第54話 暗躍する悪意
その夜の孤児院。
皆が寝静まった頃、こっそりとベッドを抜けだした男の子は、隣の部屋のドアを薄く開き、同い年の女の子に声を掛けた。
「ハンナ、はやくはやくっ。こっちだよ」
「待ってダドリー、今いく」
ハンナは、枕とシーツを丸めてその上から毛布を被せた。
これで、夜中の見回りを誤魔化せるはずだ。
「よし、いこう」
2人とも寝間着ではなく、普通の服を着ている。
足音をたてないよう、靴を両手に持ち、小さな背を屈めてゆっくりと外へ続く裏口のドアへと近づく。
見つかる可能性が一番高いのは、そのドアの手前にある宿直室の前を通る時だ。
2人は胸に付けた、紋様の描かれたバッジに手を触れる。
「これで、大人から見えなくなるの?」
「うーんわかんない。でも、にんしき? が、しづらくなるって言ってたよ」
ハンナの疑問に、ダドリーが首を傾げながら答える。
無事に宿直室の前を抜け、ダドリーがそっとドアノブを回す。
鍵は掛かっていない。
2人は素早くドアを抜け、裏庭に出た。
後は、迎えの来ているはずの裏門まで走るだけだ。
急いで靴を履き、裏庭を駆ける。
「こっちよ、ダドリー、ハンナ、お利口さんね」
裏門の外には、黒いフードを被った3人の大人が待っていた。
「これで、パパとママにあえるの?」
「ええ、会えるわよ」
タドリーとハンナの、焦点の合っていない虚ろな目を見て、黒いフードの1人がニヤリと笑った。
「シリューさんっ、今日も猫ちゃん探しですかっ?」
宿の食事処で、朝食を終えたシリューのテーブルをかたずけながら、この宿の娘、カノンが元気よく聞いた。
他にも3組の客がいてカノンの声に振り向いたが、すぐに自分たちの会話に戻った。
「……え? なんで……」
何故カノンが猫探しの事を知っているのか、シリューは疑問に思ったが、すぐに納得の答えに至った。
「お姉ちゃんに聞いたんですっ。シリューさん、キャット・チェイサーって呼ばれてるんですよね!」
ギルドの情報規約ってどうなっているんだろう、と思わなくもないが、それより大きな声でその呼び名を言われると、かなり恥ずかしい。
「……いや、カッコ悪いよね……それ」
レノは大げさな仕草で首を振る。
「そんな事ないですっ! いいじゃないですか猫ちゃん探し!! シリューさんカッコいいですっ!!!」
大声で宣言したあと、カノンは一瞬ハッとなり、顔を真っ赤にしてがちゃがちゃと食器をかたずけ、大慌てでカウンターの奥へ引っ込んでいった。
入れ替わりにやって来たロランが、あっけにとられて茫然となっているシリューの前に、ティーカップを置き入れたての紅茶を注ぐ。
「……うるさくてごめんなさいね。いつも言ってはいるんですけど……」
ロランはやれやれといった様子で眉根を寄せた。
「あ、いえ、全然平気ですよ。目が覚めて丁度いいくらいです」
元気のいい子は嫌いではない。
シリューはふと、部活の後輩の事を思い出した。
カノンのように、いつも元気に挨拶をしてくれる娘だったが、今頃どうしてるだろうか。
それからシリューは、昨日から気になっていた事をロランに尋ねた。
「ロランさん、街で子供がいなくなるって……度々あるんですか?」
ロランの表情が曇る。
「メリルさんとこのサリーちゃんの事かしら。……そうね、ここ2年くらいそんな事件はなかったんですけど……」
「知り合いなんですか?」
ロランは、ますます表情を暗くして、重々しく頷く。
「……あの、いなくなった子は……殆ど見つからないって聞いたんですけど……」
「ギルドで聞いたのなら……本当の事です……」
加えて、たとえ依頼を出したとしても、その成功率の低さから引き受けてくれる冒険者もいないらしい。
「官憲はどうしてるんでしょう?」
犯罪の捜査や取り締まりは、本来官憲隊の仕事である。
「官憲隊も捜査はしていますが……」
ロランは俯いて首を振る。
殺人や強盗と違い、目撃者のいない誘拐は、足取りを掴むのが難しいという事だろう。
「嫌な事を聞いて、すみませんでした」
「いいえ。何かのお役にたてたのなら……」
謝罪の言葉で話を切り上げたシリューに頭を下げ、ロランはティーポットを持って下がっていった。
「……ま、犯罪の捜査は、冒険者の管轄じゃないよな……」
シリューはティーカップを口に運び呟いた。
知り合いの娘がいなくなった事に、ロランは本気で心を痛めているようだったが、シリューにとっては、会った事もなければ顔も名前も知らない相手だ。
気の毒だとは思うが、それは新聞やテレビのニュースで見聞きした事と同じで、特に実感が伴うものでは無い。
「それより、今日の仕事だな……」
当分はこの街を拠点に活動するつもりだが、出来るだけ早めにランクを上げておきたい。
そのためには、成功率の高いクエストを数こなす必要がある。
シリューは、残った紅茶を一気に喉に流し込み、席を立った。
大通りを入り、比較的広い路地の奥に、一軒の古びたサルーンがあった。
看板も無く、営業しているのかも怪しい、昼間でも薄暗い店内のテーブルに、2人の男女が言葉を交わす事なく座っている。
そこに、今にも外れそうなドアを押し開き、もう1人の男が入って来た。
「つけられなかったでしょうね?」
口を開いたのは、女だった。
「そんなヘマはしねえよ」
入って来た男が答える。
「まあ、そんなヘマすれば、お頭に消されるけどさ」
座っていたもう1人の男が笑った。
「そうね。で、首尾は?」
女が尋ねる。
「ああ、荷物はちゃんと引き渡したぜ」
女が頷く。
「それより、例の男が
立ったままの男が女にむかって聞いが、それに答えたのはもう1人の男だった。
「分かったよ。けどさ、大した奴じゃない。最近登録したての冒険者で、得意なのは猫探しだってさ」
「猫?」
「ああ、討伐系の依頼は一度も受けてないらしいよ」
女が心底軽蔑したような笑みを浮かべる。
「立てついてきたとしても、私でも簡単に殺せる程度のひ弱そうな奴ね。心配ないわ」
3人の低い笑い声が、薄暗い店内に響いた。
その日1日、シリューは3件の薬草採取のクエストをこなした。
3種類とも一度受けた事のある薬草だった為、固有スキル【探査】の対象物として登録してあり、簡単に見つける事が出来た。
「とりあえず、今日の稼ぎはこれで充分かな」
蓄えはあるが、その日の食い扶持はその日稼ぐと決めていた。
そうでないと、何となく怠け癖がついてしまいそうだったからだ。
「シリューさん、あと3回のクエストでGランクに昇格ですね」
レノが完了手続きを終え、報酬をカウンターに置いた。
「あと3回か……」
「手っ取り早く、薬草採取で明日にでも昇格しちゃいましょう」
担当する冒険者の昇格は、受付嬢にとってもポイントとして加算され、その分給料に影響するらしい。
「それもありますけど、私、シリューさんのファンですから」
爽やかに、他意のない笑顔を浮かべてレノが言い切った。
「えっと……」
冒険者のファンって何だろう、有名な人にはそういうのがつくのだろうか。
シリューには今ひとつピンとこない。
「シリューさんは、きっと勇者様と並び立つほどになります。たとえそれがこの街でなくても、個人的に応援させてくださいね」
グサリと胸に刺さる。
レノは本当にそう思っているようだが、シリューとしては勇者の隣には立ちたくない。と言うか逃げたい。
「レノさん、あの、大袈裟です……」
更に目を細め、首を傾げるレノの仕草に耐えられず、シリューはそそくさとカウンターを後にした。
スイングドアを押して外に出ると、建物の角にピンクの髪の少女が1人、ぽつりと佇んでいた。
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