第10話 魔物使いの正体
サラマンダーが吐き出した巨大な炎が、フローストに着弾する。と同時に、氷の体が爆散した。
イリアとアリエス。そして、危機一髪でフローストから距離を取り、乱れた息を整えているマルス。三人は、呆然とした表情で空を見上げていた。キラキラと煌めく氷の粒が、静かに舞い降りる中で。
「……死んじゃった、の……?」
『いや、まだだ』
アリエスの震える声を制したサラマンダーは、警戒心を向けたまま。
次の瞬間、イリアとマルスは、ほぼ同時に息を呑む。よく見れば、氷の粒が一か所に集まるように舞っていたのだ。
粒はいつしか拳大になり、頭、胴体、大人の身長程度――と、どんどん大きくなっていく。比例して、三人の警戒心も高まっていった。
そうして見る見るうちに、フローストは元の大きさに戻ってしまった。
「え? え!? どういうことなの!?」
『簡単なこと。この山の雪は全て奴の一部。聖獣とはそういうものだ』
「そんな……。それじゃあ、キリがないじゃないっ!」
「エリックが術者を倒すまで、凌ぐしかないようね……」
剣を構えたイリアは、チラリと後ろに視線をやった。ルイファスを治療するカミエル。そして、狼の魔物から二人を守る、ティナの姿。
「ルイファスのことはカミエルとティナに任せて、私たちはフローストに集中しましょう!」
イリアの言葉を聞き終える前に、先手必勝とばかりにマルスが動く。
斬り付けられたフローストは、耳をつんざく咆哮を上げ、攻撃を飛ばしてきた。
イリアもまた、背中にいるアリエスを守るように迎え討つ。
だが、フローストの猛攻は、サラマンダー攻撃前の比ではない。目に見えて押されている。
「お願い、サラマンダー! イリアとマルスを助けて!」
『承知した』
マルスの攻撃の隙を突くように、サラマンダーは火炎弾を飛ばした。
攻撃は、氷の体を容赦なく溶かしていく。流石のフローストも、回復が間に合わないようだ。徐々にこちらが押している。
不意に、サラマンダーが吐き捨てた。
『それにしても、先程から何なんだ。この耳障りな音は。辺りの魔物まで音に当てられているぞ』
「魔物を操る耳障りな音と、聖獣を操る程の大規模な術……っ、まさか!」
イリアは、勢いよく空を仰ぐ。だがそこには、灰色の雲が垂れ込めているだけだった。
「白いドラゴンを連れていないとは、珍しいこともあるものだな。シュシュリー」
桃色の髪を靡かせる彼女の背後に立ち、エリックは剣を向けた。彼の視線は鋭く、些細な動きも見逃すまいとしている。
崖下を見つめ、横笛を吹いていた彼女は、ゆっくりと振り返った。
「シロちゃんは繊細な子なの。……何回も転移させたら可哀想じゃない」
苛立ちを隠すことのない彼女の言葉に、エリックは目を細める。
(なるほど……『ここには連れて来られない』という訳か)
純粋に力の差を比較した時、彼女が連れているドラゴンは、一国が持つ全ての戦力を投じて倒せるかどうか、といったところだ。正面から向かっても勝ち目はない。
頭の片隅で攻略法を思案していたところで、思わぬ情報を得た。自然と口元が緩む。
それを見た彼女が、不快そうに顔を歪めた、次の瞬間。ぐらりと体を揺らし、雪に膝を着けた。
「フローストに加え、周囲にいた魔物も操ったんだ。流石のお前も魔力切れのようだな」
嘲笑交じりの、冷たい声。それを受ける彼女は、息を切らしながら睨み付けるばかり。
そして彼は続ける。
「だが、愚かだな。お前には直接戦う術が無いのだから、素直にドラゴンに乗って上空から操っていれば、こうして自分の身を危険に晒すこともなかったというのに……」
「危険? ハッ、馬鹿言わないで。アンタに何が出来るってのよ。影を追い掛けることしか脳がない、ブラコン男が」
「黙れっ!」
エリックは憎悪に顔を歪ませ、激情に駆られるまま、シュシュリーの胸を貫いた。
(ようやく、一人……兄さんの仇が取れた)
刹那、崖下から爆発音が響き、思考が現実に引き戻される。少し遅れて、魔力の衝撃波が襲い掛かってきた。
「くっ……一体、何が……!」
剣を引き抜いて崖の縁に駆け寄るなり、視線の先の光景に息を詰まらせた。
胸が抉られたフローストが、ゆっくりと仰向けに倒れる。その前方には、イリアたちが倒れていた。そしてサラマンダーは、徐々に姿を消している。
その時、彼の頭に女性の顔が浮かんだ。艶やかな長い金髪を風に靡かせ、悲しそうに笑う顔。
(早く、戻らなければ……っ!)
動揺で息を震わせながら、エリックは急いで踵を返した。
だが、地を這うように響く笑い声に思わず足を止め、目を見開かせる。
(馬鹿な……そんな馬鹿な!? 俺は確かに、奴の心臓を貫いたはずだ!)
だが、シュシュリーは笑っている。先程までの低い笑いが、天を突くような高笑いに変わった。
「人の体を弄ぶとか……やってくれるじゃない。本当、人を苛つかせることしかしないんだから……。まあいいわ」
彼女は、口から血を流しながらもニヤリと笑い、ふらふらと立ち上がる。そして、ゆっくりと塞がっていく傷口に手をやった。
「ほら……また刺してみなさいよ。その代わり、あの雪だるま。アンタが攻撃した場所と同じところが爆発するわよ。そういう仕掛けをしたの」
エリックは奥歯を噛み締め、鋭く睨み付ける。だが、指一本、動かそうとしない。
数分程の膠着状態。
「へぇ……攻撃しないんだ?」
彼の苦虫を噛み潰したような顔を前に、シュシュリーは目を見張った。ニタリと笑みを深める。
だが、次の瞬間。力が抜けたように、再び膝から崩れ落ちた。
「……流石に、ここまでのようね。今回は引いてあげる。その様を、指を咥えて見ていることね」
不意に、彼女を取り囲むように空間が揺れる。歪みが体を覆うまでに大きくなると、瞬きをする間に姿が消えていた。つむじ風だけを残して。
エリックは悔しそうに顔を歪ませたまま、拳を強く握り締める。
だが、次の瞬間。背後の変化に気付き、振り返った。
彼が見たものは、イリアたちを守るような黄金の光。力強く、温かく、優しい輝き。
「あれが、指輪に宿る魔力の光……」
彼の胸がきつく締め付けられる。苦しみのあまり、息も出来ない。いつしか、胸に手を押し付けていた。
しばらくして、今にも泣き出しそうな子供の顔で、彼は踵を返す。
そうして辺りには、誰もいなくなる。一陣のつむじ風だけが、寂しそうに吹き抜けるだけだった。
皆を包んでいた光が消えると、イリアはおもむろに起き上がった。
「何があったの……?」
頭がふらふらして思考が落ち着かないが、状況を整理すべく、ゆっくりと記憶を辿り始める。
フローストと戦っていた最中、胸の辺りが爆発した瞬間、魔力の衝撃波に吹き飛ばされ――意識を失っていたのか、そこから先の記憶が無い。
前方を見れば、フローストが倒れていた。後方には、カミエルがルイファスに折り重なるように倒れている。
そしてさらに、辺りの気配を探る。魔物の気配はどこにも無い。感じられるのは、平穏な空気ばかり。
彼女はホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、難しそうな顔をした。
(でも、聖獣や魔物を同時に操るなんて、何者だったのかしら。上空に白いドラゴンはいなかったけど、ここまで大規模な術を使うなんて、奴等以外に考え難い。でも、もしそうなら……)
ヘレナ失踪の手掛かりとして捕らえたかった魔物使いは、エリックの手によって、倒されてしまったことになる。
(残念だけど、仕方がないわ。今回はそれが最善だったんだもの。……でも、奴等の仲間は他にもいる)
テルティスで、あと一歩のところまで追い詰めるも逃げられ、エリュシェリン王国で再度の戦いを挑んできた剣士。あの執念深い性格を考えれば、あちらから攻撃を仕掛けてくる可能性は十分にある。
(もっと鍛錬を積んで、今度こそ奴を捕らえてみせる!)
イリアが気を取り直していた、その間。次々と仲間たちの意識が戻る。それはルイファスも同じだった。
「ルイス様ああああぁぁぁ!!」
泣きながら抱き付くアリエスに、彼はたたらを踏む。そして、フローストを警戒するマルスを残し、駆け寄ってくるイリアたちを前に、目を伏せた。
「すまない……油断していた」
「そんなことよりも、痛みはありますか? 苦しいところはありますか? どんなに小さな違和感でも構いませんので、教えてください!」
カミエルは、真剣な眼差しを向ける。先程まで彼は、瀕死の重傷を負っていた。それに加え、感情的な面を全く見せなかった彼が、治療中に涙していたのだ。神経質になるのも無理はない。
それをぼんやりと見下ろしていたルイファスは、ゆるゆると首を振った。
「いや、大丈夫だ。だが、お前たちが旅に出たいと言ってきた時の、俺の言葉。訂正しないといけないな」
「……ルイファスさん?」
彼の声が、やけに弱々しい。発する空気もいつもと違う印象を与え、気に掛かって仕方がない。
それはイリアも感じていた。彼女が口を開きかけた、その時。
「皆さん、ご無事ですか?」
森の中から、エリックが駆け寄ってきた。
「ええ、大丈夫。全員、無事よ」
イリアが微笑みながら頷くと、彼もまた、表情を柔らげる。
「エリックが、フローストや魔物を操っていた術者を倒したおかげよ!」
「え? フローストや魔物が操られていたって、どういうこと?」
『ううん……』
ティナとフローストの声が重なる。
全員の視線がフローストに注がれる中、ピクリと腕が動いた。短い手足を懸命に動かしながら、巨体を起こそうとしている。
それを見たマルスの空気が、俄に張り詰められた。
「マルス! 剣を下げていいわよ。もう襲ってこないから」
アリエスはマルスを制すると、フローストの足元に歩み寄った。
起き上がったフローストは、申し訳なさそうに背中を丸め、体を小さくさせている。狂気が消えた青い目は、彼女たちの様子を伺うような、上目遣いを見せていた。
『あの……そのぅ……。……ごめんなさい』
「ううん、いいの。無理矢理操られて、苦しかったわよね……。でも、もう大丈夫よ!」
『ありがとう。君たちは僕の恩人だ。全力で協力するよ! さあ、契約を』
アリエスは大きく頷き、フローストに向かって手を突き出した。
「我、召喚師アリエス=エレメルト=サモネシアが命じる。氷の聖獣フロースト。汝の力、我に託せ」
アルテミスの時と同様に、彼女の声に呼応するかのように、フローストの体から空色の光が放たれる。光は一つに集まっていき、突き出されたアリエスの手の中に溶け込んでいった。
光が消え、手を下げた彼女は、ずっと疑問に思っていたことを口にする。
「ところで、あなたを操っていた奴って、何者なの?」
『……分からない。エルフに近いと思うんだけど、それもちょっと違うような……。でも、純粋な人間でないことは確かだ』
エルフ――精霊に近い身体的特徴を持ち、マナが見える程に魔術に秀でた種族だ。しかし、千年前の古の大戦時には既に、絶滅していたとされている。
情報収集の難易度で言えば、アイラが探している、空間の歪みによる転移術を遥かに上回る。
(ガルデラ神殿の襲撃犯……奴等は一体、何者なの……!?)
敵との距離は、一向に縮まらない。それどころか、情報を得て近付く度に、さらに遠ざかっているようにも感じる。
一寸先も見えない霧の深さに、イリアは愕然としていた。
ドーム上の高い屋根の下、鬱蒼と木々が生い茂る。透明な天井から差す木漏れ日の中、シュシュリーは幹にもたれ掛かる。
そして、浅い息を繰り返す様を、白いドラゴンは心配そうに見つめていた。
「優しい子ね……シロちゃんは」
ドラゴンが小さく喉を鳴らした、その時。彼女の周りで風が舞い、途端に顔を歪めた。
「あっちに行きなさい。半端者と一緒にいて、仲間外れにされても知らないわよ」
邪険そうに何度も手を払うも、風はその場に留まるばかり。彼女は諦めたように、深いため息を吐いた。
「全く、しょうがないわね……。本当に知らないから」
素っ気ない言葉で突き放した彼女は、右肩で舞う風を無視し、静かに目を閉じる。認めたくないが、今は動くのも怠い。
葉が揺れる音だけが流れる空間。自然に溶け込むような感覚が、とても心地良い。時間が経つのを忘れてしまう。
不意に、ドラゴンの鳴き声が響く。何かを訴えるような声だ。
おもむろに目を開けた彼女は、首を傾げた。
「どうしたの、シロちゃん。え? 耳? 耳が何――」
彼女は自分の耳を触るなり、またため息。
「……なるほど。コレを隠す魔力も残ってないのね」
エルフの特徴である、先の尖った長い耳。自分が普通の人間だったなら、こんな忌々しい体になど、なっていなかったかもしれない。そんな風に思うと、この体はもちろん、エルフの存在自体にも、憎らしさが募っていく。
沸々と芽生える攻撃的な感情は、先程の戦闘にも波及していった。
(それにしても、アイツ等。本当にしぶといったらないわ。ちっぽけな人間の分際で、生意気なのよ)
ギリギリのところで、聖獣の攻撃を凌いでいたのだから。あと一歩が押せない苛立ちから頭に血が昇り、無理を承知で辺りにいた魔物をも操ったものの、後少しのところで形勢が逆転してしまった。
それもこれも、と彼女が続けようとした、その時。はたと動きを止める。
(そうよ、あの光……。あそこから、あの女の魔力を感じた。ただの人間に、あそこまでの力があるというの?)
不信感が募る。だが何故か、第六感が待ったを掛ける。
(あの女……エレナ=クラウン。心の底から邪魔なんだけど、消すともっと面倒なことになる……そんな気がする。奴を消さずに、排除する方法は無いの……?)
まどろっこしさに、苛立ちが増していく。
その時、草を踏み分ける音が届いた。音はこちらに近付いてくる。今、最も会いたくない男が近付いてくる。
「なんだ、中庭にいたのかい? ルーシェルが呼んでるよ」
セバスチャンだ。薄い笑みを貼り付け、腹に一物を抱えるような顔が、彼女の神経を逆撫でする。
ふと、彼は何かに気付き、視線を留めた。
「胸を刺されたように服が破れてるね。心臓の辺りだ。誰かに攻撃されたのかい?」
「……うるさい」
「大方、あの御曹司ってところだろう。でも、君は無事だった。『実験』は成功だったってことか」
「うるさいうるさいうるさいっ!!」
胸倉を掴んで殴ってやりたいが、そんな体力は残っていない。仇を見るように睨み付けるのが、関の山。
セバスチャンもそれを察したのか、さらに笑みを深めた。
「何を怒ってるんだい? 今回は、そこのドラゴンに、君の心臓を移植しただけじゃないか。僕は魔力についての仮説が立証出来たし、君はドラゴンとずっと一緒だ。ウィンウィンだろう?」
シュシュリーは息を呑み、目を剥いた。一瞬のうちに沸騰する憎悪が、理性を掻き消していく。
「ふざけるなっ!!」
怒りと絶望。感情が昂ぶるあまり、いつしか、目からは大粒の涙が溢れ出ていた。
光の差す方へ 〜古の巫女と伝説の島〜 藤道 誠 @makoto_f_hikari
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