【第90話】存在の無い存在

 ソレは深い深い闇の中で目覚めた。


 此処は何処なのか。

 何故自分は此処にいるのか。

 そして、自分は誰なのか。


 何も覚えていない。


 ソレにあるのは、湧き上がってくる怒り、憎悪、絶望。


 ゆっくりと目を見開いたソレに見えるもの。

 泣き叫び逃げ惑う人々と、武器を持って走り寄ってくる者。


 ソレは自覚した。


 此処が何処か、そんな事はもうどうでもいい。


 生きるものがいるなら殺す。

 作られたものがあるなら壊す。

 すべて殺し、すべて破壊する。

 ただそれだけの存在。


 ソレは、生きている時の名をランドルフといった。


 だがもうその名も意味は無い。


 殺し、壊し。壊し、殺す。


 地に降り立ったソレは、先ず背後にある目障りな台を、腕の一振りで完全に破壊し、高々と咆哮を上げた。






「何で、俺の名前を……」


 白いフードの男と対峙したシリューは、動揺を必死に押し隠し尋ねた。


「さて、何でだろうね」


 男の答えと共に、周りの喧騒が消える。


 シリューは素早く身構え、相手の動きに備えた。


「そう警戒しなくてもいいよ、僕は君に害をなすつもりは無いからね」


 身長はシリューよりも低く、顔はフードに隠れ口元しか見えないが、その声は変声期前の少年のように伸びやかで、どう見ても大人とは思えない。


 男の言う通り、敵意も悪意も感じない。だが、一見して華奢な少年に見えるこの相手に対して、シリューは勝てるプランを全く思いつかなかった。先程から【解析】をかけようとしているのだが、セクレタリー・インターフェイスが全く反応しない。


「……もう一度聞く、何で俺の本当の名前を知ってるんだ」


「それは、僕だから、としか言えないかな?」


 男はにっこりと笑った。


「それより、プレゼントは気に入って貰えたかい?」


「プレゼント……?」


 一瞬、何の事だか分からなかったが、閃くようにシリューの脳裏に思い浮かぶ。


「白の装備の事か?」


 いつの間にか、気付かないうちに押収品の中に混じっていたあのスーツケース。それがこの男の仕業だとしても、新たな疑問が出てくる。


 いつの間に、どうやって、シリューに気付かれる事なく、ガイアストレージにアクセスしたのか。


「おや? 聞きたいのはそんな事なのかい?」


「なっ……心を読んだのか」


 男は首を振り、ただ分かるだけ、と笑った。


 駆け引きさえ通用する相手ではない。ならば、素直に聞いてみるだけだ。


「モンストルムフラウトをランドルフに渡したのは、あんたか?」


 男は無言のまま頷いた。


「何故あんな悪党にアーティファクトを渡した?」


「悪党? ああ、この世界の法に照らせばそうなるね。ただ、渡した時、彼はそうでは無かった、何かが彼の心の引き金を引いたんだろうね」


「引き金を? どういう意味だ……」


 さっきから、丁寧に質問には答えているが、その度に新たな疑問が湧き上がる。


「彼には、選べる選択肢がそれこそ数えきれない程あった。でも残念ながら、彼自身の手で、破滅の道を選んでしまった。本当に残念だよ、他の選択肢もあったのにね」


 男はフード越しに、シリューを見つめた。


「君は……どんな選択をするのかな?」


 フードに隠れて見えない筈の男の目に、シリューは心の中を見透かされるような視線を感じた。


「待て、質問に答えていない。俺は何故渡したのかと聞いたんだ」


「おや、そうだったね。理由は、そう……君に白の装備をあげたのと同じだよ」


「どういう事だっ、意味がわからない!」


 会話がかみ合っていない、本質に答える気は無いとうい事だろうか。


「そうか、では、まだそれを知る時ではないという事だね」


 やはりそういう事か、とシリューは思った。


つまりは自分で考え、自分なりの答を出せ、と。


「その通り、そしてそれが君にとって唯一の正解でもある。たとえどんな道を選んだとしてもね。それは僕でも干渉は出来ないんだ」


 男は微笑みを絶やさず、満足げに頷いた。


「もう一つ、子供や神官を誘拐させてたのは、あんたか?」


「それは違うよ。別の誰かが、あの男を利用したんだろうね」


 今度ははっきりと否定した。その誰かを教える気は無さそうだが。


「それより、そろそろ行った方がいいんじゃないかな? アレを止められるのは、君だけだと思うよ?」


 そう言われてシリューは振り向く。


「なっ……?」


 今まで気付かなかったが、周りを透明な壁に取り囲まれ、外の音も一切聞こえない。


「ここは僕の結界の中。今のところ、こうしないと君と話す事が出来ないからね。ただここは時間の流れが少し遅いんだ。手遅れになる前にもう行った方がいいと思うよ」


 そう言った男の身体が徐々に透けて薄くなってゆく。いや、存在自体が希薄になってゆくと言った方が正しい。


「待てっ、あんた一体何者なんだ!?」


「そうだね……君の世界の言葉で表せば……メビウス、かな」


 その言葉を最後に男の存在は完全に消失し、結界も消え喧騒が戻ってくる。


「メビウス、だって……?」


 シリューの呟きに重なり、聞こえてくる爆発音。角度と距離から、広場ではない。


 “ 時間の流れが遅い ”


白いフードの男、メビウスはそう言ったが、結界の中にいたのは精々5分程度、日の角度からまだ1時間は立っていない筈だ。


「ご主人様? さっきから変なの、です。1人で、誰もいない所に向かって話してるの……」


 ヒスイがポケットから身を乗り出し、首を捻った。


「え? 1人?」


 “君には、僕が見えるのかい? ”


 メビウスは確かにそう言った。


「ヒスイには、見えなかったの?」


「……ヒスイは誰も見てないの、です」


 何故かは分からないがメビウスの言葉通り、姿も声もシリュー以外には見えないらしい。


「考えるのは後回しだな……」


 シリューは状況を確認する為、一番近くの3階建ての屋根に飛び乗った。






 シリューが結界の中で、メビウスと対峙していた同時刻。


 広場で起こった異常事態に、冒険者ギルドも騒然となっていた。


「レノっ、どうなってる!!」


 1階に降りて来たワイアットが、慌ただしく動き回るレノを見つけて叫んだ。 


「はい、どうやら刑の執行直後に、理由は分かりませんがランドルフが魔物化したようですっ。今、騎士団と官憲隊、それに勇神官の人たちが対応していますが、状況は芳しくないようです」


「それだけいて、状況が不利って事か?」


「はい、相手は少なくともC級かそれ以上です。それに街中ですので、大型の兵器が使えません」


 ワイアットは腕を組み、眉をひそめる。


 確かに、対災害用の兵器は街の外へ向けられている。街中へ向けての運用も可能ではあるが、それでは守るべき街自体が壊滅してしまう。


「なんとか、そいつを街の外へ出せれば……レノっ、うちの戦力はどうなってる」


「今、Cランクのルガーさんたち5人が防戦に加わっています」


 現在レグノスに在住する最高ランクは、Cの5名だけでBランク以上の冒険者は在籍していない。この際Dランク以下の冒険者も、と思ったワイアットだが、おそらく焼け石に水。いたずらに犠牲を増やすだけだろう。


「レノ、シリューを探して呼んで来てくれ。俺も出る。頼んだぞ!!」


 ワイアットはそう言い残し、2mを超える愛用の魔剣『バントライン』を手に、ギルドを飛び出して行った。






「皆さんっ、早く! 北門に向かって下さい! さあ急いで、立ち止まらないでっ」


 ミリアムは他の神官と共に、慌てふためき逃げ惑う人々の、避難誘導に駆り出されていた。


 怪物となったランドルフは、この孤児院がある方に向かって来ている。その為子供たちも、一先ず街の外へ避難させる事になった。


「ミリアム!」


 混雑を抜け、子供たちの避難に当たっていた筈のハリエッタが、息を弾ませミリアムに駆け寄る。


「ハリエッタさん、どうしたんですか?」


「ダニエルがっ、ダニエルが見当たらないの、こっちに来てない?」


 ダニエルは今年7歳になる、ブラウンの髪の元気な男の子だ。


「一緒に北門に向かったんじゃないんですか?」


 ミリアムは嫌な予感がした。


「それが、孤児院を出る時はいたんだけど、いつの間にか、いなくなっていて……まさかとは思うけど」


 ダニエルはとにかくやんちゃで好奇心が強い子だ。おそらく騒ぎに乗じて列を抜けだし、この騒ぎの元凶を見物に行ったのだろう。


 ミリアムは、手にした戦鎚をぐっと握りしめた。


「ハリエッタさんっここ、お願いします!」


 そして、街の南へ向かって駆け出した。

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