二.怪人の予告

 蒸気機関が生みだす蒸気と煤煙を浴びて、帝都はかつてない繁栄を手にしていた。

 かつて人々が畏怖した闇夜は科学の光明によって追いやられ、とってかわって機関が放つ白い影が夜の都市を支配する。夜の恐怖は消えた。その一方で、都市の闇夜に紛れた怪人どもが白い蒸気に隠れて都市を跳梁ちょうりょうする。

 中でもある怪人は市民の間で妙な人気を博していた。何十年にもわたって帝都中を荒らしまわり、全都に警察あってなきがごとし、巧みな変装で次々と姿を変えては財産財宝を盗み歩く怪賊、《白貌びゃくぼう仮面》である。

 あるときは厳重に警備されている屋敷に侵入して家宝を盗む。あるときは大企業の重役に変装して白昼堂々と重要書類を持ち去る。またあるときは迎賓館で催される正餐せいさん会の主賓に化けて登場し、当事者の権威をいっときばかりその手にしてしまう。

 そんなことを続けていながら、一度として捕縛の憂き目にあっていない痛快さと、怪人でありながら血生臭い事件と無縁な稀有さが人々を虜にしたのかもしれない。

「次は何を狙うのだろう」と中間層以下の市民は興味深く、「次はうちかもしれない」と富裕層は警戒心をあらわにした。

 先日もその白貌仮面が、厳重な警備をものともせずに国立美術館から国宝級の美術品の数々を盗みだしてしまった。

 と、そこまではこの怪盗のいつものお手並み。

 だが、最後は珍しく失敗に終わり、盗品は美術館に舞い戻った由、各紙が一面で報じたものだから、市井はこの話題で持ちきりとなった。


「なるほど、君の成果がこの大見出しであると。いやはや」

 何がいやはやだ、と思ったが、まりづきすずは何も言わなかった。真っ直ぐな黒髪をもてあそびながら、向かいの席で新聞を広げている若い男に剣呑な視線を向ける。調査資料や書籍が山のように積まれた、整理の行き届かぬ狭い部屋、手毬月の事務所の一角で。


 路地裏での対決からすでに一週間が経とうとしていた。あの夜、路地裏で怪物に銃を向けていた手毬月は不機嫌そうに鼻息を吐く。

 彼女が何であるかと問われれば、次の一言に尽きよう。

 ――碩学せきがく級探偵。

 その碩学級のなんたるかを説明するには、碩学せきがくから説くのが早い。

 科学時代の先駆者として国際的な権威を持つ学問の徒。それが碩学位だ。国際組織である西欧碩学研究会が毎年選定する碩学位は、その分野における気鋭の学徒、あるいは大家であることを示す称号であり、学問に励む者にとっての最大級の栄誉でもある。

 その碩学位に比肩しうる能力を持つ者や、優秀な功績を示したが学問として認められた分野ではないために、碩学位を得られなかった者たちが認定されるのが碩学級だ。西欧碩学研究会が全国規模で選定する碩学位と異なり、国家ごとの機関(帝都では諮問を受けた帝国碩学会)が個別に選定する。

 碩学位に準じる碩学級ではあるが、なんらかの分野において優秀な能力を持っているのは変わりない。むしろ授与分野を学問に限らない分、その幅は碩学位よりも広いといわれている。たとえば一介の探偵にすぎぬ手毬月が碩学級であるように。


 帝都に数えるほどしかいない碩学級探偵であるが、そのほとんどが帝都探偵協会に属している。このことから各界に依頼人を抱える探偵協会は斯界はおろか、各界においても強大な地位を確立している。そういった協会の体制に疑問を持つ者も少なからず存在する。協会に属さぬ碩学級として、帝都より《きょう》の称号を贈られた手毬月涼芽もその一人だ。


「変装野郎を取り逃がした言い訳はせんがね、とっこうってのはわざわざ上級警視殿が嫌味を言いにくるほど暇なのか?」

「これは手厳しい」

 男は丁寧に新聞を折りたたみ、西欧人のように肩をすくめてみせた。整髪された頭に縁無し眼鏡、地味な背広姿は官吏の一類型を表しているようだ。


 特高は内外での略称だ。正式には特別とくべつ高度こうど警察隊けいさつたいという。一般的な犯罪を担当する帝都警察に対し、特高は国家問題に関わる重大事件や政治案件を取り扱う。怪人が引き起こす事件については管轄があいまいで、特高と警察がよく縄張り争いをする。先日の博物館に両者が出入りしていたのもそうした内情ゆえだ。

 特高の上級警視ともなれば、事件ごとに立てられる捜査本部や対策本部の指揮を執る管理官を務めるのが主な仕事となる。先だっての国立美術館の一件でも、禰宜山は対策本部を任されていた。ちなみに『上級』警視とはいうが、帝都警察の警視との区別のための冠詞のようなもので、『特高の』警視という意味でしかない。


 この禰宜山ねぎやまもまた、現在の探偵協会の在り方には賛同しかねている。碩学級探偵などの活躍もあって、帝都において探偵は広く認められた職業である。特高と探偵が協力して事件を解決に導いた事例も数多い。そのことに異論はない。が、そうした功績を元手に探偵が属する組織までもが肥大化するのは筋違いではないか、と。

「私ども特高は帝都の治安を守るべく、日々邁進まいしんしておりますとも。ええ、もちろん今回の訪問もただ新聞を読みに来たわけではありません。ただ、この記事に関連する一件ではありますがね」

 禰宜山上級警視が人差し指を立てる。立てられた指に中指が添えられており、紙片が挟まれていた。

「また予告が届いたか。連日のお仕事とは〈結社〉にしては熱心だぁね」

 ひったくった手毬月が紙片を灯りに透かす。


 読み終えた手毬月は口元にだけ笑みを浮かべ、懐から取り出した紙巻をくわえた。燐寸マッチで火を点け、紫煙を深く吐き出す。彼女が上機嫌なときの仕草しぐさだ。

「〈金泥こんでい五彩ごさい螺鈿らでんこう櫃器びっき〉ときたか。確かいまはそれの展示会をやっていたよな」

「東條百貨店で催されている『ちゅう帝国・丹精たんせい国大展覧会』の目玉です。帝国碩学会もよく百貨店の展覧会なんかに貸し出したものですよ」

 溜息をつく禰宜山の前で、手毬月は紙巻を乱暴に灰皿に押し付ける。

「ふふん、碩学会としちゃべつに貸し出しても困りゃしないんだろう。『蒸気機関の発明以前に存在した蒸気機関らしき台座状の物体』だっけか? なぜそんなものが存在しているのか、自力で解明できない連中にとっちゃ頭痛の種みたいなもんだ。怪人から予告が届いたのだから連中としては願ったり叶ったり、いまごろ小躍りでもしているんじゃないかね」

「……曲がりなりにも白貌仮面からの予告です。特高といたしましては、『はいそうですか』と差しだすわけにもいきません」

 それは私としても同じだ、と手毬月はつぶやいて、紙片を机の上に投げ置いた。

 紋様入りの透かしが入った上質紙。その上に並ぶ黒い活字。白貌仮面の定まった予告状の形式だ。


  〈金泥五彩螺鈿鋼櫃器〉を拝見、余はこれにいたく興味を抱いた。

  その美しき輝きをぜひとも手中にしてみたく、近日受け取りに参上する。

  各人各様なれど、ゆめゆめご用心をお忘れなきよう。

                              白貌仮面

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