【第88話】君の旅路に幸あれ

「堅い挨拶は抜きにしましょう。シリュー殿、さ、どうぞお掛け下さい」


 ナディアに勧められるまま、シリューは丸いテーブルに並べられた椅子に腰掛けた。


 給仕係のメイド2人が、洗練された所作でカップを並べ紅茶を注いでゆく。


「後は、私たちが」


 お茶の準備を終え傍に控えたメイドたちに、ナディアが目配せをすると、2人のメイドは恭しく一礼し、部屋を後にした。


「さあ、これで気兼ねなくお話が出来ますね」


 にっこり笑ったナディアに、シリューの眉がぴくりと動いた。


 気兼ねなく、というのなら、何故こんな大げさな席を設けたのだろう。シリューは、変に気障にならないよう、細心の注意を払って尋ねた。


「それなんですけど……どうしてあんな大掛かりな事を? 普通にクリスティーナさんが声を掛けてくれても良かったような……」


「シリュー殿が悪いのですよ? 待ち焦がれる女を、忘れたまま放っておくのですから……」


 ナディアは、意味ありげな笑みを浮かべ、ゆっくりとクリスティーナに視線を移す。


「えっ? ちょ、ナディア様? わ、私ですか!?」


 いきなり話のネタにされたクリスティーナが、びくっと肩を震わせた。


「他に誰がいるのです? シリュー殿とは懇ろ合いではありませんか」


「な、何故そうなるのですかっ!?」


 大慌てで首を振る、クリスティーナの赤い髪が揺れる。


 シリューも同意見だった。全く身に覚えが無い。


「シリュー殿に馬乗りになって、蠱惑的な声を……」


「違いますっっ!!」


 クリスティーナがほんのりと頬を染めて叫んだ。


「た、確かに、馬乗りになりましたけどっ、あれは、蛇がっっ……」


「あ……」


 シリューもようやく思い出した。


 森の夜。蛇に驚き取り乱したクリスティーナは、我を忘れてシリューに抱きついた。


 事故とは言え、彼女のたわわな胸に顔を埋めた。その柔らかさと、汗交じりの甘美な香りがシリューの脳裏に蘇り、心臓が撥ねる。


「あ、あれは、事故ですっ。と、特に意味はっっ……」


「冗談です♪」


 あたふたと言い訳をするシリューに、ナディアはしてやったりとした笑顔を向けた。


「色々驚かされてばかりは癪だったのです。少しくらい意趣返しをしてもいいでしょう? それに、あれくらいの事で目くじらを立てるような、狭量な方とは思いません」


 確かに、驚きはしたがそれだけだ。それにあれから色々と学んだ。自分の行動やその結果が、この世界の常識からは大きく外れていて、関わった人たちを驚かせていた事にも気付いた。


「ええ、別に怒ってませんよ。びっくりしましたけど」


「わ、私はっ? ただネタにされただけっ!?」


 納得のいかないクリスティーナが、口を尖らせて抗議の声をあげる。


「でも……そうですね。忘れていた訳ではないんですけど……いろいろ、忙しくて。連絡くらいするべきでした、すみません」


 事実、忘れていた訳ではなかった。頭の片隅には引っかかっていたのだが、ついつい後回しにするうち、今日になってしまった。


「いえ、謝るほどの事ではありません。それに、シリュー殿の活躍は、私たちの耳にも入ってきていますから」


 ね、とナディアはクリスティーナに目を向け、お互いに頷きあう。


「深藍の執行者……」


 クリスティーナが、目を閉じ、感慨深げに呟いた。


「……あの、それはちょっと……」


「シリュー殿」


 ナディアがシリューの言葉を遮り、やにわに立上った。


 遅れずにクリスティーナがそれに倣い、2人揃って深々と頭を下げる。


「え? ち、ちょっとっ、どうしたんです!?」


 2人とも、固まったように頭を上げようとしない。


「この度の事、アントワーヌ家として、深く感謝申し上げます。シリュー様へは、お礼の言葉もございません」


「本来ならば、私どもが手で始末をつけるべきところ、シリュー様の手を煩わせる事となり、恐縮いたしております」


 ナディアの感謝の言葉に続き、クリスティーナがお詫びの挨拶を述べた。


 一瞬、何の事を言っているのかぴんとこなかったシリューだが、よくよく考えてみればナディアたちとの共通点は一つ。例の野盗団だ。


「そんなに畏まらないで、頭を上げて下さい。結果的に野盗団を潰しましたけど、そもそも、他の事件を追っての事ですから」


「……ありがとうございます、それでは、お言葉に甘えさせて頂きます」


 ナディアもクリスティーナも、ゆっくりとした所作で頭をあげ背筋を伸ばす。


「2人とも、座って下さい。お礼も謝罪も受け入れましたから、この話は此処までという事で……」


「ありがとうございます」


 2人はもう一度お辞儀をして席についた。


 それからは最初にナディアが言った通り、お互い気兼ねする事なく、とりとめのない話題で盛り上がり、午後のひと時を過ごした。


 あの日以来の事、森の中での事。そして2人とも気になっていたのか、話題はヒスイの事にもおよぶ。


「そういえば、ヒスイ殿はお元気ですか?」


「ええ。ヒスイ」


 姿を現したヒスイが、2人の前に浮かび、見よう見まねのカーテシーで可愛らしく挨拶をした。


「まあっ」


「これは」


 ナディアもクリスティーナも笑顔で立上り、同じく仕草で返礼する。


「ご機嫌、麗しゅう、なの」


 ヒスイが喋った事に2人は驚きはしたが、


「シリュー殿ですものね……」


 と、納得したように頷くのだった。


「……ところで、ナディアさんたちは、いつ出発するんですか?」


 日も傾き始め話題も途切れた頃、シリューがふと尋ねた。確か王都に向かうと言っていたのを思い出したのだ。


「明日の朝です」


 ナディアは少し残念そうに答えた。


「え? 随分急ですね」


「……ここに着いてもう2週間以上になります。これでも少し遅いくらいですよ?」


 シリューはもう少し早く訪ねるべきだったと、少しだけ後悔した。


「王都に着いたら、どうされるんですか?」


「私は、所用を済ませそのまま父の治めるアルタニカへ戻ります」


 ナディアが、『私たち』ではなく『私』と言った事に気付き、シリューは遠慮がちに尋ねる。


「ええと、クリスティーナさんは、一緒じゃないんですか?」


 女性の気持ちにはとことん疎いシリューだが、そんなところには鋭い洞察力を発揮する。


「私は……王都に着いたら、しばらくお暇を頂く事にした……」


「え? 辞めるんですか?」


「いや、そうではないんだ……。今回の事で、私自身の未熟さを痛感した。もう一度、修行をやり直そうと思ってな。幸い、祖父がそこそこ名の売れた剣士だったんだ。そこで一から鍛えてもらうつもりだ」


 そう言ったクリスティーナの目は、どこか遥か先を見据えているように見えた。


「覚悟は立派なのですが、その動機が、ね、クリス?」


「な、ナディア様っ、それはっ……」


 にっこり笑うナディアに、クリスティーナは真っ赤な顔で首を振る。


「シリュー殿、聞いて下さい。クリスティーナはこう見えて、かなり惚れっぽい性格なのですが……」


 それは数年前、とある国に出掛けた時の事。剣に自信のあったクリスティーナは、その国でも5本の指に入る騎士と、手合せの機会を得た。相手の冷静な態度が気に入らず、鼻っ柱をへし折ってやろうと意気込んだ彼女はしかし、あっさりと敗れてしまった。ただ、そこで落ち込む彼女ではなかった。


「結婚して下さい!!」


 その騎士に、いきなり求婚したのだ。相手は妻子持ち、当然受ける筈もなく、それでも引き下がる気配のないクリスティーナを、皆で説得し何とか事なきを得た。帰りの道中、ずっと不機嫌だったが。


「っそ、それはっっ、そうですが、む、昔の話です!!」


「自分より強い殿方に惚れてしまうのは、変わっていないでしょう?」


「……ぐっ……」


 呆れ顔のナディアに、クリスティーナは俯いて押し黙る。


「クリスティーナさんの想いが通じるのを、心から願っていますよ」


 気障にはなっても、本質は変わらないシリューだった。






 次の日。


 街はまだ朝靄にけむり、エラールの森の木々から、ようやく日が顔を覗かせる頃。


 シリューはレグノスの南門の外に立っていた。


 今日街を離れる、クリスティーナたちを見送るためだ。


「わざわざありがとうございます。シリュー殿、いつでも構いません、きっとアルタニカの街を訪ねて下さいね」


 アルタニカは迷宮都市とも呼ばれるように、大規模な地下迷宮が存在し、一流の冒険者たちが集まる街だ。


「はい、そのうちにきっと」


「約束ですよ。ではシリュー殿、良い旅を」


 ナディアは名残を惜しむように、ゆっくりと馬車に乗った。


「ええ、ナディアさんも」


 ドアを閉めた従者が、御者席に乗り込み手綱をとる。動き出した馬車の窓から、身を乗り出し手を振るナディアを、はしたないとは思わなかった。


「では、シリュー殿。お元気で」


「ええ、お元気で」


 クリスティーナは馬上で僅かに逡巡した後、真っ直ぐにシリューを見つめた。


「ひとつお願いが……」


「はい、なんでしょう」


 クリスティーナは一度大きく深呼吸をする。


「次に会う時は……クリス、と呼んでほしい……」


 意外な申し出に、シリューは一瞬戸惑うが、それはさほど難しい事ではない。


「わかりました。次に会う時は」


 涼しげなシリューの笑顔に、クリスティーナも満面の笑みで応える。


「シリュー殿の旅に、幸の多からん事を」


「ありがとうございます、クリスティーナさんも」


 はっ、という掛け声とともに、颯爽と馬を駆るクリスティーナ。振り向いた彼女は赤い情熱的な髪をなびかせ、


「約束! 忘れないで!!」


 一言叫び、あとはもう振り返る事なく、馬車とともに地平線へと消えていった。


「ええ……きっと……」


 誰にも聞こえないシリューの声は、それでもクリスティーナの心に届いていた。



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