第三章

 色とりどりの花が咲き乱れる季節は過ぎて、代わりに瑞々しい緑がその存在を主張し、穏やかに降り注いでいた日の光は、徐々に厳しい光へと変わりつつあった。

 そんな強い日差しの中、家から少し歩いた所にある乾いた土がむき出しの空き地で、ハルはリーゼと対峙していた。

ハルは全身土だらけで汚れていて、腕には数えきれないほどの赤や青の痣が出来ている。手には小さなナイフが握られていた。

 ゆっくりとリーゼの動きに注意しつつ間合いを詰め、そして瞬間的に飛び出して一気にリーゼの眼前に来た。

背の低い事を生かして低い姿勢でリーゼの懐に入り、右手に持ったナイフをリーゼに向かい振りかぶって手を出そうとすると、リーゼの手にある木の棒で思い切り腕を叩かれ、その衝撃でナイフを地面に落としてしまう。

落としたナイフに気を取られていると、おまけと言わんばかりに一歩下がったリーゼに脇腹に蹴りを入れられ、苦しくてハルはその場に蹲ってしまった。


「ハルちゃんナイフを意識しすぎよ。動きが凄い雑になってるわ」


分かってはいるけど、思うように動けない。リーゼの指摘を聞きながらハルは蹴られた脇腹を痛そうに押さえていた。

 その様子を退屈そうに少し離れた所の木陰でミアが眺めている。クマのぬいぐるみを抱いて、リーゼ手作りのクッキーを美味しそうに頬張る。まるでピクニックで、一人呑気なものだ。

 ハルは転生前の世界では戦闘はもちろん喧嘩もした事が無い。この世界にやってきても、逃げる事はあっても自分から戦う事は無かった。

ミアとリーゼに襲われたが、逃げる事は出来ても攻撃は出来なかった。負ける事は無くとも勝つ事も無いという事だ。

 しかしリーゼに、上流階級ならまだしもこの地域で生きていくなら自分で身を守る術を持っておかないと、いずれ危険な目に合うと言われ、更にハルはこれまで武器など持ったことが無く、武器を持たない相手なら躊躇せずに懐に飛び込めるから、武器を扱う練習をする事を勧められた。

 リーゼは戦闘の専門家では無いが、売春街の秩序を維持するために格闘術や護身術を学び、娼婦たちに護身術を教えたりしていた。その流れでハルにもナイフを使った戦闘の訓練を施す事になった。

 しかし言うのは簡単だが、初めて武器を持ったハルが思うように動けるわけではない。どうしてもナイフに意識が行ってしまい、動きが単調になり、得意の回避も疎かになってしまう。

 ハルが地面に落ちたナイフを拾い上げ、額の汗を手で拭い、短く切った髪をかき上げながら再度立ち上がり、今度は出来るだけ曲線を描いて攻撃してみようと考えていた。

しかし肝心の相手の視線は、ハルではなく横を向いて遠くの空を見詰めている。

ハルもそちらの方向に目をやると、真っ黒な雲が近づいているのが見えた。


「一雨来そうだから、今日はここまでにしましょうか」


 足早に家に帰ると本格的に降ってきた。ハルが家に入ろうとすると埃だらけだから全部脱げとリーゼに言われる。代わりにミアに着せようとリーゼが持ってきた淡いピンクのワンピースを着せられた。

ミアのためのワンピースなのに丁度良いサイズなのが気に入らないハルに、リーゼはとても似合っていると褒めているのか、からかっているのか分からない事を言った。

 そんなハルを見てリーゼは不思議に思っている事があった。お仕置きで襲撃した際にリーゼのナイフでばっさりと切れてしまった長い髪を、その後ショートボブ位まで一気にカットしたハル。

それだけ短い髪なのにも関わらず、ハルはわざわざ頭の左横でサイドテールのように黒いシュシュで無理に纏めている。ハルになぜそうしているのか問いただしてみたが、これは大事な物なんだ、という曖昧な返事しかしてこない。

 長い間売春街で暮らしてきたリーゼは、過去のある女を沢山見てきた。きっと常に胸に着けている高価なペンダントと一緒に、本人にはとても大切な思い出の品なんだろう。

だからそれ以上詮索するような事はしなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る