第17話 王の器

「……ハミルトン団長」


 ノエルの執務室から出てしばらくの後、ブライトの副官がおもむろに声を掛ける。暗く言い淀むその様子は、ブライトに対して少なからず反論を抱いている証拠。


「何だ? 言いたいことがあるなら言ってみろ」

「はい……あの、アリエス王女のことですが……この時期に城へ招くのは、いかがなものかと……」


 副官の懸念は、サモネシア王国との関係。ロバート王殺害の件で、サモネシア王国に対して不穏な発言をする者も多い。そんな時に偶然とはいえ、この国を訪れていた王女を城へ招き入れたのだ。早まったことをする者も無いとは限らない。

 不意に、ブライトの足が止まる。それにつられる副官。ブライトは振り返り、口元を引き上げた。


「だからこそ、だ。確かに、紋章のことは俺も気に掛かる。だが、この目で見た事実は変わらない。……そういえば、クロムウェル聖騎士団長もいたな。王女と行動を共にしている理由は知らんがな」

「え……まさか、神騎士団のグレイシス副団長たちが来ていることも利用して……? 団長、それはやり過ぎですよ」


 創造神である八柱の神を崇め、その象徴である光の巫女を信仰の拠り所とするガルデラ神殿。サモネシア王国ではまだ少数だが、その信徒は世界中に広がっている。もちろんエリュシェリン王国でも、彼等の存在は無視出来ない。

 その総本山である聖都テルティスが何者かに襲撃され、光の巫女が行方不明になって数ヶ月。犯人もまだ捕まっていないことで人々の不安は日増しに募り、神殿の一日も早い復興を願うのは当然の流れだ。

 それなのに、アリエスと共にイリアさえも城に留めさせるようなことになれば、どうなるか。テルティスとの同盟関係も危うくなり、サモネシア王国とテルティスで挟み撃ちになるとも限らない。

 そうかといって、曖昧な態度を取ったり、対外的な対応を重視すれば、瞬く間に城内に不満や不信が広まる。これはどちらに転んでもいけない、危うい綱渡り。


「お前は慎重なのは良いが、度が過ぎると臆病と言われるぞ。そもそも、争いの火種を蒔いたのは誰だ? 次期国王があんな甘い考えなど……俺は認めない」


 頑なに戦争を否定するノエル。それは言い換えれば、戦いの中に身を置く騎士としての誇り、延いては存在意義を否定することに繋がる。そして、世界一の軍事国家であるエリュシェリン王国そのものの否定にもなりかねない。

 不敵な笑みは一転、苦虫を噛み潰したような顔をするブライト。その横顔を、副官はじっと見つめていた。




「どうやら、私とハミルトン騎士団長とでは、考え方が根本から違うらしいね」


 薄いクリーム色を基調とした壁が続く廊下に、二人分の靴音が響く。応接間に向かうノエルと、彼の半歩後ろを歩くトーマスだ。

 だが、ノエルの足取りはどこか重い。それを表すかのように、疲労と苦笑が混ざり合ったような、複雑な表情をしていた。

 そんな主の表情を声から察し、トーマスは眉間にしわを寄せた。


「そしておそらく、国王代理であるノエル様を試しているのでしょう。まったく、独断専行もいいところです」

「いや、それはいいんだ。息子とはいえ、急に現れた余所者が国王代理として全権を預かるんだからね。不満が出るのも無理はない。……だが、これは難問だね」


 「さて、どうしたものか……」と、ノエルはため息交じりに呟く。そして僅かに目を伏せながら、執務室で交わされた言葉を思い返していた。


「何だって? サモネシア王国のアリエス王女がここに?」

「はい。せっかく王都までいらしたなら、是非ノエル様にも会っていただきたい、とご案内致しました。王女と同行していた、クロムウェル聖騎士団長もご一緒に」


 執務中にいつも身に着けている眼鏡を外し、机の向こう側に立つブライトを見据えるノエル。その視線の先、ブライトの表情は、微かに笑みを浮かべている。好戦的で、挑発に乗るように誘う目だ。

 ブライトから報告を受け、思案に沈んでいたノエル。しばらくして、彼は机に備え付けられた引き出しに眼鏡を仕舞う。そしておもむろに席を立った。


「ならば、お客様に挨拶をして来ようか。お待たせしては失礼だからね」


 「お客様」と語調を強めたのは、ノエルなりの反論と抗議。彼はブライトと視線を合わせず、静かに執務室を後にしたのだった。

 伏せていた目を上げ、応接間の扉を見据える。距離は、およそ数十メートル。あの扉の中には、今や微妙な関係に戻りつつある国の次期女王がいる。


「ノエル様、どうなさいました? 急に足を止められて……」

「トーマス……エリュシェリン王国は、世界一の軍事国家だ。その地位は、代々の王たちが築いてきたもの。そうだよね?」

「左様でございます」

「私は、軍事力は外に向けるのではなく、国内の秩序と治安の安定にこそ向けるべき、と思っているんだ。……だけど、それを捻じ曲げる力が働いている。誰かがこの世界を戦乱に導こうとしている……そんな気がしてならないんだ」


 その瞳に鋼よりも固い意思を携え、真っ直ぐに前を見据えるノエル。そうした呟きは独り言のように、だが、誰かに誓いを立てるように。紡がれる言葉の一つ一つが、二人の心の中に降り積もって行く。


(少し前までは、この人は国王として国を治めていけるのか、と思っていましたが……)


 ノエルは治世者としては年若く、その手腕もまだまだ未熟だ。だが、素質はある。その彼を導く役目を担った老年の大臣は、小さく笑みを浮かべた。


「その『誰か』が陛下を殺害した犯人集団だ、と……そう思っておいでなんですね」

「ああ。まんまと罠に嵌って踊らされては、彼等の思う壺だ。それは避けなければならない。だけど……」

「ハミルトン騎士団長ですね。こればかりは、根気良く話し合うしかないでしょうな。そうすれば自ずと、妥協点も見えてくるというもの。……今は亡き陛下と私が、かつてそうであったかのように」

「父上と、トーマスのように……?」

「そうです。私と陛下も、昔は顔を合わせる度に、互いの意見を議論したものです。ですが、間違っても、意見の反する者を排除なさらないよう。自分の意見を押し通すだけでは、良き王にはなれません」

「分かった。肝に銘じておくよ」


 互いに揺ぎ無い信頼で結ばれていた二人。だからきっと、最初から気が合う者同士だと思っていた。だがその絆は、長い時間の中で積み上げられきたものだった。

 そんな彼等の過去を垣間見て、ノエルは自然と笑みを浮かべていた。




 エリックから告げられた言葉の真意を聞き、ルイファスは顔をしかめる。言ってみれば、自分たちの存在を利用されたも同然なのだから。アリエスがイリアと行動を共にしているから、王都の市民であるティナ、そしてガルデラ神殿の神官であるカミエルがいるから、エリュシェリン王国側も不用意に手は出してこない、と。


「……良い性格してるよ、お前は」

「それはどうも。お褒め言葉として受け取っておきますよ」


 エリックがにっこりと微笑んだ、その時。応接間にノックが響いた。それから間もなく、開かれた扉の向こうに立っていたのは、ノエルとトーマス。

 そしてノエルは、アリエスの目の前に歩み寄ると、深いお辞儀をして見せた。


「お初にお目に掛かります。エリュシェリン王国第一位王位継承者、ノエル=エスト=ディン=ブレジアと申します」

「サモネシア王国第一位王位継承者、アリエス=エレメルト=サモネシアです。ノエル様にお会い出来て光栄ですわ」


 アリエスはサリーの裾を軽く上げ、お辞儀を返す。そこには、先程までの不機嫌さ満開の表情は無い。小首を傾げ、可愛らしく微笑んでいた。

 次にノエルは、イリアと握手を交わす。そして、ルイファスやエリックたちにも微笑みかけた。


「遠路はるばる、ようこそお出でくださいました。私は貴女方を歓迎致します。ですが、城内はこんな慌ただしい状況で……見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ありません」

「いいえ。ロバート様が亡くなられたと聞いて心を痛めておりますわ」

「お心遣い、感謝申し上げます。そういえば、王都にはいついらしたんです? アリエス様がいらっしゃると分かっていれば、オルケニアまでお迎えに上がりましたのに」

「イリアの用件で、本日到着したのです。今は彼女たちと一緒に旅をしているものですから」

「そうでしたか。それでは皆様、長旅でさぞお疲れでしょう。この城内に滞在する間くらいは、客間でゆっくりとおくつろぎ下さい。出来る限りのおもてなしをさせていただきます」


 短く挨拶を済ませ、ノエルたちは踵を返す。そして、足を踏み出そうとした、その瞬間。彼は何かを思い出したように、イリアの方を振り返った。


「そういえば、先王の申し出により、一連の事件について神騎士団と合同捜査を敷いています。明日にでも対策室へご案内致します」

「神騎士団と……?」


 思ってもみなかった展開に、イリアは軽く目を見開く。その顔は驚きと言うよりも、久しぶりに友人に会うような、嬉しそうな雰囲気だ。

 だが次の瞬間、ハッと我に返り、「ありがとうございます、ノエル様」と微笑む。そしてノエルもまた、小さく笑みを零したのだった。




 ノエルと入れ替わりになるように入って来たメイドに案内され、それぞれの客間へと案内される。だがエリックは彼女に、未使用の客間一室を借りる旨を申し出たのだった。彼女の手前、露骨に嫌な顔は出来ないが、それでも僅かに頬を引き攣らせたアリエスを尻目に。

 そして、現在。煌びやかなシャンデリアと、クイーンサイズのベッドが一つ。そして、センスの良いアンティークに囲まれたこの部屋に、アリエスとエリックが机を挟んで面と向かっていた。


「……で、どうして着いて早々、お勉強なのよ」

「こうしてまとまった時間が取れたのは久しぶりなもので。王都滞在中は、今までの分もしっかりと勉強していただきます」

「ええー、そんなぁー……」


 机に広げられた教本やノートの上に腕を組み、アリエスは顔を埋める。そんな態度からは、やる気なんて全く感じられない。


「アリエス様、背筋をしっかり伸ばして、勉強に集中してください」

「エリック、明日からじゃダメ?」

「いけません」


 アリエスのおねだりを、真正面から叩き斬る。その声も、幾分か険しさを増している。

 だがそれでも、彼女の態度は変わらない。エリックを軽く睨み、不満そうに頬を膨らませている。そして、ふい、と顔を背けた。


(イリアさんたちと一緒に旅をするようになって、アリエス様の勉強嫌いがさらに酷くなったな)


 今まで彼女の周りにいなかった、年の近い同性の仲間。そして、熱烈に好意を寄せる男性。この二つを同時に得たことで、多感な少女の勉学に対する集中力は、ものの見事に分散されている。

 だが、このままではいけない。まだ遊び盛りな少女とはいえ、アリエスはサモネシア王国の次期女王。学ぶべき事は山程あり、時間などいくらあっても足りない。またその自覚は、「お目付け役に言われたから芽生えた」ではなく、「自分の内から湧き上がって」もらわねばならないのだ。


「アリエス様」


 いつもより険しいエリックの声に、アリエスは視線を戻す。すると、怖いくらい真剣な彼の瞳が彼女を捉えていた。

 今まで彼から注意されることはよくあった。だが、この息苦しい雰囲気は、今まで感じたことが無い。内心で動揺し、時間の感覚すら捻じ曲げてしまいそうな空気の中、エリックは重い口を開いた。


「アリエス様は、サモネシア王国のことはお好きですか?」

「もちろん好きよ。大好き。だって、あたしが生まれた国だもの」

「では、その国の女王になるおつもりはありますか? なりたい、なりたくないではなく、ご自分が全ての責任を持ち、国を治めていく覚悟はありますか?」

「それは……」


 エリックの問いに、アリエスの言葉が詰まる。ディオ王の娘だから、彼の子供は彼女一人だけだから、自然の流れで王位に就くものだと思っていた。そこに、アリエス本人の意思は無かったのだ。

 だが、改めて問われ、考えてみる。「女王になる」とはどういうことか、と。だが、一向に答えが出てこない。


「『王とは人の上に立つ者ではない。人の前に立って彼等を導く者だ』……私が最初に言った言葉ですが、アリエス様はこの意味を考えたことがありますか?」


 やはり、アリエスには答えることが出来なかった。重苦しい沈黙を裂くように、エリックは続ける。


「確かに、今のアリエス様のままでも、女王になることは可能です。ですが、それは女王ではない。ただの独裁者です。その先には王国の滅亡しかない」

「っ、それはイヤ! 絶対にイヤよっ!」

「でしたら、これは宿題です。『良き王とは何か』……王都を発つ日、同じ質問をします。それまでに、私を納得させる答えを用意してください」

「じゃあ、それまでに答えが出せなかったら……?」

「それまでにアリエス様が変わらなければ、私から教えることは何もありません。女王の適正無しと見なし、聖獣との契約も解消した上で、首都テーゼへ戻っていただきます。もちろん、イリアさんたちとはこの王都で別れることになります」

「そんな……」


 長年の夢だった、グリンフィスとの契約を果たしたい。広い世界で旅をしたい。イリアたちと一緒にいたい。そう思っているのに、エリックが出した宿題の答えは、深い霧の中。どこへ向けて歩いていいかも分からない。

 肩を落とし、俯くアリエス。俯いた顔はみるみるうちに歪み、ルビーレッドの瞳が大きく揺れる。間もなくして溢れ出した滴は頬を伝うことなく、膝の上で握り締めた手の甲にぽつぽつと落ちて行く。と同時に嗚咽が漏れ、肩が小刻みに震え始めた。

 ただでさえ心細いところに、部屋を包む静寂が耐え難い孤独感となり、心を圧迫する。光に溢れているはずの絢爛な客間が、闇に支配された監獄であるかのようだ。それら負の感情が、アリエスをじわりじわりと苦しめる。

 だがエリックは、そんな彼女に手を差し伸べることは無かった。泣いている姿をじっと見つめるだけで。そしてしばらくして、重々しい扉を開くように、真一文字に引いた口からゆっくりと声が上がった。


「今日はこれで失礼します。明日以降は勉強の時間は設けませんから、そのおつもりで」


 教本などを消すと、エリックは席を立つ。そして、最後にもう一度アリエスを見つめ、静かに部屋を後にした。

 ついに独りぼっちとなった客間に、扉の閉まる音がやけに大きく響く。だが彼女は、その音に顔を上げることが出来なかった。

 ぐちゃぐちゃに歪んだ酷い顔に、涙が滝のように流れていることもある。だがそれよりも、エリックの言動が心に深く突き刺さり、前を向こうという気持ちすら忘れていた。

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