【第150話】そーゆートコです!

「随分遅かったですね、何かトラブルでも?」


 人々の寝静まった夜、アルフォロメイ王都のある建物の一室で、金の仮面の男が執務机の向かいに立つ二人の男女に声を掛けた。


「ああ、誰かさんが情報を隠してくれたせいでねぇ」


 にやりと笑ったエカルラートの声には、たっぷりの嫌味が込められていた。


 魔導書による転移の後、エカルラートとノワールは発信性を帯びた宝石『ベニトアイト』の探石計コンパスを使い、予め用意していた転移魔方陣にたどり着き、なんとか夜のうちに王都へと帰還した。


「情報? 何の事です?」


「とぼけるな、『深藍の執行者』の事だ」


 ノワールが殺気を帯びた目で、金の仮面の男を睨む。


 男は椅子から立ち上がって背後の窓を向き、手を後ろに組んで大きくため息をついた。


「なるほど『深藍の執行者』ですか……」


「お陰で、あたしは子飼いのオルデラオクトナリアを、2匹も無駄にしたんだけど?」


 どうしてくれるの? と、口には出さなかったが、エカルラートの表情には明らかな非難の色が浮かんでいた。


「それで、例の物は……」


「残念だね」


 男の言葉に、エカルラートが澄ました顔で肩を竦め手のひらを見せる。


「……そうですか、尻尾を巻いて逃げ帰った、と」


「ああ? 図に乗るんじゃないよオルタンシア、なんならここで殺してやろうか?」


 睨みあう二人の魔力が高まり渦を巻く。一触即発。


「よせ、身内同士で争うな」


 ノワールが凍るような冷たい声で二人を制した。


「……あ、いや、冗談だよノワール」


「ええ、我々なりの親睦の証です、失礼しました」


 オルタンシアとエカルラートは我に返り、警戒を解く。


 それでなくとも数の少ない魔族同士、ここで無駄に殺しあっても利する事はない。


「で、次はどうする? もう一度を襲うか?」


 ノワールの言う『ヤツ』が、誰の事を言っているのか、エカルラートはそう考えてくすりと笑った。


「いえ、別の方法を考えましょう。追って連絡しますので、それまではどうぞごゆっくり」


 ノワールとエカルラートは頷いて踵を返し、ドアへと向かう。


「ああ、そうだオルタンシア……」


 エカルラートがドアを潜った後、ノワールが立ち止まりゆっくりとオルタンシアを振り向く。


「情報を隠したら次は殺す。覚えておけ」


 深い闇を湛えるその瞳には、確実にもたらされるであろう死の光が滲んでいた。


「分かっています、私もまだ死ぬわけにはいきませんからね」


 オルタンシアの返事を聞き、ノワールは静かにドアを閉めた。


 直後、オルタンシアの金の仮面がバラバラに崩れ落ちる。


「やれやれ、意外に自己顕示の強い人だ……」


 オルタンシアは切り割られた仮面の残骸を眺め、それでも落ち着いた様子で呟く。


「さて、それよりも……」


 オルタンシアは机に置かれた、エルレイン王都の間者からの報告書に目をやる。


「召喚者の一人が行方不明……」


 オルタンシアの口元が大きく歪む。


 情報によると、勇者一行もこの王都を経由してレグノスに向かっている。


「面白い……」


 勇者、それから深藍の執行者、ともにそろそろマナッサに到着する頃だ。


「少し、遊んでみますか……」


 真夜中にもかかわららず、オルタンシアはスペアの仮面を被り、軽快な足取りで部屋を後にした。






 静かな夜が終わり、薄明を迎える空が徐々に碧さを増してゆく


 テントから起き出したミリアムは、燻りかけた焚火の前に佇み、きょろきょろと辺りを見渡した。


「あれ……?」


 そこに在るはずの人影が、何処にも見当たらない事に、ミリアムは何故だか僅かな不安を覚える。


「なんだ、もう起きたのか?」


 不意に背後から声をかけられ、振り向いたミリアムの目の前で、空中から舞い降りたシリューの髪が風に揺れる。


「シリューさんっ、おはようございますぅ」


「ああ、おはよ」


 ミリアムの寝起きの声が少しだけ低くしゃがれている事に、シリューはふっと口元を緩めた。


「まだ寝ててよかったのに」


「いえ、朝ごはんの用意しますっ。それに私、朝は強いんです」


 自慢げに小さくガッツポーズをとるミリアムは、一晩眠ったおかげで機嫌もいいようだ。


「俺も手伝うよ」


「大丈夫ですよ、シリューさんは休んでてください。あ、材料と調味料を出してもらっていいですか?」


「ああ、じゃあ火だけでも」


 シリューはガイアストレージから、ミリアムの指定した食材と調味料を渡し、燻るだけの焚火に薪をくべ火を着けた。


 てきぱきと楽しそうに朝食の準備を始めたミリアムが、ふと思い出したようにシリューを眺めた。


「そういえばシリューさん、何処に行ってたんですか?」


「ん、ああ、威力偵察ってとこ」


 シリューは【翔駆】と【探査】を使い、この野営地からマナッサ近くまでの街道を調べた。


 ただし、【探査】では地中深くまで探索できない為、途中怪しい場所には制圧射撃を加えて様子をみた。


 結局、何も見つけられず徒労に終わったが、安全が確認できたのだから十分だろう。


「空を飛んで……もしかして、マナッサまで、ですか?」


「うん、まあ」


 ミリアムは頬に指を添え、ちょこんと首を傾げる。


「それって、エラールの森の時みたいに、抱っこして王都まで連れてっちゃえば、良くないですか?」


「あの猫耳オレンジを、か?」


 眉をひそめてシリューが尋ねる。


「あ……」


 自分で言った言葉の意味に気付いたミリアムは、、胸の両脇で握った拳をぷるぷると振った。


「だっ、ダメですっっ。それはっ絶対に、だめぇ!」


「うん、俺だって見ず知らずの女の子と、長時間密着する気ないし。だいたい、お前が勝手に言ったんだろ?」


「そ、そう、ですけど……」


 口ごもって顔を伏せるミリアムの頬が、僅かに赤く染まる。


「それに、昨夜だって、お前が心配するような話しはしてないからな」


「やっ、そ、そんなっ。私、別に……しんぱ……」


 ミリアムは俯いたまま、それでも嬉しそうに口元を緩めた。


「……してませんよ、心配なんて……えへ、えへへ」


「お前さ……」


「はい?」


「たまに笑い方が変」


 ぴきん、っと音を立てるように、ミリアムの笑顔が凍り付く。


「シリューさん……そーゆーとこ、ですよっっ」


 まさにすべてをぶち壊す余計な一言。


 ミリアムは上目遣いにシリューをねめつけたあと、諦めの籠った溜息を零した。






 見渡す限りに続く草原の柔らかな緑の中に、昇り始めた日の光を浴び鮮やかに浮き立つ白い馬車が、緩やかな風に吹かれ佇んでいる。


 馬車を引くための二頭のカスモリプスは、時折思い出したように足下の草を喰む。

 髪をくすぐる風に身体を預け、ほのかはなだらかな丘を渡る風に草が揺れ、反射した日の光が波のように走り去るのを、ただぼんやりと眺めていた。


 心地よい風が運ぶ草の匂いにどこか懐かしさを感じて、ゆっくりと深呼吸をする。


「おはようございます。私もご一緒してよろしいですか?」


 振り向くと、パティーユがにこやかな笑顔で立っていた。


「あ、姫様……おはようございます」


「気持ちのいい風ですね」


 パティーユは両手を広げ、からだ全体で風を受け止めるかのように大きく伸びをした。碧い髪の一筋が、ふわりと風に踊る。


「考え事、ですか?」


「あ、いえ。ボーっとしてただけで。ただ……」


 大きなため息を零したほのかの、続く言葉を促すこともせず、パティーユは黙って隣に並んだ。


「……風の匂いは同じだなぁって……この世界も、私たちの世界も」


 遠くに霞む山々を見つめるほのかの横顔に、僅かな影がさすのをパティーユは見逃さなかった。


「葉月様……」


 いつもマイペースで、この環境に最も早く順応したように見えるほのかだが、何の心構えもなくこの世界に召喚されて半年、引き離された家族や友人への、そして故郷への思慕が深まるとしても当然のことだろうと、パティーユには思えた。そしてその責任の全ては、召喚を決行した自分にある、と。


「……申し……」


「あっ、謝らないでくださいね、姫様」


「え……」


 まるで心を読んだかのように、ほのかはパティーユの言葉を遮った。


「前にも言いましたけど選んだのは私ですから。それにみんなもいるし、大丈夫ですよ?」


 眩しそうに目を細めるほのかの笑顔には少しの曇りもなく、その言葉が単に相手を安心させる為のものではないと、パティーユにもはっきりと理解できた。


「レグノスから西へ暫く行った先に、マーサトレーンという街があります……」


「ん?」


 唐突な話に首を傾げたほのかに、パティーユは柔らかな笑みを向けた。


「とても美しい湖のほとりにあって、観光地として有名なところなのです」


「観光地……」


 ほのかの瞳に光が差し、その表情が好奇心に満ち溢れてゆく。


「レグノスでの調査が終わったら、気分転換に寄ってみましょうか?」


「あの、いいんですかぁ?」


「はい。数日、帰りが遅れても問題ありません。それに……私も一度行ってみたかったのです」


 パティーユの声も嬉しそうに弾んでいた。






 日が昇り、慌ただしく出発の準備に取り掛かる商人たちの声が、静寂な朝の空気を破り、一日の始まりを告げる鐘のように響く。


「おはよう、ミリアムさん……と、にシリュー・アスカ」


 馬車に乗り込もうとしていたシリューとミリアムに、後ろからやって来たハーティアが声をかけた。


「あ、おはようございます」


「え、なに、そのあからさまにって。しかもなんでフルネーム呼び?」


「挨拶は? シリュー・アスカ」


 ハーティアはまるで意に介さず、シリューをねめつける。


「ああ、おはよう。ねこみ……ぐっ」


 ミリアムが無言のままシリューの後襟を掴み、体勢を入れ替えるようにおもいっきり引き寄せた。


「げほっ、ごほっ、おまっ……」


「シリューさん黙って!」


「あの、なに? 一体……」


 喉を詰まらせて咳き込むシリューと、引きつった笑みを浮かべるミリアムを交互に見比べて、ハーティアは眉を顰める。


「ああ、あの、何でもありませんっ。気にしないでください」


「……一瞬シリュー・アスカの足が浮いたように見えたけれど……」


 シリューは苦しそうに喉を押さえ、蹲っている。


「き、気のせいです……」


「それに何か、鈍い音もしたけれど……」


「あ、私の手首の関節が鳴った音ですぅ」


 ミリアムはぷらぷらと掌を振った。


「ほ、本当に大丈夫? 随分苦しそうだけれど……」


「はいっ!」


“ なんでお前がっ ”と、言いたかったシリューだが、咳が収まらず声に出す事ができなかった。


「ならいいけれど……」


 ちらちらと様子を伺いながら、ハーティアは馬車に乗り込んだ。


 ハーティアが席に座るのを見届けて、ミリアムは未だに咳き込むシリューの胸倉を掴む。


「シリューさんっ」


「おま、えっ、ごほっ……殺す気かっっ、げほっ……喉仏潰れるかと思ったぞっ」


「そんな事はどうでもいいんですっ」


「いや、良くないだろ、それ……」


 ミリアムはシリューの服を掴んだまま、ぐっと顔を寄せる。


「シリューさん、いい加減女の子をパンツの色で識別するのやめて、ちゃんと名前覚えてくださいっ」


 囁くような声に混じるミリアムの吐息が、シリューの首筋をくすぐる。


「いや、ちゃんと覚えてるぞミリアム」


「私じゃないですっっ」


 がっくりと肩を落とし、ミリアムは困ったように眉をハの字にして溜息を零した。


「ホント……そういうトコですよ、シリューさん」


「うん、なんかお前に言われると、めちゃくちゃへこむわ……」


 シリューたちを乗せた馬車は、キャラバンを引き連れマナッサへと出発する。


 同じ頃、レグノスへ向かう勇者一行も、中継点マナッサを目指し野営地を後にした。



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