第58話 運命の一撃
黒い瘴気がレーゲンスの全身を染め上げる。
その身体は霧のように溢れ出す瘴気に覆われ、ぼやけた輪郭だけが見えていた。
だが、遠目に見ても分かるほど、もはや人間だった面影は全くなく、暗闇に染まる姿は化け物そのものだった。
悪意と憎悪に満ちた瘴気をその身に浴びながら、虚霊の王はその力を示す。
「―――――これが、私の力だ」
レーゲンスが闇の奥から紅い眼光を放ち、禍々しいオーラが辺りを覆い尽くした。
与えるのは、純然たる恐怖。
それは激しさや静けさではなく、捉えどころがない恐ろしさだった。
“何かを見た恐怖”や“何かを感じた恐怖”といった受動的な感情ではない。
恐怖そのものが見る者全ての心へと雪崩込み、感情を支配し、そして。理由を与える暇もないまま恐怖を感じさせるのだ。
「っっ!?」
その問答無用で本能に訴えかけてくる得体の知れない力に、ユズルは思わず身震いしてしまう。
理解が及ばない。けれど、恐怖を感じる。
そんな不可解で不気味な感覚に晒され、ぐっ、と刀を握る手に思わず力が入る。
けれど、決して目を逸らすことはなかった。
自分が倒すべき敵は、まだ目の前に立ち塞がっているのだから。
「君はまだこの領域まで至っていない。神を殺すためだけにたどり着いた、この魂まで憤怒の闇に染まった私に勝つことはできない」
レーゲンスは瘴気の奥から薄っすらと笑みを浮かべると、溢れ出していた力を集中させていく。
収束と圧縮。
漂っていた力がレーゲンスを中心に編み込まれていった。
やがて、繭のように包まれていた瘴気を全てその身に飲み込み、レーゲンスが姿を現す。
先ほどまで漏れ出していた瘴気やオーラが吸い込まれるようにレーゲンスの身体へと入っていき、一瞬にして広間に静けさが戻る。
そして、虚霊の王はゆったりと、その中心に立っていた。
だが、その姿はユズルが今まで見た虚霊と比べても、異様と言わざるを得ないものだった。
(なんだあれは…?瘴気そのものを纏っているのか?)
そう、それはまさに“鎧”だった。
今までのように溢れ出した力ではなく、虚霊の身体を形作っていた黒い瘴気が皮膚に張り付いた鎧のようにその身体を覆っていた。
辛うじて人型には見えるものの、漆黒の鎧に身を包み、指先まで黒く染まった姿は化け物と呼ぶにふさわしいだろう。
そして、その瞳の奥で紅く揺らめく眼光は、凡そ人の領域を超えた何かとしか言いようがないほど狂気的で、全てを破壊し尽くす暴力性を孕んでいた。
「さあ、はじめようか。第2ラウンドだ」
レーゲンスがゆったりと漆黒の槍を携えて、静かに足を踏み出す。
――――そして、次の瞬間、ユズルのすぐそばに立っていた。槍を振るうように構えたまま。
「っっ!?」
ユズルは奇跡的に反応し、白銀の刃でとっさに守りを固める。
先ほどまで冴え渡っていたユズルの感覚ですら、レーゲンスの攻撃を目視することができなかったのだ。
「ぐぅっ…!!」
激突。
槍と刀がぶつかり合った瞬間、凄まじい衝撃がユズルの身体を襲い、吹き飛ばされるように身体が浮いてしまう。
そこへレーゲンスの連撃が畳みかけるように突き刺さる。
音を置き去りにする鋭い突き、そして、容赦なく地面へと叩き落す振り払い。
何の変哲もないただの連撃だが、速度、力、そのどれもが桁違いに上がっていた。
「意志は力だ。この世界で志を持たない者は存在している価値などない。君がしていることは世界への冒涜なのだよ!」
レーゲンスは昂ぶりを抑え切れずに叫ぶ。
虚霊の王は世界に見放された怒り、憎悪に身を包み、自らの正義を振るっていた。
「―――――っ!!」
ユズルは狂ったように槍を振り回すレーゲンスの攻撃を紙一重で往なす。
決して真正面からは受け止めず、刀の表面で槍の軌道を僅かに変えながら、丁寧に攻撃を捌いていた。
威力では確実に力負けしていることから、無理に防ぎにいけば、守りを崩されて一気に潰されかねないからだ。
けれど、それは時間稼ぎに過ぎない。
(このままだと、いずれは押し切られる…っ!)
ユズルは捌き切れずに身体に刻まれていく小さな痛みを感じながら、冷静に戦況を判断していた。
そして、感覚を研ぎ澄ませ、眼だけでなく神威でも先読みをするように感じ取っていたが、躱すことが限界でまるで反撃の糸口を見出せずにいた。
ユズルが出遅れているのではなく、それほどまでにレーゲンスの力が上がっているのだ。
けれど、それでもここで退くわけにはいかない。
「弱者が生きていて何が悪い!誰もが強く在れるわけでもなければ、夢を描けるわけじゃないんだ!」
かつて弱者だった神は叫んだ。
力も意志も持たずに、ただ茫然と生きていた。
それでも生まれ変わることができた。ちゃんと地に足をつけて生きることができた。
そして、それはユズルだけの力ではなく、多くの支えてくれる者たちによって齎されたものだ。
彼らがいたからこそユズルは強くなり、彼らを守るために強くなろうとしている。
けれど、この世界では自分よりも強く在れるはずなのに、息をするだけで手一杯の人たちが数え切れないほどいる。
それはきっと、どの世界でも同じだ。
その全てを救うことはできないが、自分にできる限り支えてあげるのがユズルの願いだった。
だからこそ、ここで叫ばずにはいられなかった。
「自分よりも弱い者を虐げることしかできないお前に、その気持ちがわかるのか?わかるわけがないだろう!」
ユズルは怒りのままに刀へ神威を集中させ、向かってくる漆黒の槍を思い切りはじき返す。
刃と刃がぶつかり合った瞬間、互いに反動に耐え切れず、吹き飛ばされるようにして後ろへと下がった。
そんな不意の反撃に、レーゲンスは少し眉をひそめ、続けていた攻撃の手を緩める。
ユズルとしては守りに回していた神威までつぎ込んだ一撃だったが、僅かにレーゲンスの攻撃を止めるだけに留まった。
「詭弁だよ、それは。弱く在ることを言い訳に前へ進もうとしない有象無象共を守る意味が何処にあるというのかね?」
レーゲンスは冷徹に、そして冷酷にユズルの想いを切り捨てる。
最初からわかっていたことだが、決して相容れることのない隔たりがそこにはあった。
誰からも手を差し伸べられずに己の力だけで這い上がってきた存在にとって、他者とは自分の存在価値を示すだけの鏡でしかないのだろう。
そして、レーゲンスは自分の正義を貫くように再びユズルへと迫る。
「現に、君の仲間たちは揃って君の足枷となっているではないか。彼らを守るために君は心を殺し、錘を背負わなければならなくなっているのだ!そんな強者を堕落させる存在はこの世界に必要ない!」
「ぐっ………!!」
先ほどよりも更に激しさを増したレーゲンスの攻撃に、ユズルは必死に食らいついていた。
正確無比な鋭い突きも、岩をも砕く薙ぎ払いも、全て受け止め、一歩も引くことはなかった。
それはただの偶然でもなければ、無計画な反骨心でもない。
ユズルの心に天をも焦がすような、煮え滾る“怒り”があったからだ。
目の前にいる仇敵は仲間を汚し、ユズルが抱えている想いを汚した。
そして、ユズルがここに至るまでに誓った覚悟をも泥を塗るように貶したのだ。
理由はそれだけで十分だった。
全てを背負い、自分の手で終わらせるためにここまで来た。
だからこそ、身体中に切り傷を負いながらも致命傷を避け、いつかやってくる反撃の機会を待ち続けていたのだ。
そして、少しずつだが、レーゲンスの圧倒的な速度にも反応できるようになってきていた。
(ただ視るんじゃない。見極めるんだ、全部を)
感覚を研ぎ澄まし、この空間全体を把握するように神威を張り巡らせる。
そして、動き一つ一つを
窮地に追いやられていたユズルがたどり着いた、今できる極限の芸当だった。
「そこだっ――――!!」
ユズルは斬撃の雨を掻い潜り、針の糸を通すような僅かな隙を見出して、レーゲンスに向けて渾身の一撃を放った。
全ての動きを観察し、それを自分の中で噛み砕き、次の攻撃を読み切る。
これが今のユズルにできる限界であり、ようやく見出した活路だった。
だが、無情にも、現実では決して約束された奇跡など起きなかった。
「――――君では、まだ届かない」
ユズルが放った斬撃は紙一重でレーゲンスに躱され、僅かにその漆黒の鎧を削っただけだった。
その瞬間だけは、まるで時が止まったかのようにゆっくりと世界が動いていた。
ユズルの頭の中を走馬灯のように仇敵を討ち取った空想が駆け抜け、夢のような余韻が降って湧いた。
そして、永遠にも感じられた一瞬が過ぎ、ユズルは息を呑む間もなく、槍の柄で思い切り殴り飛ばされた。
「かは………っ!」
無防備な腹部に強烈な衝撃が叩き込まれ、ユズルはまるでボロ雑巾のように宙を舞った。
神威で守る余裕もなければ、もはや余力も残ってはいなかったのだ。
そして、広間の壁に激突し、その衝撃で度重なる戦闘の影響でひびが入っていた壁が一気に崩れ落ちた。
神が放った一撃は、その運命を変える歯車には僅かに届かなかった。
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