【第111話】白き翼再び!

 その日、シリューはいつもの通り、『果てしなき蒼空亭』の1階にある食事処で朝食を終え、宿の女将の娘カノンが入れてくれた紅茶の香りを楽しんでいた。


 珈琲派のシリューだったが、もうずいぶん朝の紅茶にも馴染んできたようだ。


「ご主人様? 今日は何をするの、です?」


 ヒスイはテーブルの上にぺたんとアヒル座りして、シリューを見上げた。美しく整った、人間の女性に例えるなら美人顔で大人びた雰囲気のヒスイだが、こうして上目遣いに碧の瞳をぱっちりと開き、小首を傾げる仕草には毎度癒される。これもピクシーの持つ魔力の一つなのかもしれないな、とシリューは思った。


「……そうだね、まず神殿に行こうと思う」


 シリューの預けた〈あの時は『断罪の白き翼』の姿だったが〉、人造魔石の奪還。それがカルヴァートの次の狙いではないかと、シリューは考えていた。


 元々ランドルフに使われた人造魔石は、その魔力と稼働時間に限りがあったのではないか。


 街を破壊しようとしたのは実験のパフォーマンスだろうが、魔力を消費させる目的もあった。そして廃墟となった街で、魔力の切れた魔石を回収する計画だった。


 ただ、シリューによって破壊された魔石を、一旦は利用価値のないものと判断し放棄した。が、たとえ欠片であっても魔力が残留している限り、魔石は魔獣を創り得る事が証明されたわけだ。


 これをそのまま放っておくだろうか。


 相当なリスクとコストをかけて作成し、実験までしたものを。


 魔獣と『断罪の白き翼』の戦いを目にしたカルヴァートは、砕かれた魔石にも利用価値がある事に気付いたに違いない。そして何らかの準備のために急ぎ城に戻った。もちろん、準備とは魔石回収のためのもの。


 それが、シリューの推理だった。


「ただ、なぁ……」


 なるべく早く、その事を神殿長に伝えておきたいのだが、人造魔石を預けたのは、あくまで『断罪の白き翼』であってシリューではない。


「ま、いいか」


 ミリアムにも顔を合わせづらいし、ひとまず白の装備で尋ねれば問題無いだろう。


「それじゃ、行こうか」


 シリューは空になったティーカップを置いて立ち上がった。


「はい、です」


 いつものように、ヒスイが胸ポケットに潜り込む。


 奥のカウンターで客の様子を窺うカノンに声をかけ、シリューは宿を出た。見上げると抜けるような青い空に、ぽっかりと白い雲が浮かんでいる。


「……そういえば、こっちに来てまだ雨に降られたこと無いよなぁ……」


 雨季と乾季に分かれているのだろうか、とぼんやりと考えながら大通りに出た時だった。


「ご主人様……何かおかしいの、です……」


 ヒスイがやにわにポケットから顔をだし、いつもより低い声で言った。


「え?」


 いつもなら、人前ではポケットの中でじっとしているか、姿消しを使うヒスイが、人目も憚らずに飛出しシリューの目の前で空を見上げる。


「魔力……結界の魔力を感じないの……です。結界が無くなっているの、です」


 何の事なのかすぐには分からず、シリューはヒスイに倣って空を見上げた。


「……結界……?」




【解析、レグノスを囲う魔力結界が完全に消失しています】




 セクレタリー・インターフェイスが、すぐさま解析結果を表示する。


「魔力結界が……」


 魔力結界は、いってみれば巨大な魔法陣で、城壁や市内の13か所に特殊な魔石と装置を設置し、それぞれに魔力を送り込む事で形成され、街をドーム状に覆い魔物や魔力による攻撃から街を守る。


 それが完全に消失したとなると……。


「まさか……こんなに早く……?」


 シリューが呟いたのとほぼ同時に、視界の隅で光が弾け、少し遅れて耳を劈く爆音と、焼き付くような熱風が押し寄せてきた。


「な、なんだ!?」


 シリューは咄嗟にヒスイを両手で包み、爆風に耐えるように身を伏せる。


 路面に大きな黒い影を落とし、何かか頭上を飛び去って行く。


「あれはっ、ワイバーン!?」


 顔を上げたシリューがその目に捉えたのは、体長が10mほど、翼開長は20mにもなるかなり大型の飛竜だった。


 ワイバーンは前脚が翼に変化した下位の竜種で、上位の龍種

ドラゴン

のようなブレス攻撃ほどの威力はないが、口から火焔球や爆光球を吐き、B級に分けられる災害級の魔物である。


 そのワイバーンが飛び去った先にあるのは……。


「神殿っ、不味い!」


 もう少し時間に余裕があると思い込んでいた。そのため、完全に後手に回ってしまった。それに、ここまで大掛かりなものを想定していなかった。


「ヒスイっ急ごう!!」


 シリューの飛び込んだ裏路地から、目の眩む閃光が走った。






 街を覆う結界の異常に、いち早く気付いていた神殿では、屋上のテラスに集められた遠距離魔法の使い手たちが、空からの魔物の侵攻に備え警戒に当たっていた。


「来たぞ!」


 南の空から飛翔し、街を破壊しながらまっすぐ神殿に向かってくる、巨大な魔物。


「まてっあれはっ、ワイバーン!?」


「不味いぞっ、この人数では……」


 屋上の勇神官モンクたちが、俄かに浮足立つ。だがそれも無理はない。


 災害B級のワイバーンに対し彼らは僅か8人、これでは防衛どころか、足止めさえ出来ないだろう。


「すぐに魔法弩弓フレシェットの準備が整う、応援も来る、それまで少しでも時間を稼げればいいんだ!」


 冒険者ギルドも騎士団も、すぐにやって来るだろう、その間だけでも持ち堪えて見せる。その場の全員が恐怖を押し殺し、闘志をたぎらせる。


「ミリアム、君は下がりなさい!」


 指揮を執る年長の男性神官が、蒼ざめた顔で戦鎚を構えるミリアムに叫んだ。


「で、ですが……」


「君はまだ月華掣肘ムーンフォールを使えないでしょう? 我々が前に出るから、支援を頼みます」

僅かに震える手を、勇気を振り絞り抑え込むミリアムに、指揮官は優しく語り掛ける。


「わかり、ました……」


 ミリアムはこくんと頷いて、魔力の煽りを受けない距離まで下がった。


「いくぞ!」


 残った7人は、一糸乱れぬ動きで隊列を組み、呪文の詠唱を始めた。


「闇を打ち払い、大地を照らす、静かなる月の華。その荘厳の光をもって、禁忌へと戯れし悪意を縫い留めよ。月華掣肘ムーンフォール!!」


 満月を模した銀の光が、空中のワイバーンを捉えその場に縫い留める。


 『月華掣肘ムーンフォール


 対象を拘束するだけでなく、徐々にその魔力を奪い疲弊させる集団発動型の魔法。支援型の聖系において唯一の攻撃型ともいえる魔法で、数十名、時には百名単位の大集団による同時発動が行われる。


 それは、災害級を相手にもかなり効果的な魔法だが、今は人数が少なすぎた。


 ワイバーンは満月に捕らわれ確かに動きを止めたが、力づくですぐさまその戒めをはじき返した。


 自由を取り戻したワイバーンの顎が開かれ、灼熱の爆光球が放たれる。狙いは当然、自らを捕縛した黒衣の神官たち。


「不味い! 散開っ!!」


 指揮官が咄嗟に叫ぶが到底間に合わない。


「キャスケードウォール!!!」


 その瞬間、射線上に三重の水の壁が出現し、爆光球の行く手を阻む。


 状況を予測し、予め詠唱を済ませ待機状態にしていた魔法を、このタイミングでミリアムが発動したのだ。


 絶妙な角度で張られた水流の壁は、爆光球の射線をずらし神官たちとミリアムの頭上を越え、その背後に着弾した。


 鼓膜が破れるかと思う程の爆音に、ミリアムは耳を押さえ目を閉じて身を屈める。


 ミリアムが再び目を開いた時、ワイバーンは既に反転し街中へと飛び去ろうとしていた。


 すぐに立ち上がろうとしたミリアムだったが、足元がふらつき上手く立てない。


「え?」


 それは、衝撃波による平衡感覚の障害だけではなかった。


「ミリアムっ、早く! こっちへ!!」


 男性神官の1人が叫び手を伸ばす。


 が、ミリアムが延ばした手は、いつの間にか空に向けられていた。


 次の瞬間襲ってくる、不安定な浮遊感。


「あ……」


 爆光球によって、ミリアムの立っていた床が大きく破壊されていたのだ。


 ミリアムの目に映るのは、崩れ落ちる瓦礫と、必死の形相で空しく手を伸ばす男性神官。


 落ちる……。


 周りも自分も、全ての時間が何故か非常にゆっくりと流れ、希薄な現実感がミリアムの判断力を奪う。


 ここ、どのくらいの高さだったかな? 落ちたら死ぬかな? あ、身体強化しなきゃ……。あれ? 身体強化ってどうやるんだったけ? 


 不思議なくらいにその時間が長く感じられる。


 あ、まあいいや、どうせ、どうせ……。


 思い浮かぶのは、ここでも一人の男の子の笑顔。


「嫌われちゃったもん……」 


 ミリアムは目を閉じて呟いた。


 そして感じた、予想していた衝撃や痛みとは違う、優しい温もり。


「おや? 誰に嫌われたのかな?」


 抱き抱えられている事に気付いたミリアムは、慌てて目を開く。


 そこには自分を見下ろす、銀の仮面。


「お久しぶり、お嬢さん」


 ミリアムを抱いた白き翼は、ゆっくりと地上へ舞い降りた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る