第27話 暗闇の訪問者

 人目を避けるように森の中を進む三人の男女。適当なところで足を止めると、男は木の幹に背を預け、腰を落ち着けた。そんな彼の肩には一羽の鷹が羽を休め、虚ろな彼の横顔をじっと見つめている。そして彼等を挟むように両斜め向かいに立つ女二人は、呆れ顔を隠す素振りも見せなかった。

 不意に、やけに大きく長い欠伸が響き渡る。女の一人は顔を顰めたまま、欠伸の主を睨み付けた。


「ちょっと、はしたないですわよ」

「しょうがねぇだろ? 昨日は寝るのが遅かったんだからよ」


 彼女の青い瞳が氷のように冷たい。小言の発信元に顔を向け、そんな思考が過った瞬間、男の顔が歪む。頭を押さえ、小さく呻き声を上げる彼に向けて、女は容赦の無い言葉を浴びせてきた。


「今日が休みなのをいいことに、深夜までポーカーに熱中していたからですわ。しかも二日酔いまで。呆れて物も言えませんわね」

「だったら黙ってりゃいいじゃねぇか。だいたい、男が負けっぱなしのまま止められっかよ」

「勝負の途中で酔い潰れた人が何を仰いますか」


 全ては自業自得。彼とて理解しているが、それを素直に認めるのは癪である。だから、本調子でないながらも、頭をフル回転させて抗ってきた。その結果は、無駄な足掻きだと言わんばかりの倍返し。

 頭はきつく締め付けられ、心は刃物で抉られる。本音を言えばこんなところ、一刻も早く抜け出したい。だが、それをやると後が酷いのも理解している。

 鷹はもう一人の女の肩に飛んで行くと、満身創痍の男を憐れむように見つめた。


「あそこであのカードを出してたら、絶対勝てたんだって。なのに、俺の意見を無視してさ……兄貴、カードは俺より弱いくせに」


 よりによって、鷹にさえも馬鹿にされる始末。これには我慢が出来ず、男は顔を上げた。


「うるせぇ! ああっ、くっそ……あそこでイカサマ紛いの手ぇ出しやがって。おかげで――」

「あ! 兄貴!」


 慌てて止める鷹に、男はハッとして言葉を濁らせる。だが、もう遅い。


「そんなにポーカーに熱中していたのか。ところで、まさかとは思うが、また金を賭けていたんじゃないだろうな?」

「そ、そんな訳ねぇだろ……!? なあ?」

「そうだよ……! ねえ、兄貴?」


 探るような黒い瞳に晒され、一人と一羽の声が上擦る。頑なに視線を合わせようとしない彼等に、深いため息を漏らした。


「……まあいい。今は情報交換が先だ」


 その言葉の裏で、安堵のため息が二つ。そんな一人と一羽に付き合っていられないと、彼等を無視して青い瞳の方を振り返った。


「それはそうと、昨日はすまなかったな、ルナティア」

「構いませんわ。貴女が時間を忘れて調査に没頭するということは、それだけ重要な手掛かりということでしょうから」


 にっこりと笑みを浮かべるルナティア。その鋭い洞察力に、女は頬を緩める。


「フェルディールやホークアイは繰り返しになりますが、最初からお話ししますわね」

「ああ、頼む」

「まずは内通者ですが、フェルディールと私が調べた限り、それらしい人物は見付かっていませんわ」


 イリアが旅に出る時、内通者の有無を調べるように指示を受けたフェルディール。神殿が襲撃された時の手口から、内部の情報が漏れている可能性があると判断したからだ。

 その後、彼は手始めに、襲撃の日の数ヶ月前から神殿に入籍、又は除籍した人間を洗い出した。そして、本人や親しかった人物に雑談を装って接触するも、有力な手掛かりを得るに至っていない。


「尻尾を隠すのが上手いのか、そもそも奴等とは関係ないのか……」

「そうか……」

「姐さん、ウェスティン村のことは兄貴たちに話したけど、もう一回話す?」

「いや、情報が共有されているなら、その必要は無い。今度は私が昨日のことを話そう」


 アイラは軽く周囲の気配を探る様子を見せ、ルナティアへ視線を向けた。


「ところで、ルナティアは気付いていたか? ヘレナの部屋に、魔力の痕跡が残されていなかったことを」

「ええ、もちろん」


 神妙なアイラにつられて、ルナティアも顔を引き締める。そして、しっかりと頷いた。

 あの日、魔物との戦闘によって至る所で血が流れ、神殿は破壊し尽くされた。目を覆いたくなる程の惨状だった。

 だが、あの事件があって行方不明になったヘレナの部屋には、何の痕跡も残されていなかった。争った跡も、魔術を発動させた跡も。

 失踪した場所は違うかもしれない。それでも、生活感に溢れた部屋の様子は、心に引っ掛かって離れなかった。


「ウェスティン村で、リースと名乗った女性が二人の前から姿を消した時、空間が歪んでいた。ホークアイから聞きましたが、それと関係が?」

「ああ。あれは魔術じゃない。別の、何らかの方法で空間を歪めている。そして、それと同じ現象が原因で、アクオラで失踪事件が起きている。その原因が解れば、奴等に近付けるはずだ」


 彼女はあの時、その場から立ち去るため、意図して空間を歪ませているように見えた。そこに居合わせたばかりに巻き込まれた、アクオラの老人とは明らかに状況が違う。

 しかし、魔術を使わずに姿を消す方法など、見当も付かない。

 それはルナティアも同じだった。彼女もまた渋い顔をしている。


「古代魔法の一種かしら? あれは今でも謎ばかりですし、痕跡を残さない技術があったのかも……」

「その可能性はある。だから今度は、シルビス連邦に向かおうと思う。あそこの図書館なら、何か分かるかもしれないからな」


 シルビス連邦は四大陸の中心にあり、大小の島々から成る国だ。昔からあらゆる人や物が集まり、交易の中心地として栄えている。また、学問の街ともいわれており、世界最大の図書館がある。その文献の貯蔵量はテルティス、エリュシェリン王国、サモネシア王国の三大国の国立図書館の比ではない。

 情報交換を終わらせた彼等は、踵を返して戻って行く。その道中でアイラは、ある気掛かりに目を向けていた。


(何故、今回のような目撃情報が十年も前から挙がっているんだ? その間、奴等が行動を起こさなかった理由は……)


 気掛かりは他にもある。リースと名乗る女性と対峙した時のことだ。

 彼女はトロルを召喚し、攻撃を仕掛けてきた。だが、こちらの出方を見ただけで立ち去った。その意図するものは何なのか。

 不意に、アイラはあることを思い出す。ペーターの意識が戻り、事情を聴いていた時の事。

 彼はリースという名前の女性など知らず、秘書もいないと言っていた。診療所のアイラの部屋にも行った覚えは無く、記憶を無くす寸前には耳鳴りと頭痛がしていたと言う。

 そう答えた彼の目は、酷く混乱していた。とても嘘をついているようには見えない。同時に、この時の彼の様子は、ある可能性を指し示している。


「ルナティア」

「えっ?」


 振り返ったアイラの目には、自分の数歩後ろで立ち止まり、ピクリと肩を揺らして振り返ったルナティアの姿。

 彼女は何事も無かったかのように、ゆったりと歩み寄って来た。


「どうかなさいました?」

「いや……内通者のことだが、奴等とは何の関係も無い人物かもしれない、と思ってな」

「と言いますと?」

「奴等に操られた結果、情報が漏れてしまったのかもしれない。どうやら、操られている間は記憶が残らないようだからな。ウェスティン村の村長がそうだった」

「なるほど。もっとも、今のところ、記憶の一部が飛んでいる方には会っていませんが……」

「そうか……いや、すまない。変なことを言ってしまったかもしれない」

「いいえ、そんなことはありませんわ。これだけ探しても見付からないんですもの。自分が気が付かない間に利用されていた、ということも十分考えられますわ」


 ふわりとした足取りで、アイラの隣に並ぶ。そして前を見ると、「あらあら」と苦笑を浮かべた。


「フェルディールったら、もうあんなところまで。余程、早く帰って休みたいんですのね」

「まったく、仕方のない奴だ。今度、きつく灸を据えてやらねばな。お前もだぞ、ホークアイ」

「えっ!? 俺も!?」


 素っ頓狂な声が上がる。他人事のような態度に、アイラは己の肩に乗るホークアイを横目で睨んだ。途端、彼は慌てて顔を逸らせる。そして、逃げるように飛び去って行ってしまった。

 互いに肩を竦め、再び足を運ぶ。他愛の無い雑談をしながら。だが、ルナティアの頭には終始、あることが引っ掛かっていた。

 不意に感じた視線。人が動く気配。誰が、どこにいたのかまでは分からない。だが、その誰かが自分たちを意識していることは分かる。


(もう少し慎重に動いた方がいいかもしれませんわね)


 笑顔でアイラをからかいながら、こっそりと気配を探る。だが、それを感じたのは、先程の一瞬だけ。既にそこは、いつもの森の様子に戻っていた。

 しばらく時間が経った頃。完全に人の気配が消えたところで、突如として何者かの影が動く。影はフェルディールたちが去った方を見据えていた。そして、それが木の影に紛れたと思えば、次の瞬間、跡形もなく消えていたのだった。一陣のつむじ風を残して。




 とある街の、宿の一室。ランプの火が灯る部屋の窓から、一人の少女が空を眺めていた。

 ふと漏れるため息。彼女は赤く染まった頬を手で覆う。ルビーレッドの瞳は、その熱で溶けてしまっていた。そしてまた、ため息が一つ。その頭の中は、ある街で出会った男のことで占められていた。

 太陽の下で光る銀髪。キリッとした目で暴漢を見据え、鮮やかに、流れるように、あっという間に撃退してしまった。そして、涼やかなネイビーの瞳は、じっとこちらを見つめ――


「ああん、ダメダメ! あんな目で見つめられたら……あたし……あの人のこと好きになっちゃう! きゃあああっ! どうしよう、言っちゃった! 好きって言っちゃったわー!」


 夜も更けたというのに、黄色い声を上げながら体をくねらせる。少女はすっかり自分の世界に入り込んでしまっていた。扉の向こうで自分を呼ぶ声がしているのを、気付かない程に。

 そして、少女の名を呼んだ青年は、扉の前で深いため息を吐いていた。隣の部屋が騒がしく、少女に何かあったかと来てみれば、何の異変も無い。しかも、もう片方の隣の部屋を取った男は、様子を見に来る気配も無い。まったく、頭の痛くなる思いだ。

 先程よりも強く扉を叩き、いつもよりも控えめに、だが目一杯に声を張り上げ、少女の名を再度呼ぶ。すると、中から「ふえっ?」と声が聞こえてきた。ようやく、辺り一帯に静寂が戻ってくる。


「何? どうしたの?」


 扉を開け、覗き込んできた少女の顔は、心底不思議そうなものだった。青年の苛立ちの理由など、まるで理解していない。


「明日は早くここを発つ、と申し上げたはずですが、今、何時だとお思いですか」


 抑揚のない声。乾いた笑み。いつもは穏やかな笑みを浮かべている青年だが、若干、頬を引き攣らせている。

 それを目にした瞬間、少女の背中に冷や汗が流れ落ちる。同じように頬を引き攣らせながら、視線を泳がせた。


「えっと……そろそろ日付が変わるくらい、かしら?」

「その通りです!」


 控えめな声で雷を落とされ、少女は思わず肩を揺らす。説教が終わって戻った時には、精神的にぐったりと疲れ果てていた。

 少女は勢いよくベッドに飛び込み、ため息を吐く。


「あと少し……あともう少しなのよね」


 ぽつりと呟く少女の手には、色とりどりの宝石が握られていた。その一つひとつを、月明かりに照らしてみる。しっかりと心を掴んで離さない、その美しい光に魅了され、嬉しそうに笑みを浮かべた。

 この宝石は、己の証。命に勝るとも劣らない、とても大切なもの。


「あたし、ちゃんと前に進んでるのよね。お父様に近付いてるのよね」


 遠く離れた祖国の地に思いを馳せる。少女は宝石を仕舞うと、頭から布団を被り、枕に顔を埋める。


「あたしが帰るまでに、もう一回だけ会いたいな。……あたしの王子様」


 夢でもいい。名も知らぬ、かの地で暴漢から助けてくれた彼に会いたい。そう願いながら、少女は静かに目を閉じた。




 空を仰げば大小様々な星が点在し、目を見張る程に美しく瞬いている。その星を繋いで形作った物に、先人は様々な物語を充てた。美しい恋物語から、悲しい運命の皮肉まで。そのどれもが子供心に響き、もっと教えて欲しいと枕元の姉によくねだったものだ。

 地上へと視線を移すと、焚火の周りで眠る仲間たちの姿。彼等は揃って、穏やかな寝顔を浮かべている。それをイリアは頬を緩めながら眺めていた。


(今、何時かしら?)


 薪木が爆ぜる音を耳に剣の手入れをしていると、彼女は思い出したように星空を見上げる。交代の時間を示す星が、ちょうど真上で輝いていた。道具を片付け、ルイファスを起こそうと身を乗り出した、その瞬間。イリアの顔が騎士のそれになった。

 彼女はエクスカリバーを手に取り、立ち上がる。剣を構え、素早く周囲を窺った。

 魔術が不得手な自分でも分かる。それ程までに強い、誰かの魔力の気配。さらに不味いことに、この状況に於いても、彼等が目を覚ます気配は無い。


「まさか、既に攻撃されてるの?」

「何だ、今頃気が付いたのか?」


 すぐ後ろで男の声が響く。感情が欠落したかのように、淡々と話す声。

 彼女の息が詰まる。咄嗟に声から距離を取り、振り返ると、大きく目を見開かせた。

 闇夜に溶け込む漆黒のローブ。顔を隠す目深なフード。その下から覗く唇は、挑発的な笑みを浮かべている。

 イリアは限界まで目を見開き、悪夢の元凶の一人を凝視する。翡翠の瞳が揺れ始めたかと思えば、瞬く間に顔が歪んでいった。エクスカリバーを持つ右手が震えている。

 だが、彼女の目の前に立つ人物は、それを一身に受けているにも関わらず、動揺一つ見せない。


「安心しろ」

「……何?」

「今はお前たちに危害を加える気は無い。邪魔な奴等には眠ってもらっただけだ」


 低く響いた男の声は、酷く冷たい。そして、恐ろしさすら感じる程に無感情なものだった。

 しかし、彼女の心の奥底では終始、何かが騒めき立っていた。憎しみでもなければ怒りでもない、全く別の何か。突如として現れた感情が呼水となり、熱は一瞬にして冷え固まる。


「こう言えば分かるか? 用があるのはお前だ、とな」

「わ、たし……?」

「俺の言葉が理解出来ない……そんな顔だな」

「……何が言いたい? 早く用件とやらを話しなさい」

「何だ、俺を斬らないのか?」

「っ……敵意の無い相手に剣を向けるのは、騎士としての信条に反する」


 言いながら男から顔を逸らし、目を伏せた。ククッ、と低く笑う声が聞こえる。


「相変わらず甘いな。イリア=クロムウェル」

「っ!? お前、何故……!」

「名前だけではないぞ。お前のことで知らないことは、何も無いからな」

「でたらめを言うな! 私はお前のことなど知らない!」

「それはそうだろうな。お前は幼少の頃の記憶が無いのだから」


 目を見開き、息を呑む。この時点で、イリアの思考は完全に停止してしまった。

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