1156.技術篇:最初に出てきた人が主人公

 今回は「主人公の一人称視点」についてです。

 一人称視点を採用した場合、語り手はつねに主人公です。

 時として主人公以外の視点が欲しくなります。ですが、安易に視点を増やしてはなりません。





最初に出てきた人が主人公


 物語では「最初に出てきた人が主人公」という大きな決まりごとがあります。

 もし異なれば、本当の主人公が登場するまで物語は宙に浮いてしまうのです。

 しかし、なにごとにも「例外」があります。まずは「例外」から見ていきましょう。




最初の人物がいきなり死んだら

 たとえば「剣術バトル」ものだとします。

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 猛は太刀を両手で握り、右下へ力なく構えている。男の出方によって対応する動作を瞬時にとりうる態勢だ。

 しばしの時を経て、男は上段から袈裟斬りの動きを始める。降りかかる刃を自らの太刀の腹で弾き、そのまま男の胴へ剣を一閃した。しかし太刀は大きく上へ跳ね上げられてしまった。さばいたはずの刀が下から太刀を弾き飛ばしたのである。

 猛はしまったと思った。男は袈裟斬りが弾かれるのを織り込み済みでこちらの太刀筋を跳ね上げようとしていたのだ。こちらの胴が無防備にさらされる。ここまでか。猛はあがいて太刀を真下へ振り下ろす。その太刀筋で襲い来る刃を叩き落とそうと試みた。しかし男の太刀が早く、猛は胴を斬り裂かれ、血を吹き出してそのまま倒れ込んだ。

 男は横たわる猛に近寄るとその首を刎ね飛ばした。

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 この作品、もし猛が主人公ならここで物語が終わってしまいます。主人公が死にますからね。

 もし猛が主人公だとした場合、連載を続けるには構成の工夫が必要です。

 たとえば「猛は結末ではこのような死に方になる運命だ。しかしそこに至るまでの猛の人生を読ませる物語」にする方法。つまり第一話が終わったら第二話からは過去へと時間が戻るのです。これならどうして冒頭の「剣術バトル」に至ったのかを説明できます。

 もうひとつが「転生」ものにする方法です。江戸時代の「剣術バトル」をしていて殺された猛が、現代日本へ「転生」します。江戸時代の知識や常識がまったく通用しません。そのギャップを読ませるのはマンガのヤマザキマリ氏『テルマエ・ロマエ』のようで、読み手には新鮮に映ると思います。


 ですが「実は猛を倒した男が本編の主人公」という場合が結構あるのです。

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 十三度目の御前試合を終えた橘隼人は、藩主から褒美を授かると城下町へ繰り出した。

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 これで「隼人が本編の主人公」という形が整います。

 でもこれって「あり」ですか? 読み手は確実に困惑しますよね。

「じゃあ、なんで書き出しを隼人の視点で書かなかったのか」

 あえて猛の視点から始めるには、それなりの意図が必要です。

 たとえば、物語の結末でも御前試合を行ない、今度は隼人が敗れて討ち死にする。これなら猛が死ぬさまは未来の隼人を想起させるわけです。

 結末がわかっているから、書き出しをひと工夫してみた。

 それができるのは、「企画書」「あらすじ」「箱書き」「プロット」の順で構築した構想力がきちんとある証拠です。

 これが「主人公最強」「チート」「俺TUEEE」だと、書き出しをひと工夫したというより、単なる構成の破綻でしかありません。

 結末でも主人公が死なないのに、書き出しで他人の視点から主人公を見る必要なんてないのです。

「普通の作品とは違った入り方をして、目立ったら選考に有利かな」とか「読み手の食いつきがいいかな」とかいった邪念が表れています。この「書き出しで主人公以外の人物を出す」のは、あまりにも陳腐でかつ醜悪なものだと気づくべきでしょう。




一人称視点なら語り手が主人公

 特別な場合を除いて、一人称視点なら語り手が主人公です。

 物語の途中で語り手が切り替わると、読み手は間違いなく混乱します。

 どうしても「ふたりの視点を交互に読ませたい」とお考えなら、最低でも節、できれば章単位で語り手を切り替えてください。

 ですが、一人称視点はあくまでも読み手が主人公へ入り込んで物語を楽しむためにあります。主人公の語り口だからこそ、入り込めるのです。

 それなのに他人の語り手へ切り替わってしまったら。読み手は主人公が語っているものだとばかり思って、しばらくは語り手が切り替わったと気づきません。

 これを使ってミスリードさせようとするのが「推理」ものの常套手段です。しかしあなたが書きたい小説は「推理」ものですか。もし「剣と魔法のファンタジー」が書きたいのであれば、読み手をミスリードする必然性なんてありません。

 以前にもお話ししましたが、異世界で「推理」ものを成立させるのはほとんど不可能です。よほど世界観がしっかりしていて、その世界でできること、できないことを読み手が完全に把握している場合を除いて。そんな世界観を読み手に伝えられるほどの筆力がおありなら、「剣と魔法のファンタジー」で「推理」ものを書くよりも、純粋に「現代日本」が舞台の「推理」ものを書くべきです。

 三人称視点なら、語り手は主人公でもなく「対になる存在」でもなく「第三者」になります。

 注意しないと「物語に絡まない人物」で「どこでも覗いて語れる人物」になるのです。主人公と「対になる存在」、本来なら双方の状況は同時に語れません。しかし「物語に絡まない人物」で「どこでも覗いて語れる人物」が語り手になってしまうと、同じ時間の双方の状況が書けてしまうのです。これを「神の視点」と呼びます。

 叙事詩にしようとして、主人公と敵の双方を同時に書いてしまうのです。

「神の視点」を回避するには、先ほども申しましたが「最低でも節、できれば章単位で語り手を切り替えて」ください。

 物語がひと区切りつけば、語り手を切り替えても違和感は出ません。


 三角関係の物語の場合、基本的に「主人公の視点」だけで書くべきです。しかし本命が決まっている場合は「本命の視点」も取り入れましょう。もし「もうひとりの視点」を入れたくても、視点が三つになると読み手は混乱しやすくなります。視点が三つ以上あると、読み手は「神の視点」と錯覚しやすいのです。どうしても視点を三つ以上入れたくなったら、「本命の視点」はあきらめて「主人公の視点」だけで語ってください。

 マンガしか思いつかないのですが、まつもと泉氏『きまぐれオレンジ☆ロード』は主人公・春日恭介の視点で物語が進みます。そこにときどき本命のヒロイン・鮎川まどかの視点が入ります。三角関係のもうひとりである檜山ひかるの視点は登場しません。だから読み手は主人公と本命のヒロインとの恋愛が三角関係に発展してしまったと認識できるのです。

 マンガの桂正和氏『I”s』は主人公・瀬戸一貴の視点で物語が進みます。本命のヒロインである葦月伊織の視点はまったく入りません。またその時々で異なる三角関係のもうひとりの視点も入りません。三角関係であっても「主人公の視点」一本で恋愛を描ききったからこそ、『I”s』は名作と呼ばれるのです。

 絵で見せられるマンガでも、このように「主人公の視点」を中心に据えています。文字でしか表せない小説なら、なおさら「主人公の視点」を重視しなければなりません。


 他人の視点を安易に入れてしまって「神の視点」扱いされると、賞レースから脱落します。それなら最初から「主人公の視点」一本で物語を描ききるべきです。どうしても「他人の視点」を入れたくなったら。あなたの筆力がまだ足りていない証左です。どのような物語であろうとも、「主人公の視点」一本で語りきれます。

 以前「主人公が知らない事柄を読み手だけは知っている」という「秘密」の効力についてお話ししました。これは高度に計算して用いるから「秘密」になるのです。「主人公の視点」一本で物語が書けないから「秘密」を用いる。これでは単なる手抜きでしかありません。

 できるかぎり「主人公の視点」一本で小説を書くように心がけてください。

 そのうえで「秘密」は章の終わりに節を設けて、ちらっと見せる程度の演出にとどめるのです。アニメでもCM前やエンディング前に謎の人物が登場することがよくありますよね。「秘密」とは、あの演出です。

 スーパーロボットアニメには「主人公の視点」の他に「悪の軍団の視点」が登場します。悪の親玉の命令を受けて、悪の手下が主人公たちに襲いかかるのです。もし「悪の軍団の視点」がなかったら、なぜ悪の軍団が襲いかかってくるのかを視聴者が理解できません。とくにスーパーロボットアニメの視聴者の多くは小学生です。悪の軍団の動きがまったくわからないままで、ただ主人公たちに襲いかかってくるのでは、小学生が納得できません。正義の主人公たちに襲いかかってくるのは、世界征服を企む「悪の軍団」である。そういう決まりごとを小学生たちに見せているからこそ、スーパーロボットアニメは人気なのです。今ではスーパーロボットアニメはほとんど見なくなりました。その代わり「スーパー戦隊」シリーズや「仮面ライダー」シリーズなどの特撮ドラマでは、あいかわらず「悪の軍団の視点」をきちんと見せています。「悪の軍団が世界征服を企んでいる」ことを小学生に知らせる最も手っ取り早い手段が「悪の軍団の視点」なのです。





最後に

 今回は「最初に出てきた人が主人公」について述べました。

 特段の事情がないかぎり、物語で最初に出てきた人物が「主人公」です。

 とくに一人称視点であれば、語り手がそのまま主人公になります。

 例外はサー・アーサー・コナン・ドイル氏『シャーロック・ホームズの冒険』です。これはワトソン博士の視点で語られていますが、主人公はシャーロック・ホームズ。このような形はよく「二人称視点」と呼ばれます。しかし「二人称視点」は中編小説くらいまでなら書けますが、長編小説や連載小説ではほとんど不可能です。『シャーロック・ホームズの冒険』も雑誌に連載された作品ですが、長さはほとんどの作品で中編小説の長さしかありません。

 複数の視点で語りたくなっても、できるかぎり「主人公の視点」だけで表せるようになりましょう。どうしても複数が必要なら「一対一」の形にしてください。「主人公の視点」と「対になる存在の視点」だけなら、なんとか許容できます。

「三角関係」を読ませたいからと三つの視点が登場すると、読み手は間違いなく混乱するのです。

 三角関係で、主人公と「対になる存在」以外の人物つまり「三人目」は可能なかぎり視点を持たせないようにしましょう。どうしても「三人目の視点」で書きたくなったら、潔く「対になる存在の視点」も省いて「主人公の視点」一本で著してください。



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