【第177話】監視者

 エリアスとの合意の後、冒険者ギルドを出たシリューとミリアムは、適当な露店で昼食を済ませ、夕方までのんびりと街を散策した。


 学院には制服で通う事になるが、とりあえず何着か新しい服も買った。


「これって……デート、ですよね?」


 夕食の席で、ミリアムは少し照れ臭そうに頬を染めて尋ねた。


「な……うん……そうだな、そうだよ」


 そう答えはしたが、シリューの本当の目的は他にあった。


 クランハウスに入れるのは明日からになる為、二人は宿の部屋へと帰ったが、シリューはすぐにミリアムを自分の部屋へ招き入れた。


「ミリアム、実は……」






 宿の三階にある、左端から二番目と三番目の部屋の明かりが、ほぼ同時に灯る。


 カーテンで閉じられているため、中の様子までを詳しく窺い知る事はできないが、それでも時折カーテンに映る人影は、二人がそれぞれの部屋から動いていない事を証明していた。


〝今日もまた、つまらなく長い夜になりそうだ〟


 百メートルほど離れた建物の陰で、完全に気配を消したマリータは、部屋の窓をじっと見つめたままそう思った。


 あの二人がこの街に着いてから、オルタンシアの依頼でずっと監視を続けている。


 だが、二人とも昼間特に変わった行動をとる事もなく、夜は夜で大人しくさっさと寝てしまう。


 はじめは恋人同士かとも思ったが、どうやらそうでもないらしい。


「こんな簡単な仕事なら、わざわざ私が来るまでもなかったわ……」


 獣人系であるマリータは、魔族の中でも特に優れた隠密性を武器に、いかなる所、いかなる人物に関わりなく、誰にも悟られる事なく情報を掴む、間諜の中の間諜だった。


 そう、、のだ。今までは……。


「わざわざ来たのが運の尽き、だったな」


 突然背後から聞こえた声に、マリータは反射的に振り返り身構える。


 だが。


 振り向いた先には、薄暗い路地が続いているだけで、人の姿はない。


「残念、こっちだよ」


 全身が跳ね上がるような衝撃が走り、マリータは意識を失った。






 瞼を閉じていてなお、目を刺激する光に、マリータは意識を取り戻す。


 幾つか置かれた魔道具のランプが、煌々と照らす部屋の片隅。


 薄っすらと目を開けると、目の前には宿の裏口を見張っていた筈の相棒、ジールが縛られて横たわっていた。


「やっと目が覚めた? マリータさん、それとも本名のベルナって呼んだほうがいいかなぁ」


 マリータは声の聞こえた方を見上げ、驚愕の表情を浮かべる。


「お、お前はっ……」


「知ってるんだろ? 俺はシリュー・アスカ。こっちはミリアム」


 マリータは素早く、冷静に状況を見極めようと視線を巡らせる。


 だが、自分が仲間とともに捕らえられたという事意外、何一つ分からなかった。


 何故バレたのか、何故捕まったのか、そして何故、この男は自分の名前を、しかも本名まで知っているのか。


〝オルタンシアが裏切った?〟


 一瞬その考えがマリータの頭を過るが、それには何のメリットもないはずだし、そもそもオルタンシアがマリータの本名を知っている筈がない。


「ああ、そうそう。あんたたちが、ずっと張り付いてたのは、最初から分かってたよ?」


 マリータにとってシリューのその言葉は、とても信じがたい、今まで培ってきたものを全て否定されたかのような衝撃を伴っていた。


〝最初から……だと? ありえない!〟


 マリータは平静を装ってシリューを睨みつけた。


「完全に気配を消していたのに、何故……って顔だな? レグノスの二人も同じ事を言ってた気がするよ。カタリーナにサムリだったか?」


 マリータの目にわずかな動揺の色が滲む。


「はっきり言って、目障りなんだよな」


 シリューは涼し気な笑みを浮かべ、ちらりと隣のミリアムに目を向ける。


「そうですね、覘かれてるみたいで、感じ悪いです」


 王都に入ってすぐ、シリューは【探査:パッシブモード】を発動させ、一定の距離を保って追尾してくる二つの輝点に気付いた。


 はじめはハーティアを監視しているものとおもったが、学院で別れた後もその輝点は自分たちから離れなかった。


 当面は放っておくつもりで泳がせていたが、エリアスからの依頼を受けた以上、始末をつけたほうがいいだろう。


 そして、素早く二人の監視者を捕らえた後、明日から借りる予定のクランハウスへと運んだ。


「こそこそ監視するって趣味悪いよな」


 シリューとミリアムは、お互い顔を見合わせて頷きあう。


「ふん……だから、なんだ?」


 ふてぶてしいマリータの態度にも、シリューは笑顔を崩さない。


「知ってる事を喋ってもらう」


「みくびるな、どんな拷問も時間の無駄だぞ。さっさと殺すんだな」


 それは虚勢ではなく、マリータにとっては紛れもない事実だった。


 拷問に耐えうる訓練に加え、痛みを緩和する薬を常に服用し、しかも任意の対象以外への情報の発言や伝達を規制する、封印系の魔道具も装備していた。さらに、その首輪型の魔道具は、正規の手段で外さない限り爆発を起こし、装着者の首から上を吹き飛ばす。


 情報を漏らす事はあり得ない。


 それが魔族の間諜だった。


「ああ、何か誤解があるみたいだな? 俺は喋ってもらう、と言ったんだ。あんたたちに選択肢はない。ミリアム」


 シリューはミリアムを促し、もう一人の女を起こさせた。


「自分の首は見えないだろ? ほら」


 マリータとジールはお互いの首を確認し、驚愕の表情を浮かべる。


「く、首輪が……」


「あ、あり得ない……どうやって……」


 二人の口から、思わず声が漏れる。


「ちなみに、奥歯に仕込んだ毒も回収させてもらったから。それと、俺もミリアムも治癒魔法を使えるから、舌を噛んでも無駄だよ?」


 最後の切り札まで封じられた形になったが、マリータもジールも既に落ち着きを取り戻していた。


「言った筈だ、拷問など時間の無駄だとな。我々が情報を漏らす事はない」


 マリータは卑下する目をシリューに向けた。


「だろうね、でも俺はあんたたちを殺さないし、拷問する気もない……」


「……シリューさん……」


 ミリアムは厳しい目つきてシリューを見つめた。何を言いたいのか、それはシリューにも分かる。


「ふん、とんだ甘ちゃんだな……」


 マリータが不敵な笑みを浮かべる。


 おそらく、そうなのだろう。


〝ああそうさ、俺は甘ちゃんだ〟


 だがそれでも、シリューは人の命を奪うつもりはなかった。たとえそれが、自分の弱さであり現実からの逃避だとしても、それならば最後まで徹底的に逃げる。


 いつかその誓いを破る時がくるまでは。


「さあ? 殺さないとは言ったけど、何もしないとは言ってないだろ?」


 マリータは馬鹿にしたように笑ったが、ミリアムはシリューの言葉の意味にはっと目を丸くした。


「あ、シリューさん、まさか……」


「まずはマリータさん、あんたからだ」


 シリューはミリアムの言葉を無視して、マリータの肩へ手を触れた。


「……っ!?」


 その瞬間、マリータの身に着けていた物が一つ残らず消えた。当然下着も含めて全て。


「ああやっぱり……シリューさん、それは、残酷です……」


 ミリアムは、予想通りのシリューの行動に眉をひそめたが、シリューは気にする事なくにっこりと笑った。


「ジールさん? よく見とけよ、こいつが終わったらあんただからな。ヒスイ!」


「はい、です」


 シリューに呼ばれたヒスイが、マリータの目の前に止まり、妖艶な笑みを浮かべて、その透明な羽からきらきらと幻想的に輝く光の粒子を振りまく。


「ま、さか……げんわ……く……」


 マリータの目は徐々に光を失い、焦点も合わず虚ろな色に変ってゆく。


「ちょっと違うな、それは幻惑の上位技能『精神浸食』。相手の精神を崩壊させて自我を奪い、命令を聞くだけの人形に変える。お前が何をどう思おうと、抵抗はできない……ってもう聞こえてないか」


「あーああぁぁ」


 マリータの口元はだらしなく緩んで涎を垂らし、さっきまでとは別人と思うほど、その表情にはまったく締まりがない。


「ひぃっ」


 へらへらと笑うマリータの変貌ぶりを目にして、ジールは小さく悲鳴をあげた。


「こいつは明日の昼間、腹と背中に『魔族』と書いて、裸のまま街に放り出す。二週間ほどで元の精神状態に戻るし、記憶も残ってるからな、その時を楽しみにしてるといい」


 シリューはジールを眺めてにやりと笑った。


「シリューさん……とっても悪い顔です」


「あ、そうそう、元に戻っても、発作的にこの状態になるから、周りはいろいろと楽しめるかも」


「……シリューさん……鬼です」


 これなら、拷問のあと殺されるよりよっぽど残酷ではないだろうか。ミリアムは背中に冷たいものが流れるのを感じた。


「さて、じゃあ質問に答えてもらおうか」


「うーう、あああ、は、はいぃ……なん、なんで、も、聞いて、くだ、さいぃ……」


「うん、いい心がけだ。マリータ、お前は誰の命令で動いている?」


「ま、魔族……魔、神、教団……」


「魔神教団?」


 シリューは初めて耳にするその名に、思わず振り返りミリアムを見つめた。


「ま、まさか……本当に……?」


 驚愕の表情を浮かべ、ミリアムは声を押し殺すかのように口元を手で覆った。




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