第42話「一よりも二は大きい」

 人々が逃げ惑う中、女性は一切興味がないとばかりに自らの身体に血を塗りたくっていた。


「そこまでです! 」


 ようやく坂を下り終わったアリスが一本の長剣を手に女性と対峙する。血の様に赤く長い髪をだらりと垂らした女性はチラリとアリスを盗み見たが興味もなさそうに血を塗る動作を再開した。その時にアリスは気が付いた、彼女の背中も血で赤黒くなっているということに。


「どうしてこんなことをするのですか? 」


 アリスが尋ねると女性が優しい声で呟く。


「ねえ、貴方。好きな人に振られたことある? 」


「え? 」


 突然の質問にアリスは戸惑った。振られたことと血を塗りたくることに何の関係があるのだろうか? 分からないながらも質問には答えなくては、と彼女は口を開く。


「ありません」


 魔王がこの場に行かないと言った時に大きなショックを受けたことが引っ掛かったものの彼女はキッパリと答える。


「そう」


 女性は素っ気なく返事をすると黙ってしまった。これはいけない、とアリスは口を開く。


「振られたことと人を殺して身体に血を塗ることに違いがあるのですか! ? 」


 すると女性の手がピタリと止まり彼女はワナワナと震え始めた。


「何か関係あるのですって……大ありよ! 何故私が失恋をしたのか、何故あの人に見向きもされず捨てられてしまったのか! それは恐らく私の美貌が足りなかったから。だからどうすればいいかずっと考えていたの、そしてついさっき気が付いたの! 人間の血を身体に塗れば綺麗になれるはずだって! 」


 アリスは彼女の思考が理解できず閉口しかけるも慌てて口を開いた。


「それで、貴方は目的を達成した今どうするのですか? 」


「決まっているわ、住処に帰るのよ」


「え? 」


 これにはアリスも面食らってしまったようだ。そもそもこうやって緊急クエストにまでなる討伐対象と言葉を交わしていること自体不思議な話なのだがこう堂々と言われてしまうと言葉に詰まってしまう。しかし、ここで引くわけにはいかないと鼓舞しながらアリスは尋ねる。


「それで、明日はどうするのですか? 」


「それは、明日になったらまたこうやって血を浴びるわ。この世界はちょっと騒ぎを起こせばああやって腕に自信のある冒険者が来て餌食になってくれるから」


 舌なめずりしながら答える女性をアリスは恐れながらも両手で長剣を構える。


「あら何の冗談? 私としてはもう今日は戦う必要は無いのだけれど。それに私は悪者かしら。確かに村で血が欲しいと騒ぎを起こしたのは確かだけど私が殺したのは冒険者を含めて危害を加えてきた者だけよ? 私が悪いのかしら? 」


「それは……」


 言い淀むも歯を食いしばり彼女は決断を下すように語る。


「でも、貴方は何人もの人を殺しました。他にやり方もあったはずなのに! それに明日になったら貴方は血を浴びると言いました。そうやって自分から手は出さないからといって悪意があってまた同じことをしようというのなら、ここで私があなたを倒します」


「いいわよ、貴方もそうやって私に攻撃をしてくるというのならかかってらっしゃいおちびさん」


 女性は余裕たっぷりに赤ん坊をみるような目で言う。力を貸してください、お父さん、お母さん、魔王さん。アリスは皆の顔を浮かべながら深呼吸をする。


「ならば……覚悟! やあああああああああああああああああ! 」


 そう言うとアリスは一気に女性との距離を詰めるべく走り出す。


「なっ……速い! 」


 そのスピードは冒険者を翻弄した女性すら目を見張るほどであった。


 アリスは女性が長剣の間合いに入るとものすごい剣幕で剣を振り下ろす。


 キィン!


 しかし、咄嗟に右手の爪を軌道に差し込まれその一撃が女性に届くことはなかった。


「くっ……」


 アリスが両手で押し切ろうとするも剣はビクとも動かない。彼女の額には汗が浮かんでいた。


「やるね、なかなか速いじゃんおちびさん。流石の私も驚いたよ……でもね」


 女性は口角を吊り上げる、


「一と二じゃ二の方が大きいってパパに教わらなかったのかあい!」


 そう言うと女性は左手の爪を何も守るものがないアリスの隙だらけの腹目掛けて突き刺す。


「父は私が幼い頃になくなりましたので教わることはできませんでした。ですが、そのことなら知っていますよ」


 彼女はそう答えると左手を剣から離して爪の軌道に翳すと呪文を口にした。


「『プロテクト』! 」


 カアン!


 突如出現した盾により爪が弾かれる。


「くそっ、このガキ……」


 女性が勢いよく怯んだ隙を見てアリスは距離を取り「失礼します」と一人の冒険者の長剣を手に取った。その様子を見た女性が彼女の追撃をしようとするも動きを止めて腹を抱えて笑い出す。


「ぷっ……何それ、確かに今のは一本取られたのは認めるけど一と二じゃ勝ち目がない。だからと言って長剣二本構えるなんて……ハッハッハッ馬鹿じゃないの、あんたの力で二本の剣を振るなんて無理に決まっているじゃない」


 女性の言う通り、アリスにとって利き手の右手に持っている剣は片手でも力を込めて振るえる自信はあった。しかし、彼女自身左手では十分に振るえないことは分かっていたのだ。だというのに、彼女は勝気な表情で女性を見つめる。


「御心配には及びません、私はこの剣を使って貴方に勝ちますから」


「ああそうかい。よくみれば可愛らしいのに本当に可哀そうに、その自惚れやすい性格のせいでこんなにも早く命を落とすんだからね。死ねえええええええええ! 」


 そう言って女性は両手の爪を舌でペロリと舐めると一直線にアリス目掛けて走ってきた。


 しかしアリスは一切動かない。額に汗を浮かべながらも何かを待つようにただ冷静に女性を見つめている。


「なんだなんだ、偉そうなこと言って足がすくんで動けないのかい? なら安心しなよ、すぐに楽にしてやるよお! 」


 勝利を確信した女性がアリスの長剣の間合いに入る寸前


「はあっ! 」


 アリスは突如右手の長剣を女性目掛けて投げた。


「なっ! 」


 女性は困惑の表情を浮かべるも自分目掛けて来る長剣を防ぐべく左の爪を振るう。


 キィン!


 音がして長剣はあらぬ方向へと跳んで行った。


「たああああああああ! 」


 しかし、女性が長剣を弾いた一瞬、その一瞬を利用して左手に持っていた長剣を右手に持ち替えたアリスは剣を振るう。


「っ……舐めた真似を! 」


 キィン


 女性にとってまたもや奇襲ともいえる攻撃だったにも関わらず右の爪で長剣を防いだ。


「やるね、今のは私もヒヤッとしたよ。でもこれでおチビちゃん、あんたの攻撃は終わりだ」


「いえ、終わるのはこの戦いです」


 そう言うとアリスは女性の長剣を掃ったばかりで戻せない左手と異なり自由に動かせる左手を懐に忍ばせた。


「まさか、あんた」


 女性はそれを見る間もなく何かを察した。女性の勘は的中したようでアリスが懐から出したものをみて目を見開く。


 彼女が出したもの、それは──短剣だった。


「一と二なら二の方が大きいです。ですが二と三なら三の方が大きいです! 」


 そう言ってアリスは取り出した短剣を勢いよく体重を込めながら女性の胸に突き刺した。














  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る