【第107話】ミリアム……先生?
「シリューさん、今日はどうするんですか?」
昨日の不審過ぎる行動を思い、ミリアムはシリューの意図が読めずにいた。
「ああ、そうだなぁ……とりあえず少し歩こうか……」
「あの、シリューさん、大丈夫ですか? 顔色、良くないですよ?」
ミリアムは、すたすたと歩き始めたシリューの顔を、横に並び覗き込んだ。
「何か……あったんですか? だったら……」
「ああ、いや、ごめん大丈夫。 昨日食べた物が合わなかったみたいで……まあ、それだけだ」
“ 話してみてください ”、そう続けようとしたミリアムの言葉を、遮るようにシリューは声を被せた。
それが、何かを誤魔化す為の嘘だという事に、ミリアムは何となくだが気付き目を伏せる。
もう何度目だろう。以前なら気にならなかった事が、ここのところ妙に気になる。
ただ、シリューの顔色が悪いのは本当だ。
「シリューさん、治癒魔法を掛けましょうか?」
ミリアムはもやもやした気持ちを抑え、出来るだけいつも通りの態度で、そっとシリューの肩に手をおく。
「……治癒魔法か、そうだな……」
ふと立ち止まったシリューは、ゆっくり空を仰ぐと思い立ったようにミリアムの瞳を覗き込んだ。
「病気には効果ありませんけど、少しは気分が楽に、えっ、ちょっ、し、シリューさん!?」
シリューは最後まで聞かず、いきなり肩におかれたミリアムの手を握った。
「ミリアム、これから俺と付き合ってくれ」
「え? えっ?」
唐突なシリューの行動に、ミリアムはどきんっ、と心臓が撥ねるのを感じて頬を染める。
「つ、付き合う……?」
「ごめん、もう我慢出来ない……宿の、俺の部屋に行こう」
なかば強引にミリアムの手を引き、返事も聞かずシリューは速足に歩き出す。
「え? え? ちょっ、ちょっ、シリューさんっ!? 待って、あのっ、そんな急にっ」
「ダメか?」
振り返ったシリューの目が、切ない色に輝いたようにミリアムには見えた。
「そっ、だ、ダメじゃ、ないけど、私たちまだっっ……それに、こんな、昼間っから!?」
ミリアムは訳が分からず、顔を真っ赤にしてついてゆく。
「時間かけた方が……いいだろ」
「えええええええ!!!」
妙に力の籠ったシリューのその言葉に、ミリアムは益々パニックになる。ただ、たしかに、時間は……かけてほしい。
「し、シリューさんっ。ち、ちゃんと、段階を踏みましょう、ねっ」
これでは、雰囲気も何もあったものではない。ミリアムはなんとか踏みとどまらせようと、懇願した。
「ああ、ちゃんと段階は踏むさ。しっかり教えてくれ」
「わ、私がっ!? む、ムリですよっ、私、はじ……」
シリューは立ち止まって振り返り、ミリアムの目をじっと見つめた。
「治癒魔法は得意だろ? 根本から教えてくれ」
「へ?」
“ そっちかあああああ!!! ”
ミリアムは心の中で、盛大にツッコんだ。ついでに、この年下で生意気な男の子の首を絞めたい、と思った。そして、ちょっとだけ、本当にちょっとだけ、がっかりもした。
「うん、シリューさん。誤解を受ける言い方、やめましょうか……」
ミリアムは真っ赤な顔のまま、ジトっとした半開きの目でシリューをねめつけた。そもそも、ヘタレのシリューにそんな大胆なことが出来る筈もなかったが。
「ん? 誤解?」
そして当然、ポンコツなシリューにその意味は分かっていなかった。
「いえ、いいです……ナンデモアリマセン」
ミリアムはただ、無表情に抑揚のない声で答えた。
因みに、今日は紫だったが、それは要らない情報……。
「……とにかく……話しは分かりました。まずお花を買って下さい」
こほんっ、と小さく咳払いをして、ミリアムは顔の横に指を立てた。
「花? ああ、いいよ」
一先ず花屋を探し2人が購入したのは、アローチェと呼ばれる肉厚でロゼット状の長い葉を持つ、黄色い花をつけた鉢植えの植物だった。
それは、元の世界でいうアロエにそっくりなもので、女の子へのプレゼントとしてはどうだろう、とシリューでも思うほど武骨なものだ。
「なあ、ホントにこれでいいのか? もっと綺麗な花もあるし、教えて貰うんだからそれくらいは……」
てっきり、ミリアムが花束でも欲しがっていると思ったシリューだったが、どうやらそういう事ではないらしい。
「アローチェは、治癒魔法を教わる時に必ず自分で用意するんです」
アローチェの葉は分厚い外皮と、その内部にはゼリー状の葉肉が詰まっており傷にも強い。その形状と性質から、もっぱら治癒魔法の練習に使われるのだそうだ。
「葉に少し傷をつけて、その傷を治す訓練をするんです。私も随分お世話になりました……」
ミリアムは鉢植えのアローチェを掲げ、懐かしそうに目を細めた。
「そういう事、か。ま、動物や人でやる訳にはいかないよな」
「あ、でもでも、シリューさんの気持ちは、嬉しいです」
晴れやかな笑みを浮かべるミリアムの顔には、ここのところ感じていた違和感や不安な様子はなく、自分の勘違いだったのだろうとシリューは思った。
「治癒魔法は、基本的にその対象の人や動物など、生物そのものが持つ自然治癒力を活性化させる魔法です。当然、自然治癒力を高めるという事は、被施術者の生命力が必要になります。言ってみれば、活性化と同時に、施術者の魔力で被施術者の生命力を補う複合魔法なんです。ここまではいいですか?」
宿の部屋に備えられた、質の良いソファーに腰掛け、ミリアムはまるで女教師か優等生のような落ち着いた真面目な顔で、丁寧に、簡潔に要点を説明してゆく。
「あ、ああ、うん。よ、よく分かるよ……」
アローチェの鉢植えの置かれたテーブルをはさみ向いに座ったシリューは、今まで見た事のないミリアムの理知的な様子に逆に落ち着かず、肩の上でしなだれるヒスイに気付かれるのではと、自分でも可笑しいくらいどぎまぎとしていた。
「ですから他の魔法と比べると、消費する魔力量が非常に多くなります。それに……」
ミリアムはそこで一旦言葉を切り、少し伏し目がちになる。
「……聖魔法系の親和性を持っていないと……その……」
「習得出来ない?」
言いづらそうなミリアムの代わりに、シリューがはっきりと切り出した。
「あ、でもっ、シリューさんって多系統の魔法を使えますよね? 水系も使えますか?」
水系を使える場合、聖系の親和性を持っている場合があるらしい。パティーもミリアムも、治癒の他に水系の魔法が使えるのは、単なる偶然ではないわけだ。
「ああ、今は使える……」
「……あの、必要な事なので……何系統を使えますか?」
特に必要ではなく、それはミリアムの好奇心だけでもなかった。
「ええと、火、土、雷、光、無、生活に水かな……」
指を折りながら答えるシリューに、やっぱり聞かなければ良かった、とミリアムは胸が疼いた。生活魔法を除いて6系統。しかも、勇者でないにもかかわらず、光系まで。天才と呼ばれた自分が恥ずかしく、情けなくなる。同時にまたあの嫌な感情が胸に湧き上がる。
「凄い、ですね……」
その感情を、出来るだけ抑えた筈の言葉は、自分でも驚くほど冷たく抑揚のないものだった。
「ん、ああ、まあ、偶々だしな……」
気を遣ってくれたシリューの一言も今は素直に受け取れず、ミリアムはそんな自分に心がざわつくのを覚えた。
「なあ、治癒魔法って、上位になれば失くした部位も元通りにでき……」
「シリューさん!!」
ミリアムは、シリューの言葉を大きな声で遮った。
「は、はい?」
向かいのソファーに座るミリアムの、初めて見せる険しい表情に、シリューは気圧される形で背筋をのばした。
「欠損の再生は……非常に危険な魔法です。今はもう使うことは出来ません」
再生魔法、『リジェネレーション』。それは、失われてしまった最上位魔法。
ミリアムは滔々と語り始めた。
昔、ある天才治癒術師である1人の男が長年の研究と修行の末、遂に不可能とされていた再生魔法を生み出した。大勢の治癒術師たちが彼の下に集い、その魔法を極めんと修行に励んだ。
やがてその中から、特に才のある者が再生魔法を習得するに至り、少ないながらも一派を形成する程になった。
神教会も人々も歓喜し、その神の如き魔法の恩恵にあずかった。
だが。
神の如きを行うのに、人の身は余りにも儚過ぎた。
治療の度に、次々と命を落としてゆく術者たち。
「再生魔法は、術者の魔力だけでなく、その生命力まで使うと言われています」
施術者の魔力によって被施術者の生命力を補うのではなく、施術者の生命力そのものを使う。
しかも、徐々に消費されるのではなく、確率によって量が変動する。それはまるでコインの表裏で命の行方を決める危険な賭け。
「じゃあ、何度使っても平気な人もいれば、一度目で命を落とす人もいたって事か……?」
ミリアムは静かに、そして深く頷く。
「ただし、使えば使うほど、死の危険は高まったようです」
「……まるでロシアンルーレットだな……」
シリューはミリアムに聞こえないほど、小さく呟いた。
「結局、殆どの術者が亡くなり、生き残った人たちはその術を封印し、研究記録も全て燃やしたそうです」
そうして、『リジェネレーション』は歴史から消え去り、今に伝わる事もなかった。
「ハイエルフのアリエル様でも使えないの、です」
肩の上でヒスイがしみじみと呟く。
「へぇ、そうなんだ……」
久しぶりに出て来た名前。シリューはうんうんと頷いた。
現在では、ほぼ禁呪扱いになり、研究する者も絶えて久しい。
尤も、自分の命をコインの表裏に賭ける者など、いる筈もないが……。
「ま、俺たちには関係無いさ」
シリューはそう思っていた。
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