第16話 十年目の真実

「……ちょっと待てよ。そこ、おかしくねぇか?」


 マルスの声にハッとしたカミエルとティナの視線が集うも、マルスは怪訝そうに眉をひそめるばかり。イリアとルイファス、そしてエリックも同様の表情を浮かべている。


「え、どこがおかしいの?」

「アリエス様は、当たり前過ぎて気にも留めていないかもしれませんが、何故、常に城内に騎士が配備されていると思いますか?」

「えっと……お父様やあたしたちを守ってくれてるのよね?」

「その通りです。だから、おかしいんですよ」


 分かったような、分からないような。アリエスは曖昧な表情を浮かべる。そんな彼女に、マルスは大袈裟にため息を吐いた。


「ったく……本当にお気楽能天気娘だな、お前は」

「何ですって!?」

「アリエス、落ち着いて。エリックの言いたいことは、こういうことよ」


 思わず苦笑を浮かべるイリア。相変わらず挑発的なマルスの態度と、その挑発に噛み付くアリエスに対して。そして、諭すように口を開いた。


「アリエスが言ったように、私たち騎士は国の要人を守るのも任務の一つなの。そして、事件が起きた時間は深夜。城内の警備は、昼間よりも警戒していたはずよ」

「ちょっと待ってください! 不審な二人組は回廊で密談をしていた、と言いましたよね? イリアさんの言葉からすると、その二人組の行動は……」


 この瞬間、嫌でも理解出来てしまった。ヒースやイリアたちの言わんとしていることが。

 酷く困惑したように声を上げるカミエルに、イリアは静かに頷いた。


「闇に紛れているとはいえ、人目に付く可能性は否定出来ない。そして、もしも侵入したことに気付かれた場合、それは任務の失敗を意味するわ。だから行動は迅速に、かつ慎重でなければならないのに、彼等の行動はその鉄則に反しているのよ」

「だがそれも、いつ巡回の騎士が来るか分かっていれば、出来ないことはない。リスクは高いがな」

「それはすなわち、エリュシェリン王国にも怪しい動きをする者がいる可能性がある、ということです」

「え……どういうこと? 何で、自分の国の王様を……?」


 イリアとルイファスに続き、ヒースが結論を述べる。その驚愕の仮説に混乱して震えるティナの声。ヒースは彼女へ視線を送った後、おもむろにイリアとルイファスを振り向いた。


「……っ」


 たったそれだけのことなのに、何故か、言い様のない不安で胸が締め付けられる。そんなイリアを知ってか知らずか、彼は再び口を開いた。


「クーデターでは無いのに、自国の国王を殺害する……確かに、理解し難い行動です。それともう一つ、気掛かりなことがあります。事件が起きたあの日、テルティスから大司教や神騎士団長の一団が、エリュシェリン王国に訪問中でした。彼等の中にその一味がいた可能性も、完全には捨てきれません」

「ヒースさんっ!」

「確かに飛躍した理論です。ですがその後、騎士団長不在の隙を狙ったかのように神殿が襲撃された……あまりにタイミングが良過ぎるんですよ」

「そんな……そんなことって……」


 思わず目が眩む。創造神アンティムに帰依し、その信仰の中心であるガルデラ神殿は、最も尊ぶべきもの。信心深いカミエルにとって、こうした形でテルティスの名を聞くことは、いくらヒースの私見とはいえかなり抵抗がある。

 アリエスに至っては、普段のはつらつとした雰囲気はすっかり影を潜め、顔を青くして隣に立つルイファスの腕にしがみ付いている。もしも家臣たちが裏で残忍な笑みを浮かべていたら、と考えるだけで震えが止まらない。その様子を見るのが忍びなくて、ルイファスは空いた方の手を彼女の頭に軽く乗せた。


「ねえ、イリアはどう思う?」


 意外と精神的に脆いイリアが気に掛かり、ティナは彼女の顔を覗き込む。だがその目は伏せられ、目の前のティナの顔にも気付いていないようだ。

 この時のイリアは襲撃当時の状況が鮮明に蘇り、頭の中を占めていた。

 神殿が襲撃されたあの日。守りの要である結界石が破壊され、操られた魔物が大挙した。その結界石が安置されている隠し部屋は、幾つもの罠が張り巡らされている。その事実を外部の人間が知っているはずがない。それはすなわち、内部の人間が関わっている可能性が極めて高いということだ。

 旅に出た時は、状況から推測した可能性、というだけでしかなかった。だがこうして、第三者にそれを裏付けるような可能性を突き付けられれば、テルティスもサモネシア王国同様、限りなく黒に近付くことになる。

 その時、じっとイリアを見つめていたエリックが、深く息を吐く。その音は部屋に響き渡り、さり気なく部屋の空気を変えようとしているかのようだった。


「……この話はこの辺で止めておきましょうか」

「そうだな。現時点で確かな答えを出すには、情報が少な過ぎる」

「では今度は、十年前の失踪事件のことについて、お話しするとしましょう」


 エリックの言葉にルイファスが賛同し、ヒースは今度はカミエルへと視線を向ける。そしてカミエルは、意を決したように口を開いた。


「当時……ウリオスが失踪した時、目撃情報があったというのは本当なんですか? どれだけ探しても見付からなかったのに、どうして表に出て来なかったんですか?」

「それでも確かに、目撃者はいたんですよ」


 そしてヒースは、静かに語り出した。

 それは、あの日の早朝のこと。ある男は酒場で酒を呑み過ぎ、酔いを覚まそうと王都の市街地を歩いていた。

 その時、向こうの路地を小さな子供が一人、走って行ったのが見えた。その手には、一欠片のパンが握られている。

 不意に、男の眉間にしわが寄る。ここは市街地とはいえ、近くには歓楽街がある。子供が一人で来るような場所では無い。どこの子供だと舌打ちをし、一言注意してやろうと後を追って角を曲がった、その瞬間。


「そこには、一気に酔いが醒めるような光景があったんです」


 何もかもが大きく歪んでいる、という表現が正しいだろうか。地面も、建物も、木も、空も雲も、何もかもがあり得ない形に折り曲げられ、ゆらゆらと不気味に蠢いている。その異様な光景を前にして、すっかり足が竦み、男は進むことも戻ることも出来ないでいた。

 不意に、視線の片隅に先程の子供が映る。子供は怯えたように、だが興味深そうに、じっとその歪みを眺めている。そして、恐る恐る手を伸ばし、歪みに触れたその瞬間。声を上げる間もなく、一気に引き込まれてしまった。そしてしばらくすると、歪みは徐々に矯正されていき、完全に元の街の姿に戻る。と同時につむじ風が吹き、辺りに静寂が訪れた。


「金縛りが解けた男は、慌てて子供のいた場所に向かいましたが、そんな痕跡はどこにも無かったそうです。そしてこの出来事をきっかけに、彼は精神を病んでしまい、王都から姿を消しました。これが十年前の失踪事件の全貌です」

「確か、それ以降も同じ失踪事件が続いてるんだよな? 消えた人間に共通点は無いと聞いたんだが、本当か?」

「本当です。私たちがどれだけ調べても、何も出てこなかったんです」

「ということは、本当に被害者はバラバラなのね……ウリオスさんを探し出すには、空間の歪みの原因を突き止めるしかないようね」

「やっぱり、イリアたちに付いて来て良かったよ! ね、ミック!」

「そうだね」


 顔を輝かせるカミエルとティナを見て、イリアも顔を綻ばせる。

 不意に、ルイファスは何気なく視線を外した。その先にいたのはエリック。だが、穏やかにイリアを見つめる彼の瞳には、表現し難い影が落ちていた。

 その時、ルイファスの視線に気付いたエリックは、彼の方を振り向き、意味ありげに小さく笑うと、再び視線を外した。そんな彼の態度に、ルイファスは怪訝そうに顔をしかめるのだった。




 ヒースに礼を告げ、イリアたちは酒場を出る。これで、ヘレナとウリオスの失踪に関する情報を得る、という目的は達した。そして当初の約束通り、今度はアリエスの目的を手助けする番だ。聖獣グリンフィスの封印を解くためには、聖剣エクスカリバーが必要なのだから。

 だが、そのグリンフィスに辿り着く前に、全ての属性の聖獣と契約しなければならない。その数は五体。聖獣たちの生息場所を考えれば、途方も無い数字だ。


「で、今度はどこへ行くの?」

「北の大陸のアスティリア王国です。オルケニアからシルビス連邦国のブルシィドを経由して、王都の港へ入港する予定です」

「ということは、今度は氷の聖獣のフローストね!」


 次の目的地も決まり、アリエスの士気も上がる。そして大通りに戻り、王都から出ようとした、その時。後ろから男の声が掛かった。


「おや? もしや貴女様は……サモネシア王国のアリエス様ではございませんか?」


 一行が振り返った先にいたのは、背の高い屈強な男。茶色の短髪はさっぱりと刈り上げられ、瞳は同色。腰には剣を携えており、重量のありそうな鎧を身に着けている。また、その鎧の胸にはエリュシェリン王国の紋章が刻まれている。その彼の後ろにも、同じような格好をした男たちが付き従っていた。

 アリエスは咄嗟に、彼等に柔らかな笑みを向けた。


「ええ……確かに、私はサモネシア王国のアリエスです」

「やはりそうでしたか! 申し遅れましたが、私はエリュシェリン王国騎士団団長のブライト=ハミルトンと申します。アリエス様、せっかくこちらまでおいでになったのなら、是非、王城にお立ち寄りください。次期国王であるノエル様も歓迎なさるでしょう」

「ハミルトン騎士団長、お言葉は大変有り難いのですが――」

「アリエス様、せっかくのご厚意です。お受けしましょう」


 断ろうとしたアリエスを遮り、エリックが承諾の返事を促した。意外な返事に、彼を除く全員が、多かれ少なかれ一瞬だけ表情を変える。そしてアリエスは、しばし考えると「そうですね」と微笑んだ。


「では、お言葉に甘えて。ノエル殿下にお目に掛からせていただきますわ。イリア、申し訳ないのだけど、少しだけお時間を頂いてもよろしいかしら?」

「ええ、もちろんです」


 アリエスの口調に合わせ、イリアも異論が無いことを告げる。そしてブライト騎士団長の案内の元、一行はエリュシェリン城へ向けて踵を返したのだった。




 イリアたちはブライトの案内の元、ピリピリとした城内の一角にある応接間に通された。

 廊下の総大理石造りの床が一転、室内はふんわりとした毛並みの絨毯に変わる。部屋の中央に置かれた褐色のテーブルには、白いクロスが敷かれている。その両側には、黒い革のソファが置かれていた。また、室内にはアンティークの振り子時計や、ユグド大陸最高峰のルビオラ山脈を背景にした、エリュシェリン城の絵画が飾られている。

 間も無くしてメイドが紅茶を運び、アリエスの訪問を報告するためにブライトが部屋を後にした数分後。ソファに腰を下ろし、ふんぞり返っていたマルスが、窓際に立って中庭を眺めているエリックを睨み付けた。


「おい、お前。どういうつもりだ。ンなとこで足止め喰らってる場合じゃねぇことぐらい、お前だって分かってんだろ」

「……マルス、仮にもお前は、将来のサモネシア王国騎士団長候補と謳われているんだろう? 今からでも遅くはないから、少しはここを鍛えろ」


 気怠そうに振り返ったエリックは、ため息交じりに人差し指で己の頭を叩く。暗に「お前は馬鹿だ」と貶され、マルスは激昂して立ち上がると、けたたましい声を上げた。


「っ、てめぇ、何様のつもりだ! ああ? 毎度毎度、俺をコケにしやがって……!」

「俺は事実とアドバイスを言ってやったまでだ。たまには頭を使ってやらないと、退化する一方だぞ」


 今となってはお馴染となった、この二人の口論。どこまでも冷静なエリックに対し、どんどん熱くなるマルス。終いには、鬼のような形相でエリックに詰め寄って行った。

 こうなってしまえば、仲裁に入っても逆効果だ。触らぬ神に祟りなし、の精神で離れたところから傍観していたルイファス。だが気が付けば、心の声が呟きとなっていた。


「……よくあの二人をアリエスの護衛に就けたよな、ディオ王は」


 その一言に大きく頷くのは、ティナとアリエス。そして苦笑を浮かべるのは、イリアとカミエル。反応の仕方はどうあれ、皆が皆、同じ思いを抱いていた。

 アリエスの護衛として選ばれたのだから、二人が十分な実力を持っているのは分かる。だが、その二人が一緒になった時に起こる反応の結果が、この険悪な空気。正直なところ、人選ミスではないかと疑ってしまうのだ。

 その時、『ディオ王』の言葉に反応したマルスは、エリックとの口論をそっちのけにルイファスを見る。そして隣に立つ彼を指差し、声を荒げた。


「おい、ちょっと待て! こいつはハナから子守りで来てるが、俺は陛下から実力を認められて来てるんだ! そうでなかったら、誰がこんな子守りなんかするかっ!」

「ちょっと、子守り子守り言わないでよ!」

「アリエス様、ここがどこだかお忘れですか?」


 飛んで来た火の粉が延焼するように、アリエスまで口火を切ろうとした、その瞬間。やはり冷静にエリックが口を挟む。

 すると彼女は、これでもかと渋い顔をしたものの、口から出そうになった言葉を喉の奥に押し込んだ。だが、マルスに対して腹の虫が治まらないのか、未だに彼女の視線は鋭いまま。そしてイリアとカミエルから、紅茶を飲んで少し落ち着くように宥められている。

 エリックはそんなやり取りを意識の片隅で聞きながら、今度はマルスを見据えた。


「マルスも、もう少し大人になったらどうだ。ここはサモネシア王国ではないんだ。少なくとも、他国の要人の元にいる間は身の振る舞い方を考えないと、陛下の顔に泥を塗ることになるぞ」


 その言葉に、マルスもアリエスと同様、渋い顔で押し黙る。口や態度は悪いが、主君であるディオ王には絶対の忠誠を誓っている。そんな彼が、主君の不利益に繋がることを指摘されれば、それ以上は何も言えなくなる。

 そんな彼等の様子に、ルイファスは密かにため息を吐いた。


「だが、マルスじゃないが、何を考えているんだ? こんな時期に、のこのこ城内に入るなんて」

「そうだよ。ヒースさんだって言ってたじゃん。王様が殺された事件で、サモネシア王国が疑われてるって。それに、アタシたちもそうだけど、そっちも早く出発したいんじゃないの?」

「確かにそうですが、このような外交も勉強の一つです。それに今回は、そこまで言う程、長期の滞在にはならないと思いますよ」


 そう言うエリックは、己の考えに余程の自信があるのか、にっこりと笑みを浮かべた。

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