296.短編篇:短編小説は本当に短い
「短編小説」と言いますが、どのくらい短いのかを考えたことはありますか。
文章を書き慣れていない人からすると「原稿用紙四十枚も書けないよ」と思います。
ですが長編小説を一本書きあげた後ですと「四十枚しかないんだよな」と思うものです。
では改めて「短編小説の短さ」について考えてみましょう。
短編小説は本当に短い
一文の長さは書き手によって異なるのですが、だいたい二十文字から四十文字程度だと思います。
人によっては六十文字以上書く人もいるので、断言できないところがあるのです。
でも短編小説は使える文字数に限りがあるため、あまり長文を書かないほうがよいでしょう。
短編小説はあっと言う間
仮に一文を平均三十文字で書くとすれば、短編小説の目安である一万五千字であれば五百文しか書けません。
長編小説を書く人とくに連載小説を書く人からすれば「五百文で起承転結を書かなければいけないの」と驚くと思います。
もし一文平均二十五文字まで縮めると六百文です。こちらなら多少はなんとかなりそうな感じがしてきますね。
ですので、小説とくに短編小説は一文をできるだけ短くしたほうがいいのです。
もし六百文にするのなら、「三分の二の法則」から起承転結のペース配分は「起承」は四百文、「転結」は二百文ということになります。
前回指摘しましたが、これしか分量がないのに「ファンタジー」「SF」を書くのは至難の業です。(裏技がありますけど)。
短編小説の上限である原稿用紙六十枚なら一文平均三十文字として八百文書けます。
つまり増えた二百文を舞台・世界観の説明に使えるのです。
とはいえ起承転結のペースは「三分の二の法則」がありますので、「起承」は五百四十文弱、「転結」は二百七十文程度になります。
「転結」では新しいことはまず書けませんので、舞台・世界観の説明は「起承」で増えた百四十文弱で済ませるのです。
ちょっと困難な感じがしてきますよね。
でも五百四十文中の百四十文ですから、「起承」の二十五%ほどが舞台・世界観の説明に使えるわけです。
あれ? なんか書けそうな気がしてきましたね。
たった百四十文なのか、「起承」の二十五%もなのか。
示し方でこれだけ受ける感覚が異なります。
これが数字の
短編小説は書ける文の数がそもそも少ないのです。
ですが、少ないからこそ工夫のし甲斐もあります。
シンデレラ
たびたび登場する寓話『シンデレラ』ですが、今回もまた登場してもらいます。
まずシンデレラの物語は「起承」で「三分の二の法則」に徹しています。
つまり舞台・世界観の説明とシンデレラの境遇、舞踏会に行きたいけど行けない、魔女が現れて美しく着飾ってくれることで晴れて舞踏会に乗り込んでいく。
ここまでが「起承」であり「三分の二の法則」の名で示すように全体の「三分の二」を費やしています。
「転結」では時が過ぎるのを忘れて王子様とのダンスに夢中になり、午前〇時の鐘の音が鳴り始めると魔女の忠告を思い出して舞踏会場から慌てて出ていこうとする。
そのときにガラスの靴が脱げますが、そんなことを気にしている時間はありません。
ここまでが「転」です。
シンデレラを忘れられない王子様が「ガラスの靴」の主を探し始めてシンデレラの住む屋敷にも役人一行がやってくる。そしてシンデレラが靴を履いて王子様は謎の美女がシンデレラであったことを知ります。晴れてシンデレラは継母や義姉との苦難の生活を脱することができたのです。
ここで「結」が終わり、物語も終わります。
通常「転結」では新たな「人物」新たな「アイテム」新たな「伏線」を出してはいけません。
でも『シンデレラ』では「ガラスの靴」という「伏線」を仕込んだ「アイテム」が登場しています。
物語をよく読めば、魔女がシンデレラを淑女に変えた「承」のときシンデレラに「ガラスの靴」を履かせているんですよね。
つまり「転」で新たに「伏線」の「アイテム」を出しているわけではありません。
ちなみに現在一般に知られている『シンデレラ』の物語は本来あった「その後」について省いてあります。
それでも物語としては成立しているのですからとてもすぐれた物語なのです。
現在では「転」に「伏線」を仕込んだ「アイテム」を新たに出すことも「あり」な状況が小説界隈で生まれつつあります。
ですが「転結」に新たな「伏線」を出すことは、結末の唐突感を際立たせてしまうのです。
『シンデレラ』も「ガラスの靴」という「伏線」を仕込んだ「アイテム」が「承」で初登場し「転」で「伏線」になったからこそ、シンデレラは王子様と結ばれます。
それなりに「書き手のご都合主義」な展開ではないでしょうか。
それまでの物語の展開を無視して強引に結末へ導いていく手法は「小説としては」あまり褒められたものではありません。
先ほども申しましたが、本来『シンデレラ』には「その後」が書いてありました。それを含めれば、舞踏会場の階段で「ガラスの靴」が脱げる「伏線」は「起承」に入ることになります。
カチカチ山
日本のおとぎ話に『カチカチ山』があります。
お爺さんがタヌキを捕まえてきてお婆さんにタヌキ汁を作っておいてくれと頼んでまた畑に出かけていきます。
するとタヌキはお婆さんを騙して逆にお婆さん汁を作ってお爺さんに食べさせてしまうのです。
この話を耳にしたウサギが義憤に駆られてタヌキへの仕返しを図ります。
まずタヌキに金儲けの話をして柴を背負せて、火打ち石をカチカチと鳴らして柴に火をつけようとするのです。
しかしその音を訝しんだタヌキはウサギの存在を確認すると、ウサギは「この音はカチカチ山のカチカチ鳥が鳴いているんだよ」と嘘をつき、まんまとタヌキの柴に火をつけて大やけどを負わせることができました。
ウサギは何食わぬ顔をして薬を塗ると称して「辛子入りの味噌」を渡します。
当然タヌキは悶絶するのです。
タヌキの傷が癒えた頃にウサギはタヌキを漁に誘い出します。タヌキは木の舟より一回り大きな泥舟を選んで乗り、泥舟は溶けて沈んでしまいタヌキを溺死させて仇討ちを果たすのです。
改めて振り返ってみると、かなり残酷な物語ですよね。
この話を見るとお婆さん汁を食べさせられた「起承」の部分が短くて、ウサギの仇討ちである「転」がひじょうに長く、泥舟が沈んでタヌキが溺死する「結」は唐突に終わっています。
泥舟という溺死の「伏線」を仕込んだ「アイテム」は「転」の最後に現れるのです。
おとぎ話としてはいいのでしょうが、短編小説として見れば「転」の最後に登場する「泥舟」は「書き手のご都合主義」を感じさせます。
小説としては「起承」の段階で「舟」の存在を書いておくべきです。
そして「転結」でタヌキを「泥舟」に載せて溺死させるようにすれば、強引な展開だとは思われません。
「伏線」が冒頭で明示されることで、読み手はかえって「伏線が回収された」と大喜びしてくれるのです。
小説とおとぎ話は基本的に別物だと言っていいでしょう。
ただ、物語の形としては普遍なので、たくさんのおとぎ話を知っていると、小説でネタに詰まることがなくなります。
物語の基礎力を上げるためにおとぎ話を読んでみるのもいいと思います。
最後に
今回は「短編小説は本当に短い」ということを述べてみました。
短編小説は長編小説の六分の一程度しか書けません。
だいたい長編小説の一章ほどの長さです。
それをどう活かせばいいのか。
「三分の二の法則」を用いて、物語の展開を決めておくとかなりラクができます。
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