第46話 追跡します! 猫を……

 コンコン、と執務室のドアをノックする音が響く。


「どうぞ、入ってくれ」


 冒険者ギルド、レグノス支部の支部長であるワイアットの返事を待って、ドアを開けたのは、狼人族の受付嬢レノだった。


「エラールの野盗団の件はどうなってる?」


 ワイアットは開口一番、入ってきたレノにそう尋ねた。


「芳しくはありません……討伐の依頼は誰にも受けてもらえませんし、たいした情報も入ってきません」


 レノは目を閉じ、首を振りながら答える。


「まあ、そうだろうな……」


 派遣された二度の討伐隊も、依頼を受けた冒険者たちも、誰一人戻ってはこなかった。その数は優に五十人を超える。


「あとは……バットに任せるしかなさそうだな……」


「バークレイ副支部長の調査隊は、二、三日以内に出発できるそうです」


 バークレイはワイアットの古くからの友人で、仲間たちから『バット』の愛称で呼ばれている。ワイアットと同じ時期に引退し、現在ではレグノス支部の副支部長として、調査、捜査、そして諜報活動を指揮している。


「そうか」


 ワイアットは葉巻の煙を燻らせ頷いた。


「ところで、例のルーキーはどうしてる?」


「例のルーキー……? ああ、シリューさんですか? 彼なら順当にクエストをこなしてますよ。登録して三日目ですが、この分なら十日程でGランクに昇格できそうです」


「そうか、十日でね……ん? 十日?」


 ワイアットは訝し気な目で聞き返した。


「はい」


「それ……普通だな……」


「そうですね、精力的ではありますけど、普通です」


 HランクからGランクへの昇格基準はそれ程難しい訳ではなく、内容を問わず二十件のクエストをクリアする事と決まっている。


「……クエストの内容は?」


「そうですね……」


 レノは顎に指を添えて、この三日でシリューが受けたクエストを思い返した。


 ワイアットからの指示で、シリューへの対応はレノの専担となっている為、全ての依頼内容を把握していたのだが……。


「ケジギタリスの全草、ボドフィルムの葉、ベラドンナの根、アナミルタの果実、それぞれの採取、それにデボラさんの引っ越しの手伝い、合わせて五件ですね」


「採取した数が異常に多いとか?」


「規定数です」


 レノは事務的に答えた。


「精力的にこなしてくれてるのは分かった。でも普通だな」


「普通です」


「いや、何かこうもっとあるだろっ、上級の魔物を討伐したとか」


 実際、F級以上の魔物の討伐は、Hランクの冒険者では受ける事が出来ないのだが、偶々上位の魔物に遭遇し、これを倒した場合はその限りではない。


 勿論、一般的なHランクのルーキーが、不運にもF級以上の魔物に遭遇し、生還出来る確率は限りなくゼロに近いが。


「そもそもシリューさんは、討伐系のクエストを受けていませんよ」


「なんかなぁ……」


 ワイアットとしては、派手に暴れて話題になってくれた方が、色々と楽しめたのだが、当の本人にそのつもりはないらしい。


「……そう簡単に手の内は明かさないって事か……。で、今日は何をしてる?」


「アンドリューの捜索です」


 ワイアットは、葉巻を口に運ぶ手を止めた。


「アンドリュー?」


 レノが大きく頷く。


「黒猫ちゃんです」






「おや、あなたが?」


 家の入口でシリューを出迎えたのは、黒猫アンドリューの飼主で、ヘレナという初老の婦人だった。


「はい、冒険者ギルドから来ました、シリューです」


「ああ、良かった、誰も来てくれなかったらどうしようと思ってたのよ。本当にありがとう」


 ヘレナはまるで、もう既にアンドリューが見つかったかのように喜んだ。


「あの、お礼は見つかってから……」


「そう、そうだったわねぇ、よろしくお願いね」


 そう言ったヘレナの目は、とても寂しそうに見えた。


「探す前に……幾つか見せてもらいたい物があるんですが、構いませんか?」


「あら、何かしら?」


 シリューは此処までの道すがら、どうやって探すかをあれこれ思案してみた。


 固有スキル【解析】は、目に映る範囲のものを判別できるが、有効な距離は10m以内。


 【探査】は、遠距離で目標を補足可能だが、個体の特定は出来ず、精々その種類を識別するにとどまる。


 どちらも、行方不明の人や動物を探すのには向いていない。


 そこで、ある一つの考えが浮かんだ。


 固有スキル【解析】と【探査】を組み合わせて、対象(この場合は猫のアンドリュー)の痕跡を見つけられないか。


 そして、セクレタリーインターフェイスの答は、【可能です】だった。


 ただし、前もって幾つか準備が必要ではある。


 まずは匂い。


 人であれば服や肌着、また本人が使ったハンカチ等身に着ける物が対象となるが、猫ならトイレや爪とぎ跡、寝床やお気に入りのクッション等でいいという事だ。


 そしてもう一つは魔力。


 この世界の生物全てが内包している魔力は、それぞれの個体により、強さ以外にその質も個性があり、指紋やDNAのように、一つとして同じではないらしい。


 これも、身に着けた物や排泄物等に痕跡が残る。


 シリューはヘレナに許可を貰い、目的のものを探した。



【解析:一頭の動物の匂いと魔力を検知しました。猫と特定します。この猫をアンドリューと設定しますか? YES/NO】



「YESだ」



【探査が変化します。追跡チェイサーモードが追加されました。】



「チェイサーモード起動」



【チェイサーモード起動します。設定対象の臭気、魔力痕を視覚化します】



 目の前の景色の中に、掠れた蛍光ペンで引いたような、薄くぼんやりとした緑のラインが重なる。


「これが、匂いの痕か……」


 ひどく薄く消えかかったものは、ある程度時間が経過した物だろう。


 シリューはヘレナに声をかけ、幾つもあるラインの中から、一番はっきりと濃い物を選び家の外へ出た。


「じゃあ行こうか」


 シリューは、いつもの通りポケットの中で姿を消している、ヒスイに声を掛ける。


「はい、です」


 薄く開けた窓から伸びたラインは、塀の上に続いている。


 ラインの一部分が若干濃くなっているのは、アンドリューがそこで暫く昼寝でもしていたのだろう。


 そこから塀の上を通り、さらに裏路地へと延びる。


「猫のホームレンジ(縄張り)って……」


 昔テレビで見た気がする。


 確か、建物の少ない地域で200m以上、反対に都会では50mほどの縄張りしか持たなかった筈。


 しかも、それは雄猫の場合で、雌猫はもっと狭い。


 アンドリューは黒猫の雄で、この辺りの建物事情から、彼の縄張りは100m前後になるだろうか。


 もっとも、この世界の猫が、元の世界の猫と同じ習性を持っていればの話だが。


「ん?」


 路地の奥、雑草の茂った空き地で、緑のラインがいきなり狭い範囲で雑然となっていた。


「これ……」


 草の葉にこびり付いた、少量の血痕。


 そしてそこから先は路地の真ん中、地面から1m程の高さを迷うことなく真っすぐ進んでいる。


「ああ、そうか……」


 ラインは路地を抜け、幾つかの区画を過ぎた先の、突き当りにある鉄製の門扉の中へと消えていた。


 『レグノス・エターナエル孤児院』


 石造りの簡素な門柱に書かれた文字。


〝人懐っこい子だから、何処かで誰かに拾われたのなら、いいんだけど……〟


 戻ってこれなくても、無事でいてくれればいいと語ったヘレナ。


「ヘレナさん、多分大丈夫ですよ……」


 シリューは一人呟き、孤児院の門扉を開いた。


「こんにちはーっ」


「はぁい、今いっきまぁーすっ」


 シリューが声を掛けると、すぐに聞き覚えのある声で返事が返ってきた。


 たたたた……だぁぁんっ!


「いたぁぁいっ」


 ドアの向こうで繰り広げられる、想像に難くないお約束的な事態。


「お、お待たせしましたぁ」


 ドアを開けて顔を出した、涙目の少女。


「って、シリューさんっ?」


「お前っ……は、えっと……」


 咄嗟に名前が出てこなかった。シリューは人の名前を覚えるのが得意ではない。


〝……紫パンツ残念変態……えっと……ま、み、ミ、ミリ、ミリア、ム……〟


「ミリアム!」


「何ですかその間っ。今完全に名前忘れてましたよねっっ!?」


「悪い、名前覚えるの苦手なんだ、ミニマム」


「ミリアムですっ、難しい名前じゃないんですから、憶えてくださいぃ」


「三文字あってたろ?」


「全部あってくださいぃっ!」


 両手で拳を握り髪を揺らして抗議するミリアムのメロンが、ばいんっと弾けるのはお約束だ。


「もう覚えた、紫パンツ残念変態ミリアムだ」


「そっちの方が難しいです、絶対わざとですよねっ」


 じとっとした半開きの目で、ミリアムはシリューをねめつけた。


「てか、いいかげん本題に入りたいんだけどいいか?」


 シリューは肩を竦め、両手を広げる。


「な、なんで私が悪いみたいな流れになってるんですかっ、違いますよねっ、なんか言ってくださいぃ」


「ここに怪我した黒猫が保護されてないか?」


「ふにゃ、ホントにいきなり本題に入ったっ!?」


 因みに、シリューの予測通りアンドリューはこの孤児院で保護されていた。


 空き地で他の猫と喧嘩になったアンドリューは、暫く動けない程の怪我を負い、それを孤児院の子供たちが見つけ、連れ帰ったという訳だ。


 シリューがアンドリューを受け取ると、情が移ったのか少しべそをかく子がいたが、そんな子にはミリアムが優しく諭していた。


「みんなのお家はここだよね、でも猫ちゃんのお家は違うの。みんなが帰ってこなかったら、お姉ちゃん泣いちゃうけど、猫ちゃんが帰ってこなかったら、猫ちゃんを待ってる人、きっと泣いちゃうと思う。だから帰してあげよ、ね」


 べそをかいていた子も、最後は笑って見送ってくれた。


「……それにしても、あいつ……」


 小さな毛布に包んだ猫を胸に抱き、ヘレナの待つ家へ向かいながら、ふとシリューは思った。


 子供たちを相手にする時、必ず顔の高さを合わせる事。


 心から安らぐような、慈愛溢れる温かい笑顔。 


 そして大切な思い出と重なる、優しい横顔。


「いや、ないないっ、絶対ないっ」


 シリューは激しく首を振り、その幻想を振り払った。

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