第57話 ミリアムは泣かない
魔力痕を検出できなくなった為、水色とピンクへ変色した臭気のラインを追い、シリューとミリアムは街に出た。
2本のラインは孤児院の裏門を出た後、少し高い位置を移動していた。
「最低でも大人2人以上、おぶって行ったか抱いて行ったかしたみたいだ……」
袋詰めにされたり、酷い扱いを受けていなければいいが……。そんな思いがシリューの脳裏をよぎった。
ミリアムは目を見開き息をのむ。
「そ、そんな事ま……いえ、私の事は無視してくださいっ」
シリューには一体何が見えているのだろう。
臭いだけを辿っているとは、到底思えない。
確認したくなる気持ちを抑え、ミリアムは黙ってシリューの後に続く。
大通りを抜け、比較的広い路地に入った先に何件かの店が並んでいる。
その一角に、看板も無く、営業しているのかも怪しい古びたサルーンが、人目を忍ぶようにひっそりと建っていた。
立地条件のせいでもう潰れてしまっているのかもしれない。
水色とピンクのラインは、その店の中へと消えていた。
「……問題は……」
攫われた子供たちや、その犯人たちがまだ中にいるのかどうか。
確認するには【探査:アクティブモード】を使えばいいのだが、今は人通りもある。じっと店を見ていれば、犯人たちに気付かれる恐れもある。なるべく自然に監視するためには……。
シリューは少し歩く速度を落とし、ミリアムが追いつくのを待った。
“ ……ターゲットスコープ起動…… ”
イメージをスパークではなく、そう、姫蛍の発光のように……狙いは……。
「ミリアム……ごめん」
シリューは聞き取れない程の小さな声で、ミリアムへの謝罪の言葉を口にした。
当然、その声はミリアムには届いていない。
“ ショートスタン ”
「ひゃんっ」
右脚のふくらはぎに鋭い痛みが走り、ミリアムはどうする事も出来ずよろけてしまった。
「大丈夫か?」
派手に転びそうになったミリアムを、シリューはすんでのところで支えた。
「いたたた、ちょっと……足がつっちゃったみたいですぅ」
うん、違うんだ、ごめん。
それは、シリューの心の声。
「歩き通しだったんだろ? 無理するなよ、ほら、掴まれ」
シリューはミリアムの腕を自分の肩にまわす。
「ご、ごめんなさいっ」
そんな会話の間も、シリューは視線だけを店に向け続ける。
そして、ゆっくりと歩く。ミリアムのペースに合わせてすり足のようにゆっくりと。
突き当たった角を曲がる。
「シリューさん、も、もう大丈夫です……」
「そうか……」
シリューはミリアムの手を放し、真剣な顔で見つめた。
「……ど、どうしたんですか?」
「さっき、お前がよろけた所に、古い店があったろ……」
シリューはちらりと振り返った。勿論そこからはもう見えないが。
「……ごめんなさい……気付きませんでした……」
また怒られるかと思ったのか、ミリアムは申し訳なさそうに目を伏せた。
「いや、いいんだ。看板も無かったし、目立たない店だったから……」
「シリューさん? まさか……」
シリューは大きく頷いた。
「2人の痕跡があの店の中に続いてた」
ミリアムの目が大きく開かれ、期待の色に染まる。
「……けど、あそこにはもういない、何処かに移された後だと思う……。中は無人だった」
水色とピンクのラインは店の中へ入っていくものだけで、出てくるものが無かった。
いや、無かったのではなく、見えなかったと言うべきかもしれない。
おそらく、木箱か樽に押し込められ運び出されたのだろう。
その為に、臭気の痕跡が残らなかったのだ。
一通りの説明を聞いて、ミリアムは驚愕の表情を浮かべる。
「あの、聞いちゃいけないかもしれないんですけど……何でそんな事が分かるんですか? いえ、何でそんな事ができるんですか?」
それは、疑いではなく純粋な好奇心だった。
「んー、そうだな。詳しく説明は出来ないけど、そういう能力があるってトコかな。ただ、建物の中を探査するにはかなり近づいて、時間を掛ける必要があって……」
「……凄いです……そんな能力、初めて聞きました。……って、私が偶々転びそうになったのも、少しはお役に立てたって事ですか?」
何も知らないミリアムの笑顔には、嬉しさが滲んでいる。
「ああ、それな……」
本当は黙っていようと思っていたシリューだったが、ミリアムに笑顔を向けられ、良心の呵責に耐えきれなかった。
「……ごめん、あれ、俺だ……」
「え?」
ミリアムは意味が分からず首を傾げる。
「俺が、魔法でお前の脚を撃った……ごめん」
正確には特殊技能のショートスタンだが、この際そんな細かい事はどうでもよかった。
眉根を寄せて、じっとシリューを見つめるミリアム。
非難されても仕方がない。だが、どうしても黙っておく事は出来なかった。
「……どうして? どうして話したんですか?」
「え?」
今度はシリューが首を傾げる番だった。どういう意味だろう、と。
「言わなかったら、私気付きませんでしたよ?」
「……そうかもしれないけど……あの時……」
続けようとしたシリューの口元に、ミリアムがそっと人差し指を添える。
「必要……だったんですよね? 子供たちを、探す為に」
唇を指で押さえられたまま、シリューはゆっくりと頷く。
怒るだろうと思っていたミリアムが、優しい笑みを浮かべている。
「なら、私に説明する必要はありません。シリューさんの思った通りにやっちゃって下さい。私の事なんか気にしなくていいんです。ねっ」
「ミリアム……」
簡単に言える事ではない。言い方は少し気になるが、ミリアムは相当な覚悟を持っているのだろう。
「……ただし、絶対に子供たちを見つけてあげて下さい」
ミリアムは、シリューの唇から指を離す。
「ああ、約束する」
「……もし、約束を破ったら、その時は、私……」
上目遣いに、きつくシリューを睨むミリアム。
「……私……?」
シリューはその意外な迫力に気おされ息をのむ。
「……泣きます」
冗談なのか本気なのか。
だが、シリューはツッコミも笑いもせず、ミリアムの鼻先を指でちょん、と優しく触れた。
「お前は泣かない……子供は俺が必ず見つけ出して助けるんだからな」
ミリアムの顔に、満開の花のような笑顔が弾けた。
「はいっ。知ってます。シリューさんはそう言ってくれるとわかってました」
「お前、それ過大評価だろ」
不思議な娘だ……。
初めて会った時から、迷惑を掛けられっぱなしで、腹の立つ事ばかり。
その言動と天然な反応に、思わず首を絞めたくなる衝動に駆られた事も多々あった。
……だが今は……。
シリューは自分の気持ちの変化に少し戸惑う。
好きかどうかは分からない。
ただ、泣き腫らした瞳を期待の色で輝かせ、健気にも微笑むこの少女の、これ以上泣き顔を見たくないと思う程には、おそらく嫌いではない。
「俺はこれから、残り2件の依頼主に会ってくる。何か共通点が見つかるかもしれないしな」
「私も行きますっ」
ミリアムはぴんと背筋を伸ばし、胸に手を当てた。
「いや、お前は帰れ……今日はもう休んだ方がいい」
「……でも……」
渋るミリアムの頭に、シリューはそっと手を置く。
「いいから、任せろ」
たったそれだけの言葉が、ミリアムの心に大きく響く。
たまに見せるシリューの、その涼しげな笑顔。
あ……今、これはズルい……。
ぶっきらぼうで口が悪くて、意地悪で……。
それでも、迷惑を掛けた以上、ちゃんとお詫びしないと……。
はじめはその程度だった筈。神官として、恥ずかしくないように、とか。
けれど、この少年の瞳の奥に煌めく、打算のない優しげな光。
……この人は、誰かの涙を止める為に、本当に一生懸命になれる人だ。
少しずつ、季節が移り変わるように、ゆっくりと心を惹かれてゆく。
それは、悪い事でも、恥ずかしい事でもない。と、思える。
「わかりました、お任せします」
シリューの手から伝わってくる、心が安らぐような温もり。
これも、この少年の能力だろうか?
ミリアムはふと、そう思った。
「あの、でも……」
ミリアムは今来た道をちらりと振り返った。
「わかってる、孤児院までちゃんと送ってやるよ……」
「……いつも、ごめんなさい……」
ミリアムは頬を染めて、恥ずかしそうに俯く。
「そこは、ありがとう。だろ?」
「はい、ありがとうございますっ」
すでに日は落ち、街は夕闇へと染まりはじめていた。
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