【第170話】ハーティアはブレない
「まったく、生きた心地がしなかったわ、正真正銘の馬鹿なのシリュー・アスカ」
エリアスとの邂逅を終え、執務室を退出したシリューたちは、秘書の無表情な視線に見送られ一階へ続く階段へ向かった。
階段の途中で、先頭にいたハーティアが振り向き、頭から湯気が見えそうなほど怒り心頭な目で、びしっとシリューを指差す。
「お前……なんか、エスカレートしてるぞ」
「シリューさん、シリューさんの毒もエスカレートしてます。残念ですが、ここはハーティアさんが、全面的に正しいと思います……」
「え……」
「シリューさん……アホの子です」
ミリアムは困ったように眉をハの字にして、目を閉じたまま首を振った。
「いや、でも、無意識で声が出ただけで……まあ、悪いとは思うけど、アホの子にアホって言われたくない」
「シリュー・アスカ、反論は認めないわ!」
ハーティアが、語気を荒げて言った。ほとんど感情を見せる事のなかった彼女も、シリューにはいろいろな表情を見せるようになった。と言っても、そのほとんどは怒りの表情だったが。
「ホント、エルフに恨みでもあるんですか、シリューさん」
満遍なく、誰彼となく毒を吐くシリューだが、特にエルフには辛辣なようにミリアムには思えた。自分への当たりがもっとキツかった事は、すでに頭になかった。
「いや、エルフってか、ツッコミどころ満載だろっ、ベアトリスさんも、エリアスさんもっ。エロエルフに、二千年もののロリエルフだぞっ。ツッコんで下さいって言ってるようなもんだろっ。普通ツッコむだろ、人としてっ」
「貴方のその発想が理解できないわシリュー・アスカ、もう馬鹿を超えた馬鹿ね」
「シリューさんは頭の中が壊れてます」
「いや、お前らも大概だな……」
一階へ降りたシリューたちは、カウンターの奥にいた受付嬢に軽い挨拶をして、学院へ向かうため通りに出た。
「学院ってここから遠いのか?」
目に入る範囲に、それらしき建物や敷地が見当たらず、シリューは遠くを見渡しながら尋ねた。
「そうね、ここは旧市街の南東だけれど……、少し説明をしておくわ……」
王都の旧市街は南東地区に冒険者ギルド本部、南西地区に王国騎士団、それからエターナエル神教会の神殿が北西地区、そして北東地区に王立魔導学と、王城をぐるりと取り囲むように、四つの組織の拠点が配置されていた。
「へえ、まるで王城を守ってるみたいだな」
シリューの素直な感想だったが、冒険者ギルドやエターナエル神教はもとより、騎士団、それに世界中から優秀な魔導士の集まる学院も、非常時には相当な戦力になるだろう。
「ええ、そうね。もう記録にも残っていないのだけれど、王都のこの配置は、『何かしらの脅威から、この国と世界を守るため』、なんて伝説もあるわ」
「脅威? 大災厄の事かな……?」
「もしくは……『魔神』、かしら……。どちらにしても、何の根拠もないわ。王都市民の、言ってみればお遊びみたいなものかしら」
「お遊び、ね……」
〝……魔神……〟
シリューはその言葉を追い払うように頭を振り、元の世界で聞いた幾つかの都市伝説を思い浮かべた。ほとんどは根も葉もない噂に尾ひれが付いたもので、これもそんな噂話が都市伝説化したに過ぎないのだろう。
「話が逸れたわね、学院は北東地区だから……」
「その角を左に曲がる?」
シリューはすぐ先の四差路を指差した。
「ええ、そうね、そこが一番早いわ」
そう答えたハーティアは、いつもこの道を使っているのだろう。
「あのっ、シリューさん……なんで、来た事もない道が……分かるんですか……?」
自分だけが取り残されたような気分になり、ミリアムは眉をハの字にして、不安げな表情を浮かべた。
「今俺たちは東に向かってるだろ……」
「……はい……」
「じゃあ、目的の北東は左手の方向だろ? 分かるか?」
シリューたちは話を続けながら、四差路を左へ折れる。
「はいっ、目標、北東ですねっ……?」
にこにこと頷くミリアムの瞳に、一瞬戸惑うような光が映ったのを、シリューは見逃さなかった。
「お前……今適当に言っただろ」
シリューの指摘に、ミリアムの目が泳ぐ。
「ふぇ? そ、そんなこと……な、ないですよぉ」
「ん? 何で今一瞬間があった?」
「あ、ありませんっ、間なんてありませんっ、シリューさんの勘違いですっ」
三人は東通りに出て、今度は右へ曲がる。
「じゃあ、冒険者ギルドがどっちか、分かるか?」
「ば、バカにしないでくださいっっ。私だってそれくら、い……」
胸の前で両拳を握ったミリアムは、口を尖らせてシリューに抗議して振り返る。
「それ……くら……い……?」
勢いよく突き出したミリアムの指先が、目標を失って所在なさげに宙を漂う。
「……不思議です……」
「何が?」
ミリアムは茫然と佇み、眉をひそめて首を傾げる。
「道が消えてます」
きっぱりと言い切った。
「お前……天才だな」
遠い目をして、シリューはぽつりと言った。
「私も……そう思うわ……」
ハーティアが溜息交じりに力なく零した。
「あ、あの……それって、絶対いい意味じゃないですよねっ?」
うなだれる二人の姿を交互に見比べ、ミリアムはぷるぷると首を振る。
「よかった、常識は残ってたんだ、辛うじて……」
「辛うじてって……常識の壊れたシリューさんに言われると……なんか悔しいですぅ……」
周囲をぐるりと高い塀に囲まれた、王立魔導学院の意匠をこらした正門の前で、先頭を歩くハーティアが立ち止まり振り返った。
「ここまででいいわ、お疲れ様」
「ああ、お疲れ」
「お疲れ様でした」
素直に頭を下げるハーティアに、シリューはひょいと右手を上げ、ミリアムは深々とお辞儀をする。
三人の様子を眺めていたヒスイは、シリューのポケットから飛び出し、ミリアムに倣ってちょこんと頭を下げた。
「当分は
「当分じゃなくて、暫く、な」
シリューは、ハーティアの言葉をあえて大袈裟な仕草で訂正した。
「どちらも同じようなものよ、学院で待っているわ」
「いや、行かないからな……って待て、なにその研究対象に向けるような眼は」
「研究対象よ」
「めっちゃ清々しいな……」
終始一貫したハーティアの態度だが、それが好ましいとはシリューは思わなかった。
「ハーティアさん、一緒に遊びに行きましょうね」
「ええ、宿が決まったら連絡して。私から訪ねるわ」
向き合ってほほ笑むミリアムとハーティアの間に、ヒスイがすうっと飛んで割り込む。
「ヒスイも一緒に行きたいの、です」
「そうね、一緒に行きましょうヒスイちゃん。シリュー・アスカはまるっと無視して」
ハーティアの最後の一言にぴくんと反応して、ヒスイは泣きそうな瞳でシリューを振り返った。
「大丈夫だよヒスイ。ハーティアは口は悪いし性格も悪いけど、全体的に嫌な女だけど……」
「何が言いたいのかしらシリュー・アスカ」
ハーティアは眉間にしわを寄せてシリューを睨んだが、シリューはまったく気にも留めず、ヒスイに向かって涼し気に笑った。
「まあ、いいところはないけどさ……本当は優しい女の子だから大丈夫、いっておいで」
「はいっ、ですっ」
「ばっ、な、何言ってるの!? ほんとっ、ばかじゃないのっっ」
ヒスイは嬉しそうにこくこくと頷いたが、シリューのストレートな誉め言葉に、ハーティアはさっと顔を背け熱くなった頬を髪の毛で隠した。
「シリューさん、そういうとこですよ……」
「え……ってか、何が?」
シリューの袖を摘んだミリアムは、ジトっとした半開きの目でねめつけるが、さすがに今回はハーティアを気の毒に思ったのか、そこに黒いオーラを纏ってはいなかった。
「ハーティアさん、その時は女の子だけで楽しみましょうねっ」
「ええ、そうね……じゃあ、私はこれで失礼するわ」
ハーティアは、顔を上げて門に向かって歩き、ふと思い出したように振り返る。
「ああ、そうそう、どうせ王都を拠点にするなら、宿よりもクランハウスを借りるほうが便利よ」
「クランハウス?」
シリューが尋ねると、ハーティアはこくんと頷いた。
「冒険者のクラン向けに貸し出してる家よ。一度見てみるといいわ」
「ああ、ありがとう。考えてみるよ」
それからハーティアは、少し迷った素振りを見せた後、不意にシリューのもとへ歩み寄りぴんっと背筋を正す。
「……あの……シリュー・アスカ……」
「ん?」
「……今回は、ありがとうございました。貴方のおかげで、無事に任務を達成できました、感謝いたしますシリュー・アスカ様」
いきなり慇懃な態度に戸惑うシリューに向かって、ハーティアは穏やかな表情を浮かべ深々と、そしてゆっくりと頭を下げた。
「な、なんだよ急に……随分よそよそしいな」
すっと顔を上げたハーティアの顔が、いつもの無表情に変わる。
「それが私たちの距離でしょう? シリュー・アスカ」
「……ま、そうだな……」
シリューは軽く頷いて、涼し気な笑みを浮かべる。
お互い、同じ目的で、同じ馬車に乗り合わせた。
ただ、それだけの事だ。
もちろん、それ以外の複雑な感情や心情をハーティアが抱いている事に、シリューが気付く事はなかった。
「じゃあ、学院で待っているわ、シリュー・アスカ」
「……そこは、ブレないのか……」
ハーティアは軽く手を振って門を潜っていった。
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