第26話 旅の考古学者

 紫がかった銀髪に、純白のローブ。人で溢れ返る食堂の中で、まるで気配を消しているかのように、ひっそりと食事を取っている。

 その姿に気付くなり、ジャッキーの頭にジュリアの泣き顔が鮮明に蘇った。同時に、彼女に掛ける言葉を見付けられなかった自分に対する、やるせなさも。胸に鈍い痛みが走り、僅かに眉をひそめる。


「おい、ジャッキー。そっち、席空いてるか?」


 ガヤガヤと賑やかな声を突き抜けてきたのは、同僚の問い掛け。息を呑み、彼の方を振り向く。一瞬だけ呆けた顔をすると、何事も無かったように「いや……」と緩やかに首を振った。


「ちょっと遅かったみたいだ。まとまった席は無さそうだな」

「そっかー。なら、しょうがねぇか」


 食事の乗ったトレーを手に取ると、それぞれ空いた席に散って行く。その後ろ姿を見送り、ジャッキーもまた、トレーを手に踵を返した。

 多くの騎士たちと譲り合いながら通路を進む。女性や細身の男性ならば、容易に擦れ違うことが出来るだろう。

 しかしここにいるのは、昼夜を問わず体を鍛えている屈強な男たちばかり。彼等と比較すれば細身な方だが、それでも、通るだけでほぼ塞がってしまう。ようやく目的の席に着いた時には、黒い瞳が彼を捉えていた。


「ここ、いいか?」

「嫌だと言っても座るんだろう?」

「よく分かってるじゃないか」


 軽く笑い、腰を下ろす。短くため息を吐くエドワードと向かい合うようにして。

 ようやく訪れた安息に一息し、周囲に目をやる。そして思わず、苦笑を漏らした。


「にしても、通路が狭過ぎるよな、ここ」

「そうだな。席も近過ぎる」

「でもさ、それが良い具合に働くこともあるよな。俺たちみたいに」

「そうか? 今みたいに勝手に俺の周りに座ってきて、勝手に一人で喋っていただけだろう」

「その割には、席を立たずにいたじゃないか。エドのことだから、本当に嫌なら食事中でも席を変わるだろ?」


 悪戯っぽい笑みに、エドワードは視線もくれずに無言を返す。一見すると、その態度は冷たい。だがジャッキーは、満足気に笑みを深めた。

 エドワードはいつも、肯定も否定もはっきりと口にする。であるにも関わらず、何の言葉も返さず、無反応を示す時。それは、返事をするのも馬鹿らしいと無視をしているか、照れが交じった肯定の印。今回の場合は経験則で後者と判断したのだ。

 笑みを浮かべたまま、燻製肉を口に運ぶ。食事を進めながら、時に話し掛けながら、前に座る親友の顔を観察し始めた。

 彼は微塵も表情を変えることなく、食後のコーヒーを飲んでいる。口数が少なく、感情も滅多に出さない。たまに口を開けば、軽口にも素っ気なく返す。いつもの彼と何ら変わらない。

 その時、彼女の泣き顔が再び頭を過る。


「なあ、エド」


 無意識のうちに声が低くなる。それに反応した黒い瞳が、彼を見つめた。立ち上がろうとする動きを止めて。


「卒業する時、俺たち四人で誓い合ったこと。覚えてる、よな?」


 縋るような目。感情の読み取り難い黒に向けて必死に訴え掛ける。

 だが、それとは裏腹に、エドワードはそっと目を伏せるばかり。些細な言動にまで目を凝らす一分一秒が、徒らに心を刺激する。

 不意に、エドワードは視線を外し、そのまま背を向ける。否定の言葉は無い。安堵が押し寄せ、頬が緩む。


「……そっか。ならいいんだ!」

「もう行くぞ」

「ああ、またな!」


 ニカッと笑うジャッキー。『何年経っても、何があっても、四人の絆は変わらない』同じように彼の心にも根付いているのなら、それでいい。

 そして、エドワードの背中をじっと見つめていた。人混みに隠れて見えなくなるまで。




 耳障りな魔物の雄叫びと、鼻が曲がる悪臭を放つ血溜まり。生理的嫌悪感が心身を蝕み、地面に膝を着く。顔をしかめ、酷い吐き気に手で口を覆った、その瞬間。


「危ないっ!」


 後ろから耳をついたのは、鬼気迫る少女の声。咄嗟にきつく目を閉じる。少し遅れて、鈍い音と潰れたような断末魔。恐る恐る目を開け、振り返った。

 絶命しているのは、熊のような大型の魔物。その向こうに立っているのは、肩で息をしているティナ。同様の魔物の死骸がいくつも転がっている。


「あ……もう終わったんだね」

「そうだよ。ミックったら、いつまでボーッとしてんの?」


 カミエルの掠れた声に、ティナは眉をひそめる。隣まで歩み寄ると、彼と視線を合わせるようにしゃがんだ。

 彼は安堵を見せながら、呆けた顔で深呼吸を繰り返している。そして息が落ち着いてきた頃、おもむろに口を開いた。


「でも、凄いね、ティナは。僕と同じで、少し前まで魔物なんて、見たことなかったのに。もう、ちゃんと戦えてる」

「……そんなことない」

「え?」


 よく見れば、体が震えていた。戦闘が終わり、緊張感が解けたその瞬間、魔物と対峙した時の恐怖心が蘇ってきたのだ。


「最初の頃は誰だってそんな感じだ。平気な顔をしている方がどうかしている」


 二人の前に立ったルイファスが、穏やかな声色で話し掛ける。その向こうでは、イリアが歩いて来ていた。


「大丈夫? 二人とも立てそう?」

「アタシは平気だよ」

「僕も、大丈夫です……」


 ティナは何事もなく立ち上がる。一方のカミエルは、よろよろと立ち上がると、再び深い息を吐いた。その様子に、険しい顔をしたルイファスが唸り声を上げる。


「もう少し休ませた方がいいな」

「大丈夫です……もう行けます」

「何言ってんの! そんな調子で進める訳ないじゃん。休憩を始めたところで襲われたんだよ?」

「そうよ、無理しないで。少し先に川があるみたいだから、今度はそこで一休みしましょう」


 戦闘があったその場所で休憩を取る訳にはいかない。魔物は血の臭いに敏感なのだから。

 ルイファスは自分の馬の手綱をティナに任せ、カミエルを支えながら歩き始めた。それに合わせ、イリアも手綱を引いて歩く。

 しばらくすると、石畳の街道の先に、短い石の橋が架かっているのが見えてきた。橋の手前には一本の大木が生えており、青々とした葉を繁らせている。さらに近付くと、清らかなせせらぎが耳に届き、陰鬱とした気分を洗い流していく。


「もうすぐだよ、ミック!」


 声を弾ませ、顔を輝かせるティナ。待ってました、と言わんばかりに馬に飛び乗ると、慣れた手付きで走らせる。馬は軽やかに駆け抜けて彼女を水辺まで運ぶと、首を伸ばして水を飲み始めた。颯爽と馬を降りた彼女は隣に並び、顔を洗う。


「んー、気持ち良いー! 生き返るーっ!」


 ブーツを脱ぎ捨て、水しぶきを巻き上げながら小川に入って行った。そして振り返り、大きく手を振って急かしている。その様子を微笑ましく見つめながら遅れて到着すると、思い思いに休息を取り始めた。

 木陰で地図を眺めるルイファスと、その隣でぐったりと幹に凭れ掛かるカミエル。イリアは川辺に座り、ティナと水遊びに興じていた。

 次の瞬間、イリアとルイファスはそれぞれ武器を取る。森の中から向かって来る気配を感じ取ったのだ。そんな二人を見たティナは川から飛び出し、カミエルの前に身を滑り込ませた。その後ろで、彼は杖に手を伸ばそうとする。

 だが同時に、彼女等の頭の片隅には若干の戸惑いが過っていた。それを象徴するように、欄干に手綱を結び付けた二頭の馬は、平然と草を食べている。

 その間にも、気配は距離を縮めて来る。彼女等の緊張感も高まっていき、やがて頂点に達した、次の瞬間。木の間から人影が飛び出した。


「はあ……ようやくここまで……え? ええええっ!? ちょっ、ちょっと待っ! 何なに!?」


 姿を現したのは、痩せた顎に無精髭を生やし、色褪せた茶色のロングコートを纏う男だった。彼は限界まで目を見開き、驚愕と混乱のあまりに慄いている。

 リュック一つ背負っただけの男に、カミエルとティナの緊張の糸が切れる。しかしルイファスは、険しい瞳のまま口を開いた。


「だったら、あんたは何者だ? 何故、森の中から出て来た」

「僕はただの天才考古学者だよ。名前はネルソン=ミュートル。この先のサムノアの街に帰るところなんだ。僕が森を歩いても平気なのは、ちょっとだけ結界魔術の心得があってね」


 攻撃が無いことに安堵したのか、ネルソンと名乗る男は、すぐに態度を落ち着かせた。それどころか、「よろしくね」とひらひらと手を振っている。その様子からは敵意など微塵も感じられない。

 イリアとルイファスが武器を収めた、まさにその時。彼は「ああっ!」と大声を上げて目を見開き、彼女に飛び掛かって来た。その勢いに、鬼気迫る顔に、思わず後退る。


「な、何ですか!?」

「お前……っ!」


 イリアの上擦った声と、ルイファスの険しい声が重なる。だが、ネルソンは動じない。イリアに、正確にはエクスカリバーに釘付けになっていた。


「まさかとは思ったけど……これ! この剣! やっぱり聖剣エクスカリバーじゃないか! 文献の中でしか見たこと無かった剣が目の前に……うわあ、うわあ! どうしよう、生ける伝説に会っちゃったよ!」


 顔を赤らめ、食い入るように見つめている。その無邪気な表情はまるで、玩具屋の前に張り付いている子供のようだ。


「え、と……あの……?」

「ちょっと、いい加減にしなよ! イリアが困ってるじゃん!」


 イリアが困惑したように声を上げ、ティナが目を吊り上げる。だが、彼女等の声は耳に届いていないのか、何の反応も示さない。

 呆れきったティナは、そろそろとカミエルの隣に移動する。そして、囁くように話し掛けた。


「ミック、イリアが生ける伝説って、どういうこと?」


 本の虫であるカミエル。彼ならば、ネルソンの言葉の意味も知っているはず。そう思ったのだ。

 案の定、彼は心当たりがあるような顔をする。だが、言葉が彼女の耳に届くことはなかった。エクスカリバーに夢中になっていたネルソンが、勢いよく振り向いて言葉を被せてきたのだ。


「君たちまさか、古の大戦のこと知らないの?」

「まさか! それくらい知ってるよ! 千年前の戦争のことでしょ?」


 ティナが声を荒げる。古の大戦と光の巫女の話は、絵本の題材にもなっている。であるにも関わらず、それを知らないのかと小馬鹿にされたのだ。彼女の側にいたルイファスもまた、面白くなさそうな顔をしている。

 だが、ネルソンは肩を竦めるばかり。そして大袈裟にため息を吐いた。


「やっぱり、何も分かってない。ま、いいや。この僕が教えてあげるよ」


 自慢げに鼻を鳴らし、おもむろに語り出す。ルイファスとティナは、彼の言葉に更なる苛立ちを感じながらも、じっと彼の話に耳を傾けた。




 事の始まりは、今から千年以上も昔。

 世界には二つの大きな文明が存在した。

 神官や魔術師たちが強力な魔術を自在に操ることで国を治め、魔法文化を発達させた『ルーニアン』。

 科学技術や機械が生命を人工的に造り出すまでに発達し、研究所に人々が集まる過程で自治都市が形成されていった『テグラス』。

 彼等は非常に高度な文明を築き上げるも、互いに手を取り合うことを拒んでいた。

 特にルーニアンにその意識は強く、彼等はテグラスを忌み嫌っていた。

 『絶対不可侵である神の領域に足を踏み入れる者』として。

 そして、数的優位にいたルーニアンはテグラスを虐げ、弾圧した。


 そんな日々が長く続いていたある時、ついにテグラスが反旗を翻した。

 世界を巻き込んだ大戦争は十数年にも渡り、緑豊かだった大地は枯れ果て、多くの生物が死に絶えた。

 先の見えない争いを続ける中、人々も次第に疲弊し、滅亡の道を歩んでいた。


 そんな時、世界に一筋の光が差し込んだ。

 後に『光の巫女』と呼ばれるジェシカ=ルークスである。

 彼女は聖剣エクスカリバーをもってテグラス軍勢を打ち倒し、ルーニアンに勝利を齎したのだった。




「これが古の大戦のあらましだよ」


 誇らしげに胸を張るネルソン。流石、天才考古学者を自称するだけのことはある。実に簡潔な解説だ。


「ちなみにエクスカリバーは、創造神アンティムによって造られた剣だと言われているんだ。その証拠に、非常に特殊な魔力を帯びていてね。その魔力が持ち主を選ぶとされているんだよ」

「ってことは、アタシも持てないかもしれないってこと?」

「そうだよ。試しに持たせてもらったらどうだい?」


 ネルソンの言葉を受け、興味深そうにイリアを見つめる。そんなティナの視線を受け、そっとエクスカリバーを手渡した。その瞬間。


「な、何これっ!? 重っ……!」


 剣が地面に引っ張られる。と同時に、上から抑え付けられる。たかが剣の一振りと侮っていたティナは、圧倒的な力の前に為す術を無くしていた。

 それでも彼女は、必死に持ち上げようとしている。しかし、剣先は既に地面に張り付いてしまった。柄を持つ手が接触するのも、もはや時間の問題。


「い、イリア……! 早くどけてっ!」


 ティナの必死の声に触発され、慌ててエクスカリバーを取り上げる。すると、今までの重量が嘘のように軽々と持ち上がり、イリアの手の中に納まった。それを見て、ネルソンは得意げに笑みを浮かべる。


「だから聖剣エクスカリバーは伝説の剣と言われ、それを操る彼女も伝説級の人なんだよ」


 ネルソンの言葉を聞きながら、改めて、イリアは己の相棒でもある聖剣エクスカリバーを見下ろした。

 群を抜いて扱い易く、空気のように馴染む剣。だが、この剣を歴史上で手にした人間は、イリアを含めてたった二人。他の人間が手にしようとすると、ここまで強い拒絶を見せるとは、思ってもみなかった。

 そんな彼女の思考を他所に、ネルソンは唸るように声を上げる。


「それにしても、どこでその剣を手に入れたんだい? 彼女は剣をどこかに封印するなり、忽然と姿を消したというのに。それに、やっぱり分からないな。何故、彼女は姿を消したんだろう。戦争を終結させた功績で、最大の栄誉を得るはずだったのに」


 首を捻る彼であったが、その瞳の奥は好奇心に満ち溢れている。不意に、彼の目が上空へと向けられた。太陽が傾いてきていることを確認すると、「おっと」と小さく呟く。


「もうこんな時間か。それじゃあ、僕はもう行くよ。次に会う時があれば、ゆっくりと剣の話を聞きたいな」


 そう言い残し、彼はイリアたちが進んで来た方向へ去って行った。それを見送る彼女等の間に沈黙が流れる。


「なんか、嵐みたいな人だったね」

「……そうね」

「そんなことより、俺たちもそろそろ行くぞ」

「ああ、うん、そうだね。でも……」


 最後にもうひと浴び、とティナは川に足を浸ける。しばらくして岸に上がり、水を拭き取るとブーツへ足を通した。そしてカミエルの手を握り、立ち上がらせる。途端によろけた二人の体を、ルイファスがそっと受け止めた。


「……ありがと」

「すみません」


 ばつが悪そうに礼を言うティナ。カミエルは恥ずかしそうにはにかんでいる。そんな彼の顔色は、もう十分に血色を取り戻していた。

 ゆっくりと、しっかりとした足取りで歩み始める。それから間もなくして、川のせせらぎと鳥の囀りだけが響く空間へと戻っていた。

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