第47話 運命

ホムラの“町”、その中心に聳え立つレーゲンスの城の地下には巨大な空間が広がっている。つい昨日、ホムラの若き神と虚霊の王が激突した地だ。

しかし、レーゲンスの城の地下にある空間はここだけではない。細い通路で繋がっている小さな空間がいくつもあるのだ。それらの用途は実験場や貯蔵庫としての役割の他に、牢獄としても使われていた。

レーゲンスと戦い敗れたノラは、その牢獄の一つに幽閉されていた。その細い手足には金属の錠がかけられ、鎖で吊るされるようにして身動きが取れないようになっている。

ただの金属であれば、たとえ両手足を拘束されていても容易く破壊することができるのだが、この錠は普通の金属ではない。これには神の力である“神威”を吸収する力があり、ノラが神威を使えば使うほど、その分だけレーゲンスに力を与えることになるのだ。いくら神と言えども、神威が使えなければただの人と大差ない。


「まさかヤツがここまで用意周到じゃったとはな…」


ノラはたった一人の牢獄の中で悔しさを滲ませる。しかし、いくら悔しがっても時が戻ることはない。この誰もいない暗い空間に負け犬の遠吠えが響くだけだ。

ノラがユズルを式の二人と共に逃がし、レーゲンスらと一人で対決しようとした時、決して負けるつもりで残ったのではなかった。かなり危険な賭けではあったが、勝算はたしかにあったのだ。そして、結果は見るまでもなく失敗に終わった。今となっては、ユズルたちの安否を心配することしかできることはない。

ノラが成す術もなく鎖に吊るされていると、こちらへ向かう気配が近づいてきた。その姿に目を凝らすまでもなく、この場所へ来る者など一人しかいない。


「気分はどうかね?」


虚霊の“主”――レーゲンスが愉快そうに顔を歪めながら、静かにノラの前まで歩いてくる。


「悪くない寝心地じゃな。今度はお主もここで寝てみるとよい」


ノラは苦し紛れに皮肉を言ってのける。しかし、その表情には疲労が色濃く出ていた。

神威を吸収されているということは、いつまでも体力が回復しないのとほぼ同義だ。ただでさえ劣悪な環境に身を置いているうえに体力まで奪われ続けているとなれば、さしものノラでも誤魔化し切ることはできない。

レーゲンスはそんな神の姿を見て、一層その笑みを深めた。


「フフ…遠慮しておくとしよう。君のような神をこんな陰湿な部屋に閉じ込めておくのは気が引けるが、これも致し方ないこと。君には多くの虚霊を殺されたのでな、華々しく散ってもらうつもりだったのだが、どうやら少々危険なことになるようなのでやめさせてもらった」


レーゲンスは顎鬚をさすりながら、満足そうにノラの肢体を眺める。

壮絶な戦いを繰り広げた後のため、ノラが纏っていた美しい装束はズタズタに引き裂かれ、あちこちから白い素肌が見え隠れしている。その子供のような柔肌には痛々しい裂傷がいくつも刻まれ、赤黒い血の痕が残っていた。モフモフだった尻尾の毛並みも、今ではみすぼらしいほどに傷んでしまっている。

レーゲンスは如何わしい目で見ているわけではなく、ただ優越感に浸っているのだ。名のある神をこうして見下ろせることに。


「フッ…そんな悠長なことをしておってよいのか?他の神々がここへ来る可能性もあるじゃろう?」

「フフフ…焦りが手に取るようにわかるぞ。そんなことは起こるわけがないのだよ。私が神としての記憶を持っていることを忘れたのかね?」


レーゲンスはノラの言葉を笑いながら受け流す。神が善意で他の神を手助けすることはほぼあり得ない。それこそノラが死ぬような事態になれば話は別だが、はるか辺境にあるホムラまで来る神などいるわけがないのだ。


「じゃが、お主はわしが何をしようとしていたかは知らぬのじゃろう?」


ノラは負けじと食いつくように言葉を重ねていく。たとえ刃を向けられずとも、反抗する意思を示すように。

それに対し、レーゲンスは戦闘の情景を思い出すように目を閉じる。


「ふむ…たしかに君たち守神のことは、私もあまり把握しているわけではない。しかし、傷付くにつれて君の放つ力の流れが嫌な気配を纏ってきていた。そして、君ほどの神が考えなしに残るわけがない。これらの要素をまとめれば、たとえ知らずとも多少の予想はつくだろう」

「……………………………」


ノラはレーゲンスの推測に思わず閉口する。それは彼の推測がおおよそ正しかったからに他ならない。

ノラの奥の手というのは、守神が持つ特権のようなものだ。いや、特権ではなく唯一縛りをなくす方法という言い方が正しいだろう。

守神を務める神は、往々にして相当な神威の使い手であることがほとんどだ。異世界の元人間に神としての全てを教え込むことができるというのが表向きの理由だが、かつて大厄災において圧倒的な力を示した神々を縛るという意味合いも持ち合わせている。

しかし、それは裏を返せば、神々の戦力を大幅に割くことになる。そして、万が一力を抑えた状態のまま虚霊に倒されてしまえば、大きな損失になってしまうことだろう。それは神々全体のバランスを考えても好ましいことではない。

では、どうしたのか?答えは簡単だ。

死ぬような事態に陥った時だけ力を解放できるようにすればいい。

勿論その他にも『自傷は無効』等の条件はあるが、それらを満たすのは決して難しいことではない。そもそも守神は神樹を通して信仰の力を受け取っている。天界の神々からすれば、たとえ力を解放しても神樹によって再び縛り付ければ大きな問題にならずに済むのだ。


「敵ながら見事、と言っておきたいところじゃな。では、この際だから聞いておくが、お主は一体どこまで記憶があるのじゃ?」


ノラは無理に明るく振舞いながら、レーゲンスに探りを入れる。少なくとも現状ではノラがレーゲンスに殺されることはない。それならば、役に立たないかもしれないが、レーゲンスの情報を可能な限り引き出しておくことが得策だろう。

レーゲンスは疑うようにノラをじっと見つめた後、ふと視線を横に逸らす。視線の先にあったのは壊れかけの椅子だった。そして、力を使ってそれを引き寄せると、静かに腰を掛けた。


「………まあいい。君の前で語る理由はないが、あのホムラが来るまでは私も手持ち無沙汰だ。神からの頼みに付き合ってあげようではないか」


レーゲンスは不敵な笑みを浮かべながら、囚われの身となった神へと視線を向ける。そして、ほんの少しの静寂の後、男は語り始めた。


「私の意識が目覚めた時、最初に頭に浮かんだことは“怒り”だった。神への怒り、それこそが私を突き動かす原初からの衝動なのだ。やがて、人間としての記憶と神としての記憶が蘇っていき、混濁した意識を目覚めさせていった。そして、君の考えている通り、私には神としての記憶は決して多くはなかった。それは私が虚霊であり、人間に憑依していることからも致し方ないことだろう。けれど、研究員として虚霊を調べていたことや名高い神々の情報は思い出すことができた。君を知ったのもその過程でのことだ」


神への怒りと共に目覚め、人間でありながら虚霊であった男にとって、記憶は道標だった。記憶をたどることで自分が何者であるかを知り、自分が成すべきことを考えた。そして、神を超える存在になることを決めたのだ。

彼の意識は人間に乗り移り、瞬く間にホムラの“町”を治める地位にまで上り詰めた。だが、彼が行っていたのは神の真似事だった。人々を支配し、自分の意のままに操るだけの遊びに過ぎない。やがて、彼は神との対決を熱望するようになった。本物の神を打ち倒すことで更なる高みへと至る、そう考えたのだ。

そして、時間が経つにつれて少しずつ記憶の補完もできていた。いつかこの地に現れる神を打ち破るために、自らの記憶から多くのことを学んでいった。


「だが、なぜ神としての私が虚霊に身をやつすことになったのか。それだけは思い出すことができなかった。神としての私が死んだことによって虚霊になったのか、それとも自らの手で虚霊へと生まれ変わったのか。しかし、そんなことは最早どうでもいいことだ。私はこの確固たる意志と信念によって神をも超える存在になるのだから」


自らの半生を語り終えたレーゲンスは、戦場で見せたような黒い感情のオーラを纏っていた。その瞳は消えることのない深紅の怒りに燃え、今にも目の前にいる神を焼き尽くさんとしている。

ノラはそんな救うことができない魂の成れの果てを憐れむように見つめた。彼の魂は既に同化してしまっているのだ。たとえどのような手を施そうとも、レーゲンスは虚霊として死ぬしかない。それが彼の運命なのだ。


「お主のことはよくわかった。じゃが、おかしいとは思わぬのか?こうして守神を拘束するためだけの道具、かつて研究されていた虚霊の能力、抜け落ちた記憶。偶然と呼ぶには些か不自然では――――」

「黙れ!たとえ何者かに作り出された存在であっても、私は私だ!」


ノラの言葉に虚霊の“主”は激昂した。纏っていたオーラがはじけるように広がり、放たれた衝撃波によって空間全体が揺れ動く。たとえ矛盾を抱えていたとしても、もはや止まれるわけがなかったのだ。この老人は既に狂っていたのだから。


「次に会う時はあの若きホムラを連れてきてあげよう。共にその断末魔を聞けば、君もすぐ静かになる」


レーゲンスは静かに殺意を込めると、椅子から立ち上がり、再び闇の中へと消えていった。そして、先ほどまで座っていた椅子が、音を立てずに灰となって崩れ落ちた。

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