突然、妹に告白されました。

雪竹葵

プロローグ

1. 妹の告白

「お兄ちゃん、大好き」

 四月一日、午後三時過ぎ。

 俺は、実の妹に告白された。

 何の前触れもなく、突然に、だ。

 妹は俺を真っ直ぐ見据えて、真剣な表情だった。

 あまりの衝撃に、思考がピタッと止まる。頭の中は真っ白。

 俺の脳が事態を把握できない。

 二メートル先にあるテレビからの音が、もっと遠くから聞こえる気がする。

 数秒の沈黙。

 少しずつ、俺の脳の情報ネットワークが電気信号の送受信を再開し始める。

 同時、妹の言葉の意味を理解し、

「…………は?」

 俺が発せた言葉は、それだけだった。

 取り敢えず落ち着こう。正常な思考のためには、冷静が大事だ。

 大きく深呼吸。

 改めて脳内で妹の言葉を再生する。

「お兄ちゃん、大好き」

 ……うん、意味が分からない。

 何故、俺は妹からLOVEを伝えられたのか。

 よく分からないので、俺たち兄妹について整理することから始めよう。

 俺、小間鳥こまどり玲稀れいき。今年度から高校三年生。誕生日は八月十三日。これといって好きなものはないが、嫌いなものはワサビ。鼻にツンと来るのが苦手だ。

 妹、小間鳥初杏そあ。今年度から高校一年生。ちなみに高校は俺と同じく江立えだち高校。誕生日は六月二十八日。ロールケーキをこよなく愛し、ピーマンをこよなく嫌う。俺が料理を作る際、時々細かく刻んだピーマンを忍ばせているのは内緒にしている。

 俺たち兄妹は決して仲は悪くない。むしろ良い方だと思う。日常的に会話はするし、喧嘩をした覚えがほとんどない。

 ……いや、ステータスはどうでも良いな。

 RPGなら初期ステータスを知っておくことは大事なのかもしれないが、リアルではあまり有益な情報が得られない。まあ、RPGやったことないけど。

 兄妹についての情報から妹に告白された理由が分かるのなら、そもそも俺が考える必要性がない。俺は既に妹のことを知っているのだから、考えるまでもなく自ずと答えが出るはずだ。

 行動には必ず理由がある。理由のない行動というのもあるらしいが、おそらくそれは例外だろう。

 あまり良くない例えかもしれないが、ある男の人が女に恋をしたとしよう。男は女に告白し、結婚した。しかし、女は結婚しているのにも関わらず、別の男と男女の関係になった。それを知った夫である男は、不倫相手が自分の妻に手を出したことを激しく恨み、不倫相手を殺してしまったとしよう。

 この場合、『男が殺す』という行為の原因として『不倫相手を恨む』という理由がある。行動に理由が伴うというのはこういうことだ。

 理由は時間の流れの中に存在する。男が殺人を犯したのは、『女と結婚する』→『女の不倫を知る』→『不倫相手を恨む』という流れがあったからだ。

 だとすると、初杏から告白された理由も時間の流れの中にあるかもしれない。

 では、少し時間をさかのぼってみよう。

 妹、初杏から告白される五分ほど前に。


 ◇ ◇ ◇


 俺は自室のベッドで横になりながら、パタンと漫画を閉じた。

 先月の新刊、『僕は彼女のことを知らない』の三巻を丁度読み終えたところだ。

 感想。めっちゃプリン食べたい。

 いちゃいちゃラブコメを読んだ感想としては異常なのかもしれないが、そう思ったのだから仕方がない。

 いや、だって。何が、いや、なのかは分からないけど。とにかくプリンが美味しそうだったし。

 メインヒロインのあんが主人公とデートに行くシーンで、途中でカフェに寄り、杏がプリンを頼んだ。

 杏は注文したプリンをパクッと一口食べる。その時に杏が浮かべた最高に幸せそうな表情が、強く印象に残ってしまったのだ。

 それだけが理由ではなく。

 むしろ、プリンの描写が素晴らしかったことの方が大きな理由かもしれない。

 一枚の紙に描かれただけなのに! プリンのつやつや感だけじゃなく! ぷるぷる感まで再現してるとか! 神かよ!

 ……そんな訳で、普段お菓子をあまり食べない俺が、珍しくプリンを食べたい欲求に駆られてしまったのだ。

 首を動かし顔の向きを変え、壁に掛かっている時計を見る。

 ――三時か。

 おやつの時間には丁度良いだろう。

 体を起こし、漫画を机の上に置いて、自室を出る。

 階段を降りて、リビングを経由し、キッチンへ。

 冷蔵庫の一番大きな冷蔵室の扉を開け、目的のものを探す。

 プリンが見つかれば一番良いが、仮になかったとしてもゼリーとかヨーグルトとか、他の甘いものでも問題はない。

 とにかく、甘いものを口に入れたい気分なのだ。

 ゴソゴソと探していると、冷蔵庫がピーッピーッと鳴き始めた。

 ……最近の冷蔵庫は少しでも長く開けているとこれだ。もっと我慢というものを覚えるべきじゃなかろうか。

 冷蔵庫の訴えを無視し、探し続ける。

 すると、一番上段の奥側からプリン三個セットのものが出てきた。

 やったね!!

 ちなみに、何個セットになっているのかは昔の核家族を想定しているらしい。

 ヨーグルトは四個。これはヨーグルトが朝食に付けられることを考えている。父親、母親、子供二人で一個ずつ食べられる。

 一方、プリンは三個。三時のおやつと言われるように、仕事の時間に食べることを想定している。昔なので、父親は仕事、母親は家庭。だから、母親と子供二人で一個ずつにすると、三個になるのだ。

 近年、例外もあるらしいが、俺の感覚ではまだヨーグルトは四個、プリンは三個の商品が多い気がする。

 ……ちょっとした雑学はさておき。

 プリンを食べよう。

 一個だけ冷蔵庫から取り出し、皿の上にプッチン。

 CMのように皿の上のプリンは綺麗な形にならない。多少、重力に負けて潰れるからだ。

 CMはCM。現実は現実。

 それでも、何処か悲しくなるのは何故だろう。

 プッチンしたプリンを乗せた皿を持ち、忘れずにスプーンも引き連れ、隣のリビングへと向かう。

 そして、よいしょっと、ソファに腰掛けた。

 …………。

 ………………。

 ……………………静かだな。

 あまりにも静か過ぎる。

 何というか、落ち着かない。

 母さんは仕事。妹の初杏は自室。

 ちなみに父さんは別居中。家を出て行くとき、ぼそっと「恵美子えみこ、怖い」と言っていたことだけは覚えている。恵美子は母さんの名前だ。

 というわけで、リビングにいるのは俺一人。寂しい。

 ソファに置いてあるクッションも、近くの棚の上に置いてある熊のぬいぐるみも、寂しさを打ち消してはくれない。

 ……テレビを点けるか。

 テーブルに置いてあるリモコンのボタンを押して、テレビを点ける。

 テレビは映像を映し出し、音声も発する。

 これは良いな。少し耳に音が入るだけで、寂しさが紛れる気がする。

 テレビで放送されているのは古い医療ドラマ。

 何故、古いと分かるのかというと、画面比率の問題だ。

 画面比率は液晶テレビが十六対九に対し、ブラウン管テレビが四対三。

 ブラウン管テレビ時代のドラマを放送すると、液晶テレビでは横の長さが合わない。そのため、どうしても左右に黒い部分ができてしまう。

 ブラウン管テレビの画面比率は四対三、つまり十二対九。液晶テレビが十六対九だから、四の比率だけ横が余る。

 ……まあ、まず画質で分かるけど。

 俺はプリンにスプーンをすっと入れ、口に運ぶ。

 うん、予想通りの味。

 市販の安物だから、こんなものだと思うけど。

 もう一口。ぱくり。もぐもぐ。

 いかにも休みって感じがする。だらだらして、プリン食べて。

 と、その時。

 ――ガチャリ。

 不意にリビングの扉が開く音が耳に届く。

 扉の方を見ると、初杏がいた。家に俺以外いるのは初杏しかいないから、当然なのだが。

 初杏は真剣な表情で、こちらに向かってくる。

 ……何だ?

 俺、何かやらかしたかな?

 身に覚えがない。というか、ここ数日、食事の時以外は初杏と顔を合わせていない気がする。

 初杏は、俺の正面に立ってから、その場にすっと正座した。

 何だ? 何だ? 何だ?

 ますます分からない。

 ラグが敷いてあるから脚が痛くはないだろうけど。

 いや、そうじゃなくて。

 何故、俺の目の前で実の妹が正座してるんだ?

 初杏が俺の大事にしているものを壊して、謝罪しに来たとか?

 俺のコレクションを汚されたら、さすがに怒るけど。でも、隠しているのに汚されたりするだろうか?

 初杏は顔を上げ、下から俺を真っ直ぐと見つめる。

 思わず、俺は固唾かたずを呑む。

 そして、初杏が口を開いた。

「お兄ちゃん、大好き」


 ◇ ◇ ◇


 時間を遡ったところで、何も分かりませんでした。

 そりゃ、そうだ。

 だって、初杏から『突然』告白されたんだから。

 少し遡って告白された理由が分かるのなら、突然な訳がない。

「…………返事は?」

 初杏は少し首を傾けながら尋ねてくる。

 その表情が本気だと言っている。

 ……困ったな。

 今まで初杏の真剣な表情を見たことがない。

 十五年間、一緒に暮らしているのにも関わらず。

 単に俺が覚えていないだけという可能性もあるが、それでも珍しいことに変わりはない。

 だから、戸惑ってしまう。

 初杏は「大好き」としか伝えていないが、返事を求めているということは、付き合うかどうか答えて欲しいのだと思う。

 けれど。

 兄と妹は結婚できない。

 これは、法で定められた事項であり、俺たち国民は法の下で暮らしている。

 つまり、この国で生活している限り、法に逆らうことはできない。

 今は付き合うかどうかという問題だが、本質的には同じだ。

 兄妹で付き合うことは法に違反しないかもしれない。

 だが、兄と妹が法によって結婚できないと定められた以上、兄妹が恋人になることに違和感を覚える。

 結果、人々の間では兄妹で恋愛するのは異常だ、という認識が生まれる。

 言い換えれば、常識だ。

 法で定められていなかったとしても、人々が持つ常識に逆らえば、捕まらないにしても異端者。

 常識を知らない、変人というレッテルを貼られる。

 常識とは、そういうものだ。

 深く考えもせずに、何となく人々の間で、共通認識していると思っているルール。

 どうしていけないのか? というのは愚問。

 いけないからいけないのだ、というトートロジー。

 言ってしまえば、単なる幻想。

 けれど、それに従わない者は徹底的に排除される。

 理不尽に思われるかもしれないが、それが常識だ。

 だから、俺が初杏に言うべき言葉は決まっている。

 ――はずなのに。

 言えない。

 初杏だって、悩んだはずだ。

 兄妹で付き合うことの異常さを考えて。

 兄妹で付き合うことのリスクを考えて。

 それでも、好きだという想いを伝えようと思ったのだろう。

 その気持ちを、無下にすることなどできない。

 俺も真剣に考えて、答えを出すべきだ。

 常識とかもひっくるめて。

 俺は息を吸って、返事をしようと声を出そうとした。

 瞬間、自分の愚かさに気付き、息を止めようとして、

「げほっ、げほっ、げほっ」

 盛大にむせた。

「だ、大丈夫?」

 初杏が俺に寄ってきて、背中をさすってくれる。

 ありがたい。

 何て優しい妹なんだ。お兄ちゃん、ちょっと泣きそう。

 ……息は無理に止めるものじゃないな。喉へのダメージが大きい。

 けれど、そうせざるを得なかった。

 だって、気付いてしまったから。

「大丈夫だ……。そ、それより、今日って何の日だっけ?」

 初杏は俺から離れて再び正座をする。

 初杏は顎に指を当てつつ首を傾げて、

「ストラップの日?」

 初耳だよ! 何でそれが最初に出てくるんだ!

 いや、あえてとぼけている可能性があるな。自分の嘘を見抜かれないように。

「いや、エイプリルフールな」

 そう、四月一日はエイプリルフール。嘘をいても許される、と言われる日だ。

 起源ははっきりしていないらしいが、様々なゲームでよくわからないイベントが発生したりするらしい。

 らしい、と言っているのは、俺はほとんどゲームをしないからだ。

「あ、そっか!」

 初杏が「今、気付きました」って感じをかもし出してるが、どうせ演技だろう。

 我が妹がここまで演技派だとは意外だ。

「初杏さ、エイプリルフールだからって俺に嘘を吐いたんだろ?」

「ん? 何のこと?」

 まだとぼけるのか……。

「いや、だから……。さっき俺に告白してきたのは、嘘なんだろ?」

 他人の嘘を追及するのは、何というか、心地良いものじゃない。

「さあ、それはどうでしょう?」

 初杏は笑みを浮かべながら、俺の質問に答える。

 いや、どこぞの超能力者みたいに言われても、答えになってないけど。

 確かに、嘘で騙そうとしているのなら、下手に「嘘だ」とか「嘘じゃない」とか言ってしまうよりは得策なのかもしれない。

 初杏はすっと立って、

「それじゃ、返事待ってるからね」

 と言って素早く立ち去った。

 再びリビングには俺一人となる。

「完全に逃げたな……」

 嘘だとバレたくなかったのだろうが、今のは完全にミスだろ。

 深く追及されたくなかったという気持ちが見え見えだ。

 どうせ、明日あたりに「昨日の告白は嘘でした~」といつも通り初杏が明るく言ってくるに違いない。

 だから、今日初杏に告白されたことを気に留める必要はないだろう。

 ……何だか、無駄に初杏に振り回された気がする。疲れたな。

 そういえば、プリン、まだ全然食べてない。

 スプーンですくって、口に運ぶ。

「…………甘い」

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