【第94話】交わる想い
神殿に隣接する治療院の一室で、ミリアムは暇を持て余し、ベッドに横たわったまま天井をぼんやりと眺めていた。
「ちょっと、無茶だったかなぁ……」
重い頭痛と吐き気で何もする気にならないし、何も口にする気にならない。
加えて未だに脚に力が入らない。典型的な魔力酔いの症状だったが、魔力が尽きるまで魔法を使ったうえに、
通常はマジックポーションで魔力を回復させ、症状を軽減するのだが、ミリアムは数時間前に一度使っている。マジックポーションの使用は、最低でも24時間の間隔を開ける必要があり、それ以内の連続使用は身体が拒絶反応をおこし、より酷い症状に陥る可能性がある。よって、今回の魔力酔いを直すには栄養をとり身体を休め、自然と魔力が回復するのを待つしかない。
「今夜は、いえ、暫くはここに泊まってゆっくりしなさい」
治療院の聖神官は笑ったが、ようは回復まで入院しろという事だ。
「頭いたい……きもちわるい……タイクツ……」
まるで呪文のようにミリアムは呟くが、それで症状が改善される事も、退屈が紛れる事も当然なく、逆に余計意識してしまい更に憂鬱な気分になる。
こんな時に思い浮かぶのは、1人の少年の顔。
考えてみればもう3日も顔を合わせていない。
今日も、助けに現れたのは期待していた少年ではなく、妙になれなれしい気障な男。しかも、初対面のその男に、事もあろうか抱かれてしまった。
更に、不覚にも、ほんのちょっと、どきっとした。しかも、パンツ見られた。
「今度会ったら、きっぱり言ってやらねばっ」
ミリアムはぎゅっと拳を握るが、なんと言ってやるのかまでは考えていなかった。
それよりも……。
「あーあぁ……シリューさん、来てくれないかなぁ……」
あり得ない事と分かっていて、それでもミリアムは望んでしまう。
シリューは、ミリアムがここにいるのを知らないし、日も暮れたこんな時間に、わざわざ女性の病室に尋ねてくる程、気が利いてもいないし、非常識でもないだろう。
諦めて寝るしかないと、目を閉じた時、こんこんっとドアをノックする音が響いた。
「はい、どうぞ」
ほとんど口を付けていない夕食を、担当の神官が下げに来たのだろうと思い、ミリアムは目を閉じたまま招き入れた。
「大丈夫か?」
しかし、聞こえてきたのは……。
ミリアムはぱっちりと目を見開き、頭痛にも構わずベッドから飛出すような勢いで半身を起こした。
「シリューさんっ!」
入口に立っていたのは、紛れもなく、最も望んでいたその人だった。
「あ……」
だが、シリューは何故か固まったまま動かない。
「シリューさん?」
ミリアムは訳が分からず、ちょこんっと首を傾げる。
「お、おまえっ……そ、それ」
「え?」
シリューの指差す先。ミリアムは自分の胸元に視線を……。
「みやぁぁぁあああああ!!!」
“ 検診衣に着替えて ”、そう言われた気がする。
頭痛と吐き気で、服と下着を脱いだところで面倒臭くなった。そのままシーツを被って転がった。だから当然。
シーツは腰までずり落ちている。
ミリアムは顔だけでなく、体中を真っ赤に染め、大慌てでシーツを引き上げるが、時すでに遅し。剥き出しの瑞々しいメロンは、大きく何度も揺れる様を、シリューの目にしっかりと焼き付けられたのだった。
「え、えっちっっ!! 急に入って来ないでくださいっっっ!!!」
「ノックしたろっ! どうぞって言ったろっっ!! ってかなんで裸なんだよっっっ!!!」
「パンツは履いてるもんっ」
ミリアムは動転している。
「そんな情報いらんわっ」
勿論シリューも動転していた。
入口で立ち尽くすシリューと、ベッドでシーツを首元に寄せ微動だにしないミリアム。
「と、とりあえず、ドア、閉めて……」
「そ、そうだな……」
ミリアムに言われ、シリューは背を向けてドアを閉める。
「……どう、でしたか?」
シリューの背後でミリアムが呟く。
「え?」
「見ましたよ、ね……どう……でした?」
シリューが振り向くと、ミリアムは瞳を潤ませ、訴えかけるように見つめていた。
これは、いつかと同じ暴走モード。だが、さすがのシリューも、ここは日和ってはいけない場面だと自覚した。
「あ、あの、可愛かった、です……ってあのっむねはおっきくてっ、綺麗っ、いや、胸だけじゃなくって、その……」
しどろもどろのシリューに対して、ミリアムはじっと、嫌な顔もせずに見つめ続ける。
シリューは意を決して、ミリアムの瞳に向き合う。
「……かわいい、よ。ミリアム、うん、お前はすごく、可愛い」
「シリュー、さん……」
まさかシリューの口から、そんなストレートな言葉を聞けるとは思っていなかった。ミリアムは両手を膝に置き、朱に染まった頬でますます瞳を潤ませる。
まるで時間が止まったように、まっすぐに見つめあう2人。
何を話せばいいのか、お互いに言葉が出てこない。
沈黙を破ったのはシリューだった。
「あの、ミリアム……とりあえず、服、着ろよ……」
シリューは我に返ったように目を逸らし、ぎこちない動きで背を向ける。
「ふえ?」
望外の言葉にのぼせ上がっていた。ミリアムは無意識に両手を膝に置き、躰を捻ってほぼ正面にシリューを見ていた。つまり二の腕に挟まれた双丘は、より強調され、その破壊力はあわやシリューの理性を吹き飛ばす寸前だったのだ。
「みぎゃああああああああああ!!!」
病室に、ミリアムのけたたましい叫び声が響く。
「早く言って下さいっっ、シリューさんのえっち! へんたいっ!!」
「……うん、ごめん……」
これは否定出来なかった。何せしっかりと見てしまったのだ。それこそ目に焼き付けるくらいに。
「ほんと、ごめん……」
「ちょっ、何普通に謝ってるんですかっ! そこはいつもみたいに否定するところですよね!? 余計恥ずかしいじゃないですかっっ」
「……ごめん」
シリューには、反論するだけのものが残っていなかった。
「やだもうっ、ばかぁ……」
ミリアムは恥ずかしさと情けなさとで、泣きたくなるのを我慢しながら、検診衣を羽織った。
「もう、こっちを向いていいですよ」
「あ、ああ」
シリューは、ベッドの脇に置いてある丸椅子に腰掛けた。
「あ、あのっ」
2人の声が被り、ミリアムがどうぞ、と促す。
「今日は頑張ったな、魔力が尽きて倒れるなんて……」
「えっと……もしかして、心配、してくれたんですか?」
ミリアムは俯き加減でチラチラとシリューの様子を窺いながら、遠慮がちに尋ねた。
「もしかしなくても、だよ。知らない仲じゃないんだ、俺だって心配ぐらいするさ」
「あ、はい。ありがとうございますぅ」
シリューは、目を伏せたミリアムの額に手をあてがう。
「ひゃう」
「ん、熱はないみたいだけど、ほら、ちゃんと横になっとけよ。あんまり顔色良くないぞ」
「……はい」
シリューの手の温もりが、おでこからあっという間に消えてしまうのを、ミリアムは少し寂しく感じながら、ベッドに横になった。
「それから、これ。焼き菓子なんだけど、気分が良くなったら食べて。何か、使ってるハーブが魔力酔いにいいってさ」
そう言ってシリューは、ベッド脇の小さなテーブルに紙の袋をのせた。
「シリューさん……今日は何だか、とっても優しいですぅ……」
ミリアムは火照った顔を見られまいと、口元までシーツを被る。
怒るかな、と思ったが、シリューはいつものように涼しげに笑うだけだった。
「2、3日はゆっくり休めよ。結構酷い魔力酔いだって話だからな」
「あの、でも……」
「調査は俺1人でやっとくから、気にするな。前にも言ったろ? 頑張り過ぎなくていいって」
シリューは、ぽんぽんっとミリアムの頭を撫でた。
「は、はぁい……」
「あと、何か必要な物とかあるか? 着替え以外で」
ミリアムはおずおずと、シリューを見つめる。
「あのっ、いえ……とくには……」
どこか期待の込められた目はすぐに伏せられ、ミリアムは顔を背けて少し寂しそうに微笑んだ。
「なんだよ、遠慮するなって。頑張ったご褒美に、今日は少しくらい無理もきいてやるから」
ぱっと花が咲いたように、ミリアムの顔が明るくなる。
「ほ、ホント……ですか?」
「うん、俺に出来る事なら」
ミリアムは躊躇いながら、そっと手を伸ばす。
「じゃあ、手を、握って……」
シリューはミリアムの掌を見つめた。白くて、細くて、長い指。
その手をとっていいものか、何となく迷ってしまう。
「あの、ダメ……ですか?」
ミリアムの瞳に、薄っすらと涙が滲む。
「あ、ダメじゃないけど、あの……悪いだろ、その、お前の恋人に……」
「そんな人、いませんよ……?」
何処か噛み合わない会話に、お互い顔を見合わせ眉をひそめる。
「いや、だってほらっ、優しくしてくれる男がいるって……」
此処まできても、まだそんな事を口にするシリューに、ミリアムは半ば呆れて目を見開いた。
それから大きな溜息を零し、アーモンドの碧い瞳でシリューを優しく見つめる。
「その人は、いつもぶっきらぼうで、いじわるで、変なあだ名を付けて。女の子の気持ちなんか、さっぱり分かっていなくて……」
そんな男、本当に大丈夫か、と思ったが、シリューは口には出さなかった。
「でも、ホントはとっても優しくて、とってもかわいくて、そしてとっても強くて……誰かの涙を止める為に、本当に一生懸命になれる人……」
ミリアムは春の菜の花のように、優しく朗らかな笑みを浮かべ、すうっとシリューに手を差し伸べる。
「シリューさん、貴方の事ですよ」
シリューの心臓がどきり、と撥ねる。
まっずぐに見つめるミリアムの笑顔が、いつかの記憶に重なる。
“ ああ、そうか…… ”、いや、ある筈が無い。だが、今はそんな事はどうでもいい。
シリューはミリアムの手をとり、そっと両手で包んだ。
「お前が眠るまで、こうしとくから」
「はい、あの、シリューさん……」
「ん?」
「やっぱり、シリューさんは優しいです」
シリューは何も答えず、ただ静かに微笑んだ。
次の朝。
目覚めたミリアムは、もういるはずの無い姿を追って、病室を見渡した。
少しだけ開かれた窓の、カーテンの隙間から覗く日の光が揺れる。
しんと静まった部屋には、もうどこにもシリューのいた痕跡は無くて、1人取り残されたミリアムは、寂しさから込み上げてくる涙を必死に堪え、シリューの握っていてくれた手を、ぐっと胸に押し当てた。
「シリューさん……」
此処にいる間、また会いに来てくれるかもしれない。退院すれば普通に会えるだろう。
分かっているのに、何故か涙が溢れてしまう。
ミリアムは、シリューの置いていった焼き菓子の袋の下に、一枚の紙きれを見つけた。
“ さすがに、女の子の病室に泊まるのもアレだから帰る。朝起きて1人だからって泣くなよ。あ、あと、寝顔可愛かったぞ ”
それは、シリューの描き残した短いメモ。
「……やだ、ばか」
そして、最後の文字にミリアムの胸がときめく。
“ 早く良くなれ。また一緒に頑張ろう! ”
そのメモを、そっと胸に抱いたミリアムの瞳に、もう涙は無かった。
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