【第91話】レグノスの死闘

「な、なんだ、こいつは……」


 ワイアットはその怪物を目にして、思わず声を漏らした。


 通り沿いに立つ石造りの家々や商店は、既に避難が終わっているのだろう、どの家も硬く木戸が降ろされ、まるで人の気配がない。


 人通りが絶えた通りに、抜けるような青空には不似合いなソレは、騎士団に囲まれるのにも構わず、街の中心に向かって進んでいた。


 身長は3mを超え、全身どす黒い鱗に覆われている。蜥蜴とも獣ともつかない顔は、口が耳元まで裂けずらりと並んだ牙が光る。頭には折れ曲がった何本もの角、背中に羽のように広がる、節のある長い8本の棘。左右に2本ずつの腕の先には、拳から3枚の刃が生え、身体に比べて短めの脚は、足底の部分が異常に大きく、踵とつま先の鋭い爪が、ガッチリと地面をとらえている。


「状況は? 随分と人数が減ってるようだが……」


 ワイアットは剣を構え戦列に加わり、その場の指揮をとる騎士団長に尋ねた。


 ルガーたち冒険者の姿が見当たらないが、今は気にしている余裕がない。


「これは、ワイアット殿。助太刀感謝します。ですがっ、見ての通り、芳しくあり……」


 騎士団長が僅かに目を離した隙に、2本の棘が猛烈な速度で襲い掛かる。


 僅かに対処が遅れよろけた団長を庇う様に、ワイアットが素早く踏み込み、魔剣バントラインを一閃、同時に2本の棘を切り落とす。


「大丈夫か、ユーグ殿」


 ワイアットは怪物を見据えたまま、騎士団長のユーグに声を掛ける。


「いや、さすがワイアット殿。いささかも衰えていませんね」


 後の先。バントラインの特殊効果で、相手が動いた瞬間に先を制する。使い手の技量に大きく左右されるが、ワイアットはそれを最大限に生かす事が出来た。


「ですが、あれを」


 ユーグが指さした先では、切られた棘の傷から、新たな棘先が即座に生えて再生した。


「なっ!?」


 戦闘開始からこの繰り返しだった。

 剣で、槍で、戦斧で。斬り裂き、穿ち、切り落とす。

 同じく魔法で燃やし、凍らせ、爆散させる。

 だが、その都度、再生を繰り返し、一向に劣を見せない。


 瞬く間に、魔法使いたちは魔力を使い果たし、騎士たちは力尽き倒れていった。


「まずいなこりゃ」


 ワイアットは、振り下ろされた怪物の腕を、バックステップで交わした。流石にあの腕は、剣では受けきれない。


 さっと顔を上げたワイアットの反対側で、棘と腕の集中攻撃を受けた3人の騎士が、風に吹かれた木の葉のように、ひらひらと宙を舞った。


 更に、その光景に気を取られた1人が、棘の一撃をまともに受けて倒れる。


「ちっ」


 倒れて動かなくなった騎士を踏み潰そうと、怪物が大きく足を上げる。ワイアットは咄嗟に駆け、倒れた騎士の腕をとるが、その瞬間右脚に激痛が走り倒れ込む。棘の攻撃が掠めたのだ。


「やばいっっ」


 そう思った瞬間、怪物の全身が凍り付き、動きが止まる。


「え?」


 ワイアットが確認する間もなく、影のように走り込んで来た少女が、ワイアットと傷ついた騎士の2人を軽々と肩に担ぎ、一瞬のうちに戦列を離れた。


「動けますかっ」


 2人を下ろし、ミリアムはワイアットに尋ねた。


「嬢ちゃん……ああ、俺は大丈夫、掠っただけだ」


「この人の治療をしますっ、何とか時間を稼いで下さいっ!」


 騎士は右の肺を穿たれ、血を吐き呼吸困難に陥っている。


「分かった、任せてくれ!!」


 怪物は既に氷の縛めを破壊し、自由を取り戻していた。


 ワイアットは、立ち上がりその場から離れた。怪物の意識を自分に向けさせる為だ。


「美麗なる清き祝福の息吹よ、聖なる輝きを纏い復活の奇跡とならん……。キュア!!」


 輝く光が騎士の身体を包み、治癒の上位魔法キュアが発動する。


「ごほっ」


 何度か咳き込んだ騎士は、意識は戻らないものの、傷は完全に癒え息も戻る。


「良かった……」


 立ち上がり、ワイアットを振り向いたミリアムは、もう一度詠唱を始める。


「生命の輝きよ、かの者の傷を癒したまえ……」 


 同時に走り込み、ワイアットの傍へ並ぶ。


「……ヒールっ!!」


 かざした手がひかり、ワイアットの右脚の傷を癒す。


「嬢ちゃん……意外と凄いな、助かったよ」


「これでも、一応勇神官

モンク

ですからっ」


 目を見開くワイアットに、ミリアムはちょこん、と首を傾げウインクで応える。


「でも、私の魔法じゃ、少しの間動きを止めるぐらいです」


「いや、十分だよ」


 間髪を入れず襲い来る棘を、ミリアムは戦鎚で吹き飛ばす。


「嬢ちゃん避けろっ!」


 ミリアムの側面から振り下ろされる怪物の腕に、ワイアットが叫ぶ。


 だが。


「だああああああ!!!」


 ミリアムは思い切り踏み込んで身を捻り、全力を乗せた戦鎚を振り上げ、その腕を弾き返した。


「……おいおい」


 驚愕のパワーに、ワイアットだけでなく、その場の全員が目を見張る。


 更に追撃の腕を華麗なステップで躱し、くるりと回転しスピードを乗せた戦鎚で棘を弾く。


 ピンクの髪が揺れ、スカートがなびく。それはまるで、美しいダンスのような光景だった。


「ワイアット殿っ、あのご婦人は一体!?」


 こちらも、襲ってくる棘を切り伏せながら、ユーグが問いかける。


「ああ、見ての通り、勇神官

モンク

の嬢ちゃんなんだが、なかなかどうして、あんなに強いとは思ってなかったっ」


「いや、強い何てものじゃないっ」


 2人は怪物の攻撃が、一瞬ミリアムに集中したのを見て、ほぼ同時に地を蹴り、怪物の右脚を狙い剣を一閃。両脚の踵骨腱を切り裂き、止まらずに駆け抜ける。


 さしもの怪物も、バランスを崩しよろけた。


 ミリアムはその隙を利用し、素早く間合いを取って呪文を詠唱する。


「氷結せし霧槍の穂先よ、不動なる敵を貫け。アイスランサー!」


 3本の氷の槍が、バランスを失った怪物の胸に突き刺さる。


 そこに、4人の騎士が一斉に追撃をかけた。狙いは首。首を落とせば、何とかなるかもしれない。


 仰向けに倒れ込み、無防備に晒した怪物の首目掛け、4人の得物が闘気を纏い振り下ろされる。


 だが、それぞれの武器が届く寸前、4人の足元の石畳が捲れ上がり、1人に2本ずつの棘が飛び出した。


「ぐっ」


「がはっ」


 攻撃に集中し過ぎていた彼らは、地中からの攻撃に全く反応する事が出来ず、全員がその身体を貫かれる。


 それでも咄嗟に急所を外し、辛うじて致命傷を回避したのは、日頃の訓練の賜物だろう。


「嬢ちゃん、頼む!!」


「はい!」


 ワイアットとユーグが、蹲る騎士たちから怪物の気を逸らす為、離れた位置から剣技を放つ。


「翔破刃!」


「旋風斬!」


 どちらも、怪物の肉を裂くが、すぐに再生し傷が塞がる。見れば、切り裂いた両脚の踵骨腱も、もう完全に繋がっていた。


「我が力に呼び起されし清浄なる飛泉よ、連なる者を守り万物を退ける盾となれ、キャスケードウォール!!」


 動き出した怪物と倒れた騎士たちの間に、ミリアムは3層の水の壁を張る。


「じっとしてっ、今治療します!」


 キャスケードウォールに注ぐ魔力を維持しながら、ミリアムは次々とキュアを唱え、騎士たちを治療してゆく。シリューのように同時発動は出来ないものの、一旦発動した持続系の魔法に魔力を注ぎながら、相性の良い治癒魔法を発動する事なら出来る。勿論、それが天才と呼ばれる所以であるが、魔力の消費は激しく、あまり長くはもたない。 


「すまない……」


「ありがとう」


「助かった」


「恩にきます、神官どの……」


 治療の終わった騎士たちは、口々に感謝を述べ立ち上がる。ただ、動けると言っても万全ではない。戦列に復帰する程の体力は残っていなかった。


 水の壁が消えた先では、ワイアットとユーグが満身創痍で闘っていた。いや最早2人とも立っているのもやっとという状態で、防戦一方になっている。


 ミリアムは肩で息をしながら、残る魔力を振り絞る。


「氷結せし霊槍の穂先よ、不動なる敵を貫け……アイス、ランサー」


 氷の槍が怪物の背中を穿ち、怪物の攻撃が2人から僅かに逸れる。それでも、致命傷にこそならなかったものの、2人とも腕の攻撃に吹き飛ばされ、地面に激突する。


「今のは、やばかった……」


 一瞬の判断で身体強化したワイアットは、辛うじて立ち上がる。


「ワイアットさんっ」


 駆け寄って来たミリアムもぜいぜいと肩で息をしている。


「ごめんなさい、もう、魔力が……はあっ、はあ……」


「構わんよ、随分助けられたからな。嬢ちゃん、俺が囮になるから、此処から逃げろ」


 ワイアットはミリアムを見ずに言った。


「そ、でも……」


「行って、シリューを探すんだ。もうあいつしかいない……」


 確かに、この化物を何とか出来るのは、シリューしかいないだろう。


 ミリアムはゆっくりと頷く。そして、その場を離れようと顔を上げた時、怪物の傍の物陰で、しゃがみ込み震える1人の子供を見つけた。 


「あ、ああ、ダニエル……」


 当然、ダニエルを見つけたのはミリアムだけではない。新たな獲物を見つけた怪物は、2本の棘をまるで鞭のように振り上げた。


 ダニエルが隠れているのは、木製の樽の後ろ、棘の攻撃を受ければ木端微塵に吹き飛ぶだろう。


「ダニエルっ逃げてえええ!!」


 ミリアムは叫んだ。そして咄嗟に駆けだした。


 声に気付いたダニエルも、勇気を振り絞り走り出す。


 間に合わない。それでも助けたい。無駄だろう、でも自分が盾になれば、あるいは、ダニエルだけは救えるかもしれない。


 ミリアムは必死に走り、そしてダニエルを胸に抱きしめ怪物に背を向けた。


 振り上げられた棘が、無情にも2人の頭上に振り下ろされる。


「ごめんね、ごめんね……」


 ミリアムには謝るしか無かった。助けられなかった。何処かで間違った。せめて魔力が残っていれば。だがもう遅い。すべては遅すぎた。助けてあげたかった。


 助けて……。でも、でも、1人じゃないよ……。


 永遠とも思える死への瞬間。


 いろんな思い出が一瞬で蘇るって、ホントなんだな。ミリアムは胸の中で震えるダニエルを、強く抱きしめながら思った。この子の思い出は、この子の幸せは……。


 それから、静かに目を閉じる。


 ごめんなさい……。


 そして、激しい金属音。


 だが、いつまでたっても何も起こらない。痛みもない。


「……もしかして、もう、死んでるの?」


 ミリアムはそっと目を開ける。


 屈みこんだ自分の影に重なる、もう1つの影。


「ああ、いろいろと感傷に浸っているところ悪いけど」


 ミリアムは振り向く。


「子供を連れて、早く離れてくれると助かるよ」


 そこには、白銀の刃によって死の運命を阻止する、銀の髪をなびかせた白い衣を纏う戦士が、逆光に照らされ立っていた。


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