【第153話】異常接近!
「パティ!? なんでこんな所にっ」
シリューは咄嗟に髪をかきあげる振りをして顔を背け、その場から逃げるように足を速める。
目が合った瞬間不自然に顔を背けたシリューを、パティーユは口元を手で覆い息を止めたまま、ゆっくりと進む馬車の窓から目で追い続ける。
「止めてっ、止めてください!」
思い出したようにパティーユが叫び、馬車が停車した。
後ろに気を取られていたシリューは、左の路地から出てきた少女に気付かずぶつかってしまう。
「にゃっ」
「あっ、ごめ……」
小さな悲鳴をあげたてよろめいたのは、猫耳娘のハーティアだった。
「気を付けなさいシリュー・アスカ! ちゃんと前を見ているのっ」
「ごめんっ、ちょっと急いでるんだ、後でなハーティア」
鼻を押さえて抗議するハーティアは、気もそぞろなシリューの態度に眉をひそめ、ふと通りの先に止まった白い馬車に目を向ける。
馬車のドアがこちら側に開き、降りようとする女性の足元が見えた。
「待ちなさい」
ハーティアは、慌てて立ち去ろうとするシリューの腕を掴む。
「ハーティアっ、悪いけどっ」
「追われているのでしょう? こっちよ。来なさい!」
馬車の女性に見られる直前に、ハーティアはシリューを引き摺るようにして、たった今出てきたばかりの路地へ駆ける。
「ハーティア!?」
「いいからっ」
咄嗟に動いてはみたものの、路地には何処にも隠れる場所がない。
「マントを脱いで、シリュー・アスカ、早くっ」
ハーティアは、シリューを建物の壁際へ引っ張っていく。
「え? あ、ああ」
ハーティアが何をしようとしているのか、シリューには分からなかったが、他にいい方法も思いつかない。翔駆で空に逃げれば余計に目立つ恐れがある。
シリューは言われた通りグレーのマントを脱ぎ、ガイアストレージに収納した。
「しばらく我慢してあげるわ」
「えっ!?」
ハーティアはぴったりと躰を寄せ、シリューの首に両手をまわした。
停車した馬車のドアを開き、パティーユは飛び込むような勢いでステップを降りる。
「姫! どうしたんですか!?」
パティーユのいつもと違う慌てた様子に、直斗は後を追うように馬車から降りる。
「いえ、知人がいた気がして。皆様はここでお待ちください!」
「え? でも、姫!?」
「あたしが! 直斗はそこにいて!」
走ってゆくパティーユを、馬車から飛び出した有希が追いかけてゆく。
「どうかされましたか!?」
前部の窓が開き、顔を覘かせたエマーシュが馬車の脇に立つ直斗に尋ねる。
「いえ、知り合いがいたとかで、姫が……。ああ、でも有希が追っていったんで、心配ないです。いざとなれば俺も」
直斗は、駆けてゆく有希とパティーユの姿を見つめ首を傾げた。
僚が生きている。
そんな事があるのだろうか。
僚を殺し、龍穴に落としたのは自分だ。今でもはっきりとこの手に、記憶に、そして心に、まるで深い爪痕のように刻まれている。
1日たりとも忘れた事は無い。
その面影。
その罪。
その想い。
「僚、本当にあなたなの?」
パティーユは走りながら、心の中で問いかける。
他人の空似かもしれない。いや、おそらくはそうだろう。
だが、目が合った一瞬の彼の表情。
まるで、思いがけない場所で、思いがけない人に会ったような驚いた顔。
“ もしもあなたなら……逢いたい。僚、逢って、謝りたい。許されない事は分かっています。でも、どんなに詰られても、たとえ……その場で殺されるとしても……あなたに逢いたい。ああ、僚 ”
パティーユは、シリューの消えたはずの路地へと駆けこみ、立ち止まって辺りを見渡す。
グレーのマントを着た少年の姿は何処にもない。
建物の壁際に、一組の男女の姿が目に映る。
恋人同士だろうか、ぴったりと抱き合いお互いに何かを囁いている。
「あっ……」
思わずあげたパティーユの声に気付いたのか、背を向けた男の肩越しに金髪の少女が目を開き、男の首にまわした手をさっさっと2回振った。
“ 邪魔しないで ”
少女の瞳がそう訴えていた。
「ご、ごめんなさいっ」
パティーユは頬を染め、俯いたまま今来た道を戻る。
「姫?」
パティーユが顔を上げると、迎えに来た有希が立っていた。
「見つからなかったんですか……」
パティーユは力なく頷いた。
「そうですか……って、うわっ、昼間っから、だいたんっ」
奥の壁際で抱き合うカップルに気付き、有希は口元を押さえる。
「い、行きましょう、高科様」
パティーユと有希は、そそくさとその路地を後にした。
大通りに出て、パティーユは一度立ち止まり、西の空を見上げた。
もうすぐ日が傾き始める。
この時間から街を出発するような事は、普通ならしない。
あの少年の恰好も、マントは羽織っていてもすぐに旅立つ様子ではなかった。
直斗たちに話すわけにはいかないし、左腕に装着された『封印の腕輪』の効果でどちらにしても話す事はできない。
“ エマーシュに相談して、宿に着いた後、二人で探してみましょう ”
賑やかとは言え、それほど大きな街ではない。一晩あれば、手掛かりだけでも見つける事はできるだろう。
その時、パティーユはそう思っていた。
「もういいかしら」
ハーティアはシリューの首にまわした腕を解く。
「あ、ああ、ありがとう……助かった」
「心配しなくても、これで借りを返したなんて思っていないわ」
「そうか、いや、そんなに、気にしなくていいけど……」
何となく歯切れの悪いシリューに、ハーティアは訝し気な表情を浮かべる。
「調子狂うわね、シリュー・アスカ。とにかく、一度宿に帰るわよ」
「ああ」
二人は大通りを避けて、なるべく遠回りをしながら宿へと帰った。
「何も聞かないのか?」
「誰でも、聞かれたくない事はあるでしょう?」
途中、ハーティアは一切口を開かず、追われている理由も、相手が何者なのかも尋ねる事はしなかった。
「後でね、シリュー・アスカ」
宿の階段を上がり、部屋のドアのノブに手を掛けたハーティアの声には、どことなく柔らかな響きがあった。
「ああ……」
ハーティアの部屋を通り過ぎ、自分の部屋の錠を開けようとして、シリューはミリアムが中にいる事を思い出し手を止めた。下手なアクシデントは、今は避けたい。
「ミリアム、入るぞ」
コンコンとノックをして声を掛けると、中からミリアムの明るい声が聞こえてくる。
「はぁい、どうぞっ」
洗い髪のミリアムは、わざわざソファーから立ち上がってシリューを出迎えた。
「お帰りなさいシリューさん、必要な物は買えました?」
お風呂に入る事ができてよほど気が楽になったのか、ミリアムの声はなんとなく弾んでいる。
「あれ、シリューさん……? 何か、嫌な事でもありました?」
「え?」
「だって、元気ないですよ?」
ミリアムはこくんっと首を傾げる。
「マント……どうしたんですか? 出る時は着てましたよね」
「あ、ああ、ちょっとな……」
シリューは、まっすぐ見つめるミリアムの視線に耐えきれずに目を伏せる。
「シリューさん、何かあったのなら遠慮せずに話してください」
ぼんやりしているように見えて、ミリアムは意外と人の感情の機微に敏感なところがある。
「ミリアム、のんびりしてるとこ悪いんだけど、今すぐここを出る」
「え? 今すぐ、ですか? あの、どうして……」
思いがけないシリューの言葉にミリアムは反応が追い付かず、目を見開いてシリューを見つめる。
「悪いけどそれも今は話せない。後できっと説明するから、頼むミリアム」
シリューもじっとミリアムの瞳を見つめ返す。
「……わかりました、シリューさんがそう言うなら。じゃあ、ちょっと待っててください、すぐ準備しますから」
「ああ、ありがとう、ミリアム」
シリューは深々と頭を下げた。
「大丈夫ですよ、私、シリューさんを信じてますから♪」
満開の菜の花のようなミリアムの笑顔に、シリューは心が洗われる気がした。
「じゃあ、ハーティアにも声を掛けてくる」
「その手間には及ばないわ、もう準備はできているから」
勝手に開けたドアを潜り、ハーティアが何の遠慮もなく入ってきた。
「おまっ、ノックぐらいしろよなっ」
「したわよ、聞こえなかったの? 耳までバカなのシリュー・アスカ」
ハーティアは腕を組んで、半開きの目でシリューをねめつける。
「ああ、もう通常運転ね」
さっきまでの穏やかさは何処に消えたんだろう、とシリューは訝しんだ。
「シリューさん、じゃあ行きましょう」
ミリアムが自分の荷物をマジックボックスに収納した、丁度その時。
雷鳴に似た轟音が響き、建物全体を揺るがす衝撃が走った。
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