【第173話】シリュー逆襲?
「そういえばさ、お前、神殿に報告とかしなくていいの?」
「え?」
宿を出て通りを二人並んで歩き、ちょうど西通りの手前に差し掛かった時、エターナエル神殿が目に入り、シリューは何気なくミリアムに尋ねた。
「いや、冒険者は街を移動したら、届け出ないといけないだろ。神教会はいいのかなって思ってさ」
冒険者ギルドへは、昨日王都へ着いたその足で報告を行っていた。
「え……え?」
ミリアムは立ち止まって硬直する。
「お前……もしかして、忘れてた?」
「わ、忘れてたわけじゃないですっっ、皆疲れたんで、明日でいいかなって……」
ぶんぶんと首を振って必死に自己弁護するが、ミリアムは目は怪しいくらいに泳いでいた。
「みんな?」
シリューは半開きのジトっとした目で、ミリアムを見つめた。
「シリューさんとぉヒスイちゃんとぉ……ハーティアさん、は関係なくて……あとは、私?」
「俺と、ヒスイ?」
ミリアムは、ゆっくりゆっくりと目を逸らす。
「あ、えっとぉ、じゃなくて……私……です……」
「ホントは?」
「忘れてました、ごめんなさい、人のせいにしようとしました、神様お許しください……」
顔の前で手を組むミリアムの目に、じんわり涙が滲む。
「お前……そのうち神官クビになるんじゃない?」
「やああだあああ、困る、困りますうううっ」
ミリアムは頭を抱え、ぷるぷると生まれたての小鹿にように震えながら喚いた。
「だよなぁ、神官じゃなくなったら、ただの紫パンツ残念変態娘だもんな」
「ち、違いますっっ、変態じゃないもんっっ!」
「あ、じゃあ、残念は認めるんだな?」
「ざ、残念じゃ……な、ない、ですもん……」
そこは最近、ミリアムにも自信がなかった。というか、少し自覚が出てきた。
「それにっ、今日のパンツ紫じゃないですから」
「いや、その情報いらない……」
ミリアムの瞳に一瞬光が灯り、唇に指を添えてここぞとばかりに、妖艶に微笑む。
「あら、確認しなくて……いいんですか?」
ミリアムは体にフィットした黒い法衣の、腰まで入ったスリットを覆う白い飾り布の隙間に指を掛け、太腿が僅かに覗くくらいにスカートをずらした。
だが、いつもいつもミリアムにしてやられるシリューではない。
ミリアムの意図に気付いたシリューは、大袈裟な仕草で彼女の正面にしゃがみ込んだ。
「そうだな、お前がそう言うなら、確認しとこうか」
「え?」
ミリアムの指が止まる。
「どうした? 見せたいんだろ? 遠慮しなくていいぞ。ちゃんと、じっくり観察してやるから」
シリューはミリアムを見上げ、左の口角を上げてにやりと笑った。
「や……え、え」
それは、お互いの精神をすり減らす、ぎりぎりの攻防。
「やっ、み、見せませんよっ、ばかっ、シリューさんのえっちっ!」
今回敗北したのはミリアムだった。
「ばかめ、いつもいつも優位に立てると思うなよ」
「くぅぅう、ヘタレのくせにぃ」
「お前も、な」
躰を背けて、腕を組み真っ赤な顔でねめつめるミリアムに、シリューはゆっくりと立ち上がり涼やかに笑って歩き出す。
「ほら、置いてくぞ。行くんだろ? 神殿」
「あんっ、待ってください」
激しく動揺しているのを悟られないよう、シリューは振り向かずに手招きをした。
ヘタレ二人の微笑ましいやり取りを、ヒスイはシリューのポケットの中で、生暖かく見守っていた。
「ほら、宿を出て左にまっすぐ来たところ、ここが西通りだ、分かるか?」
シリューは路地を抜けて出た、大きな通りで一旦立ち止まり、左右を確認するようにゆっくりと指を振った。
「ここからの景色、ちゃんと覚えとけよ。ほら、その角の店とか、結構個性的だろ?」
「は、はいっ」
「んで、この西通りを右」
「はいっ」
西通りを突き当たり、王城の堀に沿った道を左に折れれば、すぐに神殿の門が見えてくる。
「西通りをまっすぐ突き当たったら、王城の堀が見えるから、な?」
「あ、ホントですねぇ」
「そしたら左を見てみな」
シリューに促されて、ミリアムは左に顔を向ける。
「あ、神殿が見えますっ」
「そんなに難しくないだろ? あと、冒険者ギルドまでの道も、ちゃんと覚えろよ」
「は、はい……」
ミリアムは少し自信なさげに答えた。
神殿から冒険者ギルドまでは、本来一度くれば迷うような道ではないが、ミリアムの方向音痴は天才レベル、街に慣れるまで一人にするのは非常に危険だ。
〝ま、慣れても同じかもしれないけどな〟
そう思って、シリューはふっと笑った。
「ほら、クビにならないうちにさっさと行ってこいよ」
「……」
ぶっきらぼうにさっさっ、と手を振るシリューを、ミリアムは何も言わず上目遣いに見つめる。
「なんだよ」
「知りたいですか?」
「いや、何を?」
ミリアムはいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「いじわるなシリューさんには、教えたげませんっ」
それから、くるりと身を翻し、神殿の中へと駆けてゆく。
「おい、何の事だよっ」
シリューの声は聞こえたが、ミリアムは振り向かなかった。
〝いじわる言ってても、ちゃんと優しい事、知ってますよ〟
ミリアムは心の中でそっと呟いた。
十分ほどでミリアムの移動手続きが終わり、シリューたちは冒険者ギルドを訪れ、クランハウスについて尋ねた。
クランハウスとは言っても、実のところ冒険者クランの為に作られた物ではなく、あくまでも事務所を備えた住居の事を冒険者や商人たちがそう呼んでいるにすぎない。
扱っているのは商人ギルドに加入する不動産屋で、借りるには冒険者ギルドカードの提示と、冒険者ギルドの紹介状が必要となる。支払いはひと月毎に前払いだ。
「まあ、保証みたいなものです」
案内をしてくれている不動産屋の男が、特に意味を含めることなくそう言った。
上位ランクともなれば、かなり羽振りの良い冒険者稼業だが、裏を返せばそれは常に、命のやり取りをする危険の中に身を置くという事だ。
「つまり……月末まで生きてるかは分からないって事か……」
「ははは、まあ、言い方は悪いですが、そんなところです」
シリューの言葉に、男は少しばつが悪そうに笑った。
「さ、こちらです」
不動産屋の男に案内されたのは、南西地区の旧市街を抜けた第二城壁内の一軒家だった。
2m程の塀に囲まれ、門を潜ると十数人でガーデンパーティーができそうな庭があり、グレーと白のツートンカラーで、落ち着いた雰囲気の二階建ての家。
「ご予算には余裕がおありという事でしたので、こちらなら条件にぴったりかと思います」
条件というほどの条件でもなかったが、シリューが希望したのは、家賃は少々高くても比較的新しくて、広さよりも質の高さを優先し、家具もある程度揃っているものだった。
そしてもう一つ、旧市街の外であるという事。
実のところ、今日は痛みや眩暈こそないが、旧市街に入ると空気が重く感じられ、息苦しくなる。昨日の出来事のせいで、トラウマのようになってしまったのかもしれないが、四六時中それが続くのは勘弁してほしかった。
もちろん、シリューはその事をミリアムに話してはいなかった。
玄関を入ると、一階は事務所を兼ねた広いリビングになっていて、執務机にローテーブルとソファーのセット。美しい木目の飾り棚に金色のポールハンガー、奥の壁際には石造りの大きな暖炉がある。
〝なんか、パイプをくわえた名探偵でも出てきそうだな……〟
床の絨毯を踏みしめながら、シリューはそんな感想をもった。
「お洒落ですねぇ」
ミリアムは目をきらきらと輝かせて呟いた。
事務所を横切り、奥のドアを開くと廊下があり、手前にダイニングキッチン、廊下を進んだ奥に洗面所とトイレとバスルーム、一番奥が二階に続く階段になっていた。
「わあ、結構本格的なキッチン、オーブンまである! これなら、いろんな料理が作れちゃいますね♪」
ミリアムは嬉しそうにくるんっと回り、スカートを翻す。
「わぁ、見てくださいシリューさんっ。お風呂も広いですよっ、すごいっ」
二階へ上がると、階段のすぐ横にカウンターバーがあり、四脚のバースツールとゆったりしたソファーが置かれている。
「わ、なんか、大人っ、な感じですね」
酒は飲まないが、シリューもミリアムと同意見だった。
「部屋は全部で五つ、南西向きに三部屋、北東向きに二部屋の配置になっています。それぞれの部屋にベッドと机はありますが、シーツや毛布はお客様で準備していただく事になります」
不動産屋が、一つ一つ部屋のドアを開けて説明する。部屋の作り自体は全部同じのようだ。
「うん、いいね、気に入りました。ここにします」
「そうですかっ、ありがとうございます! お二人では多少広いかもしれませんが、なあに、すぐに増えるでしょうから、ちょうど良いと思いますよ」
男の言葉に他意はない。
「え……?」
「えっと……え?」
シリューとミリアムは、お互い顔をゆっくりと向けあう。
二人とも、徐々に頬が赤く染まってゆく。
「「ええええっっー!?」」
勿論、そういう意味ではない。
「では、事務所に戻って契約の手続きをいたしましょう。明後日には入れるよう手配いたします」
男はにこにこと笑った。
「早めにお仲間がみつかるといいですね」
「え?」
「みゅっ」
そういう意味だった。
派手な勘違いに気付き、シリューとミリアムはますます顔を赤くして俯くのだった。
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