第55話 ミリアムの涙、シリューの決意
「ミリアム?」
シリューが声を掛けると、ミリアムは両手で目を擦り振り向いた。
「あ、シリューさん……」
大きな瞳は赤く充血し、心なしか瞼を腫らしている。
おそらく、たった今まで泣いていたのだろう。
「お前……何があったんだ?」
短い付き合いだが、元気で前向きな事だけが取り柄のこの娘が、こんな風に肩を落とし泣いているなど、余程の事があったに違いないと思えるくらいには、他人でもない。
「……孤児院の子が二人もいなくなって……一日中探し回ったんですけど、ぜんぜん見つからなくて、それで……」
顔を上げようともせずに、消え入りそうな声で呟いた。
「いつ、いなくなったんだ?」
「昨日の、多分夜中です……」
「捜索依頼は出したのか?」
ミリアムは力なく頷く。
「予算が無いから、オスヴィン様が自費で依頼料を出してくれました……」
そう言って顔を上げシリューを見つめたミリアムだが、すぐに下を向き押し黙ってしまった。
「そうか……誰かが受けてくれるかもしれないし……見つかるといいな」
夜のうちにいなくなったのであれば、遊びに出掛けて戻れなくなったという可能性は低い。
何らかの方法で誘拐されたのだろう。
それはシリューにとって、精一杯の慰めの言葉だった。
「……はい……」
ミリアムは下を向いたまま、掠れた声で返事をした。
「じゃあ、俺は帰るから……お前も、気を付けて帰れよ」
「は、い……」
ミリアムの声はもう声にならず、その肩は小さく震えていた。
足元に透明な雫がひとつ、ふたつ。
遠ざかるシリューを、ミリアムは引き留めもせずただ俯くばかり。
わかっている、ミリアムは気を使っているのだ。
これ以上迷惑をかけないように。
シリューが困るような言葉が、口をついて出てしまわないように。
だがそれでも、それが分かっていても、ここに来てしまったのだろう。
「……そうだよな……」
いなくなったのは、当然ミリアムの子供でも、血を分けた兄弟でもない。
だが、ミリアムにはそんな事は関係ないのだ。
シリューは立ち止まり、振り返った。
ミリアムは未だその場所に立ち尽くしたまま、動こうとしない。
「……あの残念神官……」
泣き叫ぶ子供をあやしていた時の、ミリアムのやわらかな笑顔がシリューの胸をよぎる。
「ったく、イライラするっ。あの馬鹿っ!」
シリューは踵を返し、ミリアムの元に戻った。
「おいっ残念神官っ」
怒気を含んだシリューの声に、ミリアムはびくっと肩を震わせ顔を上げた。
「シリュー……さん?」
シリューの思った通り、ミリアムの頬を涙がつたい零れ落ちている。
その事に気付いたミリアムは、慌てて涙を拭った。
「言いたい事、あるんだろ……」
「え……」
「言いたい事があるんだろっ、その為にここに来てっ、俺を待ってたんだろ!」
「あ、あの、でも……」
「ここでっ、このまま立っとくつもりか? それで何か解決するのか? 違うだろっ! それじゃ何も始まんないだろ!!」
シリューは一旦言葉を切り、大きく息を吸った。そしてミリアムの両肩を掴んだ。
「なに遠慮してんだ! 迷惑なんて今更だろっ!! 助けて欲しいならっ、助けてくれって言えよ!!!」
大声で、シリューにしては乱暴な言い方だった。
だがその瞳には、縋る者を決して見捨てる事のない、一心な優しさが輝いている事にミリアムは気付いた。
「シリューさんっ……シリューさんっ、お願い助けて、子供たちを見つけてあげてください。もうシリューさんしか、頼る人いないんですっ」
ミリアムは必死に縋った。
もう涙を隠す必要もない。
目の前の黒髪の少年に、必死に縋りついた。
「見つけてやるさ、絶対」
シリューは穏やかに、しかし力のこもった声でミリアムの願いに答えた。
「シリュー、さん」
ミリアムの目から大粒の涙がぽろぽろと零れる。
シリューは、その涙を指でそっと拭った。
「任せとけ。子供は俺が絶対見つけてやる、だからもう泣くな」
「シリューさん……でも……いいんですか?」
失敗の可能性と、違約金の事を気にしているのだろう。
伏し目がちにシリューを見上げるミリアムの瞳には、涙の他に戸惑いの色も滲んでいた。
「いいとか悪いとかじゃない。……誰かが泣いてるのを、見たくないんだよ……」
ミリアムから目を逸らし、顔を背けて、それでもはっきりと聞こえるように、キザな言い方かもしれない、だがそれがシリューの本音だった。
ミリアムだけではない、きっと子供たちの親も泣いている筈だ。
「来いっ」
シリューはミリアムの腕を取り、冒険者ギルドのスイングドアを開く。
そして、依頼票の張られた壁の前まで進み立ち止まった。
壁の一角。以前から張ってあった二枚の捜索依頼の横に、新たにもう一枚、孤児院からの依頼票が加えられていた。
シリューはその依頼票にそっと手を伸ばす。
失敗を恐れていたのか、無理やり他人事だと思うようにしていた。
捜索のクエストは三件。
「昇格の腕試しには丁度いいかもな」
冒険者の仕事ではないと、官憲の仕事で自分には関係ないと、もう割り切る必要はない。
ミリアムの涙が、後押ししてくれた。
自分の気持ちを偽るな、と。
やりたいようにやれ、と。
子供が生きている限り、とことん追い詰める。
それが個人なら、広場にでも吊るしてやる。
どんな組織がかかわっていたとしても、必ず叩き潰してやる。
それが当然の報いだ。
シリューは不敵な笑みを浮かべ、三枚の依頼書を壁から剥がし目を閉じる。
「……行くぞ……」
依頼書を握る拳で、こつんと額を叩いた。
「そこで待っててくれ」
ミリアムを残し、シリューは受付へ向かった。
受付のカウンターでは、何故かレノがにこやかに手を振っている。
「シリューさん。素敵な彼女のために頑張ってくださいね」
依頼票を受け取ったレノが、目を細め微笑んだ。
「はい?」
何か途轍もない違和感がある。
「カッコ良かったですよ」
「……あの……?」
シリューは訳が分からず、首を傾げる。
「私もいつか素敵な男性に言われみたいです……」
まさか、と思った。
「……お前の涙を、見たくないんだ……はぁ」
レノは頬に手を添え、甘い吐息を零した。
「いやいやいやいやいやっっっ」
前半の部分が大きく改ざんされている。と言うか、全く別の意味にすり替わっている。
「誰それっっ。言ってないですよね俺っ? ってか、見てたんですかっ⁉」
「はい、もうばっちり」
レノは満面の笑みできっぱりと言い切った。
シリューの顔がみるみるうちに赤く染まる。
口説いたつもりは全くないが、改めて思い返すとかなり恥ずかしい。
見られていたとなると尚更だ。
手続きの終わった依頼票をひったくるように受け取り、シリューはさっと踵を返した。
「よう、シリュー」
目の前にたっていたのは、凶悪な顔に穏やかな笑みをたたえた、熊人族のルガーだった。
「ルガーさん?」
「おめえ、この街に来て何日もたたねえってのに、あんな別嬪さんな神官を口説きおとすたぁ、思ってた以上にやるじゃねえか……」
シリューは頭の中が真っ白になる。
〝口説く? え? 何? もう、そういう事になってんの? 決定事項なの?〟
そもそも、何が思っていた以上なのか。
「ま、頑張りな」
ぽんっ、とシリューの肩を叩き、ルガーは奥のサルーンへ歩いていった。
周りの冒険者たちも、なにやら生温かい目でシリューを見ている。
「あぁ、なんかこれはアレだな……」
シリューは、ちらっとミリアムに目配せをして、逃げるように外に出た。
いや、実際逃げた。
口笛を鳴らす者もいたが、後で見つけ出して必ず殴ってやろう、とシリューは心に誓うのだった。
「あんっ、待ってくださいっ」
ミリアムは、慌ててシリューの後を追いかけ隣に並んだ。
「な、なんか悪かったな、変な勘違いされたみたいで……その、気にしなくていいから」
「大丈夫です、ちょっと気持ちが楽になりました。面白い人たちですね、冒険者さんって」
指で頬を拭ったミリアムは、もう泣いてはいなかった。
シリューはミリアムの顔を覗き込む。
ミリアムもそれに応えるようにシリューを見つめて笑った。
「立ち直りの早いやつだな……」
「それが、取り柄ですもんっ」
ぴんっ、と胸を張り、勢いよく弾んだ二つのメロン。
「それに……」
意味ありげにミリアムが呟く。
「それに……?」
「……内緒ですっ」
今の気持ちを表すように、ミリアムはくるんっ、と回った。
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