【第171話】ミリアムは大人?

 ハーティアと別れた後、シリューとミリアムは冒険者ギルド本部から離れた南西区に宿をとった。ギルド近くには冒険者向けの安宿が多く、一階のサルーンでは、酒の入った男女が周りに憚る事なく騒ぎ、とてもではないが落ち着いて休める雰囲気ではなかったのがその理由だった。


「シリューさん、ここって……高いんじゃ……」


 洒落た外構を抜け、道路からは少し奥まったところに建つ、白を基調にした4階建ての宿には、エントランス上にテラスがあり、見るからに高級感が漂っており、ミリアムは場違いな雰囲気に思わず肩を竦めた。


「金は気にする事ないよ。ゆっくり風呂にも入りたいし」


「そ、そうですね」


 笑って答えたミリアムだが、


〝こんな贅沢……慣れたら堕落してしまいますっ……〟


 と、神官らしく心の中で自戒はしたものの、そこはやはり年頃の乙女、お風呂の誘惑には勝てなかった。


「今回はちゃんと、二部屋とるからな」


 前回のマナッサでは、ワイアットに任せたせいでダブルの一部屋にされた。


 どうしよう、とシリューもミリアムも焦ったのだが、結局ドラウグルワイバーンとの戦闘や、その後シリューが倒れた事もあり、ゆっくりと過ごす時間もなかった。


 ただ、シリューが目覚めると、ほとんど裸のミリアムが同じシーツにくるまっていたという、嬉し恥ずかしいハプニングはあったが。


「あ、でもでも、寂しくなったら私の部屋に、きてもいいんですよ?」


「……いや、いかねーし……」


 シリューは、赤くなったのをミリアムに気付かれないよう顔を背ける。


「ん? ん? シリューさん?」


 知ってか知らずか、ミリアムはシリューの顔を覗き込みながら、揶揄うようにぐいぐいと押し当ててくる。


「一緒にお喋りしたいなと思ったんですけど、あれ? シリューさん、顔赤いですよ。もしかして、エッチな事想像したんですか?」


 まさに、その通りだった。


「うるっさいっ、そんなわけないだろっ、なんで俺が、お前とっっ」


「あら、残念ですねぇ、せっかくお風呂があるのに……」


 ミリアムはシリューの耳元に唇を寄せ、ふっと息を吹きかける。


「隅々まで洗ってあげますよ、シリューさんの事……その後で、私も洗ってくれますか……わたしのあんなトコロやこんなト・コ・ロ……」


「え……?」


 シリューの心臓がゴムまりのように跳ねる。


「冗談、ですよ。シリューさん、かわいいっ」


「ばっ、うるさいっっ、ばっかじゃないのっ、バーカ、ばーかっ」


 語彙力が小学校低学年レベルにまで落ちたシリューは、ミリアムの腕を乱暴に振り払い、さっさと宿のエントランスに入っていった。


「ヘタレですねぇ……」


 ちょっとアダルトないたずらを仕掛けてみたミリアムだったが、シリューの後ろ姿にほっと胸を撫でおろした。


 ばくばくと心臓が跳ねているのが分かる。


「シリューさんが、うん、って言ってたら、どうなってたかな?」


 ミリアムは、どきどきの収まらない胸にそっと手を当てる。


「その時は、その時。よねっ」


 もちろん、シリューが拒否するのが分かっているからこそ、揶揄ってみたくなったのだが。


「あ、あれ? 足が……?」


 気づくと、動悸だけでなく、足も小刻みに震えていた。


 ミリアムも、立派なヘタレだった。


 ちなみに、二人別々の部屋をとったのは言うまでもない。


 明けて次の日の朝。


「シリューさん、起きてますか」


 こんこん、っと部屋をノックする音に続き、ミリアムの爽やかな声が部屋に響いた。


「ああ、今いく」


 シリューは上着を羽織り、ドアを開ける。ミリアムはドアの外で両手を前に重ね、にっこりと微笑んで立っていた。


「おはようございます、シリューさん」


「ああ、おはよ、ミリアム」


 二人並んで廊下を歩き、一階への階段を降りる。


「昨夜は……待ってたんですよ?」


「なっ、えっ、え?」


「お喋りしたかったのに……」


 澄ました顔で、ミリアムが横目にシリューを見つめた。


「あ、ああ、そ、そっち、ね……」


「ん? どっちだと思ったんです?」


「うるさい」


 なんとなく、最近はミリアムのペースに押されている気がするシリューだった。


 それから二人で一階のレストランに向かった。


「あ、シリューさんは座っててください。私が取ってきますから」


 ビュッフェスタイルの朝食を、ミリアムがてきぱきとトレイの小皿に取り分けていく。


「なんか、楽しそうだな……」


 首を捻って考えてみたり、うんうんと頷いてみたり、かと思えば、何かを見つけたように目を丸くしたり、微笑んだり。


 ころころと表情を変えるミリアムは、なんとなく心を弾ませているようだ。ついでに二つのメロンも弾んでいるが。


「シリューさん、昨夜は良く眠れましたか?」


 朝食後の紅茶を飲みながらミリアムは尋ねた。


 昨日シリューが街中で突然倒れてから、ミリアムの心をちくちくと攻め立てる不安は、収まる気配がなかったのだ。


「あ、ああ、大丈夫、ちゃんと眠れたよ。なんか、悪いな、心配かけて」


 笑顔で答えるシリューの顔色も表情も、いつもと変わらないように見える。だが、シリュー自身が一番それを気にしているのもまた事実だろう。


「そんな、謝らないでください。シリューさんが元気なら、それでいいんですからっ」


 ミリアムは極力明るい声で笑った。


「さてと、じゃあいくか」


「えっ、どこへ?」


 飲み終えた紅茶の白いカップをソーサーに置き、シリューはゆっくりと立ち上がった。


「クランハウスを探してみようと思ってさ。とりあえず、冒険者ギルドにいってみる」


「はいっ」


 ミリアムも後に続き席を立った。






「金の仮面の男……か……」


 カスモリスプの牽く勇者専用の馬車の中で、直斗は窓の外を動いてゆく景色をぼんやりと眺めた。


 レグノスで起こった事件の黒幕であり、城の崩壊とともに忽然と姿を消した魔族とその仲間。


「いったい、どこへ行ったんでしょうか」


 直斗の向かいで、恵梨香が誰とはなしに呟いた。


「ワイアットさんの話じゃ、王都に逃げたんじゃないかって事だったな。根拠はないけど、シリューと『断罪の白き翼』は多分、金の仮面の男を追っていったんだろうって」


「わたしたちも、もう一度王都へ向かいますか?」


 恵梨香が、判断を委ねるように直斗を見つめた。


「いや、あの二人に任せよう。戦力的に問題ないし、シリューは人探しが得意らしいからさ」


「人、探し……」


「あれ? 猫だったかな?」


 直斗は眉をひそめて首を傾げたが、どちらも間違いではなかった。


「とにかく、あとはエルレインに帰るだけだな……っと、そういえば途中マーサトレーンっていうリゾートに寄ってくって言ってたっけ」


「寄り道、ですか……」


 恵梨香の愁いを帯びた言い方が、直人には少し引っ掛かった。


「なんか、気になるのか?」


「……ええ、まあ……」


 いつもは凛とした恵梨香が、どこか落ち着かず、不安げな表情を浮かべている。


「あ、もしかして……転移の時に言ってたやつか?」


 恵梨香は大きく頷いた。


「前にも言いましたけど、転移って、肉体を量子レベルに分解してビーム状で送信……」


「……転移先の魔法陣で再物質化される、だっけ? 聞いた話じゃ、それとは原理が違うみたいだぞ」


「ええ、もう一つの方法は、二つの魔法陣を進行方向に対して地平面も反地平面も、それに特異点も持たない時空を構築して、重力赤方偏移のない球場のワームホールを形成するんです。でもそれだと、超時空間的な距離が実質ゼロになり、理論的には異なる空間に、同一の個体が同時に存在する事になりますよね?」


 恵梨香の目は真剣だが、直斗にはよく理解できない。


「つまり、何が問題なんだっけ?」


「要するに、わたしという存在が、幾つかに分かれてしまって……」


「今ここにいる恵梨香の他に、エルレインにも恵梨香がいるって事?」


 恵梨香は慎重に、そして直斗から目を逸らさずにゆっくりと頷く。


「はい」


「いや、はいじゃねーし」


 恵梨香は意外と心配性で怖がりだ。それは高校生になって、周りから姉御扱いに頼りにされる今でも変わらない。


「そういう可能性もある、という事です……」


「心配しなくても、俺たちは大丈夫だよ。とりあえずリゾートを楽しもうぜ」


 直斗は、膝に置いた恵梨香の手をぽんぽん、と軽く叩いた。


 エルレインからの転移の際に、一人だけ狭間の空間、『終わりなき連なる流れ』へ迷い込んだ事を、直斗は口にしなかった。

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