【第165話】大脱走!!
「これはっ、勇者様!」
宿のオーナーは、早朝に訪ねてきたその人物を見て驚きの声を上げた。
「皆様お揃いで、どういったご用件でございましょう」
勇者一行の宿泊しているのは、この街で最上位の格式を持つ宿だ。わざわざ朝食の為にここを訪れる筈がない事を、このオーナーはよく分かっていた。
直斗を含めて六人全員が丁寧に頭を下げ、早朝に訪ねた事を詫びた後、エマーシュが一歩進み出る。
「こちらに、シリュー・アスカ殿と仰る方がお泊りだと伺ったのですが?」
「シリュー・アスカ様……ですか?」
オーナーは少し考える素振りをみせ、ああ、と手を叩く。
「その方でしたら、三階にお泊りでございます。朝早くにご出立されるとの事でしたが、まだお部屋にいらっしゃると思います」
宿は、一階のホール全体がレストランになっていて、上階へ上がる階段が、入口から見て左右の両端にあった。
「では、ご案内いたします。どうぞこちらへ」
オーナーが手を差し伸べ、恵梨香、エマーシュ、パティーユが左の階段へ向けて歩き出す。
「すれ違いになるかもだから、俺たちはここで待ってるよ」
直斗とほのか、有希の三人はその場に残り、フロアの真ん中にあるテーブルを囲んで座る。
「いきなり大勢で乗り込むより、ここは恵梨香たちに任せた方がいいだろ」
恵梨香が振り向いてこくんと頷いた。
少し遅れて部屋を出たシリューを、ミリアムとハーティアが階段の手前の廊下で待っていた。
「おはよう、シリュー・アスカ」
「ん、ああ、おはよ、ハーティア」
ハーティアの声はいつもと同じで抑揚に欠けていたが、シリューにはもう、それ程気にはならなかった。
「じゃあ、いきましょう」
シリューが追いつく前に、ハーティアは階段を降り始める。
だが、一つ目の踊り場を過ぎたあたりで急に立ち止まり、慌てた様子で駆け戻ってきた。
「どうした? 忘れ物か?」
「大変よシリュー・アスカっ、あの王女が来ているわ!」
「え?」
シリューは一何の事か分からず首を捻る。
「だから。パティーユ王女よっ、勇者一行も一緒だわ。貴方、追われているのでしょう!?」
そこまで聞いて、シリューはようやく理解した。
「パティーが? 何で……」
やはり、あの時顔を見られたのだろう。しかも、勇者たちと一緒という事は……。
「やばい……」
階段を昇る足音が徐々に迫ってくる、もう考えている暇はなさそうだ。
「逃げるわよ」
ハーティアはさっと廊下の窓へ走り、勢いよく開け放った。
「飛び降りるのか?」
シリューはミリアムに目を向ける。
ミリアムはくんっと頷く。
「私は無理よ、覇力が使えないのだから。貴方が抱いて降りるのよ、いい? シリュー・アスカ」
「え? あ、ああ、わかった、急げ」
躊躇なくしがみついてくるハーティアの背中を、シリューが右手でしっかりと抱える。ハーティア自身は全く気にする様子がない。
” うん、そう。こいつはただの猫だ ”
なんとなく、柔らかいものが当たっている感触があるが、それも気のせいにする事にした。
と。
「うん、ミリアム、何してるの?」
左には何故かミリアムがひっしとくっついていた。
「気にしないでください、さ、早く降りて」
ミリアムは一切シリューの目を見ようとしない。
だが、あれこれ言い争っている場合ではない。
左から押し付けられているものの方が圧力が強いが、それも気のせいだと思い込む。
「じゃあ、いくぞっ」
「はいっ」
「ええ」
二人を抱え窓から飛び降りたシリューは、翔駆で足場を構築し、できるだけ衝撃のないように着地した。
「私とミリアムさんで馬を取ってくるわ、貴方は先に街の西、そうね、昨日倒れていた辺りで合流しましょう」
少し弾んだ声でそう言ったハーティアの瞳が、きらきらと光りを反射する。
「わかった、じゃあ頼む」
シリューは身を屈めつつ、西へと走り出した。
数回、ドアをノックをするが反応はない。
「アスカ様、お客様がお見えですよ」
オーナーが声を掛けても、部屋の中からの返事はなく、気配も感じられない。
ノブを回すと、何の抵抗もなくドアが開いた。
「鍵が掛かっていませんね、アスカ様? 失礼いたします」
中に入ると、テーブルもベッドもきれいに整えられ、すでに二人の姿はなかった。
「お二人とも、いつの間に出ていかれたのでしょう……」
オーナーが呟いたのを、恵梨香は聞き逃さなかった。
「二人?」
「ええ。シリュー・アスカ様と、お連れのミリアム様です」
オーナーの言葉に、今度はパティーユは目を見張った。
「ミリアムさん? 彼女が一緒だったのですか?」
「はい、お二人ご一緒でしたが……」
一瞬、何故かどきりとしたパティーユだったが、そもそもシリューが僚であると思うのは、単に自分勝手な妄想でしかないのだ。その妄想に複雑な気持ちを抱いても意味はない、とパティーユは高鳴る心を押さえつける。
「とにかく、下に行ってみましょう」
恵梨香は、踵を返し部屋を出ると、不自然に開け放たれた廊下の窓を見つけた。
「ここだけ、開いてますね……?」
「窓は清掃の時以外閉め切っているのですが、いったい誰が……」
オーナーの言葉を聞き終える前に、恵梨香は昇ってきた時とは反対の階段に走り駆け下りる。
「日向さん!」
一階のフロアで寛いでいた直斗は、階段から響いた恵梨香の声に立ち上がる。
「恵梨香!? どうした!」
恵梨香が珍しく大声を上げた事に、揉め事でも起こったのかと、早朝にも関わらず直斗の声も自然と大きくなる。
「あ、いえ。でも、もう出発したみたいです」
「え? って、誰も降りてこなかったぞ?」
直斗の言葉に、有希とほのかが頷く。
「ええ、ここではなく、窓から出ていかれたみたいです」
「窓!?」
「え、なに? それってあたしたちから逃げたって事? なんで?」
「逃げる理由なんて、ないよねぇ」
直斗も有希もほのかも、予想外の出来事に目を丸くして首を捻る。
そもそも面識すらないのだ、何故逃げる必要があるのか、恵梨香にも全く分からなかった。
だがパティーユには、単なる幻想でしかなかったものが、俄かに現実味を帯びたように思えた。
シリュー・アスカがもしも明日見僚なら、自分たちに会いたがる筈はない。
その時、宿の隣のコラルから、朝の静寂を破る馬の嘶きと蹄の音が響いた。
「いこう!」
直斗が入口へと走り、皆がそれに続く。
ドアを抜けて通りに飛び出した直斗の目の前を、鮮やかな栗毛の馬が、少女二人を背に駆け抜ける。
「うわっ」
「ごめんなさーいっ!」
「悪いけど、失礼するわ!」
跳ね上げられた土埃を躱す直斗に、馬上で手綱をとるミリアムがすれ違いざまに片手を挙げ、後ろに乗るハーティアはすました顔で首を傾けた。
「なんだっ、まったく……ぷっ、あははははは」
直斗は不意に込み上げてきたものに耐えられず、思いっきり吹き出してしまった。
「急に、どうしたんですか?」
「はははっ……いや、だってさ……なんか、ガキ同士の鬼ごっこみたいだろこれ、あははは、わけ分かんねー……」
恵梨香は走り去る馬と、笑い転げる直斗を交互に見比べ肩を竦める。
「まあ、そうですね……で、どうします? 追いかけますか?」
「……いや、いいんじゃね……」
よほどツボにはまったのか、直斗はひとしきり笑った後で顔を上げ、土埃に消えてゆく馬上の二人を見つめた。
「そのうち会えるだろ……縁があればね」
「ミリアム!」
マナッサの町から西へ3kmほど離れた小高い岩山の陰で、ミリアムたちを待っていたシリューは、駆けてくる馬を見つけ大きく手を振った。
「あ、シリューさんっ、お待たせしましたぁ」
ミリアムはシリューの目の前で馬を止め、ハーティアが先に降りるのを待つ。
「へえ、いい馬じゃないか」
シリューは栗毛の馬体を眺め、腕を組んで頷いた。
「分かるんですか?」
「いや、ぜんぜん。言ってみたかっただけ」
馬に乗れないシリューに、馬の良し悪しが分かるわけがなかった。
ハーティアは呆れたように、無言で肩を竦める。
「これから、どうしますか?」
「予定通り、街道を逸れて山沿いを進もう」
「そうね、こうなった以上、なるべく目立たないように行動する方がいいでしょうね……」
ハーティアはそう言って、じっとシリューを見つめた。
「……いや、なんか、悪い、てかごめん……」
「別に、責めているわけではないわ。ただ、本当に逃げて良かったのシリュー・アスカ?」
「え?」
いつもよりも、なんとなく穏やかで棘のない言葉の響きに、シリューは一瞬思考が止まる。だが……。
「え、待って、逃げようって言ったの、お前だよな」
それしか方法がなかったとはいえ、あの時はほとんど考える事もなく、勢い任せに逃げ出した。
「ちょっとスリルがあったでしょう?」
ハーティアは、シリューとミリアムの顔を交互に見比べ、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
「ぷっ、はははは、たしかに、なんかガキの頃を思い出したっ」
「あははは、ほんと、鬼ごっこみたいで、はらはらしましたね、ははははは」
「くふふ……そんなに、笑うほどの、ものじゃないと、思うのだけど、ふふふっあははは」
肩を丸めて、息も絶え絶えに笑うハーティアの無邪気な表情は、それが彼女本来のものであるように思え、ミリアムはふっとシリューに目配せをした。
シリューは軽く頷いただけで、何も口にはしなかった。
「追ってくる様子はありませんねぇ」
ミリアムは、額に手をかざして街に目を向けた。
「シリューさん、本当に、このまま行って平気ですか?」
これはシリューの心の問題だ。ミリアムは黙ってシリューの答えを待った。
「ああ、このまま行こう。縁があれば、そのうち道は繋がるさ」
いつか全ての道が繋がるその日まで、シリューの旅は続く。
空を渡る雲のように、河を流れる水のように。
形を変えながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます