【第87話】間違ってる!

「シリューさん……大丈夫かな……」


 湯上りの濡れた髪をとかす手を休め、ミリアムはふと昼間の出来事を思い返し、眉をひそめてじっと掌を見つめた。


 ミリアムが伸ばした手を、怒気を孕んだ叫びとともに払いのけた、あの時のシリューの顔。


 だが、射るような目つきで睨むその瞳に、怒りよりも大きな怯えの色が滲んでいた事に、ミリアムは気付いていた。


 そして、突然胸を押さえて倒れ込み、痛みにもがく。


 あの無敵とも思えるシリューが、気を失ってしまうほどの痛みと苦しみ。それがどんなものなのか、想像する事しか出来ない自分に、ミリアムはどうしようもない歯がゆさを覚えた。


 それだけでは無い、もっと気になるのは、心臓を貫くあの傷痕。


「完全に、致命傷の筈なのに……」


 ミリアムはふと気づいた。


 確かに気になる。が、かといってシリューの過去や、傷を負わされた時の事を知りたい訳ではない事に。


 夜、悪夢にうなされたり、フラッシュバックする痛みに襲われるのも、死に直面したトラウマだけでは無く、シリューの心を苛む何かがきっとあるのだろう。


 出来れば、その心を癒す助けになりたい。と、思った。


 それなのに……。


 余りの鈍感さに、ついつい拗ねてあんな態度をとってしまった。


 でも多分、シリューは誰にでも優しい。その優しさが、時に人を傷つけるという事に、おそらく気付いていないだけだ。


「……わたし……」


 きゅん、と胸を締め付ける、その心に芽生えた気持ち。


ミリアムは目を閉じて、生まれて初めて感じる想いを素直に受け止めるのだった。






 夕食を終えて、部屋に戻ったシリューは、ベッドに身を投げ出し、ぼんやりと天井を眺めていた。


「……なんか、やたらとリアルだったよなぁ……」


 昼間に見た夢。


 光を失った三柱の神龍、大地を埋め尽くす夥しい死体と、肉の焼けるような臭い。それは、パティから聞いた、魔神と勇者との戦いを連想させた。


 自分を飲み込んでゆく、巨大な負の感情。


 シリューには、その感情に覚えがあった。


 あの時……。


 ヒスイの印象共有イメージシェアで、ミリアムの腫れあがった顔を見せられた時とよく似ていた。


 激しい怒りと、別の何かが自分の中に生まれる感覚。その何かに、支配されてゆく心……。


 ズキリ、と心臓に痛みが走る。シリューは身構えたが、痛みは一瞬で、昼間のように倒れ込む程ではなかった。


「……あの女性は、誰なんだろう……」


 輝く水色の髪、神々しいまでに美しく整った相貌。涙を零しながら構えた弓。


 “ 救いたかった…… ”、確かにそう聞こえた言葉と、聞き取れなかった言葉。


 そして、放たれる矢……。


 あれは本当に夢だったのか。それとも……。


「ま、考えても、仕方ないか……って……ああっ」


 シリューはそこで、重要な問題を忘れていた事に気付き、ベッドから飛び起きた。


「やばい……明日の服、どうしよう……」


 もう少し早く思い出していれば、と思ったが後の祭りである。今からでは開いてる店も無いだろう。


「ご主人様、あの白い服じゃ、ダメなのです?」


 ヒスイがポケットから飛び出し、シリューの顔の前でちょこん、と首を傾げた。


「え……? あ……」


 正体を隠す為の装備と決めつけ、すっかり頭から抜け落ちていたが、確かにあの『白の装備』なら、貴族の礼装に近い。フェイスカバーとマスクを外せば、問題はなさそうだ。


「……なんで、今まで気付かなかったんだろう……」


 とりあえず、頭を悩ませていた問題はあっさりと解決した。あとは、マントでも羽織れば、他人の目に付く事もないだろう。お茶会の約束は午後からだ、朝のうちに買いに行けば十分間に合うだろう。


「よし、決まりだな」







 次の日。


 シリューは午前中のうちに、貴族や豪商相手に高級品を扱う店で、薄いグレーのマントコートを購入し、軽めの昼食をとって宿へと帰って来た。


「シリューさん、お迎えですよっ」


 既に『白の装備』に着替えていたシリューは、昨日買ったグレーのマントコートを羽織り、ドアの外に立っていたカノンに、ありがとう、と声を掛けて階段を降りる。


「シリューさん……素敵です……」


 背中でカノンの感嘆の声が聞こえ、シリューは振り向いてにっこり笑った。


「ありがとう、でもまあ、馬子にも衣裳ってところかな」


 迎えの馬車は、先日のものと同じ豪華な4頭引きだった。


 馬車の傍で、礼装したブレンダが両手を前に重ねて、恭しく頭を下げる。


「シリュー様、どうぞ」


 促されるまま、シリューがクッションの効いた座席に座り、後に続いたブレンダが向かいの席に腰をおろした。


 ゆっくりと流れてゆく、街の景色をただぼんやりと眺めていたシリューを、ブレンダは何故か、惹きつけられるように見つめていた。


「あの、どうかしましたか?」


 その視線に気づいたシリューが、静かに声を掛ける。


「あ、……い、いえ、失礼しましたっ……」


 ブレンダは慌てて目を逸らしたあと、そっと顔を上げ戸惑う素振りでシリューに尋ねる。


「……あの、シリュー殿? 何か、雰囲気変わりました?」


「え? そうですか? 特に変わってはいないと思いますけど……この衣装のせいでしょうか」


 シリューはマントの留め金を外し、確認するように襟元を指でなぞった。


「似合わないですか?」


「いえっ、とんでもないっ、あの……とてもよく、お似合いです……」


 ブレンダとは何度か話をしただけで、特に親しくなったわけではない。それでも、どことなく様子が違う事にシリューは気付いたが、あえて口にはせず、目を細め涼しげに微笑んだ。


「ありがとう。お世辞でも嬉しいですよ」


 ただ、自分の変化には気づいていなかった。


 アントワーヌ家の邸宅まではほんの5分程度の距離で、迎えの馬車を出す程のものだろうか、とシリューは思いブレンダに尋ねたが、それがこの国の貴族の礼儀らしく、ごく普通の対応という事だった。


 邸宅の門をくぐり玄関前で止まった馬車から降りると、上品な髭を蓄えた執事が出迎え、シリューのマントを受け取り、部屋へと案内してくれた。


「こちらでございます」


 2階の応接室の扉を開け、執事が深々とお辞儀をした。


「シリュー殿、お待ちしておりました。どうぞこちらへ」


 部屋の奥に大きな窓があり、その先に部屋と同じ広さのテラスが広がっている。開け放たれた窓の向こうで、椅子に浅く腰掛けたナディアとクリスティーナが立上り、優雅なカーテシーで挨拶をした。


 2人とも、ワンピース型で、総丈のスカートに手首までを覆う長い袖、襟ぐりも浅く肌の露出のない、アフタヌーンドレスを着用している。


 ナディアは薄い青で丸襟の大人びたデザインのもの、逆にクリスティーナのドレスは、淡いピンクに立ち襟のローブ・モンタントで、彼女の赤い髪によく映える、かわいらしいデザインになっている。


「お2人とも、よくお似合いです。それぞれの色とデザインが、お2人の美しさをより一層引き立てていますね」


 “ え? 誰だよ、俺 ” 


 自分で言って、シリューは思った。


「あ、ありがとうございます。ま、まさか、シリュー殿から、そのような言葉を頂けるとは……」


 ナディアは思いがけぬシリューの言葉に、ついつい焦ってしまう。


「いえ、お2人を前にした、偽らざる気持ちです」


 歯の浮くような台詞がすらすらと飛び出す。


 “ だからっ誰っ? ”、心の中でツッコミを入れる。


「あ、あの、シリュー殿? 一体どうしたのだ……? 今日は何か、その……」


 クリスティーナがもじもじと戸惑いをみせ、身をよじる。


「ええと、少し気障でしたか? 申し訳ありません。でも、2人の内側から輝く美しさに中てられたんだと思います」


 シリューは、クリスティーナとナディアの目を交互に見つめ満面の笑みを浮かべた。


「あ、いや、あのっ……シリュー殿も……す、素敵、です……」


 クリスティーナが耐えられず目を逸らし、真っ赤な顔を伏せて小さな声で呟いた。


 “ なんだよ、美しさに中てられた、とかっっ! 気障とかってレベルじゃないだろっ、どうなってるんだ!? ”


 あきらかにおかしい。


 いや、2人がとても綺麗だというのは間違いない。シリューも素直にそう思う。ただ、恐ろしい程歯の浮く褒め言葉が、まるで息をするかのように出てくる。それに、相手の反応も過剰に思えてならない。


「これ……」


 そういえば、宿を出る時からそうだ。カノンにも、ブレンダにもいつもは言わないような事を言った気がするし、2人の反応も過剰だった。


「……この装備……何か、特殊効果があるのか……?」


 シリューはセクレタリー・インターフェイスに尋ねた。




【プレスティージ:装着者の好感度を上昇させる効果、。及び、トリビュート:相手を称賛する能力を向上させる効果。以上2つの特殊効果を確認しました。なお、この効果は、女性限定に発動されます】




「うん、要らない」


 まさかの、ナンパ用特殊効果だった。


「何がしたいんだ、ってか何をさせたいんだこの装備……だいたい、能力を上げる効果は無かったんじゃないのか……?」 




【戦闘系、体力系の能力を上げる効果はありません】




「……上げるところ……間違ってるよね……間違ってるよね……」


 大事な事だったので、シリューは心の中で2度繰り返した。



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