに関して触れるのはやめておく。
「ともかくじゃ、お主のランクアップクエストも控えておる。ちぃとは真面目にだな……」
ピーという音に一度振り返り、二人分の牛丼を盛り付ける。
「そのあたりの作戦会議はまた後日ということで、まずは腹ごしらえだな」
「え?『食べられる』んですか?」
「よくぞきいてくれた! ウチのは『食べられる』!」
基本的にゲーム内での飲食に関しては体力回復やその他の効能が数値としてステータスに表示されるのみで、実際に『食べる』という行為自体には重きを置かれることはなかった。もちろん、オフィシャルスポンサーの提供している回復ドリンクなどには効果が高いうえに味も風味もあり、多少値は張るものの人気商品となっているが、多くの場合は『食べる』と数値化されてそれ自体は消えてなくなるのだった。
「ほーれ、うまいぞぉ」
目の前に並べられたのは、牛丼、玉子、味噌汁。完璧な布陣である。
おもむろにジューロータのレクチャーが始まる。牛丼に食べ方も何も、とは思ったが重要なのだとか。
別容器に玉子を割り、そこにお好みの紅ショウガと七味を加えて混ぜる。そして牛丼にかけるわけだが、ここで重要なのは『具とだけからめる』事。そうしておいて食す訳である。
まず、肉を一切れ、お次は玉ねぎ、少しツユを吸ったご飯を試し、そうしておいて肉、玉ねぎ、ご飯が混然一体となった『牛丼』を口の中に流し込むのである。
それぞれを自由に味わえる楽しみ、味の広がり。丼物がこれほど奥の深い食べ物だったとは、実生活でも簡易食のカロリーバーとサプリメントしか口にしないアヤメにとってはカルチャーショックであった。
「この『味わい』と『食感』の調整には苦労したんだ」
ハハハと笑うが並大抵の苦労ではなかったはずだ。生産系廃プレイヤー恐るべしというところか。
気が付けば空の器が目のまえにあるのみ。誰かが食べたのかと思ってしまうほどの一瞬の出来事だった。できることならもう一杯と思ったが、ごちそうになる身。しかもこのクオリティの食事であればさぞや目玉の飛び出す金額に違いないと、丼にくっついたご飯粒を箸でつまんで口に運ぶ。
「相変わらず、美味かったの。ほれ代金じゃ」
ピッと指先に挟まれた紙幣が一枚。それは広場で食べるバーガーのセット2食分と変わらない金額。
「たったそれだけ!?」
アヤメは思わず声を出してしまった。
「そうなんじゃよ。こやつがガンとして受け取りよらんでな」
「こっちは趣味みたいなモンだからな。利益は度外視なのさ」
中の人は技術職なのかもしれない、と思った。
「さてと……お客さんのようじゃの」
食後のお茶をすすりながら小さな噺家が入り口を窺う。
「今日は大繁盛だな」
アヤメのフィールド表示には店内の二人しか存在しない。
「街中で隠蔽スキルってのは穏やかではないな」
「アヤメ。お主、何かやらかしたかの?」
全く身に覚えのないつな魅の問いに、口の中が苦くなる思いだった。
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