第33話 意志ある者たちの巣

「ほら、これなんていいんじゃない?」

 緩やかに波打つ金髪の美女の手には、つばの広い白い帽子が掲げられていた。帽子には小さな薄紅色のリボンが飾り付けてある。

「綺麗だけど、ちょっと頭が重くなるんじゃないかしら?」

「なに言ってるの、日差しを遮るのが最優先よ。日焼けはお肌の大敵なんだから。できれば涼しくて日差しは通さない長袖もあるといいけど」

 その手は再び、安売りの衣料品が山になった大きな籠にのびる。

 エルメアの衣料品店の店先で、三人の女性陣が楽しげに服を選ぶのを通りを挟んだ向かい側の長椅子に座る男たちの姿が三つ。

「路銀は足りそうですか?」

 自分用の服はしっかり医療鞄に持ち歩いているソロモンが、財布の中身を渋い顔で覗いている少年に尋ねる。

「森で少し餞別をいただきましたが、それでも五万レジーくらいですし……この先、足りるのやら。食糧は心配ないですが」

「使い道はこれからは宿代と食事代くらいだし、船旅もないからそれほど心配もなさそうだけどな。ヒューはなにか買わないのか?」

 ソルは楽観的なようだった。

「僕はハッシュカルから持ってきた上着と帽子でなんとか……ソルさまはそれだけでいいんですか?」

 と少年が頭から足もとまで眺める魔族は、ソロモンに借りたマントを羽織っていた。基本的に厚着で帽子は日光を遮るのに適した形にはなっていない。

「いざとなれば魔法でなんとかする。わたしは日焼けしないしな。暑いのより寒い方が苦手だな……森からいくらか防寒着は借りて持って来れたし、足りなければ毛布でも被ってればいいんじゃないか」

「毛布の一枚くらいは買ってもいいかもしれませんね。それにもお金が必要ですが」

 肩をすくめるソロモンが眼鏡の奥の目を向けると、包みを手にした女たちが戻ってきたところだった。レジーナがお釣りの小銭を渡す。

 ララも麦藁帽を手にしているが、上着はクラリスにもらったものがあるため、彼女が買ったのはそれだけだった。

「そんなにお金が必要なら、また大道芸でもすればいいのよ。ソルじゃなくても芸を見せられる者はいるでしょ」

「確かに、一芸に秀でた者は多いので手分けして、っていうのもできそうですね。レジーナさんもボウガンの命中力が芸になると思いますよ」

「じゃあまず、これを頭の上にのせてもらいましょうか」

 と聖霊が取り出したのは、惑いの森から持って来ていた食料に入っていた握り拳大の赤い果実。

 なにをされそうなのかを把握した医師は苦笑いを浮かべたままぎこちなく首を振って『遠慮しておきます』と後ずさった。

「まあ、わたしの技術も大道芸になるっていうなら、手分けしてやってみてもいいかもしれないわね。宿代にどれくらい必要かもわからないし」

 レジーナの方は乗り気のようだ。それに、彼女のことばはいつも通り的を射ている。少しでも頼りない財布の中身を補填できるのなら、それに越したことはない。

 それなら二手に分かれて、とヒューは考えたが、ララは『あたしにもできるもん』と譲らなかった。結局、兄妹と残り女二人と男二人の三手に分かれる。稼ぐのに失敗したとしても、他の組が稼いでくれればいい――兄はそう考えていた。

 しかし、現実は。

「おお、あんな小さい子が……」

「凄い、天才魔法少女じゃないか」

「大変だろう、これを食費の足しにしなさい」

 芸への感動以外の感情も多少は含まれていただろうが、ヒューは少し羨ましく思うほどララの術は観衆をわかせ、兄の持つ帽子に入る貨幣を増やしていく。

 ララの術による芸はよく考えられていた。惑いの森で集めた何種類もの木の葉の蝶を最初は一匹、少しずつ増やして舞わせ、最後は空中に花畑を描き出す。

 使える術の種類はまだ少ないものの、複数のものを同時に意のままに動かすというのはなかなか高度な魔力制御が要求される。確かに、ララは天才的だ――兄は誇らしさと、自分も負けられないというかすかな焦りを覚えていた。

「凄いじゃないか、ララ」

 人々が散り始めてから声をかけると、妹は嬉しそうに胸を張る。

 人垣を作って観賞していた者たちは、通りの流れに戻っていった。兄妹が芸を披露するのに選んだのは広い十字路の隅にある空間で、目の前の流れを身なりもさまざまな人々が行き過ぎていく。

 その人混みの中から、聞き覚えのある声がかけられた。

「これはこれは、なかなかいいものが見られたな」

 声の主の姿は人混みの中でもすぐに目に留まる。

 長い金髪に長身痩躯、それ以上に注意を引く赤い目。首もとにスカーフのついたシャツにポケットの多い丈夫そうな上着もよく似合っているが、その背後の巨漢は着せられた印象の強い上流階級の服に窮屈そうにしていた。

「スォルビッツさんと……タルボさん? どうしてここに」

 港町ノヴルの北にアジトをかまえている、海賊たちの頭領とその同志の姿。アジトを襲撃し結果的に島へ送り迎えしてもらったのもかなり昔に感じるが、二人は印象深く記憶に焼き付いている。

「運河も帝国軍でうるさくなってきてね……ま、本拠地が稼働したら一旦引き上げたみたいだが。それでも知り合いもいるし、様子見に行こうと思って」

「合流して一緒に、とはいかないんですね」

「それは行ってから次第だ。今の戦力もわからないからね」

 もともとが体制側が作った一組織ではないだけに、最初からすべてのレジスタンスが一枚岩というわけではないらしい。

「でも、どうやってここへ? 運河も帝国軍に見張られているなら……」

 歩いて来るのなら、惑いの森の中を突っ切るのが早い。森の外からもここに移動できなくはないが、それでも森の住民に気配を悟られるだろう。

 その場合、どこかで彼らの気配と出会っていそうなものでもあるが、ここに来るまでまったく感じられなかった。

 疑問を口にする少年に、赤い目の青年は端正な顔に少し得意げなほほ笑みを浮かべる。

「船を隠すなら船の中、さ。商船団としてここに来たんだ」

「なるほど、それでその格好……」

 羽振りのいい、貴族との取引があるような商人たちの服装と言われればそれらしく見える格好だ。スォルビッツはともかく、タルボの方は着慣れていなそうな様子が隠せないが。

「それで、キミたちも拠点へ行くのかい?」

 もともとボラキア共和国と協力して帝国に対抗する力を蓄えていた海賊たちが反帝国勢力の拠点へ向かうのは自然だが、ヒューたちはそうではない。

「ええ、とりあえずのところは。目的地は〈北の果て〉なんですが」

 〈果て〉へ行きたいなど、簡単に他人に言うべきことではない気がした。反対されたり怪しまれたり、悪意ある者は利用しようとするかもしれない。しかし、スォルビッツにならかまわないだろうとヒューは予想する。

 言われた側は一瞬だけ目を丸くするが、すぐに受け入れたようだ。

「へえ……まあ、強い同行者もついてるし、行けそうではあるね。拠点の連中は帝国の周りにも情報網を敷いているし、北への入口の情報もつかんでいるかな。検問があるらしいとは聞いているけど」

 〈果て〉へ向かうには、帝都ジャストリオンの北にある山間の谷を抜けて北上する必要がある。谷の前は帝国領であり、谷に向かう者に目を光らせていないはずはない。

「それなら、できれば検問を突破する方法も知りたいですね。お二人もすぐに発たれるんですか?」

「いや、船を預ける手続きがあってな……仲間たちに商人の真似事をさせなきゃなんねえし」

 周りを必要以上に気にしながら、タルボは結局、襟もとのボタンをひとつ外す。多少着崩したところで、人々は気に留めないが。

 さらに彼は周りをうかがいながら付け加える。

「拠点はここから西へ数日ってところだが、真っ直ぐ行くと途中、ボラキアの外に出たところにムジカっていう町がある。補給には便利だけど長居はしない方がいいぞ」

 ヒューの持つ地図にもムジカは記されていたが、知っている情報はほぼ名前だけだ。

 巨漢のことばはそれ以上の、強い感情を含む情報を持っていた。それは一体、なぜ。

「コロシアムが盛況らしいが、柄の悪い連中も集まっているみたいだね。タルボの言う通り、寄るなら補給だけにした方が安全そうだ」

 疑問を口にする前にスォルビッツが付け加えた。

 コロシアム。命すら賭ける剣闘士らの戦う闘技場はいくつかの町にあると、ヒューも見聞きしたことはある。

 ただでさえ、帝国の戦いや拠点の旗揚げに乗じて賞金を稼ごうという傭兵が増え、その中には一定数、柄の悪い者も混じってくる。治安の悪い町はできるだけ避けたい。

「なるほど……気をつけます」

「こっちも少し遅れて行くだろうから、拠点で会ったらよろしく。気をつけて」

「ええ、そちらも。またお会いしましょう」

 とことばを交わし別れるものの、彼らはドラクースのことを知らない。自分たちの方がかなり先行することになるかもしれない。

 いや、どこか底知れないところがあるスォルビッツならこちらも想像つかない移動手段を持っているかも――と、ヒューは思い直す。

「また会えるといいね。色んなコト、知ってる人だと思うから」

 二つの姿が人混みに消えていくと、少女がそんなことを言った。

「ララもそう思うんだね。拠点で会えるといいな」

 とはいえ、ゆっくり待ってもいられない。帽子から貨幣を回収して財布に入れる。全員分の食事一回分ほどは稼げたようだ。

「ララ、凄いね。きっと他の二組にも負けないくらいじゃないかな?」

「ホント? みんなはどれくらいもらったかな?」

 兄のことばに、少女は競争心が芽生えたようだ。大きな目が好奇心にきらりと光る。

 そろそろ待ち合わせの時間だ。昼食の時間帯だが、今回の旅は街の飲食店とは縁がない。馬車を預けた門に集合し、まだ手もとにある弁当を食べることになっている。

「どうだった? こっちはこれくらいだったわ。場所が狭かったかしらね」

 待ち合わせ場所で聖霊が見せたのは、千レジーとわすかな小銭だ。

「こちらはまあまあだな。夜の方が稼げるだろうけど仕方がない。そっちの方はどうだったんだ? ララなら人気者になりそうだけどな」

「うん、みんな見に来てくれたよ!」

 屈んで目線を合わせる魔族に、少女は胸を張って言う。兄が財布に増えた分を見せると、ララの大道芸が一番盛況だったと皆は知った。

「凄いじゃないか。どんな芸をやったんだ?」

「えーとね、後で見せてあげるね!」

「楽しみね。こんな小さな子が魔法を使えるんだもの、そりゃみんな放ってかないわよね。なにしろ、教える側の教え方も上手だから当然だけど」

 聖霊がこれ見よがしに身をのり出すが、ソルは顔を背けて聞かなかったことにした。

「昼食の後に見せてもらおう、まず、ドラクースと合流しないとな」

 魔族の見上げる先に、門番たちの詰め所になっている小屋がある。その裏から、馬車が引かれてきた。門番たちは初めて見るドラクースに恐々としながらも興味津々で眺めていた。

「思ったより大人しいんだね」

「賢いですからね。丁寧に扱われると大人しいですよ。ありがとうございました」

 預け料を五百レジーほど払い、門の外に出る。ドラクースを木の枝につなぐと、荷台から弁当を出して広げる。道の脇には門の通過待ちで混んだときのため丸太を縦に割った形の長椅子が備え付けられており、昼食をとるため座るのにも丁度良い。

「話、聞いた? 次の町にはコロシアムがあるみたいよ」

 ダドリーの用意した昼食はチーズとスクランブルエッグを挟んだホットサンドに川魚の燻製を数種類のハーブで巻いたもの、そして果物入りの小さめのマフィンだ。

 慣れた流れでヒューが魔法で火を起こし、レジーナが茶を入れる。配られたカップの中身を一口すすり、オーロラが思い出したように切り出した。

「聞きましたねえ。あまり長く滞在しない方がいいとか」

 医師が聞いたムジカの町の話は、ヒューたちが聞いたことに近いようだ。

 しかし、聖霊の方は少し違うらしい。

「でも毎日コロシアムで勝ち進んだ参加者には賞金が与えられ、優勝予想の賭けもあって盛り上がっているって話よ。ちょっと見てみたくない?」

「見るだけなら……まさか、参加しろとか言いませんよね」

 ヒューが言うと、まさか、と言いつつ相手は目をそらす。その視線は、ホットサンドを半分に千切る魔族の剣士へ。

「わたしは出ないぞ。それと少なくとも、子どもたちは街に入らないのがいいだろうな」

「ララは僕とレジーナと馬車に残って、買い物は皆さんに頼むことになりますね」

 ヒューはソルのことばに甘えることにした。妹はコロシアムの話を聞いて少し好奇心を刺激されたらしいが、幼い妹に、血が流れときには人の命が絶たれるかもしれない闘技場などとても見せられないし、治安の悪い街を歩かずに済むならその方がいい。

 食事が済み、ララが大道芸を皆の前で披露して喝采を浴びた後、すぐに馬車に乗り込み出発する。

 ドラクースは驚くほど静かに平原を駆けた。どうやら脚の関節のつくりは馬のものとは違うようで、そのしなやかな動きは爬虫類か水中の魚を思わせる。

 背の低い草木が生えた平原に、土を固めただけの道が一本抜けていく。馬車はそこをひたすら進んだ。ボラキア共和国の国境の内側だけを通る石畳の道もあるが、一度国境を出てムジカを通るこの道の方が近道だ。

 ――どうか、ムジカを無事に抜けられますように。

 行く手の地平線を眺めながら、ヒューは道の先に待ち受けるものに祈った。


 小型の馬車が小高い丘の間の道を抜け、木製の門の前に停まる。

 手綱を握る男が頭から被った土色のフードを少し持ち上げた。夕日に、やや土色の間には異物感を漂わせるほどきらびやかな金髪が照らし出される。

「約束のものだ。確かめるといい」

 まだ門番に慣れていなそうな軽鎧姿の門番二人はそのことばに息をのみ、馬車の荷台に恐る恐る手を伸ばして布を取り払う。

 若い女が一人、膝を抱え身を丸くして座っていた。彼女は突然明るくなったことに一瞬だけ目を丸くするが、覗き込む者とその水色の目が合うとほほ笑み身を起こす。

 途端に、門番たちは跳び退いて背筋を伸ばした。

「ご足労、ありがとうございます、姫!」

「その呼び方はやめて。ここに間者はいないだろうけど、どこから洩れるかわからないわ。わたしのことはメリー、彼のことはジェルと呼んで」

「はっ、了解しました」

 緊張した面持ちで承諾し、馬車を奥へと迎え入れる。

 門をくぐり抜け奥へ進むその間、御者もメリーも周囲を見上げていた。行く手の集落は丘に囲まれており、その丘の上に見張り小屋や鐘楼、投石用の石の山などが並ぶ。門の奥の集落はまだ、簡易的な建物や木枠だけできているものやテントが多いが、今も建築が進められているようだ。

 集落の中央には広場があり、会議室のように木製の椅子やテーブルが並べられ、作業している者の休憩所にもなっていた。座って談笑している者たちは服装も目や髪や肌の色もさまざまで、少ないが妖精の姿もある。大陸のあちこちから、あるいは大陸の外からですら集まってきているのかもしれない。

 馬車が広場の前で停まり二人の乗員が下りると、広場の一角に集まっていた男たちが立ち上がって歩み寄る。

「ようこそいらっしゃいました、お二方」

 長い茶色の髪にバンダナを巻いた男が、上質そうな上着の裾で手を拭いてからメリーに右手を差し出す。

 客人の訪問の情報が広がったのか、周囲がかすかにざわめき始めていた。人々の目が遠慮がちながら集中するのは、若い女の姿。

 彼女は注目されなれている様子で、ほがらかな笑みを崩すことはない。

「わたしはメリー、こちらはジェル。お招きいただいて光栄だわ」

「いえ、光栄なのはこちらです……わたくし、ここの責任者のテューベンと申します。メリーさま……とお呼びしてもよろしいでしょうか」

「もちろんよ。ここではわたしも、一人の意志あるものに過ぎないわ」

 彼女もそのとなりにフードを外して控えている騎士も、周囲の人々には輝いて見えているようだった。多種多様な者たちの中でも圧倒的な存在感がそこにある。

「どんどん拠点が出来上がっているところみたいね。どの施設の構造も配置もよく考えられているわ」

「あと二週間もすれば、ほぼ完成するでしょう。ただ泊まるだけなら数日内にも、それなりの家はできる予定です。いつでもいらっしゃっていただいて大丈夫です」 

 建物の建築も大人数で並行して進められており宿泊施設は優先して造られていた。いくつかすでに大きなものが出来上がっているが、それらは兵舎のようで高貴な人物向けではないらしい。

「わたしなら、テントでも気にしないのに。いつここへ合流してもかまわないわよ」

「そ、そのことですが……」

 不意に、今まで無言だったジェルが口を開く。

「我々がこちらに移動した場合、先方の情報が入りにくくなります。なので、他の者は合流しても、我々はギリギリまで残って情報収集した方が戦略的にも有利かと」

「確かに……我々の帝国に関する情報は、多くがジェルさまからのものですからね」

 テューベンは納得の声を上げる。帝国の内部事情においては、帝国の内部に身を置くジェルが最も詳しく、そして早くにその動向を知ることができる。ジェルがジャストリオンを離れることは、重要な情報源を失うことでもあった。

「しかし……それならば市中に連絡係の伝令を数人置いておけば、メリーさまは帝都にいる必要はないのでは?」

 そう指摘されると、ジェルは顔色を変えた。

「そ、それは困る。姫はそばにいてくれないと……」

 慌てたようなことばで、周囲が不自然に静まり返る。

 それに気がついた青年が見渡すと、驚き半分、おもしろがるような好奇が半分の表情がいくつも見える。

 自分のことばがどう聞こえたのかをはっきり認識したのか、その顔が赤く染まった。

「ち、違うんです! わたしは新入りなのでその、まだ他のかたがたとは良く馴染めていないので、いてくれると安心しますし……それに、なにか即座の指令が必要な事態が起きるかもしれません」

 早口でまくし立てるような、取り繕うような様子のためか、周りの人々は彼のことばを鵜呑みにはしなかった。だが、あえて追及することもない。

「確かに、どんな事態が起きるのかはわからないし安心は大事よね」

 メリーもまんざらではないような、楽し気な笑みを浮かべている。

 そのとき、テューベンらがいた席から控えめな声がかかる。真新しいテーブルの上にお茶の入った人数分のカップと出来立てらしいスコーンが積まれた丸籠が置かれ、長い飴色の髪を団子状にまとめた少女が照れたように控えめな笑顔を少し伏せていた。

「立ち話もなんですし、あちらへどうぞ。プエラのスコーンはなかなかのものです」

 二人の訪問者がここまで危険を冒してきたのは、単なるご機嫌うかがいのためではない。以前から彼らはジャストリオンの宮廷内部の情報を共有していた。

 全員が席に着くと、ジェルが宮廷で得た新しい情報を語り始める。一通りそれが終わるまで、誰一人としてことばをさし挟むことはなかった。

「イルニダ、それに南の大陸での行動からしても、帝国軍が特定の魔導書を探していることは疑いようがないな」

 一拍の静寂を挟み、テューベンが口を開く。

 目的の物は見つからなかった。やはり大図書館にもないようだ――そう、ジェルは何度も目にしていた。

 その魔導書は召喚魔法に関するものであることは判明していた。

 一方で、帝国は召喚士だけでなく魔術師、それどころか強力な魔力を持つ者ならば人型族でなくても捕獲しようとしている。名のある召喚士はすでに数名が捕らわれ、石柱の森の召喚士スクリーバも標的とされていた。惑いの森の大魔術師や竜も挙げられてはいたが、さすがに捕らえるのは困難だろうとされている。

「魔力石なども血まなこになって探していますから、多くの魔力を必要とする魔法を探しているのか……あるいは超兵器がらみですね」

「それほど貴重なな魔導書の魔法だから、大量の魔力を消費する可能性は高いわ。超兵器に必要な分だけではないから、ここまで力を入れているんじゃないかしら」

 カップの中から漂う香りを楽しみ、メリーは軽くそれを回す。水面に映るその顔が小さく揺れた。

「それにしても……なにが切っ掛けだったのかしら」

 それは、彼女の立場ですら未だに知らないことだ。

 帝国が変わる少し前、彼女は慌てて重臣と話をする皇帝の姿を何度も目にしていた。極一部の重臣たちだけが君主と秘密を共有し、娘である彼女にもそれは必死に隠されていることがわかった。

 そしてある日、皇帝は宣言する。これより南への制圧作戦を開始する――と。

 娘も、それに一部の臣下もそれに反対した。血を流すことは帝国の人々にも災厄をもたらすはずだ。制圧するつもりで制圧されてしまう可能性すらあるのだ。

 しかし皇帝はかたくなに『これは必要なことなのだ』という一点張りだった。

「このままでは、帝国は〈ハビータ王国興亡記〉と同じ結末を辿るわ。そうならないためにも頑張りましょう」

 〈ハビータ王国興亡記〉は帝国の何代か前の国にまつわる伝承とされていた。半ば神話のような扱いでほぼ創作とする説も有力だが、帝国の国民は寝物語のように誰もが聞かされて育ち知っている。

 伝承によると、古代の王国ハビータは大陸統一のため作戦を開始して最初は優位に進めるものの、気がつけば国民は痩せ細り武器も足りなくなり、やがて君主が自国の民衆に討たれて内部から崩壊したのだ。

 それが事実なら、古代の人々はどんな思いでこの空を見ていたのだろう。

 この場で唯一、皇帝ランハルベッセ四世がなにに動かされているのかを知る帝国の騎士は、ジャストリオンに続く大地の上、厚い空が広がり始めた茜色の空を見上げた。

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