【第74話】深藍の執行者
「シリューさん、おはようございます!」
果てしなき蒼空亭の客室から、いつものように1階の食事処へ降りてきたシリューへ、宿の女将の娘カノンが、こちらはいつもに増して元気よく挨拶した。
「おはよう。何か今日は元気だね?」
「はいっ、今お食事をお持ちしますので、席について待っててくださいっ」
そう言って厨房に入っていくカノンを、シリューは首を捻って見送った。
いつも元気なカノンだが、今朝はやたらとテンションが高い気がする。何かいい事でもあったのだろうか、シリューはそんな事を考えて、そういえば陸上部の後輩にもそんな女の子がいたな、と、少しだけ懐かしく思い出したのだった。
少し朝寝坊をしたせいか、食事処には他の泊り客の姿はなく、代わりに若い女の子のグループが、入口に近い席の一つを占有していた。
シリューは特に気に留めるでもなく、一番奥のいつもの窓際の席につく。
野盗団を官憲隊に引き渡し、助け出した子供たちを親たちのもとへ返した次の日。つまり昨日は官憲隊からの事情聴取に協力し、その後冒険者ギルドへの説明と報告で、ほぼ丸一日を潰すかたちになってしまった。
今日は一日、クエストも受けずのんびり過ごす予定だ。
シリューは、テーブルに準備されていたティーポットからカップへ紅茶を注ぎ、ゆっくりとその香りと味を楽しむ。
久しぶりに何の緊張感もなくのんびりとした朝に、自然と頬が緩んだ。
「……これで、珈琲があればなぁ……」
この世界に来て、もう何度目かになる溜息をつく。
こちらでも、米は生産しているらしくある程度の流通はあり、何度か口にした事もある。だが、珈琲豆は見た事が無く、情報さえ皆無だった。
「シリューさんっ、お待たせしました」
真剣にコーヒーベルトを探す旅の事を考えていたシリューの前に、じゅうじゅうっと音をたて程よく焼き色のついた、ボリュームたっぷりのステーキを乗せた鉄板が置かれた。
「あの……え? な、なんでステーキ?」
朝食は軽めのシリューは、どちらかと言えばパン派だった。タンパク質はハムかソーセージもしくはベーコンあたりを数切れ、あとは野菜が少々あれば十分なのだ。
いや、確かにパンも皿に乗せて並べられてはいる。だが、明らかに肉の分量がおかしい。
見た目500gはある……。朝食にしてはボリュームがあり過ぎだ。
「カノンちゃん……俺、頼んでないよね……?」
「はいっ」
カノンはにっこり微笑んで、きっぱりと答えた。
朝食のメニューは基本お任せになっているので、注文の間違いという訳ではない。カノンの様子から、他の客と取り違えた訳でもなさそうだ。まあ、他の客と言っても、女の子のグループしかいないのだが……。
「えっと……カノンちゃん?」
「冷めないうちにどうぞっ」
なぜだろう、会話が成り立っている気がしない。
「カノンっ、ちゃんと説明しなさいって言ったのにっ」
カノンの母親で、女将のロランは慌てた様子で駆けて来ると、頭巾を外し深々と頭を下げた。
「シリューさん、ありがとうございました」
「え?」
シリューには何の事だか身に覚えが無かった。
「昨日メリルから聞きました。サリーちゃんや……子供たち、助けて下さったそうですね。これは私と主人からの気持ちです」
ロランは瞳を潤ませながら微笑んだ。
「ああ、それなら……でも仕事なんでそんなに大げさにしなくても……」
「いえっ、そんな訳にはいきませんっ。私たちからも是非お礼をさせて下さい!」
ロランとカノンが、揃って大げさに思える程の仕草でお辞儀をする。
「あ、あの、はい……。じゃあありがたく頂きます」
断れる雰囲気ではなかった。
「はい、本当にありがとうございました」
ロランたちが厨房に下がったあと、シリューは早速この
「ロランさん……朝からこの量は……」
と言っても味は今まで経験したことが無いほど美味しかった。とろけるような脂身と、しっかりとした赤味の味が程よく調和している。
それに、思ったほど胃にもたれるような事もなく、意外にすんなりと食べきる事が出来た。相当に良質な肉だからなのか、龍脈から復活して肉体が超強化された影響なのかは、正直わからなかったが。
ただ、終始気になる事が一つ。
シリューは窓際の奥の席に、壁を背にして座っていた。特に意図した訳ではなく、いつも通りなのだが、ふっと顔をあげた時、入口近くの席の女の子と目が合った。ふとした瞬間に他人と目が合うなどよくある事で、最初はたまたまだと思って気にもしなかった。
ところが、である。
3人いる女の子たちが、顔をあげるたびにシリューの方を見ているのだ。はっきりとそう思ったのは一度、目の合った娘がにっこり笑って軽く手を振った時だった。シリューは外にでも知り合いがいるのかと窓を見たのだが、それらしき人物は見当たらず、振り向いたらその娘がこくん、と頷いた。
「だ、誰だっけ……?」
シリューは人の顔や名前を覚えるのが苦手だ。
この街に来て知り合いも増えたが、どうも見覚えが無い。
見た感じカノンと同世代で15~6歳といったところだろうか。クエストで知り合った人たちはもっと年上で、それ以外はミリアムくらいしかいない。
そんな事を考えていると、そのグループにカノンが呼ばれた。
内容までは聞き取れないが、何やら親し気に話している様子から、彼女たちが友人同士だとわかった。となれば、この宿で顔を合わせた事があるのかもしれない。ただ覚えていないだけで……。
「シリューさん、お皿を下げて、新しい紅茶をお持ちしますね」
お喋りを終えたカノンが空いた皿を片付け厨房へ入ると、すぐに新しいティーポットを持って戻って来た。
「カノンちゃん、あの子たちは、ひょっとして友達?」
カップに紅茶を注ぐカノンに尋ねる。
「あ、はいっ、何か、迷惑でしたかっ?」
カノンは慌てて背筋を伸ばし、頭を下げる。
「ああ、いや、そういう訳じゃないんだ、親しそうに話してたから、そうなのかなぁと思って……」
「あ、はい、それであの……ちょっと……お願いが」
カノンは腿をすり合わせ、お盆を胸に抱いた仕草で遠慮がちに尋ねる。
「お願い? 俺に? いいけど、なんだろ」
少しだけ頬を染めるカノンの、頭の上の耳がピクピクと可愛く動いた。
「街で話題になってるんです、一昨日の事……」
野盗団の全員を裸に剥いて、市中を引きまわした件だろう。確かにかなりの見物人がいて、野盗達にヤジを飛ばしていた。
「ああ、なんか派手だったらしいね?」
シリューはまるで他人事のようにこたえた。フードで顔を覆っていた為、あれがシリューの仕業だと知っているのは、ミリアムや子供たち、それと冒険者ギルドの数名の筈だった。
「やりすぎだ、とか、悪趣味だって言う人もいるんですけど、ほとんどの人は胸のすく思いだって……」
後から冷静に考えると、ちょっと悪趣味だったかな、とも思ったりもしたが、あの時はいろいろと許せなかったのだ。子供たちの事も勿論だが、それ以上に……。今思い出しても無性に腹が立つ、あれくらいは当然だと思えるほどに。
「それで、野盗団を捕まえたあの人はいったい誰だろうって。フードで顔はよく見えなかったらしいんです。でも、ちらっと見えた目元から若い男性だろうって……」
何となく嫌な予感がした。
「若い娘たちの間で話題になってるのは、その人の事なんです。捕らわれた可憐な恋人を助け出す為、たった1人で野盗団を壊滅させた勇士。皆、『
「ごぼっっ」
むせた。思いっきり。『深藍の執行者』……完全に中二病だ。恥ずかしい、絶対アウトだ。それに『可憐な』って誰? 『恋人』って何? いろいろ事実が捻じ曲げられている気がする。
「そ、それで、俺に、た、頼みっていうの、はっ……」
シリューは動揺を隠すため、努めて冷静を装ってみたが、上手く行かなかった。
ただ、顔は隠していたのだ、ばれている筈はない。
「それで友達に言ったんです、それ、うちに泊まってる冒険者さんの事だよって」
「ごほっ」
またむせた。
「だ、誰からそれを……?」
「姉です」
まあそうだろう、想像はついていた。
“ 個人情報ダダ洩れかっ、大丈夫か冒険者ギルドっ! ”
シリューは心の中で叫んだが、この世界に個人情報保護などという考えは存在しない。口止めをしなかったシリューにも責任はある。
「それでっお願いっていうのは、その……あの子たちが是非シリューさんに会いたいって……」
シリューは怪訝そうな表情でカノンを見上げた。
「ああっ、迷惑ですよねっ、ご、ごめんなさいっっ」
カノンは目に涙を溜めて何度も頭を下げた。
紅茶が気管に入り苦しかったせいで険しい顔になったのだが、それをカノンは怒っていると勘違いしたようだ。
「あ、いや、そうじゃなくて、大丈夫怒ってないよ。会うぐらいなら全然平気だから」
「ホントですかっ、良かったぁ」
シリューはその事を少し後悔する事になる。
「握手してくださいっ」
「わ、わたしもっ」
「あの、私もいいですか……」
「あたしも、握手っ」
「きゃぁ、かっこいい」
何か増えていた。
「恋人のお姫様を助けたんですよねっ」
「ドラゴンを倒したって本当ですかっ」
尾ひれもついた。
「仲間の仇を取ってくれてありがとう」
おっさんも混じった。
「これで父も浮かばれます」
神妙な女性も。
結局その調子で何十人と訪ねてきたため、ほぼ丸一日、地元アイドルの握手会のようになってしまった。
「娘たちが、ご迷惑をおかけしました……」
夕食時、ロランが申し訳なさそうに頭を下げ、テーブル一杯に料理が並んだ。
それから暫くして。
レグノスの街では、子供たちが悪さをした時、『悪い子は深藍の執行者が裸にして連れて行くよ』と言って窘めるようになった……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます