牛丼屋はこの世の救世主《メシア》たりうるか
たちばなやしおり
まずい牛丼は玉子とショウガで喰え
およそ生命の危機というものは小さな気の緩みから引き起こされる場合がほとんどであり、根拠もなく大丈夫に違いない、と確信した時ほどその予想は往々にして外れるものだ。人は太古の昔から「幸せになりたい」と願い、そう願った時点で「幸せでない」を強く意識してしまうために「幸せでない」を引き寄せてしまうというある種の呪いと共にあるといっても過言ではない。それは熟練者にも、少し慣れてきた程度の女戦士アヤメであっても平等に、不幸の女神は蔑んだ笑みを振りまくのである。もっとも、ダンジョンの奥深くで思わぬ強敵に遭遇するか、はたまた彼女のように『一番安全であろう街中で空腹によって死にそう』なのか、その状況に張り詰める緊張感は様々であった。
先ほどまであれほど鮮やかに目に映っていたにぎやかな街並みは彼女のステータスと呼応するようにモノクロへと変貌していた。どんよりとしたBGMの風景が90度傾いているのは道端に倒れた状態なのだろう。戦闘中以外でこういう姿勢になることはまずありえないし、そういう意味では貴重な体験をしているな、とあくまで本人は冷静でポジティブであった。
しかし、と現状を見つめてみる。
街などの安全地帯では暴力行為は厳しく制限されており、違反者には様々なペナルティが課せられるため生きているうちは特段の問題はない。ただ、キャラクターの復活に10分ほどかかり、その間はその場に亡骸があり続けるという「ハイエナ行為(死亡したキャラクターの装備などを取得すること)」推奨の状況だけが彼女に重くのしかかっている。
「あー、私のビキニ……。辛いわー」
荒野を彷徨うこと約半年。スペースセンザンコウに紛れて稀に出てくるオオスペースセンザンコウの鱗で作られた山吹色に輝くビキニアーマーは彼女が寝食を犠牲にして1000時間以上を費やした文字通り「汗と涙の結晶」。これを誰かに持っていかれるのかと思うと、さらにはオークションなどで高値で取引されるのを見るなど拷問に等しい。わが身はともかく、人に奪われるくらいなら残された力をすべて振り絞って投擲爆弾でアーマーごと自害したほうがマシかもしれない、いやさ、この期に及んではそれしかない。
やっとの思いでアイテム・ポーチを開いたところで……。
「お主、大丈夫かの?」
女の子の声だった。
『時は未来、舞台は地球に似た惑星ノスタルジア。魔法と機械文明が等しく発達したこの星で新たな物語が今はじまる!光線銃とファイアボールをかいくぐり、ワイバーンで空を駆け、ホバーバイクで荒野を進め!誰も踏み入ったことのない遺跡でお宝を手に入れるのは誰だ!?』
なんとも風変りな煽り文句でサービスを開始した多人数参加型オンラインVRRPG「ノスタルジア」は、しかしその出オチにも近い広告と前評判とは裏腹に、サービス開始から10年以上たった今でも比較的高い人気を誇っていた。
探索者(セイヴァー)と呼ばれるプレイヤーたちは、様々なスキルを獲得して新しい職業を作り、未到達地域のモンスターたちを打倒して財宝を手に入れる。荒野を開拓して領地を得た者は領主からやがては一国の王への道を歩き始める。さらには動画投稿サイトへのアップロードやゲーム内オークションなど、実際に収益が発生する仕組みを利用することもでき、この世界の活動のみで生計を立てている「移住者(シチズン)」と呼ばれる上級者プレイヤーたちは羨望と敬意、それに勝るやっかみの対象として憧れの存在であった。
もっとも、金銭に絡むゲームであるがゆえに明るい話題だけで終わるはずもなく、雇用状況の不安定な世情を反映したかのような悪意ある政治的、宗教的な集団も散見されているのも事実であり、不透明な資金の流れやなりすまし、アカウントの乗っ取りなどの問題はあるにせよ、世間を驚かせるほどの騒ぎにまでは至っていなかった。そのぎりぎりのリアルさも相まって若者とその昔にリアルで満喫できなかった中年層を軸に多くのプレイヤーたちが「合法の無法者集団」としてもう一つの現実を謳歌していた。
「まさか行き倒れとはのぉ。ワシも長いことやっとるが初めてじゃわ」
空色の長い髪が印象的な少女に携帯食を分けてもらい身動きができるようになったアヤメは誘われるまま後をついて街を行く。髪と同じ色の羽織姿に銀の総と白足袋草履、紺唐草の巾着を振り回しながらズンズン進んでいく。彼女自身も小柄な身長設定にしているが、前を行く少女はさらに頭ふたつほど低い。小脇に抱えてわしゃわしゃしたい衝動をグッと抑えながら、
「お恥ずかしい……」
流水亭つな魅と名乗った少女は「噺家」という耳慣れない職業だった。wikiで調べてみると世界プレイ人口数百万人中50人ほどが確認されているレア職業で「役者」や「弁士」のように対人交渉術や人心掌握術が得意な場合が多いとのこと。膨大な経験ポイントを消費したであろう事は容易に想像がつく。
ふいに出会ってしまった上級探索者に思わず背筋が伸びる。
「どこまで行くんですか?」
「なに、飯を食わしてやろうと思ってな……この奥じゃ」
と行き止まりの白壁を指さした。
「ん???」
「はははっ、良いリアクションじゃ。さ、行くぞ。」
とアヤメの手を引いて『壁の中へと』進んでいく。
「え? ちょっ! えーーー!?」
突然、視界が真っ暗になる。位置情報的には前進しているようだった。しばらくの暗闇。視界が戻り目に入ったのは四角いコンクリート造りの建物。ハイビスカスの生垣に三線の音色が流れてくる入り口には暖簾がかかり、建物の上部には直接塗料で『牛丼・たつの家』と書いてあった。
「へ?」
えーっと、剣と魔法と光線銃のSFでファンタジーな世界で、牛丼? のじゃっ娘の噺家が着物を着てて、沖縄の年季の入った定食屋みたいな店構えの、その牛丼屋に連れていかれる私? 何このアウェイ感。ここでこの格好してたらタダの痴女ではないか……情報量が多すぎて処理が追い付かない。
「何をぼーっとしておる。入るぞ」
空色の噺家は「並ふたつじゃぁ」と叫びながら店内へと入っていった。
「ま、まってくださいー」
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