【第154話】不穏の影
宿の前で馬車を降りた直斗は、急速に迫る異様な気配を察知し空を見上げた。
「何か来る! 皆、注意しろ!!」
街頭に響き渡るほどの声で直斗が叫び、道行く人々が動きを止める。
「直斗!」
有希が直斗の隣で身構え、恵梨香とほのかが後方で両翼に広がり、素早く周囲を見渡す。最後方に位置取るパティーユは、エマーシュと共に後方の警戒に当たる。
「上だ!」
直斗が指差した北西の空から、白と黒の光を纏った直径2mを超える爆光球が迫る。
「ほのかっ!!」
「おっけー! バリア!!」
何者かの先制攻撃は、ほのかの固有スキル【バリア】によって、着弾直前に阻止され閃光を発し大爆発を起こす。
「軌道から考えると、わたしたちを狙ったものではなさそうですね」
恵梨香が50mほど先の空中であがる爆炎を睨み、全員に聞こえるように話した。
「適当に撃ってきたの? 迷惑なヤツっ」
「有希っ、油断するな! 本体が来るぞ!」
爆光球と同じ進路を辿り飛来し、街の北外れに舞い降りたその怪物は、体長15mを超え翼開長が30mにも届く巨大なワイバーン。いやワイバーンのようなもの、と言った方が正しいかもしれない。
体表を覆う鱗は艶のある黄色ではなく、光をまったく反射しない鈍い黒。
蜥蜴のような頭には歪な角を生やし、通常であれば銀色のはずの目は爛れたように赤く、命の輝きを映してはいなかった。
「なに、アレ?」
その異様な姿に、有希が眉をひそめて息をのむ。
「何でもいいっ、行くぞ!」
「あ、うん!」
直斗は戸惑いを見せる有希を鼓舞するように叫び、一切迷う事なく怪物を睨み走り出す。
「エマーシュ、街の人たちの避難を!」
「承知いたしました。殿下、お気をつけて!」
パティーユは有希たちと共に、直斗の後へ続いた。
「今の……何でしょう?」
爆音と衝撃波による揺れが収まったあと、ミリアムは不安そうな表情を浮かべシリューを見つめた。
「何かの爆発みたいだけど……」
シリューは素早く、パッシブモード探査を掛けた。
視界の右上部に映るPPIスコープに、北西から迫る何者かを示す黄色い輝点が表示される。
「こっちだ!」
シリューは部屋を飛び出し、廊下にある北側の窓を開けた。
「何なの、アレ……?」
街の北側に着地したその何かを見つめ、ハーティアが訝し気に呟く。
どす黒い、ワイバーンのような巨大な怪物。
それは、シリューがレグノスで倒した個体よりも二回りほども大きい。
地上に降り立った黒い怪物の翼は、見る見るうちに8本ずつの棘に変わり、それぞれがまるで生きている触手のように蠢く。
その禍々しい異様な姿には見覚えがあった。
「あれはっ……まさか……」
「シリューさん、あれ……」
シリューとミリアムは顔を合わせて大きく頷く。
「ちょっと、アレが何か知っているの? ワイバーンのようだけれど、普通ではないわ」
冒険者として、また研究者として数々の魔物を見てきたハーティアだったが、初めて目にするあの怪物は、どんな資料にも載っていなかった。
「ああ。アレはたぶんワイバーンだけど、今はもうワイバーンじゃない」
「なに? 謎かけのつもり? シリュー・アスカのくせに」
「説明はあとだ。ミリアムと一緒に街の人の避難誘導をしててくれ、猫耳オレンジ」
昨日の闘いで魔力切れを起こしたハーティアは、未だ完全には回復していない。それはシリューのささやかな、一応の気遣いの言葉だった。
「……それはいいけれど……今はオレンジではないわシリュー・アスカ」
「いや、まあ、それはどうでもいいんだけど……」
「シリューさん、あれっ」
ミリアムが、怪物に向かって駆けてゆく一団を指さし叫ぶ。
先頭を駆ける男女二人に、その後に続く女性が三人。
「あ……」
窓枠から飛び出そうと構えたシリューは、その一団を目にした瞬間、呻くような声を漏らし唐突に動きを止めた。
「あの……シリューさん?」
ミリアムは、力なく呆然と立ち尽くすシリューの顔を見て首を傾げる。
「シリューさん、大丈夫、ですか?」
瞬きもせずに外を見つめるシリューの瞳の奥には、心なしか怯えの色が滲んでいるように見える。
「まさか……みんな、来てたのか……」
「え?」
心の中で呟いた筈のシリューの言葉は、無意識のうちに声となっていた。
あの時。
パティーユから逃げたあの路地では、ハーティアに抱きつかれ背を向けていたため、有希の存在に気付かなかった。
「シリューさん? 行かないんですか?」
シリューは酷く緊張した様子で俯いた。
「……行かない……俺は……必要ない……」
「大丈夫? シリュー・アスカ。顔色が悪いようだけれど……」
怯えるように声を絞り出すシリューが僅かに震えている事に気付き、ハーティアは怪物へと向かう男女を目で追う。
「あれは……さっきの……?」
後姿で顔は分からないが、最後尾を走る女性の服装と碧い髪には見覚えがあった。
「あれは……勇者だ」
「シリューさんっ、勇者様を、知ってるんですか!?」
ミリアムが驚いた顔でシリューを見つめる。
ゆっくりと、シリューが頷く。
「待ってシリュー・アスカ。貴方っ、勇者に追われているの!?」
今度はハーティアが驚愕の声をあげる。
「追われてるって……シリューさんっ……?」
ミリアムの脳裏に、レグノスを旅立つ前に聞いたシリューの言葉が蘇る。
“ 生きてるのがバレたら、多分、追手がかかると思う……。どうあっても、生かしてくれるとは思えないんだ ”
その時シリューは、勝てる相手ではない、とはっきり言った。シリューが勝てない相手など、勇者以外にいるのかとミリアムは思っていた。
「じゃあ、ホントに……あの五人の中の誰かがシリューさんを刺して、命を奪おうとしたんですね……」
「ちょっと、何、それ……」
ミリアムの悲し気な瞳と、ハーティアの不安と同情の入り交ざった瞳に見つめられ、それでもシリューは何も答えられずに顔を背けた。
暫くはその重い空気の揺れる中で、それぞれが暗闇の中の答えを探し出そうとするかのように、己の想いを見つめ直していた。
最初に口を開いたのはハーティアだった。
「わかったわ、シリュー・アスカ。とにかく、私たちは住民の避難を優先して、その後勇者の支援に向かう。行きましょう、ミリアムさん」
「はい」
踵を返して歩き出したハーティアの後に、ミリアムがこくんと頷いて続く。
「シリューさん」
ミリアムは思い出したように立ち止まり、ピンクの髪を揺らして振り向いた。
「シリューさんは、シリューさんの思うまま、行動してください。私は……何があろうとシリューさんの味方です」
そう言って廊下を駆けるミリアムの背中が、階段に消えてゆくのを、シリューは静かに見送った。
「近くで見ると、ホントでかいな……」
「それに、めっちゃキモい……」
禍々しい嫌悪感を放つ巨大な怪物を見上げ、直斗と有希がぽつりと呟く。
だがその表情に恐れはない。
「来るぞ!!」
直斗たちの姿を認めた怪物が、翼の別れた16本の棘を鞭のようにしならせ襲い掛かる。
直斗と有希は左右に飛翔し、一撃目を躱す。
怪物は、誰もいない地面に突き刺さった棘を瞬時に引き抜き、再度二人を狙う。
「なめるなっ」
直斗は、日の光を浴びて黄金色に煌めく聖剣テンポイントを構え、斜め上に一閃。その名の如く、僅か一振りで放たれた十の剣閃が直斗に迫る棘を切り裂く。
「烈火翔!」
有希が、炎を纏った棍を体ごと回転させ、次々と棘を焼き切る。
「
「翔破!」
後方から、ほのかの魔法と恵梨香の弓術が残りを粉砕する。
だが、切断され、焼かれ、粉砕された棘は瞬く間に再生し、触手のようにうねりながら攻撃を再開する。
「なっ!?」
驚異的な再生能力に、直斗と有希の動きが一瞬止まる。
「バリア!!」
淡紅色で透明なドーム型の障壁が、すべての攻撃を防ぎ弾く。
「二人ともっ、一旦下がってください! 流星雨!!」
恵梨香の放った輝く無数の矢は、棘を貫き、怪物の本体へと降り注いだが、その固い鱗に僅かな傷を付けただけだった。
「駄目です、わたしの技では、あの黒い鱗を貫通できません」
「わかった、恵梨香とほのかは棘の攻撃に集中してくれ」
二人が頷いたのを見て、直斗は剣を上段に構えなおした。
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