111.応用篇:主人公は何と向き合わなければならないのか(補講)
コメントが付きましたので「補講」を書きました。
少し話がズレているかもしれませんが目を通していただければと存じます。
主人公は何と向き合わなければならないのか(補講)
今回はコメントで質問がございましたので、前回の「補講」を行ないたいと思います。
読み手の方からのご質問です。
「バトル物でも死ネタは取り扱わないパターン(プリキュア等の幼児向け、TCGアニメやホビーアニメ)と言うのもある訳ですが、この場合はバトル物でも扱われるのは内面がメインなのでしょうか。あるいは融合でしょうか?」
バトルものでも「死」を賭さない場合
ご質問のように『プリキュア』シリーズや古くは『魔法少女』ものなど女児向けアニメでは「バトルはするけど互いに相手を殺そうとはしていない」ものがけっこう多いのです。
また『遊戯王』『カードファイトヴァンガード』『デュエル・マスターズ』『バトルスピリッツ』などの
(『遊☆戯☆王』『WIXOSS』があるため完全にないとは言い切れませんが)。
玩具を売るための作品である『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』『ゾイド』などのアニメも「死」に対しては深く触れられていないですよね。
ホビーアニメはほとんどの対象視聴者が小学生であることも外せない要素になります。
「バトル」はするけど「死」を扱わない作品といえば古くは手塚治虫氏『鉄腕アトム』とアニメ・タツノコプロ『タイムボカン』シリーズまで遡れるでしょう。
『鉄腕アトム』ではアトムが戦う相手はたいていロボットです。
『タイムボカン』シリーズは毎回悪党三人組が悪さをしてヤッターマンなどがそれを成敗します。
そして悪党三人組が敗れても三人乗り自転車を漕いでその場を脱出するという様式美です。
「バトル」はするけど「死」を感じさせませんよね。
ここまで述べてきて気づいた方もおられるでしょう。これらは「アニメ」か「マンガ」で見ることができたものがほとんどなのです。
「小説」で「死」を賭さない「バトルもの」というのも探せばあるとは思いますが、「アニメ」「マンガ」と比べて相対的に少ないと思います。
バトルものでの内面の障壁
「バトルもの」での「内面の障壁」について考えてみましょう。
まず手塚治虫氏『鉄腕アトム』からです。
日本のアニメはこの作品から本格的にスタートしました。
そのため後世に残した影響は計り知れません。
『鉄腕アトム』では主人公のアトムが天馬博士によって作られそして捨てられる過程からして、すでに「内面の障壁」つまり「心の揺れ動き」と向き合っています。
なぜ自分は作られたのだろうか。
なぜトビオそっくりに作られたのだろうか。
それなのに天馬博士はなぜ自分を捨てたのだろうか。
そういった出来事が「心の揺れ動き」で示されています。
これが後にヒーローとして活躍するアトムの心の底にわだかまったものなのです。
『鉄腕アトム』の最終回でアトムは自分がなすべきことを見出だします。「自身の存在意義」という最大の「内面の障壁」と向き合った結果でした。
このように「死」を意識させない「バトルもの」は「内面の障壁」である「心の揺れ動き」を内包していることが多いのです。
プリキュアの場合
『プリキュア』シリーズも基本的に魔物は倒しますが主人公陣営で「死」と向き合うような作品はまずありません。
「バトル」する理由もたいていが「魔物から人々を守る」ものから「世界の存続をかけた戦い」へと進展するのです。
シリーズを通して見ても戦いでボロボロに傷つきながらも「死」よりも「勝ち負け」の印象が強いのではないでしょうか。
スポーツ格闘技を観ているような感じです。
ボロボロに傷つくわけですから「死」とはいかないまでも「身体的なダメージ」は食らっています。
その意味ではハードルの低い「外面の障壁」があるとも言えるのではないでしょうか。
敵陣営も「プリキュアを倒そう」とする気は満々ですが、「殺そう」とまでは思っていませんよね。
そして毎回のエピソードとしても「魔物に襲われる人々」を見て、勇気を出して救おうという流れで戦いが繰り広げられます。
「バトル」こそしますが「内面の障壁」である「心の揺れ動き」が襲われた人々にはあって(ときにはプリキュア側の「心の揺れ動き」が表に出てくることもあります)、その迷いに魔物が付け込むパターンが多いのです。
また『フレッシュプリキュア!』では当初敵陣営だったイースが「内面の障壁」と向かい合った末、主人公陣営に鞍替えします。
最新作『キラキラ☆プリキュアアラモード』ではついに「バトル」を腕ずくでなく「お菓子」作りによって魔物を退治していくのです。
「バトル」から離れても『プリキュア』要素はしっかりと残っています。『プリキュア』シリーズは「バトルもの」の形を借りて「内面の障壁」である襲われる人々の「心の揺れ動き」に焦点を合わせた作品であったとも言えるのではないでしょうか。
対して『美少女戦士セーラームーン』シリーズは明確な「バトルもの」であり月野うさぎたちは「死」を賭して戦うことになります。
実際アニメの第一作シリーズでは次々と仲間が「死」を連想させて敗北するのです。
まぁ二作目『美少女戦士セーラームーンR』で全員復活してしまいますが。
ともに女児向けアニメですが、時代として古くは真剣勝負の「死を賭して戦っている」ものが、最近になるにつれスポーツのような「相手に打ち克つために戦っている」ものへと変貌しているのです。
魔法少女まどか☆マギカの場合
『プリキュア』シリーズなどとは一線を画す魔法少女ものがアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』です。
この作品はタイトルこそ「魔法少女」で、実際に魔法少女が出てくるのですが、作風はダーク・ファンタジーになっています。
そして主要層を二十代以上の大人に据えているのが特徴です。
しかも高評価をつけるのはたいてい男性という珍しいアニメでした。
『魔法少女まどか☆マギカ』は非情なまでに「死」がつきまとってくる作品です。
まさにダーク・ファンタジーの本領発揮というところでしょうか。
「外面の障壁」である「死」が主眼となったアニメであり、深夜アニメとして放送されたことも二十代以上を主要層にしていたことがわかります。
おそらく『美少女戦士セーラームーン』視聴者だった人が観てくれることを想定していたのではないでしょうか。
TCGの場合
TCGものの始祖はマンガの高橋和希氏『遊☆戯☆王』だと思います。
当初はスポーツのようにゲームの「勝ち負け」だけが対戦の主眼でした。
つまり「こうすれば勝てるのではないか」という「心の揺れ動き」を読ませたのです。
しかしのちに「千年パズル」をキーアイテムとして「命を賭したカードバトル」が繰り広げられるようになります。
これにより「外面の障壁」である「死」を漂わせた緊迫感のある作品となったのです。
『WIXOSS』シリーズでは「特定のカードには意志がある」設定で少女たちは「夢限少女」を目指してカードバトルをします。
しかし「夢限少女」とは「意志のあるカードと入れ替わる」というものでした。
その事実を知らなかったとはいえ、それは現実世界での「死」を意味していたことになり、物語は「死」と向き合いながらカードバトルをすることになります。
やはり「外面の障壁」である「死」を漂わせた緊迫感のある作品となったのです。
上記二タイトル以外のTCGアニメ『遊戯王』『カードファイト・ヴァンガード』『デュエル・マスターズ』『バトルスピリッツ』などは基本的にスポーツ的な「勝ち負け」を競う作品です。
これはTCGの形を借りていますが、基本的には現在でもアニメが好評のゲーム『ポケットモンスター』の影響が強かったからだと思います。
三すくみの法則を主軸に「このキャラが出てきたら、このカードで対抗しよう」というような「戦略を練る」過程が視聴者のハラハラ・ドキドキを誘う要素です。
つまり「戦略をああだこうだと考える」過程そのものが「心の揺れ動き」となって視聴者を煽ります。
「内面の障壁」が主軸になっていることがわかるのではないでしょうか
TCGブームの火付け役だった『MTG』こと『マジック・ザ・ギャザリング』は欧米に比べて日本では人気がありません。
これはアニメ化しなかったことが大きく関わっているように感じます。
TCGはスポーツのように「戦略を練る」ことで勝敗が左右されるゲームです。
もし『MTG』がアニメ化していたら、日本でも一大ブームを巻き起こせたかもしれませんね。
ホビーアニメの場合
ホビーアニメは『トランスフォーマー』『ゾイド』『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』『ベイブレード』『ビーダマン』といった対戦するための玩具を販売促進するアニメです。主要視聴者は小学生になります。
ホビーアニメ黎明期は結構「死」を意識させていました。
アニメ化されたものとしては「変形ロボット」を題材にした『トランスフォーマー』と、「メカ兵器」を題材にした『ゾイド』が挙げられます。
「変形ロボット」と「メカ兵器」ですからアニメ化されれば当然バトルは「命のやりとり」つまり「外面の障壁」である「死」がモチーフになります。
この二作品は海外での評価が高く『トランスフォーマー』はハリウッドで実写映画化もされたのは広く知られるところです。
黎明期の次に出てきたのが「ミニ四駆」を題材とした『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』です。
ミニ四駆をチューンナップしてレースに勝つことが主眼となりました。
「死」の要素どころか身体的ダメージすらどこにもありません。
どのパーツを組み合わせれば相手に勝てるのか。
TCG同様「戦略をああだこうだと考える」過程が「心の揺れ動き」となって視聴者を煽るのです。
「ベーゴマ」を題材とした『ベイブレード』、「ビー玉」を題材とした『ビーダマン』も同様に「外面の障壁」は皆無で「戦略をああだこうだと考える」タイプの作品になっています。
現代っ子には「死」のような重いテーマがウケなかったのでしょう。
その代わりに「心の揺れ動き」である「戦略をああだこうだと考える」テーマに切り替わっています。
純粋に楽しさを享受することで小学生を中心に関連玩具が飛ぶように売れていくようになったのです。
映像と文字の差
今回述べてきた作品はほとんどがアニメやマンガなどの映像で展開されてきたものです。
最初から小説として書かれたものではありません。
「バトル小説」としては身体的ダメージのようなハードルの低い「外面の障壁」だけで済ませる作品もあるにはあります。
でもとくに小説投稿サイトで連載する小説は、読み手にインパクトを与えて次回を読んでもらうために「死」のレベルまでハードルを高める必要が出てくるのです。
死ぬシーンは絵で見せるとショッキングで衝撃が強すぎます。
でも文字で読むだけなら「死んだ」「亡くなった」「息を引き取った」などと書いても「ああそうですか」という反応にしかなりません。
描写が巧みならそれなりに沈痛な気持ちも湧いてくるでしょう。
しかし中高生が読んでもそれほど衝撃的ではないのです。
(「残酷描写あり」の指定が必要になるでしょうけど)。
映像と文字では受ける衝撃が違いすぎます。
だから小説の描写は過激にならざるをえないのです。
仮に人が大量に死ぬ小説を書いてアニメ化のオファーが来た場合、想定される視聴者層を二十代以上に引き上げなければならなくなります。
つまり深夜アニメにしかなりえません。
でも小説自体は中高生向けで書かれているのです。
このあたりが文字でしか表せない小説の厄介なところでしょう。
キャラが死んだシーンをすべて絵師さんに描いてもらったのなら話は別ですが。
田中芳樹氏『銀河英雄伝説』も小説の主要層は中高生ですが、アニメ化された際にはOAV(今のOVAを当時はOAVと呼んでいました)として毎週通販する形をとっています。
資金力のある成人が観ることを想定していたのです。
一回の戦闘も数何百万人が死ぬというスペース・オペラである以上致し方ない面もあります。
残酷シーンもありますし、主要人物が次々と死んでいくという「鬱展開」にもなっているのです。
やはり成人だけが観れるようにした決断は正しかったと思います。
最後に
今回はご質問にお答えする形で「補講」を書きました。
各ジャンルは当初「外面の障壁」である「死」をテーマにしていました。
時代が進むに連れて「スポーツ」のように「命によらない勝ち負け」へと変化して身体的ダメージを受ける程度のハードルの低い「外面の障壁」にとってかわります。
さらに「内面の障壁」である「心の揺れ動き」が表に出てくるようになったのです。
ですが『魔法少女まどか☆マギカ』『WIXOSS』のように原点回帰で「外面の障壁」である「死」を意識させるような作品も出てきました。
「外面の障壁」と「内面の障壁」を意識してバランスをとりながら小説が書けるようになると、作品世界の幅が広がって厚みが出てきます。
その厚みは読み手から必ず評価されるのです。バランスを操れるようになれば人気作家入りも夢ではなくなります。
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